第8話 えるちゃん
「すずな、だいじょうぶ?しんでるひとみるの、はじめて?」
幼女は訊く。
それはもう、物騒なことを訊く子だと思う。
今更、驚かないが。
「にかいめ。
…………なんか、なんもわからないなって」
私は特に考えるでもなく無意識にそう答える。ただ茫然と、ジジイの亡骸を見つめる私だ。
別に、人が死ぬのが怖いわけではない。それは、本音だ。……多分。現に私は既に死んでいる。少年の今際の際だって見た。そう。死という概念はさして怖くはない。
ただ、小説家だったからか。自分が若くして死んだからか。
人があっけなく死んでいくのは、どうしようもなく苦しい。
だって、これではここまで生きてきた意味、ないじゃないか。無駄じゃないか。
つまるところ、私は知らず知らずのうちにこのジジイに感情移入をしていたのだろう。
まるで、彼の言霊に惑わされてでもいたかのように。
私は地面に触れる指に力を入れる。
アスクから逃げたときも、きっと同じだ。
意味もなく、呆気なく、人に忌み嫌われながら死ぬのが怖かったのだと。
意味もなく、呆気なく、人に身体を奪われて死んでいく
なんと優しくて、生ぬるいことか。
「かなしいの……?」
えるちゃんは不器用に私の頭を撫でる。顔中血だらけのまま、本当に悲しそうな顔をするものだから困ってしまう。ああ、この子は、雰囲気でわかる。優しい子である。
そう思うのに。なのに、私はえるちゃんが怖い。いつ癇癪を起こすのか?と思う自分が胸の内に潜んでいる。
痛いのはもう散々なのだ。身も。心も。
でも、それではまるで恩知らずのようだから。そんな自分は許せないから、私はえるちゃんを信じる。
「……ううん、大丈夫」
私は頭上に乗るえるちゃんの手をきゅっと握る。
「ほんとうに……?」
えるちゃんは、困ったようにも、心配しているようにも取れる神妙な顔つきで再度問いかける。その眼差しがあまりにも優しいから。あまりにも無垢に私の心を揺らすから。
「…………じゃあ、少しだけ、すこしだけ、胸を貸して」
私は、えるちゃんがこくりと頷くのを見届けると、ゆっくりと、血生臭い彼女の胸元に顔を寄せる。
あったかかった。思いのほか、ずっと。
手を彼女の背中に回す。ぎゅっと、少し強く抱きしめる。すると、彼女も私の頭に手を回して、頭をゆっくり撫でてくれる。
心臓の音が聞こえた。鼓動は少し早い。しかし、なんというか、わかった。
彼女は、やっぱり優しい子。……癇癪は起こすかもわからない。けれど、きっと大丈夫だ。
暫く、このままに何度目かわからない涙を零した。
「きょうかい、いこ」
ゆっくりと彼女の胸から顔を離す。ぐちゃぐちゃの顔のまま、彼女の顔を見る。
彼女は指差す。その先には、先ほど見た教会。
手を引かれる。小さな手は、私の手の平にすっぽりと収まっていた。私は、彼女のなされるがまま教会に入っていった。
「ベタだな」
廃教会なのか。一面埃まみれである。歩くと埃が立ち鼻がむずつくが、気にしない。
ぼーっと辺りを見回すと、奥の壁には丸が二つ結びついたようなマークが大きく記されていた。その上には大きくTKG is perfect と書かれた額が埃を被っている。
さすがにもう驚かない。予想は十分にできたが、これで確信がついた。間違いない。
この世界には、私と同じ転生者がいる。もしくはいた。しかも、教会にこの言葉が立て掛けられているのだ。この世界である程度の地位を獲得している、もしくはしていたに違いない。
えるちゃんは、額を眺める私の顔をしばらく見つめると、ふいに話し出す。
「むかしはこのまちにはいっぱいひとがいたんだって。でも、いなくなっちゃったんだって」
「……どうして?」
純粋にわからなくて、聞き返す。
「……さっきのが、おうこうしたからってりょーしゅがいってた」
ドキリと胸につんざくような痛みが走る。
人身売買。
嫌な言葉だ。この世界にも人間の醜い面は変わらずあるということだろう。
「でも……なんでここだけたくさん起こったのかな」
「ここだけのことじゃないんだけどね、それは……」
えるちゃんは、自らの耳を指さし、私をまん丸の目で見上げる。
「える、ながみみぞく。すずなもながみみぞく」
なるほど、そう来たか。長耳族。エルフ、か。
自らの長く尖った耳に触れてみる。エルフだけ耳長いのなんでだろう、なんてくだらないことを考えながら。
正直、耳が長いこと、気になってはいた。私をはじめとして従弟、叔父の耳は皆ピンと尖がっていたから。初めは焦りや戸惑いで気にする暇はなかったのだが──。
──つまりはこういうことか。
元々ここはエルフが多く住む町であり、この地域でも指折りの繁盛振りだった。しかし、エルフは人身売買でたいそう高く売れた。なぜなら、美しく、長生きだから。頭脳も明晰なのかもしれない。……いや、知らないが。だから、いつしかこの町は売り手の格好の狩り場となってしまった。勿論、行政も対策をしたのだろう。でも、結局この町は衰退しきってしまった。なぜか。
故郷を思う住民が多く、移住が進まなかったのだろう。エルフが長生きならば、住処への想い入れも一層強いであろうことは容易に想像できる。
だとすると、アスクがあそこまで私に怒ったことにも大方予想がつく。
ネクストコナ〇ズヒントは、アスクがこの土地の守護家の人間であること。それから、私がアーリンの身体を奪った謎の人物だということだ。
いや、勿論これらは予想に過ぎないのだが。
……ん、まてよ。エルフの“える”ちゃん、か。ちょっと安直な気がするぞ、リョ―シュ。
偉そうなことを心の中で呟く。
──と、少し考えすぎた。ズビ、と鼻をすする音で現実に引き戻される。
音の元を探り、目線はえるちゃんへ行きつく。俯いて、しょんぼりしている。
「……どうしたの?」
「えるも、つかまった」
どきんと胸が痛む。
「……ごめん。酷なこと思い出させちゃったね」
かける言葉が見当たらなくなる。
「ううん。でもね、りょーしゅがたすけてくれた」
「…うん」
えるちゃんの目はみるみる明るくなる。
リョ―シュ、売り手から救い出すなんて、結構強いんだな。
「このきょうかいはね。りょーしゅがつくったの」
「え?そうなの?」
一瞬ぎょっとするが、すぐに納得する。
リョ―シュもエルフか。一目見てみたいものだ。
──話急に変わったな。
「りょーしゅはえるのひーろーなんだ」
まるで自分の事の様に自慢げに語る。何故だろう、その正直さや素直さはとても羨ましいし、愛おしいものだ。
「……そうだね、私のヒーローは、えるちゃんだよ」
無心で答える。勝手にぽろと口から出てきた。喜ばせようとして出てきた言葉ではない。
これは本音だ。そのはずだ。
「へへ」
照れくさそうに笑う。
行動が良いか悪いかは関係ない。倫理観とかも、そういうことではない。そこに付随する思いが大切であると思う。誰が何を言おうと、私の恩人は彼女だ。
「ねえ、りょーしゅのとこ、いっしょにいかない……?」
上目遣いで訊かれる。……甘い言葉だ。
「──いいの?」
でも、私は、理性とは裏腹に思わず甘えたくなる。
「うん!いこ!!」
彼女は元気に答え、私の手を再度握る。ぎゅっと握りしめ私を引き、私は彼女に惹かれる。
「アモイ──」
でも。そんな夢は、夢なのだ。
教会の扉の前には、美男子がいた──。
ゼエゼエと息を荒くしながら、私の目を睨む。
ああ。
「……ごめん、行かなきゃ」
私はえるちゃんの手を放す。
……離れなかった。手元を見ると、えるちゃんは私の指を強く掴んでいた。
「えるちゃっ──」
「カナマナホ、ヲゴゲバ、トモリナノナマタネハガスル」
彼女は私の前に立ち、アスクに向けて何やら話す。何を──。
「…………ハ」
この言葉を聞き終えると、アスクは静かに膝をつく。礼をする。
……え?
「何が……」
私は呆然としながら彼らの様子を見る。
なにが、?これは、どういう。
えるちゃんが、アスクを知っている?アスクがひざまずくということは、彼女も行政の人間で、アスクよりも立場が上?
──え、ということは。
胸が跳ねる。痛い。いたいくらいに、待ち望んだその瞬間を疑う。
「だいじょぶ、こんどはすずな、えるがまもるよ」
振り向きざまに、彼女は言う。
「──え?」
聞き返すと、エルちゃんはどや顔で親指を立てる。
「だいじょぶ。こいつ、えるのぶか」
「…………あぇ」
これは。
これは。
た、すかった………………?
途端。
私は地面に頬を合わせていた。
一瞬の出来事である。
空が見えた。一面、快晴。
それを見届けると、私の電池はピタと止まり、視界はゆっくりと暗くなっていく。
「すずな?!すずな、だいじょうぶ?すずな、ずす────」
ああ──ほんとうに──
私は、遠く沈みゆく意識の中で、ただ無心に恩人の声を聞いていた。
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