エピローグ

 おれ達がマルクトル十番島に乗りこんでから、既に一週間近くが過ぎ去っていた。

 あの戦闘のあとに残されたドラゴンスレイヤーは、あのままデッキ上に放置され、厳重に隔離される結果となった。あれに触れられる者がいない以上、解決を先送りにするしかない。

 ラキエスの生みの親だというアールビィ・シャルトプリムも、ある意味ではセメタの犠牲者だったのだろう。竜の幼生を宿す器として我が子を利用され、そして顔すらろくに知らぬ我が子を呪い続ける役割を強制された、未来を誰からも与えられなかったひと。

 必死に生き抜くために最果ての地へと辿り着いたラキエスは、やれることは全部やり尽くしたからと静かに笑って、最期の時間を穏やかに過ごすことを選んだ。


「この光景、ぼくが小さいころに視たやつだ。ちゃんとこの手に掴み取ってやった」


 そう言ってはにかんだラキエスは、おれの隣に寄り添って、波打ち際の感触をくすぐったがって。引いては押し寄せる波が足の裏を砂だらけにして、再び洗い流して海へと帰っていく。下ろしたての黒い水着。彼女のお腹からはあの〈竜の瞳〉が消えて、薄らとした痣だけが傷痕を残している。この白昼夢めいた夏の光景にも終わりがあるんだって訴えているみたいだった。

 よく晴れた日の黄昏時。マルクトルから一番近くにある避暑地にて、この一日を大切に過ごしたいという彼女からの交渉をおれは引き受けていた。

 ラキエス・シャルトプリムというこの少女は、おれが知っているよりもずっと、ずっと幼いひとだった。だって、生まれて暮らしてきた世界からしておれ達と違うんだ。狭い聖堂に閉じ込められてきた彼女が、おれなんかと同じだけ学んで、直接経験ができたはずがなかったから。


「ほかにさ、ラキエスはどういう未来を視たんだ?」


 おれには、彼女の話を聞いてやることしかできなかった。おれの話を聞かせることが辛くて。新しい知識がラキエスにヒトとしての未来を期待させれば、それだけ別れが辛くなるから。


「そうだなあ……ほとんどはセメタに関わる物語ばっかだったよ。でも、たまに現世界の夢も見たかなあ。ぼくがこっちの言葉を覚えられたの、ぜんぶキミのおかげだったじゃん?」


「だよなあ、どうりで言葉づかいが悪いわけだ……おれの責任重大だ」


「へへっ。そういやさ、ぼくの夢にはサヤが一度も出てこなかった。あいつめ、時間まで遡って侍女になりすましてたせいかな。現世界の夢に出てきたの、キミばっかだったし」


「ここで沙夜の話すんのかよ。ラキエス、あいつのことあんま好きじゃねえだろ」


「ええ、そう? 可愛らしかったじゃない、小さいころのあの子。すごく一生懸命で」


「まるで今はそうじゃねえみたいな言い方。陰口してたって、あいつに告げ口しとくわ」


「それ、タクトが引っぱたかれるパターンでしょ? それにぼく、今のあの子はきらい」


 ――だってあの子、うんと綺麗になってしまったもの。元は人間だし。さすがに反則だよ。

 風が唐突に邪魔をする。でも、確かに彼女がそう呟いたような気がして。

 どう生きるか、なんて考えたこともなかった。

 ただ誰でも腹一杯食って、たくさん寝られる幸福が当たり前な世界になれ。

 それだけを道標に、おれは異世界交渉士としてこれまで走り続けてきたつもりだった。

 未来をもう視ることができなくなった異世界の少女は、未知の世界を必死に駆け抜けていった。そうして辿り着いたこの砂浜が、果たして望んだ最後の景色だったのだろうか。


「――――なんだかぼく…………すげえ腹が立ってきたんだけど」


 それが一体何の話なのやら、唐突に力一杯立ち上がるものだから、海水と砂を含んだ水着から飛沫がこっちまで飛んできて。


「考えてみたらさ、こういうのは〝ぼくらしくない〟んだよ。最期の一時だ? 似合わないことやるんじゃなかった! こういう感動ムードに流されてた自分にも腹が立ってきた。ああっ、くそだ! 人生なんてくそじゃッ!」


 急にブチキレだしたラキエスが、麦わら帽子を地面に叩きつける。


「おま、今さらなに言ってんだよ。ああ、帽子っ! 流れてっちまうじゃんか――」


 せっかく六番島で一日かけて悩んだ、角が邪魔にならない麦わら帽子だったのに。引く波にさらわれていくそれを追っかけようにも、波が重たくて邪魔してくる。


「いいから、きみはちょっとそこで待ってろ。泳げねえくせに。おれが拾ってきてやるから」


 とは言え、おれだってそれほど泳ぎが達者な方ではない。クロールもどきで波に逆らい、必死の息継ぎをして、逃げていく麦わら帽子をようやく掴まえる。

 ――掴まえられたのは、麦わら帽子だけじゃなくて。

 背中から首根っこを引っ捕まえられたおれが、強引にそっちを向かされる。海水でびしょ濡れになった紫銀の髪を張りつかせた、ラキエスの顔が問答無用に迫ってきて。

 こんなの時なのに、どこからともなく沙夜の怒鳴り声が聞こえてきてしまって。

 そういえばきみは最初からこういう人だったのに、油断してしまっていた。

 冷えた体温を上塗りしていく彼女の熱。ゾッとする血の味ごと、全てを嘗め取っていく。


「キミをあいつなんかにあげておくもんか。なんてったってぼくは神話の竜のお姫さまだぞう」


 組み敷かれた肩を砂浜に押しつけられて、馬乗りになってきた彼女の瞳が赤熱する。夕焼けを遠景にした、全てが紅く染まっていく世界の末に。

 ラキエスの腹を赤く爛れさせた呪いはもうない。あの時おれが斬り捨てたから。

 でも異世界からやって来たこの神話の竜は、終焉の時までまだ歩み続けている。

 おれが命を賭けた交渉を続けているこの子は、見てくれよりもずっと幼くて。

 そして、得体の知れない怪物でもあるきみの生き様を、どうしてなのか目を背けずに見届けたいって思ってしまったのだ。


 ラキエス・シャルトプリムの声が、おれに願った――ともに生きよう、って。(了)

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キズナヴラッド 七番プラットフォームの異世界交渉士 学倉十吾 @mnkrtg

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