第1話 水も滴るなんとやら
俺が二年生になって、一学期の期末テストが終わった最終日。
部活のある奴は弁当食って午後から部活だとぼやいていたけれど、俺は帰宅部だったから家に直行。ホームルームも待たずにサッサと荷物をリュックにまとめ、帰ったらサブスクで何のエロ動画見ようかなーなんてスマホをスクロールしていた。
ホームルームでの注意事項は、いつも通り。
寄り道するな。
テストは終わったが受験はこれから、間違えたところは解き直せ。
健全な男子高校生が守るわけがない。だって今日は自由を取り戻した日。今日くらいは羽目を外して遊んだって許される。先生が許さなくても俺が許す。どうせ俺の人生だ。
だから俺は、帰宅前に有名なMの字のファーストフード店に寄って、季節限定のハンバーガーをセットでテイクアウト。河川敷の日陰で、ああいい天気だなーと一人ピクニックを決め込んでいた。
なんて平和な一日!テスト結果の返却もまだだし、宿題も出てないし、帰ったら親も留守だからエロ動画も見放題。今日という貴重な日を満喫しなけりゃもったいない。
キラキラと反射する川面を眺めて、自然を満喫し、腹が膨れたので、さっさと帰ることにした。なにせエロ動画が俺を待ってるので。
ケツをはたいて立ち上がり、リュックを担ぎあげてふと川面を見る。
―――違和感を感じた。
さっき、あんなとこに古着が引っ掛かってたっけ?
俺の座っていた河川敷の川岸には突堤があって、時折なんの魚だかわからないデッカイ怪魚が泳いでいるのが見える。それなりの深さがあるのだろう。
そこに、白いシャツが浮いていた。
見覚えのあるシャツ。そう、俺が着ているような。
まじまじと見つめて三秒、
「ニンゲンじゃねえか!!」
リュックを放り、駆け寄った俺は善人だ。
ポケットにスマホを入れたままなことも忘れて、俺はザブザブと川に沈む人間を引き上げに行った。生きてるか死んでるかなんて、とっさに考えないもんだ。
* * *
生きてるか死んでるか分からないドザエモン(仮)を突堤から川岸へ押しやり、引きずり上げる。ド平日の昼間、通行人もまばらで俺以外だれも助けはいなかった。
濡れた人間は、重い。渾身の力で仰向かせ、ぜいぜいと肩で息をしながら、顔を見る。俺と同じ制服、高校生の男だ。
「…お、おい…」
死んでいるかもしれない。恐る恐る頬を叩く。ぺちぺち。
「ん…」
何か唸るような音が喉元から聞こえたので、もう少し力を入れて頬を張る。ベチン。
うう、と身をよじる風を見せたので、身体を横に向かせて背中をバンバン叩いてやった。
がは、おえ、と水と吐しゃ物を嘔吐した男は、苦悶の表情でゴホゴホひとしきり咳き込んで、薄く目を開いた。
良かった、生きてた。
「大丈夫かよ、あんた川に落ちたのか」
茫洋とした目で空を眺め、ゆっくりと視線を動かし、俺の目を捉えたその視線に、
―――俺は、何かを射抜かれたような気がした。
心臓が跳ねる。
水にぬれた髪がへばりついた、形のいい額。白い頬は血の気が引いて尚白く、濡れたシャツが肌に張り付き、透けている。長い睫毛の向こう、揺蕩うような定まらない視線の不安定さが庇護欲を掻き立てる。
鼓動がたちまち早鐘を打ち始めた。おかしい。俺は女が好きだ。男に「綺麗」だなんて表現を当てはめたことなど、人生で一度もない。ミケランジェロのダビデ像を見た時だって。
自分自身の認識に混乱している俺の気持ちなど全く無視して、ドザエモンが口を開いた。
「…いいとこ、だったのに…」
…なんだと!?
気付いた。こいつは、自分で飛び込んだんだ、突堤を踏み外したなんて事故じゃない。自殺しようとしたのを、俺が助けてしまったのだ。
そして今、助けてやった俺を非難している。
途端に、バカバカしくなった。生臭くなった俺。ポケットの中のスマホは、防水仕様だが大丈夫だろうか。自分の危険も顧みず助けに動いてしまった自分を呪う。自殺志願者など、好きにやらせておけばよかったのだ!
「あっそ!悪かったな。俺は帰る」
支えてやっていた背をドンと突き放すと、「あいたっ」とドザエモンが呻いた。ざまあみろ。
数分前まで、ハンバーガーでピクニックを楽しんでいた優雅な俺。今や臭い川の水にまみれて全身ずぶぬれ。命の恩人になったはずなのに「余計なお世話」と言わんばかりで(決して礼など望んでいたわけではないけれども)、なんとも可哀想。
でもまあ、警察を呼ばずに帰れそうなのは結構だ、とっととコイツをほっといて帰ろう。
生臭くてたまらないこの服を、早く着替えたかった。
* * *
「えっとゴメン、ちょっと待って」
俺がリュックを担ぎあげたとき、ドザエモンが声を掛けてきた。
「ありがと。責めたわけじゃなくて、自己嫌悪で…」
青い顔で、弱々しい声で、弁明してくる。或る程度頭はハッキリしてそうだ。ほっといて帰ってもいいだろう。
「いいよどうでも。自分で帰れるだろ、もう飛び込むなよ」
「今日はもう諦めるけど、ごめん、ちょっと肩貸してくれないかな」
「え―――!?やだよ」
「迷惑かけて、ほんとごめん。気持ち悪くて。…ぐ、オェ」
少し吐いた。余計嫌だ。
だけど、額に手をやって青い顔で立ち上がれずにいるのを見ると、このままではいずれ通行人に救急車を呼ばれそうだと考えた。そうすると、俺の事も喋られかねない。となると、同じ学校であることはおそらくドザエモンも気づいているので、ややこしいことになりかねない。
俺は、諦めてドザエモンを家まで送ってやることにした。ああ、なんてお人好しな俺。
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