pallet 〜虹色の世界に笑う〜

大場景

序章 芽吹き 編

第1話  無色の世界に

「…は」

 

一瞬、世界が止まった。そんな気がした。瞬く間に手には汗が広がり、次の瞬間、私の膝は地べたに張り付いていた。


季節は春。以前までは散々鼻を凍てつかせていた風も、日を追うごとに暖かくなりつつある。

ふいに風が私の肌にそっと触れる。草のにおいがつんと香る。野花は徐々につぼみを膨らませ、辺りに散在する樹々はかさかさと葉をすり合わせ音を立てる。

ふいに陽の光は雲に遮られる。


蝶は健闘むなしく、蟻に喰われる。


私は、混乱していた。そんなことに気がついたときには既に、私は、平然をどこかに置いて来てしまったようだった。


「———それ、嘘なんですよね」


やっとのことで抉り出した声は消え入りそうでみっともなく、言葉の方も、まるで説得力のない、頼りないものであった。


——私の叔父、アレラ・フーシレアは腐っても由緒あるこの土地の守護。いちいちくだらない嘘を吐いている暇などないのだ。わかっている。

わかっているけれど。じゃあ、この気持ちは、このドロドロは、いったいどうすればよいというのだ。


「アーリン……」


いつもは口を閉ざしてばかりのアレラも、耐えきれず口を開く。どうやら、その顎はまだ錆付いてはいないらしい。

私の名前を呼んではみたものの、次の言葉が見つからないようで、ただ眉を強く顰めながら私を見つめるばかりである。


「———ごめんなさい。すこし……一人にさせてください」


私はやっとのことで作り物の笑顔をつくりながら一言を絞り出し、よろけながら立ち上がる。頭がキンと痛み、目がくらみそうになる。私は、ゆっくりと踵を返す。


どこまでも行ってしまいたいと思った。このまま。どこか遠くへ。もしくは、このまま地面を貫通して沈んでいきたいとも。


そう思ったのは、いつぶりだろうか。ああ、兄と生き別れになった、あの時以来か。——なんだか、笑ってしまう。


「ふ;ぅ」


瞬間、世界は45度ぐるりと回転する。

初めて、こんなにも重力が重く感じた。いや、これも二度目か。


はあ。また。まただ。


私は、また、心の許容を超えてしまったようだ。




——現レア領『緑耳りょくじ』地域守護アレラ・フーシレアに次ぐ次代守護。アーリン唯一の家族である、兄アル・フーシレアが死んだ。


これが、私の物語のプロローグである。











「うぃっ…う、ううぅぃ……うびっ」


私は、泣いていた。


なにがあったかは、わからない。

けども、とにかくかなしくて、つらかったということだけはわかる。


「………」


「………………」


辺りは、静寂。居心地は悪い。一体、ここがどこなのかさえ私にはわからない。


知らない野原。大勢の人が、私を囲む。

太陽は雲に陰る。土のにおいが少し香る。ただ、高鳴る鼓動だけが私の雑音。

ほんとうに、いやな感じ。できることならば、すぐにでもこの場を去りたいと願う。


私は、地面とにらめっこを続ける。

地面は表情一つ変えず、私を見つめ返す。

私は、遂に表情を崩し始める。


「大丈夫」


誰かが、私に声をかける。


鈴の音の様であった。それでいて、あたたかかった。

私は、顔を上げる。目が合う。合ったのに、その顔はなぜかぼやけていて、うまく見えない。


「……うぇ…?」


「大丈夫」


そう言うと、彼女は私の前にしゃがみ、頭をなでる。


「あなたは、私と同じ匂いがする」











明るい光が私を包み込む。

明るい光。あまりの眩しさに、思わず眉をひそめる。そして、起きかけでうまく開かない眼の上に腕を乗せる。


夢を見た。多分、昔の記憶だ。私は、誰かと話していた。

誰なのかは、わからない。ただ、良い思い出ではなかったのは確かだ。悪夢を見たとき特有の、気持ちの悪い冷や汗とやけに高鳴る鼓動がそれを物語っている。

体が、だるい。脱力感。


「アーリン様。お目覚めのようですね」


腕をゆっくりとどけ、眼を開ける。布団をどけ、体を起こし、声のした方向に目を向ける。少しぼやける。目を凝らすと、だんだんと視点が定まっていく。


ああ。理解する。すべて。


「……」


ここは、フーシレア邸の一室。普段は使われていない、いわゆる客室のようなものだ。空部屋特有の埃臭さを感じないことから、使用人の日頃の仕事ぶりがうかがえる。窓からはそよと優しげな風が吹き抜け、彼の髪を擽る。


彼—アスク・フーシレアは、私の従弟である。歳は一つ下の一六歳。

未だ子供らしいところもうかがえるが、彼は秀才である。もちろん、人格者であるし、読み書き算術も人一倍得意としている。しかし、彼の真髄はそこではない。私にはない、得難く、得ていねばならなかった、 その才 を持つ。


私は、少し眼をそらしたくなる。眼を細める。風は、私の頬にそっと触れ、呼応するように一筋涙がこぼれる。


アスクは、黙ったまま私を見つめている。その柑橘色の宝石ような瞳孔を見ると、吸い込まれそうになる。魔性である。


しばらく、見つめあう。ふいに、アスクが口を開きかける。しかし、口を閉ざし、目をそらす。宝石が一瞬揺れる。


アスクは、ゆっくりとうつむくと、眉を強くひそめる。また、しばらく静寂の時が流れる。時が経つごとに、私の心臓は痛いくらいに波打ち、息はつまり、ついに、私の方から強張る口をむりやりに開く。


「アスク」


 アスクの耳が少し動く。


「……はい、なんでしょう」


声が震えている。私の声も。


「…その、ありがとう。もう大丈夫だから。…少し、一人にさせてもらっても、いい?」


なけなしの作り笑いを添える。でも、必死に一声を発したところで、このやるせなさ、もやもや、どろどろ、くやしさ、ぐちゃぐちゃの感情がどうにかなるはずなどなかった。

むしろ、私の中の何かが、大事な、大きな何かがまろび出そうになる。慌てて胸元に手を当て、締め付ける。


「……そうですか。…そうですよね。…では。私は少し席を外させていただきますね」


そう言うと、アスクは席を立つ。


「うん、ありがとう」


私は、最後に一言をやっと出し、体を丸めながらうつむく。冷や汗が布団に数滴落ちる。







アスクが部屋を出る音がする。かちゃと扉が閉じる音が、部屋にこだまする。


眼を強く閉ざす。風の音が、聞こえる。

少し強い風が吹きつける。私の汗に濡れる服に触れ、ひやりと肌を冷やす。


先ほどから、冷や汗が止まらない。首筋に雫が伝っては、肌を伝い、服を濡らすという一連の動作を絶え間なく繰り返している。


私は、なにを思ったのか、ベッドから体を起こし、扉に向かい歩き始める。おぼつかない足取りで、一歩進むごとに頭がギンと鋭く痛む。

部屋をでる。左に向かい、歩みを進める。汗が一滴、頬から落ちる。


廊下を歩く。体を左右に揺らしながら。

あそこも、あそこも、見える限りのすべての場所に、兄との思い出が張り付いている。

追憶しているのではない。追憶する間もなく、溢れ出てくるのだ。それでいて、離れない。


ゆっくりと隅まで見回しながら、歩く。

気づいたら、庭に出ていた。

思い出すのは、別れの場面。

あれが、今生の別れになろうとは。私は、再び目を閉ざす。


少しうつむく。再開を約束した兄は嘘つきなのか。嘘つきなのだろうか。……私を、だましたのか。

いや、ちがう。わたしが皆を………




そう思ったあたりから、私のリミッターにははっきりとヒビが走った。


「もう………いやだ」


悪い想像しかできなくなっている。目の前が瞬く間に見えなくなる。

顔を思いっきりゆがめる。ゆがめたまま、戻らなくなる。

天を仰ぐように空に目を向ける。今の私は、さぞかしひどい顔をしているのだろう。


「ああ、、あ、ぁ、、、」


地面に膝をつく。手をつく。下を向く。涙があふれだす。ぼたぼたと音が鳴る。

兄の笑い声。兄の笑顔。兄の。アル兄さんの、顔が、声が、ありありと浮かぶ。


私には、アル兄ちゃんしかいなかった。だから、いままでやってこれた。だのに、アル兄ちゃんは、もういない。




殺したのは?




……………私である。


もう、くるっている。すべて。




瞬間、はっきりと、聞こえた。パキンと。私が折れる音が。


「ん、んううううううああああっ!!!!」


おもいでがよみがえる。あざやかで、かがやいていた。あのときの。

みんないた。あの時の。思い出が。


もう、ないのに。わたしが、こわしたのに。つごうがよいことこのうえないのに。


「ああああっっあああああああああああ゛っっ!!!!!!!!!」


みんなでわらった。あの時のえがおが、頭に残る。

まるで、おもいでが夢だったかのように、あこがれの気持ちがうかぶ。


「ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ」


今ではもう昔の、くだらない日々。

わたしは、その砕け散ったかけらを、取り戻したいと、強く願った。


「…んで、な、、ん・・・・ん、な。おいてくんだよお………」


わたしは最後に、あろうことか、一人であることを嘆いた。


空はいつのまにか雲一つなくなっており。

今日は、春にしてはまだ少し寒さの残る、肌寒い日だった。


私は、気づいた時には、自らに呪いの言葉を吐いていた。











言霊げんれい

声に発することで、超常的な現象を現実に導くことができる異能。この力を以てすれば、対象を操作すること、ないはずのものを出現させること、ひいては運命を変革することさえ可能である。なお、言霊能力は使い手の人格によってそれぞれ形づくられる。 

(『言霊の始祖』レア領領主 トモリ・レアホワイト)


アーリン・フーシレア。

レア領『緑耳』地方守護アレラ・フーシレアの姪。フーシレア家とは、風の言霊を司る一族である。


彼女は、幼少から言霊を発動できない。故に、自らに大きな引け目を感じていた。

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