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〝――――まったく、とんだお馬鹿さんね、あなたってひとは〟


 全身を弄びだした物理法則が、おれの意思を無視して瞬時に繋ぎ止められていた。

 ラキエスの手を離したはずなのに、おれの右手首を力尽くで掴み取ったやつがいる。

 それも國弘じゃない。凄まじい力でデッキ側まで引き上げられる。そのまま固い床面に叩きつけられてしまい、荒ぶる呼吸を詰まらせたおれは呻くしかなくて。


「がっ――――ごほッ………………痛って――――ッ?!」


 投げ技でも食らったように、仰向けに倒れていた。服が伸びて臍まで覗いてしまっている。

 そんな無様なおれを覗き込んでいたやつが、國弘でも妖精人形でもなかったなんて、何がいったいどうなってんだ。


「無駄口は叩かない。黙ってわたしの言うとおりになさい。あなたには選択権なんて最初からないのだから。わかったら肯定の返事を、タクト」


 太陽を背にした、見知らぬシルエット。おれに影法師を落とすそいつは、デッキ上に吹き付ける潮風に髪をなびかせている。どこか大人びた顔だちをした、おれと同い年くらいの少女だ。

 綺麗な娘だが、見覚えなんてない。ただ、最初に目に付いた特徴が二の句を奪い去る。

 螺旋の角が生えた少女だ。長く艶やかな黒髪がおれをくすぐってきて。仰向けだったおれに跨がってきたのだと気付いた時には、その瞳が真っ赤に燃えたぎり、おれの自由を奪った。

 黒いヴラッドアリス――思い出した。以前、零番島でおれを睨みつけてきたのはこいつだ。

 少女をそう認識した直後に、おれの詰まった息は彼女の唇で塞がれていた。

 いつか刻まれたあの痛みを上書きするかのような、強烈な口づけ。血を嘗め取る舌すら熱く、こんな熱に当てられみっともなく呻くおれを逃がそうとしない。

 長くも短い、痛苦と甘美の坩堝から解放されて――その結末はいつも呪文によって成される決まりが彼女らの物語にある。

 ――■■■■の〝聲〟が、おれにこう命じた――。


「さあ――――我、処女血のアリスヴラッドアリスとの血ぎりを今ここに。あなたのキズナはわたしとひとつ。未来はふたりで切り開く」


 ――こうしてあなたは新たなヴラッドアリスとの血ぎりを果たしたの。今よりこの烏丸沙夜の聲であなたの全てを想い描きましょう。


「そんなっ――――――お前、まさか………………!?」


 あなたのその驚嘆すらわたしにとって快楽だわ。そう、その声、その顔が見たかった。

 ずっと、ずっとあなたの顔が見たかった。


「こんな……こんな奇跡って…………お前、ほんとの本当に、あの……」


 あなたは純粋には受け入れられないという顔をした。ほら、なんてみっともない顔。それはこのわたしが、あなたの記憶にいたころの姿からうんと変わり果ててしまったから?

 それでも、嗚咽に詰まるあなたの声。溢れ出る涙でくしゃくしゃになっていくあなたの顔は、血のにおいがしそうなほど人間らしくて、食べつくしてしまいたいくらい愛おしくなる。


「くふふ……もう忘れられなくなるくらい、強く抱きしめてあげましょうか? 〝元鞘〟という言葉の意味を、あなたの身体中に痛いくらい刻みつけてあげたくなってきたわ」


 でも、今は駄目。まずわたし達の未来を邪魔する障害こそが打ち払われるべきだから。


「お前とこうして絆を結ぶなんて悪い夢だろ。覚えとけよ、あとで質問攻めしてぜってえ泣かせてやるからな」


 あなたの腕から染み出てきた鋼――それが籠手を形づくり、その手に白銀の刃が生み出される。もう手慣れたあなたの打刀が、二尺三寸の刃長を伸ばして屠るべき標的に突きつけられる。


「くふふ……そうやって可愛らしく吼えなさいな。先に泣きだしているのはあなたのくせに」


 大地に磔にされていた血濡れのラキエス・シャルトプリム――その背に突き立てられようとしていた竜殺しの宝器――ラプタ剣。これをもってしてもルメス=サイオンの子宮すら貫けなかったのか、剣自身が形状を変形させルメス=サイオンに逃げだされないようにしている。

 妖精人形がわたし達を命令の障害と認識するまでに、奇妙な間が空いた。これの操術師たるアールビィが消えた弊害だろうか。

 妖精人形はラプタ剣を一旦引き抜いて切っ先を折りたたむと、飛びのいて間合いを取る。竜姫であるラキエス封じよりもわたし達との対決を優先したのは意外ね。

 当のアールビィにしてみれば、このわたしの介入など想定もしなかったことでしょう。そこに勝機となるあらたな因果が分岐するの。だからこそ、わたし達がこの戦いに終止符を打つ意味があるというもの。


「選びなさい、わたしの絆騎士タクト。あなたは劇的な物語の結末に立った。あなたが振るう最後の一太刀。今ならあなたは何だって斬れる。でも、斬れるものはひとつだけ。さあ、あなた自身で結末を選びなさい――」


 これはあなたとわたしの劇的な物語。起こせる奇跡は一度きりでないと意味がないの。

 さあ、わたしの前であの竜を殺してくれるのかしら? それともラプタ剣をへし折って滅びの道を歩んでみる? 妖精人形を倒して、あなたが竜殺しの英雄になる未来も素敵かしらね。

 対峙する妖精人形を不敵に睨め付け、短く息を吐くあなた。うずくまったままのラキエス・シャルトプリム。ラプタ剣を掲げた妖精人形が、この先に行かせないと立ちふさがっている。


「――……おれの答えなんてもう決まってる。この一太刀でぜんぶ終わらせてやる――――!」


 そして言ったとおりのことが起きる。居合抜きめいてあなたが振りおろした切っ先――刹那に間合いを超え、ラプタ剣に付与された神秘にも見すごされて遙か向こうへと貫きとおる。

 剣筋に立つ妖精人形がよろめいて、球体関節人形の四肢をひび入らせ、後ずさっていく。軋みを上げた腕がラプタ剣の重みに耐えられなくなる。さながらガラスのように分子構造を解れさせて四散してしまう妖精人形。

 妖精人形自身が砕け散るの同時に、重力に縛られたラプタ剣が突き立った。


「あらあら……あなたってば、この劇的な結末にどういう選択をしてくれたのかしら……?」


 妖精人形は倒した。ラプタ剣は健在だ。ラキエス・シャルトプリムはまだ生きている。選んだのは破滅の道? 腹の竜がまだ生きているのかまでは、わたしにもわからないのだけれど。


「沙夜、おれは異世界交渉士だ。たとえ神世の竜とだって交渉してみせる。世界を傾けるなんて真似をラキエスにはさせない」


 そう言ったあなたの声があまりに晴れやかで、振り向いた笑顔が素敵なので許せてしまいそう。でも何をどう選んでくれたのか、わたしにちゃんと答えてくれていないことが不満だわ。


「……さ、沙夜なのか?! その顔、やっぱり沙夜じゃないかっ! 本当に天使になってしまったんじゃないよね?? 僕の沙夜が帰ってきた! よく生きていてくれた沙夜……さやぁ……」


 それまで茫然としていた烏丸國弘が、突然立ち上がるとわたしの方まで駆け寄ってきた。


「あ、れれ……なんかこう――背がすごく伸びてないかい沙夜? 顔もなんか大人び――」


 わたしと同じ目線になったことが信じられないといった顔。なによその不審な目は。

 光に祝福され、現世界より失われていく妖精人形の残骸。あなたは――藤見タクトはやり場のない感情を溢れさせるでもなく、ただ茫然とした瞳をわたしへと向けてくれる。あなたが知っている烏丸沙夜の面影はまだ残っているかしら? あなたからしたらつい昨日死別したはずのわたしなのだから、あべこべに繋がった因果をすぐには受け止められないでしょうね。


「――ふん、相変わらず醜い豚さんだこと。わたしの憂さ晴らしに、ここでぶっ殺してやってもいいのだけれど」


 現実的な選択肢をとれば、まずあなたを悲しませないことかしら?


「それにしてもお酒臭い。あなた二度とわたしに近寄らないで」


「くさいって、僕だって大切な沙夜の――――――んごっ?!」


 國弘の股間を爪先で蹴飛ばしてから、回し蹴りをお見舞いしてやる。伸ばした髪の毛が漆黒の尾を引いて、我ながら鮮やかなフィニッシュ。かつてわたしの父親を演じていたつもりらしいあの男は、豚みたいにみっともない悲鳴を上げながら転がっていった。


「さて、ラキエス・シャルトプリム。そんなところで惨めにくたばっていないで、自分の処遇くらい自分で決めなさい。わたしね、こんな場所に長居はしたくないの。髪の毛が傷んでしまうし、早く帰ってシャワーを浴びたいわ。さっさと答えないと、その腹の中から引きずり出してやるわよ?」


 ところが血溜まりから上体を起こしたラキエスが睨みつけてきたのが、当の仇敵でもなんでもないわたしに対してで。


「ああ、怖い顔。事情を説明する方が先かしら。あの時――インガライト結晶を使って世界境を渡ったわたしはね、真祖テオメトラに会ったの。そして約束させた。わたしの価値ならいくらでもくれてあげる、だからこのわたしこそがヴラッドアリスに相応しい、劇的な物語を貫き通してあげる――って」


 嘘は言っていないわ。経緯を説明するには時間が足らないから言葉足らずになったけれど。


「それにしたって沙夜、お前……背とか髪とか伸びてるし、おれでもすぐに気付けなかった。いつだったかカザネさんが見失った失踪者って、ラキエスじゃなくてお前だったってのか!?」


「…………んー……さて、何のことかしら?」


 あの時、零番島の旧市街区に身を潜めていたのは事実だから、わたしは笑顔で返す。現世界に二人の烏丸沙夜が存在したことになるのだから、あの数週間はタイムパラドックスの観点からも非常に興味深い体験をした。


「冗談……じゃ、ない……あんたみたいなクソガキが……真祖に……差し出せる価値なんて」


 ラキエスの罵倒すら心地よかった。傷付いた肉体の再生が不完全なのか、身動きもろくに取れない哀れなヴラッドアリス。そういえばズタボロの衣服から覗く腹に、例の紋様がない?


「……あらあら、今年で十六歳になったわたしをクソガキ呼ばわりするなら、まだ十四歳でしかないあなたは何ガキになるかしら? ――それでニエアールビィに秘密の名前を伝えてシグヴェーテ/アールビィ/マイスあなたにかけられた魔法ミゼ/ルータスマギオン/が解けた感想を聞かせてもらえるかしらネスツ・エイレン/ク・イスラヴォターネ/ワイス?」


 演技がかった言い回してそう告げてやれば、わたしを呪い殺さんばかりの目をしていたラキエスが、みるみる間の抜けた表情になってくれて。


「…………う…………ぁ…………その声ラトヴァ/セシやはり汝ノーナ/ミュゼ………………の…………ノッテだったのイルローマ/ノッテ?!」


 そう、この子を現世界へと誘導するために、聖堂の侍女になりすましていた時期がわたしにあった。でも、たったこの台詞だけで答えに行き着けたのだから、さすがにわたしも高笑いが止まらなくなってしまって。


「あはは…………まあ、そうね、今日は笑いすぎたし、気分が乗っているから特別に教えてあげましょう。ヴラッドアリスの眷属に加わる見返りに、真祖テオメトラに捧げたわたしの価値はね――〝愛〟よ」


 そう、わたしは勝ったのだ。わたし達を取り巻く因果に打ち勝ち、やっとここに戻ってきた。


「わたしにとって一番大切でかけがえのない価値――藤見タクトへの愛を、あの旧い悪魔に捧げたの。ねえラキエス、あなたが捧げた未来視の能力なんかよりも、ずっと重く、そして気高いものだと思わない?」


 そう言って微笑んでやったら、何故なのかラキエスが泣き出してしまった。それは、悲しみからというよりは、感情が限界を超えた、ただの駄々をこねる子どもみたいで。

 二人のヴラッドアリスに挟まれてあたふたとするしかないあなたは、ひとまず手負いのラキエスの元へと駆け寄っていく。少し腹立たしいけれど、今はそうすればいい。

 愛を捨てた今のわたしは、あなたが思っているような人間とは違って、ずっと単純にできているの。だから、失ったたくさんのものだって、瞬く間に拾い上げてみせるから。


『――――もういいのか、沙夜?』


 わたしの携帯端末へと通話してきたのはあの女だ。デッキまで出てくるのも面倒なのかとうんざりしてみれば、乗りこんだエレベーターの扉が閉じるのが見えて。


「この先はわたしの出る幕じゃないことくらいわかっているでしょう。今まで親不孝者のわたしを匿ってくれてありがとうございました、〝お母様〟」


 そう、精一杯の皮肉を端末のスピーカー越しに囁きかけてやれば、


『…………やめないか、こちらの良心が痛む』


 どの口でそれを言うのかという台詞が返ってきて、おかしくてまたお腹が痛くなった。

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