第7話  異世界の理

「すっ…はぁ……すう…………はぁ…」




一つ、問う。

例えば、ひょんなことで異世界に転生してしまったアラサー女子がいたとする。そいつは、いままで小説しか書いてこなかったような、チキンな女だ。

そんなやつが、例えば美男子に殺されかけた上に全力疾走を強いられ終には異界に一人ぼっちになってしまったとする。どうなると思う?


……

………

…………

……………正解を言おうか。









吐く。


──────────────────────────────────────


「う゛っ、う゛う゛えぇえ゛」


顔を梅干しのように歪ませると、口からは唾液だけがボツボツと地に落ちる。

唾液が更なる吐き気を催し、もう2.3度えずく。が、今度はなんとか耐える。良くも悪くも胃が空であったおかげである。


踏んだり蹴ったりだ。なんで私がこんな目に遭わなければならないのか。やり場のない怒りがこみ上げるが、吐き気が思考を強制停止させる。

ただでさえ気持ち悪いのに、そんな時に分泌される唾液ほどに吐き気を増幅させるものはない。


四つん這いのまま浅い呼吸をし、心臓の音に耳を澄ます。半自動的に涙が零れる。脂汗が頬を濡らす。胃がキリキリする。


「う゛っ」


口元を右手で押さえ胸元を左手で握りしめながら、頭を引きずるようにして丸くうずくまる。


……この姿勢だと少し楽だ。少し、このままでいよう。


──────────────────────────────────────


段々と気分が楽になってくる。と同時に頭の方もゆっくりと正常運転に戻る。

……助かった、と安堵する。

とりあえずこの煩わしい唾を何度も道の端に吐き捨てる。


「ふう………………」


最後に、息を大きく吐く。

…………よし、大丈夫だ。そう思った私は眉にしわ寄せながら顔を上げる。

そして、今度は苦笑い。


「……なんというか、ベタだな」


美男子が追いかけて来ていないか背後を確かめつつ、地面に腰下ろす。


あまりにも集中的に事が起こりすぎた。

謎は多い。依然私の命が脅かされていることも確か。しかし、如何せん疲れた。あまりにも瞼が重い。さすがに頭や体が限界を迎えつつあると、目の間を指でつまみほぐす。

とにかく、気持ちを落ち着かせるのも兼ねて、辺りの風景を眺めてみることにする。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               石でつくられた重厚感のある路地、密集した赤い三角屋根の家々、それよりも一回り高い教会……教会だよな、これ。建物の外壁にへばりつくつる植物や砂っぽい空気も相まり、実にいい味を出している。

そう、あれだ。自己紹介のように異世界な街並みだ。ちょっと前に見た異世界アニメなんて、もうそっくりだったし。

……なんか、興奮するというか、期待外れというか。うーん…。


でも、ひとつ気になる点がある。

人がいない。よく見ると、家々にはヒビも目立つ。なんか……


「こわくね」

「おねえさん」

「うわァッッ!!」


思わず叫ぶ。心臓が胸を突き抜けそうになるのをぐっと堪える。冷や汗がどっと出始める。

弾かれたように声の方向に目を向ける。

そこには。


「おねえさん、なんでこんなところにいるの?」


かわいらしい容貌の幼女がいた。目をまん丸に見開きながら、私の目を見ている。


「──へ?」


私の方も目を丸くしてしまう。


小1くらいだろうか。……いやその表現はなんか違うな。

6歳くらいだろうか。

年齢にしては整った顔つきにくりくりとしたまん丸の目は赤みがかったピンク色、髪の毛は薄茶色である。マロン色って言うのかな、これ。ツインテールで可愛らしくまとめられている。肩に当たらず、ちょうどいい長さって感じだ。服装は……マント?白色のマントを羽織っている。首元で結んでいるヒモは黒色だ。


まあ、総じて判断すると、可愛いってことである。


「おねえさん、あんまりここにいない方がいいとおもうんだけど…」


「そ、そうなの…?

……えっと、んとまずはお名前聞いてもいいかな」


幼女と話したことなどろくにない私は、取り敢えず名前を聞く。


「えるはえるだよ」


至って不思議そうに聞き返してくる。

オーウ……。無垢な感じが最高にGreatだ。


「えるわえる?あ、える ね。えるちゃんって言うのかぁ、いい名前だねぇ」


ああ、思わずでへでへしてしまう。きっと今、転生以降初めて幸せホルモンが分泌されている。

そう。かわいいは正義なのだよ、わかるかい?美男子よ。

ちょっと皮肉っぽく心の中で唾を吐く。




……そう、私は疲れていたんだ。


「えるのなまえはね、りょーしゅにつけてもらったのー」


「そうかそうか、リョ―シュさんがつけてくれたんだね、センスあるねリョ―シュさん」


「えへへ、そでしょー!」


「んと、あ、私は……すずなといいます」


敢えて実名を名乗る。アーリンは、この土地の守護家の人間である。恐らくは領民にも知られてた名前である可能性が高いだろう。なんでこんなところにいるの?なんて言われたら面倒だ。そんな会話をする程の元気はない。


「す…ずな……かわいいおなまえね!」


えるはにんまりと笑う。


「ぐふっ」


その笑顔に、私の胸はド真ん中を射抜かれる。

やばいぞ、かわいい……。顔がぷっくりしてる……。なんなんだこの生き物は。

守りたい、この笑顔。

頭を撫でようとして、踏みとどまる。


あれ、あんまりべたべたすると引かれちゃうのかな。嫌われちゃうかも。

幼女との接し方に今更ながらに迷う私である。


……っと、そうではなく。


「える、ちゃん。ここにいない方がいいってどういうこと?」


「ああ、それはね」


「アエ、ウガクノ」


────。

ピタと動きを止める。いや、動けなくなる。

次の瞬間、冷や汗がだらだらと溢れ出る。

おい、またか。タイミング悪すぎるだろ。

ついさっき聞いたばかりのこの言語。今、一番聞きたくない言語だった。


────えるちゃん、日本語喋ってなかったか……いいや、これは後で考えよう。


「アモイロ、ツエチカエ」


声の主は、筋肉質な髭面男だった。服が質素だから、恐らくは追手ではない。ひとまず一安心……とはいかない。


「カリゴヲコルコ」


髭面は、ズボンのポケットからナイフをちらつかせる。瞬間、背筋に電流が走る。だが、なにか、美男子の時と違う。


ああ、そうか。殺意がない。……どういうことだ。


「ツエチカエ」


髭面は私とえるちゃんの腕を強引につかむと、無理やり引き寄せる。


「カエ」


来い、とでも言っているのか。彼の顔を見上げる。下品に笑っている。ああ、ここでようやく理解できた。

このジジイ、人攫いだ。


先程までの私ならば、ここで恐怖におののいたかもしれない。が、今は違う。

私は疲れていた。

勿論、それだけではない。このろくに回らぬ頭で、私はやはり腹を立てた。

自分に。


彼方すずな。一度だけとは飽き足らず、二度も何もできずに終わるのか?




──ああ、そう。そうか。わたしは、そんなの断じて許さない。


「おい。この子攫うんなら私持ってけよ」


胃が痛くなる。息が苦しい。でも、それ以上に己に怒っていた。ジジイを軽蔑していた。


そもそも始めから死にたくないわけではない。生きたいと言ったって、それは不完全燃焼から来る悔しさが元。逃げたのだって、生存本能だ。理性の方は割と死にたくないとは思っていない。

……まあ、この世界での二生目は、私がよく生きたご褒美と思うことにした。もう、知らん。私は私の思うようにやる。


「だから。」


「まずは、異世界っぽい異能、使ってみたいかなぁ」


私はジジイの腕を無理やり振り払う。ジジイの爪が私の腕をひっかき、血がつぶつぶと出てくる。

あの時の、少年の血がフラッシュバックする。明らかに鼓動が早くなる。思考がフリーズしかける。

しかし、私はそれも利用する。


「アエアタノセクセラ」


ジジイはナイフを振りかざし。


「カラセホセノエザ」


ナイフは陽の光を反射する。ジジイの手は私の足へ。


あのとき。あの瞬間。

アスクは動けなくなっていた。そして私を軽蔑と驚きと、それから困惑の眼差しで睨んだ。そんな気がする。

古傷を自ら抉るかのように胸が締め付けられる。トラウマを掘り起こしているのだから、それくらい織り込み済みだ。


あの時私は、アスクに何かしていたのではないか?考えろ。考えろ。かんがえろ。


「──あ」


妙に合点がいった。

私は、そう。知ってほしかったんだ。感情を。


正直、博打だ。

博打だが。どうせお先真っ暗ならば、興奮する方に賭けるまで。無理だとしても、無様にタイマンして時間を絞り出せばえるちゃんくらいは逃がせる。


さあ、すずな。今は何をしてほしい?


……そうだな。


「お前、今の私の感情、理解してる?」


ピタとナイフが止まる。


「ア……?」


ジジイは、バッとこちらを見たかと思えば、目を見開き、汗を一筋垂らす。口だけ意味深にニヤと笑う。私の足の上に汗が落ちたものだから、ジジイへの思い入れは金輪際決して湧かないことが確定する。


ああ、ジジイの目を見ると、感情が手に取るようにわかる。

欲望。金への執着。下心。それと私への一つまみの恐れ。

この場に及んで自分の事ばかり。視野が狭いんだな。


これは、そう。執行猶予である。でもどうやら、コイツは駄目だ。


「ジジイ、いっぺん人の苦難の味、知っとこうか」


キンと、わずかに耳鳴りがする。心臓が、ドクンと、はっきりと鳴る。


「ッッッカナオモオオmう゛ブッッハァ」


瞬間、ジジイは顔を歪める。と思えば、口からはスプラッシュが吹き上がる。宙に舞う、キラキラ。白目を剥き、うずくまるじじい。

最高に無様である。


やはりそうだ。

私は今、心からにこの体調の悪さや心の苦しさを体感してほしいと願った。恐らくはそれが丸ごとジジイに移った。

つまり、つまりだ。

私は、共感してほしい感情を相手にそのまま感じさせる異能を持っている、ということか。

めちゃめちゃ興奮する。鼓動が跳ねるように波打つ。


だが、これからどうする。

正直、ここから先は何も考えていない。えるちゃんを担いで逃げる以外に対応策が思いつかない。しかし、どうせすぐに追いつかれる。私の体はとうに限界を超えている。

頭も、もう動かない。この異能も、二度は無理だ。本能的に確信している。


……これは、やはりタイマンか。


「う゛…………ゥア゛モェ、ノネヲセトォ゛?!!」


ジジイは口の周りにキラキラをへばりつかせながら、ヨロヨロと立ち上がり始める。

ジジイ、興奮している。やばい、意外と起き上がるの早いな。

第二ラウンド、やるしかないか。


「えるちゃん、私が時間を稼ぐうちに逃げて!」


後ろを見る。えるちゃんは、静かに目を閉じていたが、ゆっくりと目を開ける。


「おねえちゃん、どうしてえるがここにいたか、きになる?」


「あ、えっ…?!どうして……?」


言われてみれば。……って、そんなこと考えている場合ではない。


「こいつをみつけ出すためだよ」


……。さすがに頭がフリーズする。


「──なんて?」


「あ゛あ゛ぁカナソエカエツドキヂマァ゛ァ……」


ハッとして振り向く。振り向いた時には、私はしりもちをついていた。

秒差で気づく。ジジイに押されたのか。


と思えば、ジジイは私の横を這いながら通り過ぎる。


ヤバイ。


手を伸ばす。えるちゃんの腕をがっしりと掴む。

ジジイはにやりと不敵に笑う。


「……カエッッ!!」


吐瀉物を口につけたままに声を荒げる。掴んだ腕を強引に引き、えるちゃんはたまらず倒れてしまう。

そしてそのままずられる。えるちゃんの服や腕や頬に土や傷がついていく。


……は?


「えるちゃん離せよッ!!ジジイィ!!!」


信じられん。私は叫び、追いかけようとする。が、膝から崩れ落ちてしまう。膝が動かなくなった。


ならば腕を使うまで。這いつくばってでも救い出す。


「おじさん」




空気が一変する。この雰囲気。これは、あの時と似ている。

弾かれたように彼女を見つめる。

まさか。










「きらい」




無垢とは、時に恐ろしい行動へと結びつくものだ。

私にも、そんなことがあった。幼稚園の頃、友達と遊んでいたとき、良かれと思って泥団子を投げて友達を怪我させてしまったことが。そう。良かれと思って。

当たり前である。人は、経験から学ぶ。小さい頃の様々な行動を軸に、時に反省しながらこの世界のルールというものを覚えていくのだろう。




ジジイは、上半身と下半身に分かれていた。

ジジイは、ジジとイに分かれていたのだ。


ああ、噴水だ。なんてばかみたいなことを考える。

私の服や頬にジジイの血がかかる。


あまりに突然だったから、私は茫然自失としていた。


死んだなって。

これは、くる。


えるちゃんを見る。

彼女はしばらくジジイの亡骸を見つめていたが、その顔をこちらに向ける。

顔中、返り血だらけだった。


その血をごしごしとぬぐうと、彼女は言う。




「でも、すずなはすき」


幼女は、こちらへ振り返り、にこりと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る