第10話  振り子の私

もし家族を殺されたならば、私はどう思うのだろう。


父は、早くに亡くした。私が3歳の時であったらしい。無論、当時のことは何も覚えていない。故に何も感じない。死因が癌であったこともそれに拍車をかけているのだろうと感じる。もう、これは仕方がないと心の整理がついている。

しかし、母はどうだろう。彼女は私が人生のぺーぺーであった頃からずっと、献身的に私のために尽くしてくれた。私が火中に身を投じてからも、口では「あなたのやることが理解できない」なんて言いつつ看病を続けてくれた、母。


まあ、順当に。相応に。

殺し返したくはなるだろうな。

その犯人を。











「────ん、ん……」


──眩しっ……。こんなに朝日って眩しかったっけ。思わず目を顰める。

あたたかい陽気。花の香り。鼻をツンと刺激する花粉。この身いっぱいに感じられる、春。


今日はとても天気の良い朝らしい。このまま大地に足をつけて、悠々自適、朝の散歩にでも行こうか。

なんて。


皮肉を思いながらに目を開ける。開けようとするが、思いのほか陽が明るいようで咄嗟に目の上に腕をかざす。

ゆっくりと目を開け、瞬かせながら自らの手を見る。

細く、白く、マメのできた手。これは努力の手だ。腕の方へ目を移すと、その雪のような二の腕の外側に赤紫の線が3本。


私は腕を下げ、ただ無心に天井を見つめる。木目が丸い円を描いていて、その昔夏休みに訪れた祖父母の実家を思い出す。


目を閉ざす。あたたかい風の音が耳を優しく擦る。

それにしても、よく寝た気がする。頭がすっきりとしている。天候のせいもあろうが、非常に気持ちが良い。



「っふぅ……」


なんとなく、息を吸う。なぜだか空気がいつもよりおいしい。換気でもしたのだろうか?いつもは薬か何かのにおいが充満しているが、これは何というか、マイナスイオンというか……。


「森」


あらためて耳を澄ます。鳥はさえずり、葉はこすれ、すぐ隣にははしゃぐ幼女の声が──

ん、幼女の声?




一気に異世界げんじつに引き戻される。


ここはどこだろう。ベッドを中心として、すぐ横には引き出しの付いた机と椅子、壁には鏡が立てかけられている。

ふむ、ベッドに寝かされているということは早急にdieということはなさそうだな。

とはいえ、あれからどうなったんだろう。確か、アスクとえるちゃんの前で倒れたんだったか。

正直、もう一波ありそうだ。悪い予感しかしない。ああ……


「起きたくねえぇぇ……」


掛け布団を頭に被せ、潜り込む。このまま二度寝を決め込もうと試みる。だってそうだろう?現実逃避の一つでもしたくなるくらいには状況はよろしくない。

しかし、小さな巨人は黙っていなかった。


「すずなぁぁぁおきろおぉおおおぉ」


「えなにぶっふぉぉお」


あまりにも突然の奇声に何事かと体をビクつかせると、瞬間腹の上に重圧を受ける。五臓六腑がまろび出そうになるのを必死に抑える。誰かに乗られたようだ……

いやどういう状況だよ??!

重圧の正体に目を向けると、マロン色の髪が私の腹に抱きついている。

この声、この雰囲気。

幼女、もしかしなくともえるちゃんだ。

知っている存在がいて、とりあえず一安心。と、その気分のままに。


「いやだぁ起きたくないいい」


私はまるで私の方が子供であるかのように駄々をこねる。言ってから恥ずかしい発言をしたことに気づき、はっとする。

言い訳をすると、これは悪い癖である。耐え難い苦しみを感じると、自分で笑ってしまうような行為をし気を紛らわせる。癖というより保身だろうか。

寝起きが祟ったか。つい出てしまった。


私は瞬時にもう仕方がないと割り切り、掛け布団を思い切り掴んで丸くなる。防御体勢である。もう子供にでも何でもなってしまいたいものだ。


──変に割り切りが良いのも、恐らく私の悪い癖である。


「おきろおおおおおおお」


えるちゃんはぐいぐいと掛け布団を引っ張る。……ちょっと君、力強くない?

いや、負けてなるものかと幼女相手に本気になった私は──。


「ぬああああああああああ」

「ふごおおおおうわぁぁぁッッ」


結局布団をはがされた。











「すずな、ずっとねてたんだよ」


ひとしきりの茶番を終え、私と彼女は揃ってベッドに腰かける。

少しうつむきながら、彼女は言う。顔を覗くと、眉を寄せて実に悲しそうな顔をしている。こんなにも人に対して悲しくなれるのかと私は感心してしまう。


「いちにちじゅう、くるしそうにしてたから」


上目遣いで私の目を見つめる。いつの間にか彼女の目には涙が浮かんでいた。

何か思い出しているのだろうか。そんな風の顔つきである。

……そんなに怖い顔をしていたのか、私は。


「ごめんね、もう大丈夫だから」


私はそっと彼女を引き寄せ、おどおどと不細工に抱きしめる。肩は年相応に小さく、胸に抱くとすっぽりと収まってしまう。あの時はあんなに大きく感じたのに、不思議なものだ。


「ん……」


彼女はというと、私のされるがままに抱きしめられている。その姿がどうしようもなく愛おしく、私は彼女の髪を優しくなでる。

……この感じ。私を誰かと重ねているのか。

そういえば、売られかけたんだよな、この子。彼女のその短い過去には、短いと言えどもきっと、残酷で、苦しくて、悲しい出来事が詰まっているのだろう。

可哀想だ。


「お取込み中ごめんねぇ」


「んえ?」


突然背後から声がしたものだから、私の勝手に感じていたしんみりムードは壊れてしまう。

どこか抜けているようで、それでいて包容力のある声。若干声色が低いからか中性的なイメージではあるが、これは女性だと一声で分かる範囲内である。

あまりにも優しい声だったものだから、突然話しかけられてもさして驚きも嫌悪感も抱かなかった。


「りょーしゅー!」


えるちゃんは一目声の主の姿を見ると、私の腕をスポッと抜け落ちてぴょいんぴょいんと跳ねながらそちらの方へ行ってしまう。


「あっあーあー」


私は間抜けな声を出しながら、えるちゃんのいた方向へ転がる。


「いってぇ……」


私は少しムスリとしながら声のした方向へ振り向く。部屋の入口に腕組む少女を視認した途端、バチと目が合う。


リョーシュ。えるちゃんはこの少女をリョ―シュと言っていた。……そういえば、えるちゃんがリョ―シュのところに連れていくなんてこと言ってたっけか。今更になって思い出す。勝手に男性と思い込んでいたが、どうやら女性のようだ。

細く線を作るように垂れた目。腰まで真っ直ぐに伸びた白髪に、前髪はぱつんと一直線に切り揃えられている。どうやら相当な瘦せ型のようで、地面につきそうなくらいにまで長い羽織りを羽織っているにも拘らず着太りというものを知らないようだ。スレンダーな体形であることは想像に難くない。

耳はやはりツンと尖っているようで、これは予想通りである。


彼女はエルフだ。


リョ―シュはこちらの目を覗くと一層目を細め、フフと意味深に笑みを浮かべる。なにやら得体の知れない雰囲気を醸し出す。


「お初にお目にかかる、かな。私はレア領領主トモリ・レアホワイト。丸二日も起きなかったからびっくりしたよ、疲れてたのかね」


鈴の様な声、などと言うには少し大げさかもしれないが、本当に惹きつけられる声色をしている。実に耳に心地よい。

というか私、丸二日も寝てたのか。道理で寝起きがすっきりとしていたわけだ。

寝るの、あまり得意ではなかったんだけどな。こんな状況で、ねえ。


…………いや、待て。今なんて


「レア、りょうしゅ?領主?です、って?」


変な言葉遣いになってしまった。

考えてみればそうだ。異世界だからリョ―シュとかいう名前もあるかと割り切っていたが。


リョ―シュは、領主だったのか。


「領主というと、この土地一帯をまとめる主ということ?ですか?!」


慌てて敬語を付け加える。領主。県知事みたいなものだろうか。なんだか急に緊張してきたな。なんにせよ、偉い人であることは間違いないだろう。


「そうだね。ただうちは少し特殊でねぇ。詳しい話は長くなるから今は割愛するけれど、レア領は国号を持たない独立領。つまり、私は国のリーダーということだね」


トモリはさもカッコ良さげな事を言ってはみるが、顔の方はうへへとはにかみ笑い、胸はへへんと(ないものを)張って、本心の方が体に出てしまっている。

なるほど、動作に出やすい人の様だ。

というか、国のリーダーか。どんだけ偉いんだこの人は。……あれ、そういえばこの娘わたしも地方領主の家柄なんだっけか。なんだかよく分らないが、とりあえずトモリの方が格は高そうだ。雰囲気的に。


「何カッコつけてんですか、領主様」


扉の向こうから凛として芯の通った声が聞こえてくる。こちらはトモリよりも力強い声色で、どちらかといえばSな感じだ。


「なにさ、いーだろー別に」


「そーだそーだ」


領主は扉の方に顔を向けつついかにも不服そうに反論をする。それに同調するのはえるちゃんである。


「別に悪く言っているわけではないのですがね……。それで、あなたがスズナ、さんですか」


声の主は入口から姿を現し、私に問いかける。


「すず……」


ぎょっとする。何故その名を知っている。……なんてかっこよさげなことを思ってはみるが、すぐに納得する。

ああそうか、えるちゃんか。

私は声の主の方へ目を向ける。その瞬間、あれと心に突っかかりが。

……似てる。


「……あの、エリーっていう姉妹いますか?」


あまりに似ていたものだから、つい質問を質問で返してしまった。


「……さあ。…で、あなたがすずなさんですか」


少し眉をひそめて言う。

エリーと容姿が瓜二つだったため血縁かと思ったが、違ったらしい。


「あ、はい彼方すずなです」


「ああ、私の自己紹介がまだでしたね」


私が怪訝そうな顔を見せたからか。彼女は一礼をし、自己紹介をする。


「申し遅れました。私の名はリリー・ギープ。トモリ様の秘書を務めている者です」


顔は全く笑っておらず、彼女もやはりどこか遠くを見ている様子だった。この表情は、先ほどのえるちゃんと重なる部分がある。


──この世界の人々は、皆闇を隠すのが下手なのか。

私は苦笑を隠さなかった。

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