第12話  ぐちゃぐちゃ

「……」


宗教。

にも無数に存在していた。挙げればキリが無いが、俗に『三大宗教』と呼ばれる3つの宗教を筆頭に、歴史の長さに比例して、それこそ星の数ほどに。

しかし、では『世界宗教』。もともと一つしかないのだろうか。

正直、宗教には良い印象がない。目前に現れもしない正体不明の何者かを崇め奉る。

誰を?祈って、何になるのだ。それに、宗教は時に人をとんでもない非行へと走らせる。例えば共喰いとか。

だって、無意味じゃないか。幸せになるために祈っているのに、結局幸せにするのは自分であるし、のめり込んでも気を病むのは自分なのだ。これでは、ただの奴隷である。

第一、母だって救われなかった。


「怪訝そうな顔だね、ときに、君は宗教は好きかい?」


トモリは口の端を引きながら、私に問いかける。感情が読み取れない。笑っていると笑っていないの間のような。…いやどんな表情だよ。


「……嫌いです」


私は包み隠さず宣言する。

と、その瞬間リリーは少し眼を見開きながらこちらを向く。驚いている?いや、怪しんでいるのか。何故。

──まさか。トモリはその宗教の教徒なのではないか。そして私が宗教を好んでいないことを敵と見なした途端、命を奪いにかかるとか。

あり得ない、訳ではない。だって、ここは異世界だから。トモリの顔を、真っすぐに見れなくなってくる。


「そうか、君は嫌いか」


トモリはやはり感情の読み取れない表情のままに目を細める。ニンマリといった擬態語が入りそうだ。正直、怖い。不自然なまでに思考が読めない。だから、脳内はあらぬ想像を巡らせる。


「私もどちらかと言えば嫌いだ」


今度は私の方が神妙な面持ちでトモリの目を見る。一気に脳内は疑問符に置き換わる。

彼女の眼は、明らかに楽しんでいた。


「……あなたは、その宗教の関係者ではないんですか」


先ほどからトモリに手のひらで転がされているような気がする。第一トモリの言っていることが理解できない。

一つまみの鬱陶しさ。ふっと怒りの感情が芽生える。

かと思えばトモリはふっと頬をほころばせるものだから、もう訳が分からない。


「違うよ……というか、それ私の方が聞きたかったんだけどね。脅かしちゃったのなら謝るよ」


トモリは困ったように言う。言いつつも、目はにやりと細めながら口に手を当て、終にはけらけら笑う。実に面白そうである。


「あー、なるほどね、たしかにこれは私の聞き方が悪かったね、悪かったよ」


トモリは頭を下げる。今度は彼女の感情がはっきりと読み取れた。というよりかは、本当に伝えたいことを今から言うのだと分かりやすく教えてくれているのかのような言葉の紡ぎ方だった。


「悪かったからさ。……もう少し笑ってよ。君は何と言うか、目が生きていない」


この状況でいう事か。そうは思ったけれど。

確かに心臓がトクと鳴る。血が体を通う感覚がする。

頬を触る。ざらついていた。目を落とし手を見る。手のひらは、いつの間に握りしめており、白くなっていた。

トモリの方を見る。目は、重くズンとした痛みが襲った。


「……当たり前でしょう。鬼がわからない鬼ごっこしてるようなもんですよ」


苦笑いした。笑った。ここにきて初めて、口角を笑うことに使ったような気がした。ズンと大きく遅れて、随分と久しぶりに、ちょっとだけ、生きてると感じた。











「さ、なんだか話がそれちゃったけど…。そもそもニジ教というのはどのような宗教かと言うとね」


トモリは姿勢を直し、腕を組む。


「言霊の宗教──。こう言い換えていいと思う。まあ、端的に言うと、言霊の起源を超越した存在によるものとして、その存在── を崇め奉る。そんな感じのニュアンスかな」


出た。言霊。言葉を現実に映し出す異能、だったか。


「で、話はここからだ」


トモリは人差し指を前に掲げる。


「…というと」


「 いつかの君 はカナタさんと同じ言語を語る、と言われている」


再びドキリと胸が弾む。世界宗教の信仰対象が、日本人……?

一瞬、少年の顔が脳裏に浮かぶ。


「他にもいつかの君についての情報はいろいろあってね。曰く、いつかの君は女性である。曰く、いつかの君は謙虚で慈愛に溢れている。曰く、いつかの君は別世界より降臨する……。そしてそれらが記されているのが、『ネルマンデルの手記』という訳だよ」


「その、ネルマンデルというのは誰なんですか」


たまらず聞き返す。いきなりすぎて、情報がうまく整理できない。必死に会話に食らいつこうとする。


「ああ、ニジ教の教祖だね。まあ、手記自体が半ば神話みたいなものだから、実在した人物かはわからない」


つまりだ。

ニジ教の教祖が記した書『ネルマンデルの手記』が存在し、そこにはそのについての情報がいくつも記されている、という訳か。そしてそれらは、半ば神話として伝わっている、と。

そして、その手記の中に私が使う語日本語や転生についての文言があるからして、過去にネルマンデルの周辺に何らかの転生者がいた可能性が高く、私という存在も一定の信頼性があるという事なのだろう。

しかし、何故だ。


「ちょっと待ってください。ネルマンデルは実在するかわからないんですよね。じゃあその手記が全くのでたらめである可能性もあるわけで、私が転生者であるかも確定できないはず…」


純粋に疑問である。こちらは日本語を知っているのでつい見逃しそうになるが、そもそもこの世界にいる人々は、 日本語 を知らない。手記の言う転生と私の転生が上手くつながらない気がするのだが。


「ええとねぇ……手記にはいくつか預言があるんだ」


「……預言?」


聞き返す。

なんだ?急にトモリの目が泳いだ気がしたが……。何か、あるのだろうか。


「トモリ様」


リリーが横槍を入れる。反射的に彼女の顔を見る。眉をしかめている。怒っていた。


「ああ、わかっている、ごめん」


トモリは少々考え込み、かと思えばこちらに微笑みかける。日光に彼女の純白の髪が反射する。


「まあ、これに関してはいずれまた」


私は数秒間トモリの顔をまじまじと見つめ、そして口を開く。


「はあ」


人には踏み入れてはならない境界線がある。そもそも私とトモリは出会って一日も経っていない。私は異世界人だし。まあ、そういう事だろう。そういうことにしよう。


「とにかく、以上の理由から私はあなたを半分信じているというわけだよ」


「ふん」


思わず間抜けなような、ため息のような声が漏れる。リリーが即座にムッとした顔を向けたので、私は急いで俯き肩をすくめる。


と、トモリはパンと手をたたく。何事かと私とリリーの視線を集めたところで、再び口を開く。


「さ、いろいろ紆余曲折あったが、私としては現時点で知りたいことは知れたから、ここからあなたの処遇の決定に入るよ。カナタさんはしばらく部屋で待っててもらう。リリー、連れて行ってあげて」


「…はい、わかりました」


リリーはやっぱり機嫌が悪そうに生返事をした。











「私は、あなたを信用していませんから」


胸がドキリと痛む。4つ分の靴の音がコツコツと廊下にこだまする。

右隣の少し前を歩く彼女の顔をしれと覗いてみる。

顔は、至って冷静だった。しかし、その瞳の奥には確かに憤りの感情が存在していた。


「そうですか…」


「トモリ様はあなたを随分気に入っているようですが」


「はあ」


そんなこと私に言われても。そう思わないでもないが、わからない。この世界においてはそれが普通なのかもしれない。

郷に入っては、郷に従え。とはよく言ったものだが、初めのうちだけでもそうしておかねば、関係など築けないというものだ。


「……エリーは──」


リリーの声が少しだけ細くなる。


「え?」


「いや……なんでもございません」


私の生返事にリリーは即座に前言撤回を返す。


「…はあ」


リリーは終始前を見つめたまま、ただ歩くのみである。これ以上何も話す気が無いことを表情から読み取ると、私も視線を前に戻す。


この屋敷は、全体的に広い。廊下の大きな窓から外を除くとそこには庭があり、見たことない柄の黄色い蝶が数匹羽搏いていた。

空気がおいしい。どうやら屋敷の周りは木に囲まれているようで、樹々が音もなく風になびくのを見て、この屋敷の窓が閉まっていることを知る。


「つきましたよ」


いつの間にかリリーはドアの前に止まっており、危うく気づかず歩いて行ってしまいそうになるのを踏みとどまる。


「言っておきますが、何か怪しい動きをしたら……」


目はずっと合わない。


「そんなことするつもりも動機もありません」


一応強い調子で訴える。リリーは少しきょどるように瞳を揺らしたが、特に言い返すこともなく私の背中を押した。背中伝いに感じた手の感触は、思いのほか力強かった。


「対応が決まり次第、呼びに来ます」


ばたん、と少し強く戸が閉じられる。と同時に、カタンと音がした。試しに戸を開こうとしても、開かない。


「……まあ、そうなるよね」


鍵が閉められたらしい。鍵穴なんてあったかななんて思いつつ、まあ今更考えても何か変わるわけではないなとすぐに思い返すのをあきらめ、おとなしく部屋で待つかと、部屋の奥へと歩みを進めた。











「炎よ、目前に現れろ」


右腕の先に火の玉が現れる。蝋燭ほどの大きさのそれは音を立てずに揺れる。

天井を見る。いつしか付けた天井の焼け焦げた跡が黒く存在を主張している。


「アーリン……何者」


呟く。

アーリン・フーシレア。17歳。性格は落ち着いた方。あまり自己肯定感は高くない。これがトモリの彼女への印象である。──嘗ての。


「やはり、アーリンが…?」


兄アル・フーシレアの死亡を己のせいだと責め自らを呪った。当然、考えられない話ではない。

呪いとは、まだ言霊を上手く扱えない子供がよく起こす言霊の誤発である。そう、子供に多い。しかし決して、子供に限ったものではないのだ。

でも。


「転生……カナタスズナは本当に…?」


大体の経緯は、アスクとえるより聞いている。エリーについても、昨日この屋敷に呼んだためそろそろ着くのではなかろうか。その上で。


転生。

これは、ありえるかありえないかで言えば、ありえる。しかし、そのような『嘘』など誰でも吐けるというもの。

それに、仮に転生が本当だとしても、だ。カナタスズナが善の者である保証は現時点ではない。


──いや、それはあるんだったか。

『彼女は、なんと言うか…。──嘗ての私の様でした』

アスクは、エリーがこのように語っていたと言う。彼女の心はひび割れていると。

私はエリーとその言霊に信頼を寄せている。よって、やはりカナタスズナは善の者であると考えるのが妥当であろうか。


だとしても、やはりアーリンの損失はあまりにも大きい。生かしておいたとしても、ニジ教会だって何かしら動くと見るのが自然だ。 統一連邦 に知られてしまえば、それこそ弱みを握られてしまう。


「……いや、違うだろうそれは」


そんなしみったれた考え、私の柄ではない。ねちねち一人で考えていても何も変わらないのだ。カナタスズナだって、だからと言って殺してしまえば、あまりにもかわいそうである。

私は私の思うままにやる。いままでだって、ずっとそうしてきたではないか。


「すう──…。ふう……」


大きく深呼吸をする。


「……ちょっとハイになってるのかな、私は」


頬を両手でたたく。大きく息を吸う。


「……よし」


トモリは指に灯る炎を消す。











場所は、領主室。


「部屋の前には一人操術師をつけておきました」


「ありがとう」


リリーが領主室に戻ってくる。顔色は…あまり芳しくない。ああ、機嫌悪そうだな。


「トモリ様、貴女は脇が甘すぎます」


リリーはトモリの目の前に仁王立ちし、その目を真っすぐに見つめ、訴える。


「確かに、えるは 呪い ではなく言霊を使ったと言っていた。という事は記憶喪失をした可能性は少ない。分かります。解りますけど、だからといって統一連邦からの刺客である可能性も否定できない。仮にカナタスズナの言うことが本当だとしても、それこそニジ教会がどう動くか分かったものではない。もしかしたらそうやって我らレア領とニジ教との関係を絶たせようとする第三勢力の仕業かもしれない。彼女の存在は存在だけで脅威足り得ることを貴女は十分に分かっているんですか?」


リリーは、ボブカットの髪を大きく揺らしながら訴える。

そもそも、リリーの言い分はもっともである。

だから、重い。想いも重くのしかかる。


「そうだよねぇ……」


トモリは能天気な声色で、しかしいつもより低い声でぼやき、天井を見る。

やっぱり、まあるく焦げた跡が目に入る。


「でも、私はこれをずっと待ってたんだ。ここは…曲げたくない」


「どうしてっ、どうしてそこまで彼女の味方をするのですかっ」


リリーの語調が荒くなる。リリーの苦しそうな表情が痛い。でも、そんなの、顔に出せない。耐える。


「だって、可哀想じゃないか…」


トモリはさも動じないようにふわふわと天井を見つめ続ける。あまり考えすぎぬように。

少し、口角が上がるのを感じながら。


「っっだから、彼女が転生者という確証はないんですよ?!」


「確証ならあるよ」


「っっはぁ?!!」


リリーは、すっかり平常心をどこかに失くしてしまっているようだ。探せ、リリーよ。


「彼女の様子と、雰囲気と、勘。リリーとエリーの時もそうだった。そして実際二人は、今も私のために尽くしてくれている」


「──っ」


リリーは、次の反論を必死に探しているようだが、見つからない様子だ。

リリーとて、必死なのだ。それに、私の理屈がまるで通っていないことは、私が一番理解している。だから。


「大丈夫」


私はリリーを安心させるために言葉を探す。でもうまく見つからないので、結局また私の脳内にあるテンプレートのうちの一つを引っ張り出してしまう。


「私は、私たちは絶対にうまくいくよ」


せめてもの償いとして、優しく頬を緩める。


「……」


リリーはしばらく私の目を睨んでいたが、やがてハアと大げさに溜息をして、呟く。


「トモリ様がそこまでおっしゃるのなら…、私はあなたの為に尽くすのみです。

あーーーもう、あなたの御老体を精々お支えしましょう」


リリーは、打たれ強い。いや、打たれ強くはないのかもしれないが、己を曲げる強さを持っている。それでいて一本、芯をしっかり持っている。

私にはない強さだ。正直に、すごいと思う。


「ありがとう、リリー。本当に…で、誰がご老体だって?」


本当に。に、力を籠める。


「天井を焦がすようなお方には謝罪は致しません」


「え゛っ」


気付いてないとでも思ったんですか?リリーは目を細める。その目には少しだけ不安の色がうかがえた。


──いつも迷惑かけるね、リリー。

だから私はリリーに、ありがとう代わりの笑顔を届けた。その笑顔には、少しだけ。ほんの少しだけ、これからの展開に心を弾ませる気持ちも、確かに含まれていた。


私は、私の物語が新たなフェーズに向かっていくのを、ただ肌に感じていた。

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