二十五

 岬も気になっていた。玄のことだ。毎日のように玄とは顔を合わせていただけに、ここしばらく店を閉めていることが気がかりだった。

 玄とは同級生だ。小学校から高校まで同じ学校で過ごした。小学生の時、いじめられている玄を助けたのがきっかけで、玄がなついてくるようになり、岬も友達がいなかったこともあって、時々一緒に行動していた。高校も、岬が決めた高校についてきた。高校からは立野も同窓になり、三人でよくつるんだものだ。

 玄は、喧嘩になるとすぐに逃げてしまうような気弱な男だったが、それだけにやさしく、自分にもまわりにも嘘がつけない正直な男だった。いや、正直というよりいつまでも子供のような純粋さを持ち合わせていると言った方が適当か。だから、自分や立野とはキャラクターは違うが、学生時代を共に過ごしたのだ。

 高校を出ると、玄は親の店を手伝うようになった。当時は自転車屋だった。その頃は、この町には他に競合店がなかったこともあり、繁盛していたが、両親が病気で立て続けに亡くなった頃を境に、近くに大型店舗ができたり、ホームセンターなどでも自転車が売られるようになったこともあり、売上が減少、仕方なく修理屋に転じたのだった。

 それでも生活は楽ではなかったのだろう、親の生命保険金を切り崩して生活しているとぼやいていたことがある。

 そして、今日も店はシャッターが閉まったままだった。いつものようにシャッターを叩く。だが、反応はなかった。

「どこ行ったんや、あいつ……」

 呟いた時、また誰かに見られているような気がした。振り返る。だが、誰の姿もない。気のせいかと思った瞬間、角を曲がってこちらへ向かってくる玄の姿が見えた。

 いつもと同じツナギ姿だが、しばらく見ないうちに痩せたな……そう思った。いつもどおり、覚束ない足取りで歩いてくる。ガキの頃からそうだった。今にも転びそうな様子でヨタヨタ歩くのだが、それがなかなか転ばない。だが、近づいてくる玄は、風に吹かれると転びそうだった。それくらい痩せていた。

「久しぶりやな、岬」

「……おまえ、どこ行ってたんや。何日も店休んで」

「……ちょっとな……おまえこそどうしたんや? 何か用事か?」

「別に……そのバカ面を拝もうと思ってな」

「……そうか」

 岬の軽口にも乗ってこない。いつもと違い、会話が弾まない。

 玄がシャッターに手をかける。だが、力が入らないのか、引き上げることができない。

「何やっとんねん。ダイエットに成功して、力までなくしたんか?」

 手を貸そうとすると、玄はそれを拒み、

「錆がついて重くなってるんや」

 と、二度、三度とシャッターを蹴りつける。

「おい、やめとけ。壊れるぞ」

「ええんや。こんな店」

 玄は狂ったようにキックを繰り返す。

「おい、こんな店ってどういうことや。親父さんやおふくろさんが遺してくれた大事な店やろ!」

「やかましいわ! おまえには関係ないやろ。こんな店、もう売ることにしたんや!」

 玄が蹴るのをやめる。いや、やめたというより、蹴り続けられなくなったのだ。それが証拠に、肩で息をし、足元をふらつかせている。やがて玄は尻餅をついた。

「おい、売るってどういうことやねん!」

 岬は玄のツナギの襟元を掴んだ。

 玄が岬の手を振り払う。

「!」

 玄がそんな行動を取るのははじめてのことだった。岬は戸惑った。

「景気が悪くてメシが食えんのや、だから売るんや」

「……」

「メシが食えんから、こんなに痩せてしもた。店売った金でたらふく食って元の体重に戻すわい!」

 玄が何とか立ち上がり、どこかへ行こうとする。

「おい、どこ行くんや? おい! 店売るって、まさかヤマト会とちゃうやろな!」

 玄が立ち止まり、振り返った。

「いっぺんに何個も質問するな! 俺がアホなことはおまえが一番よう知ってるやろが!」

「……」

「そや、そのとおりや。ヤマト会や。ヤマト会に売ることにした」

「おまえ……」

「なんや! おまえ、この町の王様にでもなったつもりか! 一体、何様のつもりや!」

「……別に王様なんて思ってない。せやけど、大事な店を簡単に売ってしもてええんか!」

「……うるさい、ヤクザのくせに偉そうに言うな!」

 玄が歩いていく。

 岬はそれ以上声をかけられなかった。

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