第6話 人間だもの
「こちらです」
エリーが手を向ける先は、守護室。
もっと他の名前はなかったものか。守護する目的の部屋なのか守護という肩書の者の部屋なのかが分かりづらい。どうやら正解は後者のようだが。
「……んと、私から入ればいいのかな」
「あ、私が先に入ります」
はっとしたように訂正する。以前はアーリン自身が戸を叩いていたのだろうか。
コンコンコンと三度戸が叩かれる。廊下の向こうへ音がこだまする。
二度叩いたらトイレだななどと考える。緊張はしていない。
「ソモアレラ、ソモアーリンツリチモエレモセト」
思わずエリーを二度見する。
んー…………………。
……え、何語?
「ヤセ、ホエリ」
扉の向こうから重低音が響いて来る。この声は、恐らく叔父のアレラだ。彼も何言ってるのかは全然わからない。
「ハ」
「ちょ、ちょちょっとまってよ」
「なんですか、入りますよ」
ああ、今度は日本語だ。
なんだなんだ、今の言語は…?全く知らない別の言語だ。
あ、いや
そうか。異世界だから異世界語があって当然か。寧ろそうであったほうが自然だ。……いや、おかしくないか。
私が目覚めたとき、そう、美男子が目の前にいたとき、私はおぼろげながらも彼がどんなことを言っていたのか分かっていた。
──それに、なぜエリーは日本語を使っているのか。彼女は日本を知っている……?
まさか、ここが日本なんてこと……いや、それはさすがにない。美男子の耳はまるでエルフのように尖っていたし、第一私の姿は変わり果てている。鏡で見たのだ。間違いない。
エリーを見る。いない。ぎょっとして辺りを見渡すと、彼女は部屋の中へスタスタと歩いている。
慌てて後を追う。
「ソチ、ハワドエネホエラウコ」
「モズントセコロヘタツヤラセエヂスコ」
「……エッチメラ」
「…ソモアーリンナノコメネビツゼワコクゴエモス」
「………ア?」
全く聞き取れない異国の語。私だけ取り残されている疎外感。孤独感。私はこの感覚を知っている。
…ああ、そうだ。中学の授業でALTとスピーキングテストしたときこんな気分だったか。
いやそうじゃなくて。
──なぜエリーは日本語を理解していた?
なぜ私はアーリンという人物の中に意思のみ転生した?
そもそもなぜ私は異世界へ来ることができた?
転生できるということは、魔法も存在するのか?
……少年は、なにか関係があるのか?
この世界、この状況には違和感や疑問が多すぎる。
知りたい。私は思った。
別に、命が惜しいわけではない。生きるために知りたいのではないということだ。
ただ、答え合わせがしたいだけだ。私がこの世界に転生したその
などと考えていると、アレラの目はぎょろりとこちらへ向けられる。
「な、なんすかオジキ」
柄でもない言葉で反応してしまう。咄嗟にできた言葉がそれしかなかった。職業病かもしれない。
「アモイホ、ドリド」
「いやき、きとれませんってオジ」
「ア?」
さっきから ア? だけすごく聞き取れるんだわ。怖いからやめてほしい。オジキと言われてキレてるのなら謝るから…。
「チワシエセョナコナウシエゴトコエタアマンリモス」
エリーが割って入る。なにかフォローしてくれたのか。そんな感じの表情ではないが。
「……あ…?」
今度は少し疑問げという感じだ。エリーがなにか話題を吹っ掛けたのは間違いなさそうだ。
もしかすると私は、 あ から感情を読み取る天才かもしれない。
「タネコク、カナキワマツトヒルビケヂス」
「…ソモトモリ、コ…。エモアスクンムコンシチエルナドゴ……」
アレラはため息をつき、腕を組んで考え込んでしまう。
「…ちょっとねえ、どういう話してるの?」
堪らずエリーに耳打ちする。彼女が何者かはわからないが、現状日本語が通じる者は彼女を除き存在しない。流石に置いてけぼりが過ぎてもどかしい。
「話すわけがないでしょう……?あなた、状況分かっていますか?」
凄まれてしまった。
まあ…確かにそうか。彼らからしたら私は加害者側である。
私は敢えてわかりやすくうなだれる。感情は行動で表す方が理解されやすいと思うから。決して凄まれた当てつけなどではない。
と、アレラが腕を組んだまま目のみこちらに向ける。
「アモイホ、ドリド」
また、独り言のように呟く。
「アモイホ……ドリド」
復唱してみる。さっきも言っていたが、どういう意味なのだろう。私の身の上について聞いているのか。よくわからないが、とにかく南米のドリンクとかでありそうな名前ということだけはわかる。
「お前は誰だと言っています、答えてください」
エリーが初めて翻訳してくれる。やはり私について聞いてたようだ。
翻訳、全部してほしいんだけどな。
私は流し目でそう訴えかけるが、エリーは眼を見開き眉を寄せる。早く答えろ、の目だ。
「いや、誰だと言われても、地球という星に住んでいた日本人としか」
「日本人……ですか」
エリーは顎に手を当てる。
…………
え、聞き覚えあるの?
「……え、知ってるんですか?」
「失礼します」
私の声に被せるように、見覚えのある美男子が荒々しく守護室の戸を開ける。
アレラは彼の顔を見るや、机上に身を乗り出す。
戸は叩いてから開けるべきだぞ、なんてこと口が裂けても言えない雰囲気だ。
「ダウドット、ソモトモリホノワタ」
アレラは鋭い眼差しでアスクを見つめる。ちょっと緊張していそうだ。
「ケアク、マダセチクドソルタナカタ。カリヂソモアーリンナケアクマヘタモズオワセワヂセャウ」
アスクは少々穏やかな顔つきでそう答える。だが、これに呼応するようにアレラの顔も穏やかに…とはいかない。
「アスク。サウエウンキネマエコノエヤウヂノ」
「……は?」
アスクがアレラの息子だということは雰囲気でわかっている。
──君、父親に似てるね。言い方までそっくりだ。
「アーリンナノコネホ、ビツナゼワコクゴエル」
アレラが言い放った、その瞬間。空気が変わった。ピリとするような、息ができないような。私は、その正体をすぐに理解する。
殺気だ。
アスクはギロとこちらを睨むと、宝石のような目は光を亡くしこちらへと近づいてくる。
え、なんだ。
戸惑うと同時に、思う。
これは、殺される。
比喩ではない。冗談抜きにそう思った。思わず後ずさるが、背後は壁。アスクの顔から目が離れなくなる。無意識のうちに顔が強張っていく。唾をのむ。
瞬間、私の隣には彼の腕が。と思えば。
バキッ と。
反射的に背筋が凍る。
壁ドンだ。横目で伸ばされた右手を見る。壁にはヒビが入っていた。
「アモイホ、ドリド」
今日の内に何度も言われたその言葉を再度投げかけられる。
まるで私を貫くかのような眼差しで見つめられる。顔が近い。傍から見たらラブコメの構図なのに、この胸の高鳴りは明らかにラブコメのそれではない。
きっと、今の私は文字通りの顔面蒼白である。
「ノジアーリンヲウボット。ノネゴマクチケドレアレャウナトミコカトイラ」
「あ……ア…」
やばい。声が出なくなった。足もすくんで動かない。弁明も命乞いもできない。
ますます鼓動が早くなる。
「カトイラァッッ!!」
顔に血管を浮かべながら大声で怒鳴られる。目は見開かれ三白眼になっている。依然光はない。餌を乞う魚の様に口を開閉させるがまるで赤子の様に一向に声が出ない。
……だって。私、知らないんだ。
人の死。死の感覚。知っている。でも殺される痛みなど私は知らない。
火事で焼かれたときの痛みなどは覚えていない。無意識の内に記憶を捨て去ってしまっていたから。それにその痛みは自ら選んだもの。殺されるそれとはわけが違う。
それが今、初めて痛みを知ろうとしている。その恐怖がじわりじわりと私を襲う。
だのに私はなにもできない。できていない。
沈黙のままに心臓の荒波は最高潮を迎える。鼓動の度に胸が圧迫されてどうしようもなく苦しい。
沈黙を貫く私。そんな様子を見た彼は、ガサツに私の耳元へ口を寄せる。
「エッセャウクテケキノクスルザ」
地鳴りのように、雷鳴のように、私の頭に轟く。響く。
ピキンと。
何かが吹っ切れる。全身が脱力し、その場に倒れ込む。数秒差で涙が溢れる。
頭が真っ白になる。何も考えられなくなる。
その後に、ふと、一つの感情が浮かぶ。
私はその感情に対して、ふつふつと湧き上がる深紅の感情を覚える。
「あたしは………」
──ああ。
なんで。なんで今さらにこんな気持ちが。否定したはずだ。もう諦めたはずだ。
悔しくて、憎らしくてたまらない。
「生きたいなんて、思っていない。
生きたいはずがない、いきた…わたしはいきた、私は全うしたはずだ自らの人生を常人より恵まれた環境で眉にしわ寄せ努力する風を装い周りにしわ寄せを任せ続け現実逃避しながらァ!!!」
私は他ならぬ自分に声を荒げていた。
両手で髪を掴みうずくまり、金切り声を交えながら叫ぶ。
叫ぶほどに再び声に力が戻って来る。
「なのにわたしは………………
なぜ、生きたいと願う……?」
私は右手を心臓に当て、握りしめる。
「エエコギワカラスザ」
アスクは右腕を前に出す。
「コジヤ」
瞬間。たった一言で、空気は再び一変する。
思わず顔を上げる。そして目を見開く。
部屋中の紙という紙が激しく舞う。アスクの髪は波打ち逆立つ。
その隙間から覗く目は獲物を捉える肉食動物のそれである。
アスクは右腕をこちらに向け、彼の周りには渦巻く風が生じている。明らかに、自然の風ではない。
流石に、理解する。
「──魔法だ。」
「ッッソモアスクヨレスゲヂス!」
「アスクアモイ」
「コナゼャナレャウウヂヲケレスチ」
「来るなぁああぁぁああぁあッッッ!!!!」
気が付いたら、叫んでいた。
目をぎゅうと瞑りながら、めいいっぱいに。私の中のぐちゃぐちゃとした感情をすべて吐き出すように。
恐る恐る目を開ける。
風は消え失せていた。
アスクは立ちすくんだまま、ただ目だけは充血させながらもこちらを睨んでいる。
「ア、モ、、イ、ノネ、ヲ」
襲っては来ない。
途端、エリーがアスクに飛びかかる。いや、拘束しようとしている。
「ソモアレラ!!!」
アレラの名を叫ぶと、アレラはハッと我に返ったようにアスクを地面に押さえつける。アスクは狂ったように叫びながら抵抗する。
「ヘタモズホアスクゴソケコ…」
「アーリン様、ひとまずは逃げてください!冗談抜きに死人が出ます!」
エリーが叫ぶ。私はエリーの言葉を聞くと同時に、いや聞く前から、震える足を無理矢理に立てる。身体に力が入らず、転びそうになるのをなんとか耐えながら。
私は逃げた。
「いうういうういいううああぁああ,ぁぁあッッッっぁああぁぁあああ」
──────────────────────────────────────
「ハァッ、ハァッ、アゥッグッ、ハァッ」
死んだとき以来の、あ、死ぬ、という感覚。
久し振りに身体を酷使しているからか、この身体を使い慣れていないからか、もしくは単に足がすくんでいるのか。足は不自然に重く、上手く走れない。
異世界??転生??魔法??知らん知らん知らん全部知らん!!!
「ああああぁぁあぁあぁぁあああぁあもう帰りたいよおおおお」
私はみっともなく涙を振り落としながら、懸命に足を回し続ける。
叫べば叫ぶほどに自らの平静が崩れ去るのを肌に感じながら。
とにかく逃げなきゃ。逃げるってどこへ。……わからない。わからないが、走る。走らなきゃ死んでしまう。走れ。はしれ。
そこで、気づく。
生きたいと。それを否定する自分はもうどこにもいなかった。
──結局、私は生きたいのだ。理由はどうであれ。
でも、わかっている。この身体の持ち主はアーリンで、彼女だって生きたいはずだということを。わかっている。
「わかってるんだってばぁぁあぁぁあぁあぁ」
息が切れる。足はとうに限界を超えている。でも、走らなければ。私は全身全霊で前進を続ける。
溢れ出る叫びを鎮めたい。でも、今はこうして油を注がねば、私は私を保てる自信がなかった。
拝啓 少年。
どこでいかがお過ごしかはわからない。でも、いるんだろう?この世に。
早く、姿を現してほしい。君には聞きたいことが山の様にあるのだから。
とりあえず、私をこんな目に合わせたことを謝罪するまで、私は君を許さん─
私は、雲一つ無い青空の下、空を睨み少年に罪を着せながらに、ただひたすらに走り続けた。
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