十八

 自転車屋の、いや、自転車の修理屋の玄がやって来た。

「フクちゃん、パンク直しといたで」

「おおきに」

「こっちこそ、毎度おおきに! フクちゃんはええお得意さんや」

 玄が顔をくしゃくしゃにして笑う。元々小さい目がごま粒のようになる。

「すぐにパンクするんや。もう寿命かな」

「痩せたらええねん。痩せたらパンクも減るやろ」

「あんた、セクハラやで!」

 フクがお玉を投げるふりをすると、玄は大袈裟にのけぞり、店の外まで逃げた。いくつになっても無邪気さを失わない玄に、フクはいつもほっこりさせられる。

 玄もフクたちと同い年だ。そして、立野や岬とは学生時代からの付き合いらしい。ヤンチャな二人に比べると「人種」が違う気がするが、よくつるんでいたそうだ。

 玄が笑いながら戻ってくる。やはり目がごま粒のようだった。

「食べていくか?」

「いや、ええわ。最近食欲ないんや」

「なんかあったんか?」

「……いや、ちょっと悩み事があって、胃がな」

「嘘つけ! 悩みなんかない顔して!」

「あ、なんちゅうこと言うんや。俺にも悩みくらいあるわ!」

 玄が笑う。だが、すぐに真顔になって、「店閉めようかと思うんや。貧乏暇だらけやからな」と寂しげな表情を見せた。

 元々は自転車屋だったが、品揃い豊富な大手のチェーン店が近くにできると、そこに客を取られ、修理一本に絞ったのが五年ほど前のことだ。それも立ち行かなくなったということか。

「今時、修理してまで乗ろうとする奴もおらんわ。買った方が安いからな」

「玄ちゃんとこが閉まったら、うちはどこでパンクを直してもらったらええんや!」

「せやから痩せたらええんや!」

「だから、セクハラやって言うてるやろ!」

 おしぼりを投げるふりをし、そして本当に投げた。玄の顔の真ん中に命中する。

「痛っ! 熱っ! なにすんねん!」

「ちょっとは男前になるやろ!」

「それもセクハラやど!」

 言いながら、玄はそのおしぼりで顔をゴシゴシと拭く。そして、顔を見せるや、

「どや? 男前になったか?」

 と笑う。

 フクも笑いながら、「店、閉めたらあかんで」と言った。

 玄は一転憂鬱な顔になり、

「もう歳やし、隠居しよかなと思ってな。家ごと売ろうかなって思ってるんや。気楽な独り者やしな」

 玄の両親は数年前に立て続けに亡くなった。生涯独身のため、身寄りはいない。

「売るって……まさかヤマト会にか?」

 ヤマト会がこの町の土地を買い漁っていることは知っている。まだ、「福」はその標的にはなっていない。相手も、立野や岬が常連のこの店には手を出しづらいのだろう。

 玄が頷く。

「そんなことしたら、岬さんが黙ってへんで。立野さんもや」

「……あいつらには色々と助けられた。学生時代、頭の弱い俺はまわりにからかわれ、いじめられてた。そんな俺をあいつらは助けてくれた。あいつらだけは、俺をバカにせんかった。それどころか、一緒につるんでくれた。あいつらには感謝してる。あいつらがこの町を守ろうとしているのもわかってる。でも、もうどうでもええんや」

「……なんかあったんか?」

「……いや……あいつらには黙っといてくれ。ほな、行くわ」

 玄は唐突に立ち上がり、引き戸を開けた。

「店、閉めたらあかんで!」

 フクは玄の背中に向かって叫んだ。元々細身で小柄だが、その体がやけに小さくなったような気がした。

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