第2話 現実逃避
「──────────」
私宛の音が、微かに響く。
何故かは分からない。
ただ、まるでそれが当たり前であるかのように。私の体は、これを私に向けられたものであると告げた。
ああ、儚い。
私は、この音から伝わる雰囲気をこう評した。
ただひたすらにか弱く、消え入りそうで、どこまでも可哀想な断末魔であると。
一方で私は、この音を好ましくも思った。私はこの繰り返し耳を擽る音を何度でも聞いていた。
私はこれに、一種の懐かしさを感じていた。
変な話である。でも、感じたんだ。仕方がない。
そう。例えるなら、夕暮れのカラスの鳴き声のような。あるいは、人通りのなくなった、夜更けの街のような。そんな感じである。
胸がチクリと痛む。
「───────ん、────────リん」
ここで初めて、この音が『声』であると理解する。誰かが何か語りかけているのだ。
私、なんかしたっけな。
「───ーリン、アーリン」
ようやく言葉は聞き取れた。ただ、何を言っているのかまでは理解ができない。異国の言語だろうか。それとも、未だ頭が回っていないか。
とにかく、この必死気な声色から、発する者の思いだけは痛いほどに伝わっていた。
可哀想だなと思った。
「アーリン!!!」
一言、特に大きな声が耳の奥にギンと轟く。
同時に、意識は深淵から跳ね上がり、一気に現実に引き戻される。
私は重い瞼をギギと上げる。錆びついた窓を開くかのように。
あまりにも陽は明るく、思わず目を細める。
目の前に気配を感じ、反射的に見る。顔を向ける。
次いで、口をへの字に曲げる。
「──へ?」
間抜けな声がでた。
目前に、耳の尖がった美男子がいる。
数秒、見つめ合う。
途端に、美男子は両手を頬にペちんと当てる。思わずびくんと背が伸びる。
「よかったぁああ………………」
そう言うと、両指を開き目だけ覗かせ、次いで完全に顔を見せる。
そして悲しみに歪んでいた顔をほころばせ、少し困り顔で笑う。
眼からは涙がこぼれ落ち、私の頬にポツリと落ちる。少し温もりを感じる。
彼の眼が光る。
状況が呑み込めない。
ただ、今は彼の宝石のような眼に見入るばかりである。
「本当に驚きましたよ、アーリン様、部屋にいないと思ったら玄関前に倒れていらっしゃったので…僕はてっきりお身体に異常をきたされたのかと…」
そう言いつつ、彼は他の者に耳打ちをし、タオルや水入りの水筒を受け取る。
「お身体、苦しいところなどはございませんか」
その声は、年齢にしては少し低く、優しさ、いや、温かさを感じるものだった。
彼は、私の頬をそっとタオルで拭うとまた私に話しかける。
少し、彼の表情が曇る。
「あの……」
すると彼は目を逸らしながら少しうつむき、眉をひそめながら再び私を見る。
「今回のことは、残念であったと思います……」
言葉を選んでいるのか。彼はここまで言って口を塞ぎ込んでしまう。
小鳥が2匹、ぴぴと鳴きつつ頭上を通過する。
と思えば、道を違えて遠くへと飛び去っていく。
「…………………」
静寂の時が流れる。
私はこの間を繋ぐように、体をゆっくり起こし始める。
彼は咄嗟に私の背中を支え、補助をしてくれる。
彼の手が私の肩に触れる。
努力の手だと思った。私よりずっと大きくて硬いその手は、豆らしきものを各所に作っており、容姿からは想像ができないほどに勇敢なものだった。
身を起こすまでは分からなかったが、彼の背も、随分と大きい。私よりもずっと高いらしい、彼は正座をしていて、私は単に身を起こしたのみではあるが、それを考慮しても差は歴然である。体感、10cm以上は離れていそうである。
ふと地面に目を向ける。背の低い草が繁々と生えている。芝生である。私は今、草原の上にいるらしい。
手元に生える草に撫でるように触れる。
私が彼の方向へ向き合うと、彼は再び口を開く。
「今回のことは、残念でした。
……でも、あなたのせいでは決して無い。私だけではなく、皆がそう思っています。
あなたは、言霊が使えない。だけれど、それは仕方がない、ことなのだと思います、使えないものは…使えないのですから。現に私は、手先の器用なことが全くできません。
……悪いのは、絶対的にあなたではなく、彼を…アル様を手に掛けた者ですだから…」
彼は、私を真直ぐに見る。緑色の髪がふわりと揺れる。少し鼻を鳴らす。
「あなたが、責任を感じないでください。」
彼の眼からまた一粒涙がこぼれる。眉をきつく寄せ、少し顔を歪める。
しかしそれでも彼は、私の目の奥を見つめ続ける。
目が赤い。目の周りも。でも、それでも、彼の眼差しには揺るぎない何かがあった。
「………」
彼は、下唇を噛みながら私を見つめ続ける。
私は、呆気にとられていた。ずっと。への字に曲げた口は永遠不動のままでいた。
だが、ずっとこのままという訳にはいかない。
少し緊張しながらも、遂にその口を動かす。
口が重い。空気も。あまりに重く、声が少しかすれる。
「…えっと……。なにから話そうあの」
喉が異様に乾く。言いづらい。
彼が少し背筋を伸ばす。それにつられ私も背筋を伸ばす。
「アーリンは、私の、名前、で、すか?」
私は、彼の反応を注意深く伺いながら、上目遣いで尋ねる。
数秒間、今度は彼が口をへの字に曲げる。
彼の眼差しが微かに揺れる。
空に眼を向け、数秒静止した後に再びそれを私に向ける。
みるみるうちに、顔が強張る。
眼が、はっきりと開く。耳は立ち、髪は逆立つ。
一言。
「——何を言っているのですか、?」
聞き取りづらいほどにかすれたそれを放った途端、彼は大きく音を立てながら立ち上がる。
大声で知らない名前を叫ぶ。
大振りで辺りを見回し叫ぶ彼の表情は、この世のものとは思えない、思わず目を逸らしたくなる程に恐ろしいものだった。
誰かが来る。
先ほどの美男子と顔が似てると思った。歳は、40代くらいか。
私の目の前に身をかがめると、私の眼を見つめる。
彼の瞳孔が小さくなる。
「──アーリン、お前」
重低音の声が、野原の葉の擦れる音にかき消されそうになる。
ざわざわと葉が音を立てる。
空は雲一つなく。
今日は、春の匂いを纏いながらもまだ少し寒さの残る、肌寒い日だった。
そのためか、芽吹きはまだ少し先のようで。
未だ花は一輪として咲かず、緑一色である。
「自分を呪ったのか」
彼の声に、私の体は確かに反応する。
その一言が、頭の中で何度もリピートされる。
響く。響き渡る。
私は。私の体は。これを知っている。それだけ、とにかくそれだけわかった。
私は、手元に生える草を握りつぶした。
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