十三

「カシラ、通天閣の下で商売してる奴がいます!」

 部屋に飛び込んでくるなり、ヒロシが言う。ヒロシは狭間組の数少ない若い衆だ。

 どうせ、ホームレスが拾った物を売っているのだろうと考えた岬は、

「ほっとけ。デコスケが注意しに行くやろ」

 と突っぱねた。

「いえ、それが……」

「ん?」

「殴られ屋なんです」

「殴られ屋?」

「はい」

「金を取ってやってるんか?」

「はい。ただ、額は決まっていなくて、好きなだけ殴っていい上に、代金も客が決めることができるみたいで……」

「……行ってみるか」

 なんとなく、面白そうだなと思った。

 血の気の多い若い頃なら、余所者がこの町で勝手に商売をしていれば、飛んでいって身ぐるみ剥がして放り出したものだが、今は、ヤクザが出張るより、警察が取り締まってくれる。

「ていうか、いちいち俺を呼びにこんでも、おまえが追っ払ったらええやないか!」

 通天閣に向かいながら、金色の頭を張る。

「痛っ! でも、カシラ、その殴られ屋、結構ガタイがよくて、やばそうな奴なんですわ」

「アホか!」

 もう一度頭を張る。

「おまえ、一応ヤクザやろ! ヤクザがビビッてどないすんねん!」

「せやけど、現代ヤクザは切った張ったの時代やないですよ!」

「……それにしたって、おまえ……」

 と、通天閣が見えてきた。昼間の通天閣はあまり目立たない。景色に同化しているというか、電柱のように普通に佇んでいるという感じだ。それが、夜ともなるとネオンが灯り、それなりに自己主張する。

 人だかりができていた。野次馬の輪の中、ふたつの人影が動いている。

 岬はヒロシと共に野次馬をかき分けていった。

「ほう……」

 確かにいいガタイをしている。熊のような大男だ。背丈は長身の岬と変わらないが、ごつい。太っているのではなく、鍛えられた厚い肉体をしている。Tシャツ一枚の姿なので、よくわかる。立野以上だ。髪の毛は伸び放題、そして顔の下半分を髭が覆っていた。こちらも伸ばし放題だ。まさに熊。

「おい、ヒロシ。おまえが言うように、なかなかのもんやな」

「でしょ? 説得に応じそうな感じでもないし、ここはカシラかなと」

「……おまえな」

 見ると、客はボクシングのグローブをつけ、男を殴っていた。だが、ただ闇雲に腕を振り回しているだけで、全く相手にダメージを与えられないパンチだ。酒に酔っているのだろう。ここ新世界は、朝から飲み屋が開いている。

 案の定、客の男は足元をふらつかせ、ダウンしてしまった。その場でゲーゲー吐いている。

 男は全くダメージを負っていないようで、平気な顔で立ち尽くしている。足元には段ボールの切れ端があり、ヒロシが言ったように、『殴られ屋です。何発でも好きなだけ殴ってください。お代は、お客様のお気持ちでいくらでも。一円でも結構です。』と書かれてあった。

 客にボクシンググローブをつけさせているのは、自分へのダメージを考えてというより、客が拳を痛めないための配慮だろう。そして、一円でもいいから金を払ってもらうのは、金を払わないで相手を殴れば、ただの暴力、傷害になるからだろう。いずれも客への配慮だ。

 客の男は立ち上がると、何やら悪態をつきながらも、ポケットから小銭を取り出すと、男に向かって投げつけた。恥ずかしさと苛立ちに包まれているのだろう。そのままふらつく足取りで去っていく。

「ありがとうございます」

 男は野太い声で礼を言うと、アスファルトにばら撒かれた小銭を拾い上げた。カーゴパンツのサイドポケットに無造作に放り込む。

 哀しい目をしているなと、岬は思った。男は金が目的ではなく、かといって殴られることが目的でもないのだ。

 ふと、いつかどこかで見た目、誰かのそれに似ていると思った。

 だが、誰のものかは思い出せない。

「カシラ、どうします?」

 ヒロシの声で我に返る。

「……ええやろ。ほっとけ」

 関わるのが嫌だった。男の話を聞いた時点で、関わってしまう。男と関わり、人生を背負うことになるのが怖かった。

「せやけど、カシラ!」

 岬は踵を返した。

「問題ないやろ。何かあったら、デコスケが取り締まる」

「はあ」

 さっきと同じように、野次馬をかき分けた。

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