八
フクから携帯に電話がかかってきた。珍しいことだ。新世界をパトロールしていた立野は通話ボタンを押した。
「どないした?」
「ちょっと、警察の力を借りたいと思って」
聞くと、女郎で「福」の常連客でもあるしずかが無断欠勤の上、行方がわからなくっているらしい。立野も、しずかとは「福」で何度か話したことがあった。
「あの子のアパートの部屋に入りたいんやけど。親や親戚を騙って鍵を開けてもらおうかとも思ったけど、今は色々うるさいやろ?」
「まあ、一応それは犯罪やからな。わかった、行ったる」
立野はふたつ返事でオッケーすると、しずかのアパート前でフクと待ち合わせをすることにした。
幸い、パトロールしていた場所から天下茶屋のしずかのアパートは近く、すぐに着いたが、フクは先に到着していた。
「早いな」
「すぐに飛んできてくれると思ったからな」
「買いかぶりや。で、やっぱり留守か?」
と訊くと、フクは頷いた。
木造二階建てのアパートを眺めた。管理会社の看板が壁に貼られている。電話をかけ、事情を説明すると、管理会社の社員が鍵を持ってやってきた。
鉄階段を昇った一番手前の部屋。管理会社の社員に開錠してもらう。
ドアを開けると、部屋全体が見渡せるつくりになっている。六畳一間。家賃は三万といったところだろう。部屋の真ん中に炬燵机、部屋の隅に布団が畳んで積まれてあった。もちろんしずかの姿はない。異臭もしなかった。
「荒らされた形跡はないな」
立野は呟き、トイレのドアを開けた。異常はない。風呂はなかった。
「確かしずかちゃんは男のために女郎になったんやったな?」
「うん。そう聞いてる」
「その男に会ったことは?」
「ない。入院と自宅療養を繰り返してるって言うてたな」
「……」
なんとなくだが、嫌な予感がした。
「病院かもな」
「えっ?」
立野は携帯を取り出し、署へかけた。担当部署につないでもらい、病院から届けが出ていないか確認した。しばらく待たされた後、一件届いているという返事があった。
電話を切り、フクに言う。
「ビンゴや。西成病院や。身元がわからん人間が運ばれたって連絡があったらしい。年恰好からして間違いないと思う」
「……一体何があったんや……」
「とにかく行こ!」
二人はタクシーに乗り、西成病院へ向かった。十分ほどで到着する。
ナースステーションで警察手帳を見せると、担当医と看護師が飛んできて、説明してくれた。
しずかは、あるマンションの敷地内で倒れているところを通行人に発見され、救急車で運ばれてきたらしい。一週間前のことだ。両足を骨折していたが、検査の結果、内臓に損傷などはなく、意識もしっかりしているということだ。ただ、何も話さないそうだ。
病院は、身元がわからない怪我人が運ばれたと警察に連絡していたが、いまだにホームレスが多いこの町ではよくあることなので、警察は報告を聞いただけで、病院に出向くこともなかった。立野は身内の不手際を恥じた。
立野は見当をつけていた。おそらくしずかは、飛び降り自殺を試みたのだと。だが、途中で何かに引っ掛かるかして、足から落下したのだ。フクを見ると、つらそうな表情を浮かべていた。フクも気づいているのだ。
病室へ案内された。個室だった。しずかは眠っていた。両足は固定され、その上に包帯が巻かれている。それがやけに痛々しかった。
医師と看護師が出ていく。
すると、しずかが目を開いた。
「なんや、あんた、起きてたんかいな」
そう言うフクを見、続いて立野に目をやったしずかは、目に涙を溜め、そして静かに涙を流した。
「ごめんなさい……心配かけて……」
「そんなん気にせんでええ。とにかく生きててよかった」
フクの言葉に、しずかはまた涙を流した。
「ほな、ワシは行くわ。ここは女同士の方がええやろ」
立野は、フクに任せることにした。自分がいたら、話しにくいこともあると思ったからだ。
「ありがとう、立野さん。おかげでこうしてしずかちゃんにも会えたわ」
「たまご一個の貸しや」
立野は病院を出ると、狭間組に電話をかけた。岬の携帯番号は知らないのだ。電話に出た当番の若い衆は、立野からだとわかると、すぐに岬にかわった。
「しずかちゃんは無事や」
「……そうか」
それだけで電話が切れた。携帯を見つめ、立野は苦笑した。
岬は、立野の言葉やそのトーンで状況を把握したのだろう。今はまだ自分の出番はないと判断したのだ。実際、立野もまだしずかの自殺未遂の理由を知らない。
若い娘が自ら命を絶とうとする。ショッキングな出来事だ。骨折はしたものの、命に別状がなくてよかった。立野は心底そう思った。妹の顔が脳裏に浮かぶ。
しずかの部屋を訪れた際、嫌な予感に襲われた。妹のことを思い出したからだ。そしてそれは半分当たり、半分外れた。本当に無事でよかった。
立野は、妹に会うため、実家に向かった。
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