二十九

「岬さん、大丈夫やろか?」

 心配そうなフクに、

「大丈夫や。あいつはおかしなことはせん」

 と立野は答えた。そして、「ほな、また来るわ」と言って席を立つ。

 店を出ると、岬は誰かに電話をかけていた。そして通話を終えると、組に戻った。

 立野は、岬が事務所に入るのを見届け、署に戻った。

 フクに言ったことは本当だった。岬はおかしなことはしない。ましてや、夜に相手の寝込みを襲うようなことをするわけがない。ただ、おかしなことはしないが、何らかの行動を起こすことは間違いない。だから、立野は岬を張った。

  玄のことも心配だった。同時に、玄が癌になるなんて、それももう長くないなんて、未だに信じられなかった。漠然とだが、刑事の自分や、ヤクザの岬の方が先に死ぬと思っていた。天真爛漫で純粋な玄は、長生きするものだと考えていた。しかし、どんな人間であれ、病気になる時はなるのだ。この世に特別な人間なんていない。自分だけは病気にならないとか、事故に遭わないと思いがちだが、そんなことはないのだ。

 妹の明美を失った時、それを強く実感したものだ。

 玄が逝くのか……。いや、まだそうと決まったわけではない。医療は日々進歩している。適切な治療を受ければ、回復は可能ではないのか。

 玄はどこにいる?

 岬が出てきた。キャリーバッグを引きずっている。

 立野は岬を追った。こっそり尾行することなく、自らの存在を気づかせるように背後にピタリとつき、歩いた。

 

「ついてくるな、オッサン!」

「福」を出た時からずっと立野が張っていることには気づいていた。しばらく様子を見ようと思ったが、立野の性格を考えると、とことんまでへばり付くに違いない。いつまでも動かないわけにはいかない。だから岬はすぐに動いた。

 案の定、立野はついてきた。ニヤニヤ笑っている。

「ワシがオッサンなら、おまえもオッサンやろ。何と言っても花の同級生やからな」

 立野が声を上げて笑う。

 岬は舌打ちし、歩き始めた。

 しばらく黙ったまま歩いた。

 岬は再び立ち止まり、「おい、デコスケ、暇か! ついてくるな、この税金泥棒が!」と怒鳴ったが、「税金も払ってない奴が言うセリフやないな」と笑って返された。

 歩き出す。立野はずっとついてくる。最後まで付き合うつもりだろう。

 一瞬、約三十五年ぶりの立野との殴り合いを考えたが、どうせ勝負はつかず、双方かなりのダメージを負うだけだと思い、自重した。みたび立ち止まり、振り返る。

「おい、仕事に戻れ! 男に付き纏われるのは好かん」

「ふん、色男ぶるな。奥手のくせに」

「なに!」

「そろそろフクちゃんに気持ちを打ち明けたらどうや?」

「……殺すぞ、デコスケ」

 頭に血が昇る。おそらく顔は真っ赤になっていることだろう。

「怖い、怖い。そんな怖い顔してたら、おなごが寄ってこんぞ」

「こいつ……」

 自重したばかりだが、本気でぶん殴ってやろうかと思った。だが、再び自重。今からヤマト会に行って大事な仕事がある。玄の店を買い戻すのだ。しずかから預かっている金の一部を借りるつもりだった。夜なのですぐに金が用意できず、しずかに電話で了承を得たのだ。

 立野は、岬の行先がヤマト会だと気づいていて、ついてきているのだ。岬が殴り込むとでも考えているのかもしれない。岬が引くキャリーの中には武器が入っていると思っているのだろう。

「俺をつけまわす暇があったら、半田の事件でも捜査してやれ!」

「あいにくワシは、おまえらヤクザ相手の四課でな。詐欺事件には関わられへんのや。たとえ知り合いが被害者でもな」

「ヤマト会が絡んでる……いや、ヤマト会の仕業やとわかってるやろ」

「証拠がない。だから今、二課が捜査してる」

「……」

「おまえ、ヤマト会に行くんやろ? 付き添いでワシも行くわ」

「いらん、帰れ!」

 岬は怒鳴ったが、立野は涼しい顔で続けた。

「二課を信用してないわけやない。せやけど、捜査には時間がかかるもんなんや。いつ、半田の件のカタがつくか皆目見当がつかん。それは困る。早くしてやらんと、あいつも息子も終わってしまう」

「……」

「だから、おまえの付き添いで行って奴らを締め上げる。課が違えば正式な捜査はできんけど、成り行きならオッケーやろ」

「……俺を利用するということか」

「おまえもワシを利用したらええ。おまえ一人で乗り込んでいったところで、門前払いになる可能性が高い」

「……」

 確かにそうかもしれない。立野がいた方が得策だろう。少なくとも門前払いは食らわないはずだ。それに、もし揉めた場合、立野がいれば自分を抑えらえるだろうし、止めてもくれるだろう。

 歩き出す。立野がついてくる。通天閣本通を抜け、恵美須町へ。ヤマト会本部が近くなる。岬も立野も無言だった。と、背中に声がかかる。

「そういえば、明美の通夜に来てくれたそうやな。ありがとうな」

「……なんや、急に。無言が気まずいからって、取ってつけたように」

「アホか。明美の代わりに礼を言うとんのや。明美の言葉と思ってくれ」

「……」

 ヤマト会本部が見えてきた。

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