十二
立野と木村が帰った後も、フクはしずかのことを考えながら、自らの過去を思い出していた。
富田のために女郎になり、富田がつくった借金を返していた。借金を返し終え、女郎をやめた。それでもまだ、こうしてこの町で富田を待ち続けている。
しずかはどうなのだろう。嘘を見抜けないほど盲目に相手を愛し、女郎にまでなって相手を支えようとした。騙されたことがわかり、自殺を試みたものの生き残ってしまった。病院のベッドの上で動けない中、考える時間は無限にある。時間が経てば、サトルとかいう男のことが気になるのではないか。
男も愚かだが、女も愚かだ。自分がそうだからよくわかる。富田に何度も裏切られながらも、そして、借金の肩代わりなどする必要がないのにそれを背負い込み、まだ彼を待っている。
半田がやって来た。いつものように酒の補充をし、カウンターに座る。
「しずかちゃん、怪我はしたけど、命に別状はないみたいやな」
「うん。今日も見舞いに行ってきたけど、元気そうやった。もしかしたら空元気かもしれへんけど、空元気を装えるということは、少しは心に余裕が出てきたということやと思う」
「うん。しかし健気やな。騙されてたとはいえ、彼氏のために体張ってたんやからなあ」
「そやな」
「それに引き換え、うちの息子ときたら、久しぶりに帰ってきたと思ったら、ライブ開催の金が足らん言うて、金せびっていきよった」
「ええがな、それが親子や」
「あいつが経済的な援助を求めてきたら、夢をあきらめて店を継がそうと決めてたのに……頭を下げられたらつい……甘いな俺も」
そう言いながらも、半田は笑っている。嬉しそうだ。
「頼られるうちが華や」
「そやな。そう思っとくわ」
半田が出ていく。それと入れ替わるように、再び木村がやってきた。
「ああ、おかえり。早速、見舞い行ってきたんか?」
「いえ……行こうかと思ったのですが、勇気がなくて……その……店の外で会うのはなんだか照れ臭いというか……それに、迷惑なんじゃないかと」
「照れ臭いのはともかく、迷惑なんてことはないと思うで。今は、多くの人が、自分のことを心配してくれている、気にかけてくれていると感じることが大切やから」
「……そうですよね」
木村は、ちくわとはんぺんをお茶で流し込むと、出ていった。今から見舞いに行くのだろうか。
店内にはBGMなどという洒落たものはない。五坪足らずの小さな店。客がいなくなると、静寂が訪れる。店を開いて十年、これには未だに慣れない。寂しいというより、怖くなってくる。
理由はなんとなくわかっている。幼い頃、両親を亡くしてからは、親戚中をたらい回しにされた。どの家も、それなりに賑やかだったが、それだけに、ひどい孤独感に苛まれた。いつしか、彼らの声を耳が勝手にシャットアウトするようになった。フクは、静寂の中、時を過ごしていた。だから、静寂には慣れっこのはずなのだが、それが、つらい過去を思い出させるのか、いつからか静寂が怖くなったのだ。
富田は暗闇が怖いと言った。富田の心の傷だ。フクにとっては静寂こそが心の傷なのだろう。だから、時々、テープレコーダーを回す。何十回、何百回と再生したため、擦り切れ、ノイズがひどいが、逆にそれがリアル感を醸し出している。
それは、店内の様子を録音したテープだった。時代おくれのカセットテープ。客が注文する声。おでんを咀嚼する音。酒を飲み干す音。グラスをテーブルに置く音。何気ない会話。鍋が煮える音。引き戸の開閉音。フクの笑い声。そんな、店の日常を切り取ったものだ。日常の何でもない雰囲気。静寂が怖くなった時、フクはこのテープを再生するのだった。
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