仕事を抜け出し、大国町の実家へ。年老いた両親が迎えてくれる。

「どや、明美の様子は?」

 父親が首を振る。

「そうか……」

 立野ががっかりした様子を見せると、母親が言った。

「そんな顔したらあかん。明美に伝わる」

「……そやな」

 立野は、床をミシミシいわせながら、妹の明美が眠るベッドに近づいた。

「明美、どうや?」

 ベッドの明美は何の反応も示さない。この状態になってもう三十年以上だ。最初の半年で病院から追い出され、以来ずっと実家で眠り続けている。

 いわゆる植物状態というやつだった。脳死とは違い、自発呼吸ができる。脳死ならあきらめもついたかもしれない。だが……両親も、そして立野も、明美が回復するのを信じ、その日を待ち望んでいる。

 明美は十五歳の時、輪姦された。塾の帰り道、新世界を横切って自宅へ戻る途中の出来事だった。その直後、明美は自宅近くの雑居ビルの屋上から身を投げた。頭を強く打ったが、死には至らなかった。

 知らせを受けた立野は病院へ駆けつけた。岬も一緒だった。明美は意識不明の重体だった。そして驚いたことに、覚醒剤が体内から検出されていた。犯人が射ったのだ。警察には、明美が自殺しようとした理由は、薬物摂取によって錯乱状態になったせいだとも言われたし、輪姦によるショックのせいだとも言われた。わからない。明美にしかわからないことだ。

 ただ、無理やりクスリを体内に入れられたのは事実だ。量が多ければショック死していたかもしれない。立野がクスリを憎むようになったのは明美のことがあったからだ。

 目撃者の証言から、犯人はチンピラのような三人組の男だということだった。荒れ狂った立野は町へ走り、三人組の男たちを見るや、手あたり次第に殴りつけた。岬は黙って見ていた。立野が劣勢になった時にだけ、手を貸してくれた。町から三人組の姿が見えなくなるまで、立野は暴れ続けた。

 だが、犯人に行き当たったという手ごたえはなかったし、犯人が逮捕されることもなかった。犯人は犯行後、現場から遠く離れたのだろう。それでも立野は暴れずにはいられなかった。明美が被害に遭ったのは、もしかしたら自分が原因かもしれないと思ったからだ。

 その当時、立野は岬とつるみ、喧嘩三昧だった。何が楽しかったのかわからないが、二人でよく暴れた。同じ高校生では相手にならず、チンピラを襲うようになっていた。

 パトロールと称し、一般市民を脅したり、殴ったりしている現場を見つけては、成敗していた。一般市民からは感謝されていたが、チンピラからは恨まれていただろう。その標的として明美が狙われたのかもしれないと考えたのだ。

 岬も、薄々それに気づいていたと思うが、何も言わなかった。もしかしたら、責任を感じて、何も言えなかったのかもしれない。元来、岬は口数が少ない男だ。

 出会ったのは中学生の時だったが、その頃からそうだった。岬は、常に怒りを体に溜めているようだった。同級生から、岬という奴が呼んでいると言われ、指定された公園へ向かうと、岬が一人で立っていた。

「なんや、おまえ」

 立野が言うや、岬はいきなり殴りかかってきた。不意打ちの一発目はもらったものの、二発目を躱し、一本背負いで土の上に叩きつけた。当時から柔道経験があったのだ。それで決まったと思ったが、岬は立ち上がり、向かってきた。岬のパンチを受けては投げるの繰り返しだった。岬はフラフラだった。立野も腰にきていた。細身の岬のパンチは決して重くはなかったが、怒りが込められているのか、体に突き刺さった。

 業を煮やした立野の仲間たちが、岬に襲い掛かろうとしたが、立野が止めた。止めたが、もう攻撃する力は残っていなかった。立野が先に膝をついた。一瞬後、岬もダウンした。

「おまえの勝ちや」

 立野が言うと、「どうでもええ」と岬が答えた。それが岬と交わしたはじめての会話だった。

「最後の最後に強い奴に出会えたわ」

「最後?」

「そうや。大阪中の中学生をしめてきたんや」

「……暇か、おまえ」

「うるさいわ」

 二人で笑った。その後、岬が捨て子だったこと、そして、最近それを知り、自分と同い年の奴らをなぜか殴ってみたくなったのだと言った。

「なんでやねん。ええ迷惑や」

「まあ、でも、最後の最後におまえのような骨のある奴に出会えてよかったわ」

 岬はそう言うと、立ち上がり、そのまま行こうとした。なぜか寂しさを覚えた立野は岬を呼び止めていた。そこから岬との付き合いが始まったが、それも高校を出るまでだった。岬がヤクザになることを決めた時、二人の間に溝が生まれたのだ。

 立野はヤクザを恨んでいた。もちろん、明美のことがあるからだ。明美を襲ったのはヤクザかチンピラ。そのヤクザに岬がなると言った時、立野は岬を責めた。

「狭間組がなんぼええヤクザや言うても、ヤクザは所詮ヤクザや。弱いところから搾取して生きてるんやろが! それに……明美を襲ったのは……」

「ヤクザを一括りにせんといてくれ。うちの組は堅気には迷惑をかけん。明美ちゃんを襲ったのは、うちの組員やない! 俺は、ただ、あの町を守りたいだけなんや」

「綺麗事ぬかすな! 店からみかじめ料取ってるんやろが! それを搾取というんや!」

「……」

 岬は寂しそうな表情を浮かべると、そのまま背中を向けた。

 明美を襲った犯人は結局捕まらなかった。いや、まだ捕まっていない。立野は、犯罪を憎み、覚醒剤を憎み、ヤクザを憎み、警察官になった。そして、今もまだ、犯人を捜し続けている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る