二十六
「いらっしゃい! あ、玄ちゃん、久しぶりやん」
ガラスの引き戸越しに中を覗き込んでいた玄がフクの声に飛び上がる。ゴマのような目が大きく見開かれた。しかし、客がいないことがわかったからか、引き戸を開けて入ってきた。
「まいど」
「痩せたな、あんた……」
思わず口をついて出る。それほど玄は痩せていた。いや、やつれていると言った方が適当か。無精髭を生やし、髪も伸び放題だ。
玄は椅子に座ろうとせず、呟くように言った。
「実はな……もう長くないんや」
「えっ?」
いつもの冗談ではない口調と態度に、フクは心底驚いた。
「腎臓や。ここしばらく調子悪かったから……検査したら……腎臓ガンやて。ステージⅣ。もう手遅れや」
「……そんなん……そんなアホなことあるかいな! なんで、玄ちゃんが……」
涙が出そうになる。だが、堪えた。まだ玄が死ぬと決まったわけではない。今は昔と違って、医療も進歩している。
「誰にも言わんといてくれよ」
「……」
誰にも……同級生の岬や立野のことだとわかった。
「俺ら自営業やから、定期健康診断なんて受けへんからな。だから、フクちゃんも気ぃつけや。年に一回は検査してもろた方がええ。早期発見、早期治療や」
玄が笑う。痛々しかった。
「もうアカンと決まったわけやないやろ!」
「いや、もうアカン。自分の体のことは自分が一番ようわかるからな」
「……だから店を売ろうとしたんか?」
「もう売った」
「ええっ!」
「たった五百万やと。まあ、俺にとっては大金やし、どうせ死ぬんやから、金なんていらんしな。フクちゃんにあげよか?」
「いらんわ。自分のために使い!」
「自分のためなぁ……」
玄はしばらく何かを考えていたが、唐突に訊いてきた。
「フクちゃん、まだ、富田とかいう奴のこと、待ってるんか?」
「え?」
「どうなんや?」
「……そやな……もう半分以上あきらめてるけど……」
「そうか……」
「なんでや?」
「いや……」
玄は寂しげな笑顔を見せると、そのまま出て行こうとする。
「あ、玄ちゃん、ちょっと待って。今、どこに住んでるんや?」
「病院や」
「ほんまか? どこの病院や?」
「すぐそこの病院や」
玄が引き戸を開け、出ていく。
「ちょっと待って。おでん持っていき!」
「ええよ。どうせ食べられへん。食欲がないんや」
玄が歩き出す。
フクは皿に見繕ったおでん種を入れ、急いで表へ出たが、すでに玄の姿はなかった。
「玄ちゃん……」
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