十七

 岬は、しずかの病室をそっと覗き見た。ベッド脇の椅子に木村が座っている。顔には絆創膏とガーゼ、手や腕には包帯が巻かれている。しずかは眠っているようだ。頼りないボディガードだが、いないよりはマシだろう。

 岬は病院を後にした。と、それを待っていたかのようにスマホが震える。ヒロシからだった。

「カシラ、見つけました!」

 ヒロシに場所を聞く。新世界の串カツ屋で彼女と二人で酒を飲んでいるらしい。岬は一旦事務所へ戻り、レクサスに乗り込んだ。天王寺動物園脇の道路に路上駐車する。サトルが飲んでいる店とは目と鼻の先だ。

 岬は、懇意にしている手配師に電話をかけた。岬からの電話だからか、すぐにつながる。

「一人たのむわ」

「はい」

「カニ、マグロ、カツオ。十年。一億で」

「わかりました」

 電話が切れる。

 手配師といっても、そのへんの肉体労働の斡旋人ではない。遠洋漁業の手配師だ。この時期は、数ある漁の中でも最も過酷と言われるカニ漁、それが終わるとマグロやカツオ漁だ。乗組員の紹介手数料と十年分の給料でしめて一億。つまり、サトルは十年間、一度も陸へ上がることなく、船の上で作業員としてタダ働きをすることになる。

 十年あれば、しずかの心も多少は癒えるだろうし、サトルに騙し取られた金がいくらか知らないが、一億あれば釣りがくるだろう。いや、心の問題は難しい。十年経っても癒えないかもしれないし、そもそも金に換算などできない。とりあえず一億だ。

 本当は殺してやりたい。だが、しずかに殺すなと言われている。

 スマホが震える。ヒロシ。

「店を出ました」

「わかった」

 車を降りる。遠くで象の短い鳴き声がした。それに触発されたかのように、他の動物たちも合唱を始める。

 ヒロシが駆け寄ってきた。

「カシラ、あのカップルです」

「……」

 派手なスカジャンに身を包んだ小太りの男が女の肩を抱いて歩いている。

「行け!」

 岬が言うと、ヒロシは嬉しそうに舌なめずりしながら駆け出した。まるで猟犬のようだ。

 どうするのか見ていると、ヒロシはまず女に何やら親しげに話し始めた。女は警戒したり嫌がったりすることなく、言葉を返している。しばらく様子を見ていたサトルだったが、女を抱き寄せると、ヒロシの胸を突いた。大袈裟に倒れるヒロシ。脇腹を押さえ、アスファルトの上でもがいている。

 サトルは女を促し、そのまま行こうとした。

「おい、待て!」

 岬はサトルの背中に声をぶつけた。

 肩をびくつかせ、サトルが振り返る。サトルも小柄というわけではないが、それでも相手が岬だと見上げるかたちになる。早くも目には怯えの色が浮かんでいた。

「おまえ、うちの若いもんを痛めつけてそのまま逃げるつもりか?」

「……痛めつけてなんかいねえよ!」

 今にも逃げ出したいくせに、女の手前虚勢を張っている。

 女を見ると、怖がるどころか興味津々な目で岬を見ていた。

「ねえちゃん、悪いけど、あいつを介抱したってくれ」

 尚も演技を続けるヒロシの方へ顎をしゃくる。

「はい!」

 女は嬉しそうにヒロシの方へ駆け寄っていく。サトルについているよりよっぽどいいと判断したのだろう。所詮、金でつながっていた関係だ。

「ふられたな、色男よ」

「……あいつ」

 サトルが女に向かおうとする。

「女を殴るタイプか、おまえ。弱い者には強いんやな」

 言いながら、岬はサトルの金髪を鷲掴みにした。

「は、はなせ、コラ!」

 サトルが岬の手に爪を立て、暴れる。岬は手を離すどころか、髪を強く引っ張った。

「しずかから騙し取った金を返してもらうぞ」

 サトルが一転おとなしくなる。

「おまえに生命保険をかけて殺すか」

「……ゆ、許してください。何でもします、命だけは助けてください」

 態度をコロリと変えたサトルが命乞いをする。

「おいおい、さっきまでの勢いはどこへ行ったんや」

「……お願いです……何でもします」

「そうか。何でもするか」

「……」

「おい、何でもするんやな?」

  岬は一層強く金髪を引っ張った。サトルの体が浮きそうになる。

「……い、一体……何をすれば?」

「十年間船に乗ってもらう。カニに、マグロにカツオ、取り放題や。魚も食べ放題。食い物の心配はいらん。ただ、一度も陸に上がれない。おまえが逃げ出さへんように、船の上で監禁状態や。で、その十年はタダ働きや」

「……」

「特にカニ漁は死と隣り合わせでな。実際、毎年かなりの数の人間が命を落とす。でも、心配するな。保険金が掛けられるから、死んでも大丈夫や」

 サトルがゴクリと音を鳴らして唾を飲み込む。

「たった十年の辛抱や。懲役に行くよりマシやろ?」

「……勘弁してください」

「ふうん、ほな、どうやって金を返すんや?」

「……」

「ほんまはおまえを殺したい。でも、しずかに、おまえを殺すのだけは勘弁してやってくれってお願いされてな。しずかに感謝しろよ」

「……」

「だから、殺しはせん。でも、半殺しにはできる」

「……」

「毎日、毎日、半殺しにしたろか? 何年も何年も、毎日半殺しや。そのうち廃人になる」

 ニヤリと笑う。サトルは青ざめ、表情を強張らせた。

「ヤクザ舐めるなよ。逃げても逃げても捜し出す。俺らの捜索能力は警察以上や」

「……わ、わかりました」

 サトルが目を閉じる。どうやら覚悟を決めたようだ。

  十年間一度も陸に上がることなく、ほぼ監禁状態。しかも、命の危険と隣り合わせ。岬でも勘弁願いたい。だが、さすがに逃げられないと思ったのか、サトルは観念した。

「ええ子や」

  サトルの髪を掴む力を緩める。次の瞬間、サトルがダウンのポケットから光る物を取り出したかと思うと、髪を掴む岬の右手の甲に突き立てた。

「うっ!」

 思わず髪から手を離す。その隙にサトルが背中を向け、駆け出そうとする。岬は咄嗟にサトルの膝の裏を蹴っていた。サトルがもんどりうって倒れる。

 岬は小ぶりのナイフを手の甲から抜くと、地面に叩きつけた。ヒロシが駆け寄ってきて、起き上がろうとするサトルの顎を蹴り上げた。サトルが気絶する。

「おい、大事な売り物や。無茶するな」

「大丈夫ですか、カシラ!」

「ああ。たいしたことない」

 実際、たいしたことはなかった。一センチほどの切り傷ができただけだった。指も動く。ただ、血が溢れ出すように流れ出てくる。岬はハンカチで縛って止血した。

 一瞬でも油断した自分に腹を立てていた。

 やはり、サトルは船の上で監禁状態にするべきだ。逃げられたら保険金も入らない。逃げられるくらいなら、死んでくれた方がいい。

「そいつを縛れ。縛ったまま、船に放り込んだる」

 ヒロシがどこからかロープを調達してきて、サトルを簀巻きにした。レクサスのトランクに放り込む。

 女が戸惑ったような表情でこちらを見ていた。

「おい、あの女……」

「わかってます。まかしてください」

 ヒロシならうまくやるだろう。腕っ節はいまいちだが、女のあしらいにかけては岬も一目置いていた。ヒロシは女で食っていくタイプだ。

 レクサスに乗り込み、港へ向かった。

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