第4話 飛んで火に入る
私が19だった頃の話をしよう。ある夜更けの話だ。
「おい…おいおいおいおいおい」
人だかり。その前方には、夜闇を照らす赤き光。
「どうなってんのよこれ……」
炎。炎。一面の炎。家が燃えている。
いや、私の家ではなく、他の人の家が。それでも火事なんて見たことなかったから、少々いや結構びっくりしている。
「…?!」
思わず目を凝らす。野次馬の悲鳴が響き渡る。
「おいっっ…君、死にたいのか?!」
思わず声が裏返る。
中学生くらいか。男の子が人だかりから姿を現したと思えば、火の内側目掛けて歩いて行くではないか。
「こんなとこ、生きてたって意味ないよ」
少年は言う。心を病んでいる人が言いがちな台詞だ。私はその言葉に少々腹を立てた。
「そんなことなかろう?!だって」
「僕の両親、あん中なんだ」
少年はあくまで無表情のまま指を指す。その先には、燃え盛る一軒家。
野次馬がまた悲鳴を漏らす。
瞬間、全身の毛が逆立つのを感じる。
「……ぁぁ…あ…」
やばい。全身から冷や汗が噴き出す。手が震える。
咄嗟とはいえ、悪手を踏んでしまった。これはまずい。
「そういうことだから。さよなら。また、会えると良いね」
来世でってか。笑えない冗談だ。
やばい、行ってしまう。自殺を黙って見ている程私の肝っ玉は据わっていない。
どうするどうするどうする…
私はこの人生でTOP5には入りそうな勢いで思考を巡らす。
「…またって君、死んでしまったらそこで終わりなん」
「いや」
少年は私の必死の説得を遮る。
「それは、人間の思い込みだろう?」
「は………?」
何を言い出すのだ、この少年は?
「生きていた方が良いと考えるのも、家族とともに過ごすのが当たり前と考えるのも…全て人間の勝手だけど、僕はそういうの嫌いだ」
普通だったら私はここで頭がパーになっていたかもしれない。
しかし、今日の私は人生でTOP3に入る勢いで頭が回っていた。頭は依然生きている。
「人間ってのは自らを美しい生き物と見誤っている。常識を真実と見誤っている。だから僕は人間が嫌だ」
「そういう君は、個人的見解を正義と見誤っているんじゃないかな」
「そんなことはないよ」
「そんなことあるだろう?君だって人間なんだから見誤るのは仕方ないが、人間ってのはそういうのじゃない」
少年を真っ直ぐに睨む。
「人は
これは半分本心だ。
もう半分は、自分で何を言っているのかわからないという気持ちである。
「なら、尚更」
少年は燃え盛る炎に向けられていた目をこちらに向ける。悲しそうな目をしていた。
「僕はこの世に無用だね」
身を翻し天高く燃え盛る炎に向き直ると、少年は走り出す。向かう先は炎の奥。
「君っ…!!」
「僕はぁああっ」
少年は叫ぶ。
私は慌てて彼の後を追う。あまりに急だから、慌てていて。思わず炎の内側に入ってしまう。入ってから脂汗が噴き出す。
やってしまった。
「ファンタジーな異世界に転生してぇ……!!」
「おい……………はぁ!??」
「人生を、やり直したいぃぃ……!」
「…………」
…………………なんだって…?
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あれから1.2分は経っただろうか。
火はついに私たちの直ぐ側まで迫る。
流石に息がきつい。辺りの酸素の殆どは既に炎に呑まれてしまっているのだろう。
流石に、厳しいな。堪らず腰を下ろす。
「……きみ、その迫真な顔つきの割には子供っぽいこと言うんだね」
「本心だよ……悪いか……、ああ……おもったより……いたいな……」
本気なのかな。本気なんだろうな。きっと。でも、これ見せられちゃ笑えないわ。
少年の足には折れた家の骨組みが深く刺さっており、血はどろどろと溢れ出ていた。骨はまろびでている。
応急処置は試みたものの、如何せん出血が多い。私は途中からその手を止めた。
「裸足で突っ込むからそうなるんだよ」
「……はいてるひまなかったんだよ…」
「………………………
………今よりずっと、痛かったのかい?」
「………………きゅうになに」
「苦しかったんだろう?ずっと。…この傷跡」
「……ぁ……、んのことだよ」
少年は咄嗟に身体をよじり腕を隠す。
「今更隠すなよ。……別に責めるつもりで言ったんじゃない。」
「……………」
少年の目が光る。
「若いとは思うさ。でも君の葛藤や苦しみを否定するつもりはないし権利もない。こういうのはタイミングだから。君は不幸だったんだ。……向こうの世界とやらでは気ままに過ごすといいさ」
ねえ、認めてくれるやつ、いなかったんだろう?
最後くらいは、誰かが認めてやらねばな。
「ぼ…ぅ……」
腐っても子どもか。堪らず少年は私に迫る。
否、抱きついてきた。足はもう使い物にならないため、腕を懸命に回しながら。
無論、これを拒否するほどに私は腐っていない。
「私も、君がそっちの世界でなんかやらかし始めたくらいに様子、見に行くよ」
黙って少年の髪を撫でる。
「……………や、うすぉふ、ぇ…」
「うん……」
少年の目は、光を失う。その瞬間、ゾクと体に電流が走る。私は、人の死に立ち会うのが初めてだった。
私は黙って彼の手を取り、虚勢を張るように一丁前に小指を絡める。
彼の肌には至る所に、青や、赤や、黒の痣があった。恐らく自傷だけではないだろう。
……ほんとうに、よく頑張ったんだと思う。
黙って少年の目を閉ざす。
それと時を同じくして、家の支柱が大きな音を立てて崩れ落ちる。
「………生きなきゃ。」
思った。少年は社会の闇しか見てこなかったのだろう。ならば、私は。
「ふう、、」
やっとのことで立ち上がり、炎盛る玄関の方角へと身を投げる。迷いは無かった。夢を見ているかのような気分だった。
でも、お生憎様。これはどうやら現実のようで、投げて気づく。
入る時に身体に火が燃え移らなかったのは奇跡だ。
火が私に燃え移る。私はそれをまるで他人事のように捉え続ける。
燃える。盛る。盛る。溶ける。痛い。痛い。痛い、痛い、痛い、いたい。
ゆらゆら揺れる火を抜け、外に飛び出す。と同時に地面に吸い込まれる。
辺りは、悲鳴とも歓声とも取れる、私を迎え入れる声に溢れた。
──────────────────────────────────────
結局私は生きた。まあ、運が良かったという他ない。
全身火傷の古傷に覆われ、最早今の私は乙女のおの字もないわけだが、それでも生きる。生きねば。
もっとも、この傷が無駄だったわけでもない。
私は小説家になった。そして少年を救おうとした代償を背負いつつも、それでもペンを取る私の姿に誰かが目をつけたのだろう。
私はメディアに紹介され、その記憶は美談となり社会に轟き、私は人助けの英雄となった。
私は人生を半ば彼に捧げ、彼に縛られた訳だ。
「人は自らを美しい生物と見誤ってる、ね……」
やはりそれは違うよ、少年。
人間ってのは自らを美しいと思い込むことで漠然とした不安から目を逸らしている、心配性でどうしようもなく愛すべき生物なのだよ。私も含めて、ね。
──────────────────────────────────────
2024年の夏盛りのある日、私は33歳でこの生涯の幕を閉じた。医者曰く、原因は不明だが恐らくは全身火傷が身体を少しずつ蝕んでいるのだろう、とのことだ。最後の検診の時に言っていた。だからまあ、そういうことだろう。
と、ここまでが過去の話。
さて。
では、何故私が自らの死因を悠々と語れるのかという話に移ろうか。
何故ならば。
私は転生してしまったからだ。
異世界ってやつに。
芽吹き編 完
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