第13話  あなたを見る眼

質素だが、思ったよりも家具が充実している。というのがこの部屋の第一印象。

ベッドやテーブル、椅子はすべて一つずつ設置されており、テーブルの上には万年筆とゴミ箱らしきものが。

この部屋にあるものといったらそれくらいであるが、処分待ちの身にしては十分すぎる環境である。いつもは来客用の部屋として使用しているのだろうか。


部屋の奥には両開きの大きな窓があり、昼下がりのあたたかい陽気を存分に取り入れている。

ベッドのシミとか、テーブルの上の埃だとか、そういった汚れは特に見受けられず、隅々まで掃除が行き届いていることがありありと感じられた。埃臭さも特になかった。


取り敢えず私は椅子を引き腰を下ろし、先程の会話を思い返す。


「……あの人は、どこまで知ってるんだ」


不自然である。なにがって、全体的に。

彼女は私を信じると言った。根拠も示された。……正直、その根拠とやらはよく分らなかったが。理にはかなっている、のだと思う。

だがしかし、妙に気持ち悪い感覚が残る。


なんだか、贔屓されていないか。

意図的ではないにせよ、私はこの領土の重要人物の身体を乗っ取っている。

盗人なのだ。罪人、なのだ。だから私は死を覚悟していた。

だというのに。


なのに、なぜ私は生きている?

もっと、責め立てられてもよいと思う。恨まれてもよいと思う。そもそも、いつかの美男子の対応が本来されるべき正しい反応なのだ。

なぜこんな私を丁重に扱う?

自ら、死を申し出るべきだとも、思う。…もしかして、彼女はその申し出を待っているのか?……いや、そういう事でもないのだと、思う。

第一、死にたいのと、死ぬのは、違うのだ。私は知っているはずだ。


考えれば考えるほどに、比例して彼女への不信感と私への嫌悪感が加速する。


──私は、わからない。彼女のことが。

だから、私は彼女の優しさを疑っている、のかもしれない。

いや、きっとそうなのだ。私は、私がこの身の内側に心を沈めていることを判っていた。だから、私が大体間違っているという事も、解っていた。


彼女が生かそうとしているのに、逃げるのか?

最低だ、それは。


私は背を丸め、うずくまる。頭を抱える。ああ、彼女アーリンの匂いがする。私の匂いも、あったのかなぁ。

窓から差し込む陽光が、うなじを温める。

この部屋は、静かである。


別に発展性の欠片もないようなネガティブな思考を、半ば自動的に再生する。一時停止ボタンはない。

私は、きっとこうやって頑張っていると錯覚しようとしているのだ。

思えばそれもまた私を沼地に引きずり下ろした。


ただ、一つ。私の脳内に蔓延る無数の私であっても、唯一口をそろえる事実があった。


今の私は彼女アーリンの偽物。

私がこの身体のホンモノになり得ることはありえない。


私は今、確かに生きているのにね。

笑ってしまう。


「──寂しい」


ただ私は、摩擦する意思のその擦れた傷口を紛らわすことすらも許されず、ただその痛みに粛々と唇を噛んでいた。











「すみません、彼方すずなさん、でお間違いないですか?私こういう者でして──」


渡される名刺。上がる口角。寄る眉。


「どういう思いであなたはその──────────」

「この作品にはどのような思いが──────────」


漆黒のスーツに身を包んだ記者。定期的にやってくる。そして馬鹿みたいに口角を上げる。私もつられる。

その翌日には、決まって頬が筋肉痛になった。


「★2 メディアに踊らされて勘違いをしている。つまらない

今注目を集めている著者の作品という事で期待をしてたが、この完成度にはがっかり。感情描写があまりにも白々しく、展開が見え透いていた。共感性羞恥を感じ、最後まで見れなかった─────」


目は吸い込まれる。心も、意識も。


夜。スマホのディスプレイだけが光っていた。











「──ねえ、おきてよ、ねえってば」


目を開ける。

頭がぼんやりとする。視点が上手く定まらない。

ここで始めて、寝ていたのだと気が付く。

陽が色づき始め、若干光を強めている。

ああ、数時間は寝てしまっただろうか。

目は相も変わらず重く、光が眩しくてズムと鈍く傷んだ。


「起きたね、アーリン」


アーリン。その言葉を耳が認識した途端、私の身体は反射的に跳ねる。


初めて聞く声だ。


「痛ッた」


眉を顰める。急に動かしたせいか、首が痛い。どうやら机に突っ伏していたようだ。

身体をねじり、ゆっくりと声の元へ目を向ける。


「アーリン、顔はそのまんまだね」


胸に針が刺さる。急いで胸に手を当てる。握り絞める。

顔が見れない。この人も、アーリンのことを知っているのだろうか。

……というか、どうやって入ってきたんだ、この部屋に。


「ど、ちらさまですか」


寝起きの、消え入りそうな声を振り絞り、訊く。

……寝起きだから、だけではないと直ぐに考えを改める。


「そうかぁ……………やっぱり、いなくなっちゃったんだね」


「ねえ、そんなはなしするためにきたの、?」


もう一つの声が入り口近くから響く。コツ、コツとやけに軽い足音がこだまする。


「やっほ、すずな」


つい先程聞いたばかりのこの声が、妙に心を温かくした。えるちゃんだ。

入口へと続く細い廊下の影から、切り揃えられた髪をゆらと揺らしながら顔をのぞかせる。屈託のないはずの笑顔は、今は少しだけ優しい気がした。


「……ごめんなさい」


「、え?どうしてごめんなさい、?」


「……」


私こそ、訊きたかった。


「…いや、なんでもないの」


言葉は、相手に伝わることを拒んだ。その不完全燃焼分、頭の中でぐるぐると駆け巡った。

口から出れない言葉は、無期懲役の囚人の如く心を荒らして回った。


「……ふふ」


その人が、ふいに笑う。

笑みがこぼれる、という感じではない。意識的に、という感じでもない。

その声は、なにかを包み込むかのように、優しく、少し怖い感じがした。

この不敵な笑みはトモリを彷彿とさせる。国民性だろうか。


「なんだ、いなくなってなんかなかったじゃん」


弾かれたように、初めて、その人の顔を見る。

中性的な声だったけど、姿は女性そのものだった。面長、高身長、少し褐色がかった肌。さながら体育会系、といった感じのイメージ。目はどぎついつり目で瞳孔は黄色がかっており、真っすぐな赤毛は後ろに束ねられている。

私の予想ほど、その人の顔は恐ろしくなんてなかった。


彼女は遠くを見ていた。私は知る由もない程の遠くを。

と思えば、赤毛の女性は勢いよく瞬きし、眼は細くなり、最後にひとつまみの優しさを帯びる。

えるちゃんは、困ったように苦笑いしながらも、終始彼女の言葉に耳を傾けている。


「大丈夫だよ、私があなたを守るから」


唐突に、彼女は言う。

そして女性は私の手を取っては、「うわ冷た」と小声でぼやき、両手で包み込んでくれる。

彼女の褐色の手は、ほんのり暖かかった。


「…あなたは、誰なんですか、?」


なんとなく、解っていた。でも確証を得るため、取り敢えず訊いた。

彼女は、にっこりと、笑みを浮かべ、八重歯を見せた。


「ガドリニウム・キドレア。アーリンの親友」











「ガドって呼んでね。君は、スズナちゃんっていうの?」


彼女は日本語が使えた。 ニジ教 の信仰対象 いつかの君 が操る言葉であるという、その言語。世界宗教と言うだけに、その使い手は少なくないのだろう。


「はい、そうです…」


「敬語はやめようよ、ほらタメ口でさ、よそよそしいのは嫌だから」


結局ガドは、私がリリーに呼ばれるまで話し相手になってくれた。どうやら、そもそも会話をしたくてえるちゃんに頼み込んでいたらしい。

えるちゃんは「ほんとはいやだったけど、ガドはむげにできないから」と渋い顔つきで言うから、そこで初めて彼女がアーリンと同じ境遇であることを知った。


彼女は、赤眼せきがん地域守護家出身らしい。思わず聞き返してしまったが、どうやらこの領土は4つの地域から成っているらしく、 白ロ地域・緑耳地域・赤眼地域・青鼻地域 それぞれに『その土地を守護する一族』である 守護家 が存在することを教えてくれた。

守護。やっぱり鎌倉時代みたいだ。


その他も、私のこととか、ガドのこととか、様々なことを日が傾くまで話した。初めこそよそよそしかったが、次第に打ち解けていき、互いのことを理解すればするほどに会話が弾んだ。……勿論、えるちゃんも交えて。

アーリンとガドの過去についての話をしているときは苦しかった。

でも、ろくに 女子会 なるものを経験できなかった私だから、新鮮な楽しさを終始体中に感じていた。


……こんなに純粋に楽しいと思えたのは、何時振りだったか。


「──ありがとう」


時間で言えば、1,2時間くらいなものだ。それでも、他でもない、彼女の心が身に染みる。

そろそろ時間だから、と手を振り部屋を後にする彼女の後姿を、私は、ただ眩しく見つめていた。











ガタン、と、少し軋むドアの閉まる音が廊下にこだまする。


「だいじょうぶ、?ガド」


エルが私の顔を覗き込んでいる。


「スズナちゃんの根暗なとこ、なんか、アーリンみたいでさ。笑っちゃったよ」


わざと声色を上げる。


「ひとりで、せおっちゃくるしいよ」


「……うん、ありがとうね」


顔だけ笑う。


ドアの取っ手から手が離れない。歩みが進まない。

視界がぼやける。


「考えちゃうの。……私が、もっと支えられていたら…今もここにいたのかな、って」


言葉が詰まる。声が掠れる。鼻に、唇に、目に、熱が帯びる。


「これじゃ浮かばれないよ、あんな頑張ってたのにさ」


後姿。思い出される、君の手。忘れもしない。初めて話してくれたのは、

ゆっくりと目をつぶり、こつり、とドアに頭をあてる。


「だから今度は、私があなたのためになる」


わかっている。彼女は、もういないのかもしれない。……いないんだろう。

そもそも死というのはさほど珍しいことではない。

でも、お礼に。せめて、あなたという存在がこの世界で霧となって消えてしまわぬように。


「だから、笑って、スズナちゃん」


「ガドもね」


私は、目を細めながら彼女を見る。彼女の眼はすっかり不安に染まっていた。

彼女の頭にそっと手を当てる。

暖かい。その温かさは、何時でも変わらなくて安心する。

私はおもむろに彼女の脇腹に手を差し込み、よっと持ち上げ、ひょっと腕に抱え込む。


「エルは優しいなあ」


「えるはなにもしらずにつれてきただけだから。なにもやさしくないよ」


エルは目を閉じ、とぼけたように眉を上げる。


「そうじゃなくて、いろいろ」


「いろいろぉ、?」


エルは、ようやくにこ、と笑う。

それを合図に私は、ようやく廊下を歩きだす。

コツコツと、私の靴は大きく音を立てる。部屋は、一歩踏みしめるごとに遠くなる。


──いったんはさよならだね、アーリン。


本当にさよならできるかなんて、私が一番わからなかった。

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