十五

 立野が入ってきたと思ったら、そのあとに熊のような大男と木村が続いた。確か熊のような男は、通天閣の下で殴られ屋をしていたはずだ。何度か見かけたことがある。立野が一番奥に座り、間に木村を挟んで三人並ぶ。木村の顔は腫れ上がっている。殴られ屋はタオルを鉢巻き替わりにしているが、元々白色だったであろうタオルは真っ赤で、眉間には一本血の筋ができている。

「フクさん、消毒薬か何かあるか?」

「あるけど……そんなんでええの? 病院行った方が……」

「大丈夫です。こうして縛っておけばそのうち止まりますから」

 殴られ屋はきっぱりとした口調で言うと、「水を一杯いただけますか?」と続けた。

 フクが水を出してやると、一気にそれを呷り、おかわりをした。

 と、そこへ岬が入ってくる。店の奥に立野の姿を認めると、一瞬顔を顰めたが、殴られ屋と木村の姿に気づくと、ドアを閉め、一番左端の席に腰を下ろした。四人中、大きな男が三人いるので、圧迫感がある。

「ビール……て言いたいところやけど、水にするわ。ウーロン茶みたいなハイカラなもんないやろ? 水を三つ追加で。岬、ええな?」

 立野の言葉に岬がフンと鼻を鳴らす。フクはジョッキに水を注いだ。

「で、木村くんよ、なんであんなことした? いや、その前に、その顔どないした?」

「……これは……サトルとかいう、しずかさんの元彼にやられました」

 木村が悔しそうに言う。彼氏ではなく、元彼と言ったところに、木村の意地が垣間見えた気がした。

「そいつ、まだこの町におったんか?」

「しずかさんの病室に来てました」

 これにはフクだけでなく、立野や岬も驚いている。

「しずかさんの見舞いに行ったんです。そしたら、そいつがいて……」


 勇気を出して見舞いに行った木村は、しずかの病室から廊下まで漏れ聞こえてくる会話に足を止めていた。

「誤解だよ、誤解。あれは彼女なんかじゃないって。ちょっと頼まれて一緒に旅をしているだけだよ」

「……そんなことより、体の方は?」

「……今は比較的調子がいいんだけど、いつ倒れるかわからない。相変わらず適合する薬がなくて、でも、ずっと病室で過ごしていると、体に悪いからって、外出許可をもらったんだ」

「……」

「でも、驚いたよ。遊郭で働いていたんだな。そこまでして俺のことを……嬉しいよ。でも、なんでまた飛び降りなんか? 訊いてくれれば、すぐに誤解だとわかったのに」

「……」

「で、どれくらいで治るんだ? 治ったらまた女郎続けるんだろう?」

「……」

「リハビリ頑張りなよ! ところで、こんな時に申し訳ないんだけど、金貸してもらえないか? 病院まで帰る金がないんだよ。五万でも十万でも、なんなら五十万でもいいから、貸してくれないか?」

「……もういいよ」

「へっ?」

「全部嘘なのは、もうわかってる。だから、出ていって。もう二度と来ないで!」

「……嘘じゃねえよ。病気が治ってないのも本当だし……」

「もういい!」

「……」

「もう嘘はたくさん! 最初から全部嘘だったんでしょ! 私を騙して利用してたんでしょ!」

「……」

「おかしいと思った。学生時代は見向きもしなかった私なんかに声をかけてきて……いきなり病気の話なんかして……」

「ふん、今頃気づいたか。男に免疫なさそうだったから、いいカモだと思って近づいたんだよ。案の定、簡単に引っ掛かった。バカだな、おまえ。おまえみたいな地味は奴に本気で惚れる奴がいるとでも思ってるのか? あーあ、もうちょっと引っ張れるかと思ったんだけどな。まあ、恋人ごっこも気持ち悪くなってきてたから、潮時かもな。それにしても、女郎って……よくやるよな。ブスでも地味でも化粧次第で男を騙せるんだからな。でも、女郎姿も相変わらずキモかったよ。女郎をして稼いだ金を受け取っていたなんて、汚らわしくて反吐が出るよ」

 次の瞬間、木村は病室に飛び込んでいた。そして、サトルに飛び掛かっていた。だが、簡単にいなされ、ボコボコに殴られた。看護師が止めに入らなかったら、殺されていたかもしれない。

「警察を呼びますよ!」

 看護師の声に、サトルは逃げ出した。木村も逃げるように病院を出た。看護師が処置室に案内してくれようとしたが断った。しずかの前で無様な姿を晒してしまったことが惨めだったのだ。

 その後もサトルを捜してこの町まで足を運んだが、見つけられなかった。かわりに殴られ屋を見つけた。ムシャクシャしていたこともあり、客となったが、パンチが全く効かず、惨めさが増幅した結果、気がつけば角材で殴っていた。


「すみませんでした」

 木村が殴られ屋に頭を下げる。

「いえ……大丈夫です」

 まるで、大丈夫というセリフが口癖かのように、殴られ屋は謝罪に応じた。

「サトルの行方はわからんということか」

 岬が呟く。

「おい、岬、しょうもないこと考えるなよ。相手は一応堅気や」

 立野が釘を刺す。岬は何も言わなかった。

「しずかちゃんが心配やな。おい、木村くん、君にボディガードを命じるから、今すぐ病院へ駆けつけなさい。そして、ついでに顔の治療をしてもらいなさい」

 立野が一転おどけた口調で言う。

「いえ……でも……」

 木村は躊躇している。しずかに会うのが照れ臭いのと、殴られ屋のことが気になるのだろう、チラチラ様子を窺っている。

 それに気づいた殴られ屋が言う。

「私は大丈夫です。詳しい事情まではわかりませんが、行ってあげてください。後悔しないためにも……」

「……はい。本当にすみませんでした」

 木村は頭を下げると、店を出ていった。

 殴られ屋も席を立とうとする。だが、それを立野が止めた。

「まあ、待ちや、殴られ屋さん。次はあんたの話を聞かせてもらおうやないか」

「いえ……私は……」

「これでも一応警官でな。あんなところで、あんな商売している人間を見つけたら、事情くらいは聞かなあかんねん」

「……」

「ええやろ? 減るもんやないし」

「……」

「その前に、殴られ屋さんて呼ぶのもおかしいから、名前だけでも教えてくれへんか?」

「……土井垣といいます」

「土井垣さん……これは事情聴取やない。事情を聞かせてくれと言ったけど、あんたがなんで殴られ屋なんかしてるんか、それを聞きたいだけなんや。警官としてではなく、この町で生きる人間としてな」

「……」

「あんたが殴られ屋をする場所にこの町を選んだのも何かの縁や。ワシも、そこにおるヤクザも、この町で起きることにはイッチョカミせなあかん性分なんや。この町を選んだことが運の尽きやと思って話してくれへんか?」

「……はあ」

 土井垣はそれでも迷っていたが、やがてポツリポツリと話し始めた。

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