三十二

 久しぶりに木村が姿を見せた。

「福井から帰ってきたんか?」

 フクの問いに木村が頷く。

「しずかちゃん、大丈夫そうか?」

 木村は再び頷き、福井土産の焼き鯖寿司をくれた。

「ありがとう、ええんかいな!」

 木村はまたもや小さく頷いただけだった。元気がない。複雑な心境なのだろう。しずかが元気になってくれるのは嬉しいが、元気になればなるほど自分は必要なくなると考えてしまうのかもしれない。

「まあ、ビールでも飲み!」

 フクが勧めると、木村は素直に椅子に座った。グラスを干すと、ようやく口を開いた。

「そういえば、その先の曲がり角からこっちをじっと見ている男の人がいました。まるで見張っているようでした」

「えっ?」

 一瞬、富田かと思った。三十年の時を超えて、ようやく迎えに来たのかと。だが、即座に否定する。富田なら、コソコソ見張る必要などない。

「目が合うと、ドラッグいらんかって訊かれました」

「……」

 ドラッグと聞いて、再び富田を連想してしまった。富田は覚醒剤を盗んでこの町を離れた。

「もちろん断って逃げてきましたけど、振り返って見ると、自転車修理店の男の人が近くにいました」

「玄ちゃんが?」

「はい」

 そういえば、この前、玄は富田のことを訊いてきた。やはり、その売人は富田なのか……。

 フクは勝手口から外に出て、あたりを見渡したが、玄の姿はなかった。

 木村も出てくる。

「その売人、どんな風体やった?」

「歳は六十歳……いや、七十歳くらいですかね、坊主頭でひどく痩せていました。背も低かったです。着ている物もみすぼらしくて、ホームレスかと思ったくらいです」

「そう……」

 富田ではないだろう。富田も小さかったが、着る物には気を遣う男だったし、歳も合わない。それに、パンチパーマがトレードマークだった。

 富田はヤマト会からシャブを奪って逃げたのだ。その富田が、この町で売人をするなんてあり得ない。

 それより、玄が売人の近くにいたというのが気になる。

 木村を店に戻し、岬と立野に電話をかけた。二人とも、玄が生きていたことにホッとした様子だったが、売人らしき男と一緒にいたことを知ると、玄を探し出して問い詰めると言った。

「富田やないやろな」

 岬が言ったのでドキッとした。

「いや……わからん……でも、クスリを売ってたみたいやから……まさかこの町でそんなことは……」

「そやな……富田が奪ったシャブの代金をあんたが肩代わりしたとはいえ、ヤマト会に見つかったらただでは済まんやろうからな」

「うん……」

 ヤクザはメンツで生きている。いくら代金を支払ったとしても、覚醒剤を奪われたということが問題なのだ。 

 富田とはこの町で一緒に暮らした。だが、そのアパートは老朽化により取り壊された。それでもフクは、この町で生きていくことにした。もし、富田が自分の元へ戻ってこようと考えた時、まずはこの町に来ると思ったからだ。

 だが、よくよく考えてみると、この町にはヤマト会が進出してきている。そんな危険な場所に、富田が現れるわけなどないのだ。不意に絶望感が襲ってくる。今まで自分は無駄な時間を費やしてきたのか……。

 いや、違う。ヤマト会の目があるからこそ、コソコソと隠れるような態度で現れたのかもしれない。

 岬の声で我に返る。

「とにかく玄を探してみる。玄が見つかれば、その売人とやらも一緒に見つけられると思うから」

「お願いします」

 電話を切ったフクは、改めて富田のことを思った。この三十年、富田を待ち続けたのは事実だ。他人はなぜそんな男を待つのだと言うだろう。フクと豊かな暮らしをするためとはいえ、暴力団から覚醒剤を奪うような人間を。そして、フクを置いて逃げ、尻拭いをさせた男を。

 しかし、そうしたのはフクの意思だ。女郎になったのもそうだ。全部自分の意思だ。この町に出てきて、右も左もわからないフクを勇気づけてくれ、色々と世話を焼いてくれたのが富田だ。お互いに支えあっていたと言ってもいい。フクはそんな富田に恩を感じていたし、情も移っていた。暴力団から覚醒剤を奪った行為は許せるものではないが、それも、フクに楽な暮らしをさせてやりたいという気持ちからだ。

 心根は優しい男なのだ。それはフクが一番よくわかっている。優しくて、寂しがり屋で、臆病で、怖がりで……ただ、やり方を間違えただけなのだ。

 だからフクは、富田が戻ってきたら、まずは叱りつけてやるつもりだった。そう考えられるのは、自分にまだ富田への愛情が残っているからだろう。

 もし、その売人が富田だったしても同様だ。叱りつけて、警察へ連れていくつもりだった。逮捕されればしばらく戻ってこられないだろうが、それでもよかった。また、待つ日々が続くだろうが、いつまでも富田を待ち続けるつもりだった。

「待つ女やな」

 フクはひとり笑った。

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