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 烏丸沙夜が誘拐された。無差別暴動のさなかで、田端保護局長の指示で沙夜達の安全保護に動いたものの、烏丸別邸との連絡が付かなくなっていたらしくて。

 それが負傷したマチカさんからの一報で、沙夜の拉致が明らかになったのだという。別邸がある八番島居住区も暴動による混乱状態に陥っていた。その隙を突いての犯行だったらしい。

 元々沙夜は、SEDO総帥とインガライト研究者の一人娘――つまりこのマルクトルという疑似国家にとって、言わば要人クラスの立場だ。

 身辺警護も厳重になされていたのに、この混乱に乗じた計画的な犯行。

 おれがショックを受けたのは、それだけじゃなかった。

 どうしてかって、警護役のマチカさんを重傷に追いこんだ襲撃犯が、ついさっきおれを救ってくれたばかりの異世界転生者――あのミィオだったのだから。



 田端局長宛ての連絡で、人質交換の場所が指定された。

 それは、零番島旧市街区のレッドベリアル公園――ミィオという異世界転生者のルーツにしてアイデンティティの根底に関わるであろう、いかにも彼女らしい場所。

 おれをカザネさんに託して本島に帰還したミィオが、何の目的で沙夜を連れ去り、こっちに舞い戻ったのかはわからない。沙夜を人質に保護局と交渉するにあたって、何か勝算がある場所がここだったのだろうか。

 もう五年近く都市機能を停止したままの、明かりを失った旧市街区。時刻はすでに零時を回っている。星くずを浮かべる藍色の夜空。無差別暴動の火種はここまで及ばない。公園内で唯一の光源は、上空を滞空する保安局ドローン隊、各機から注がれるサーチライトのみだ。

 それらを浴び、さながらステージの主役めいて姿を浮き彫りにされているミィオ。いつもの深緑色のマントを羽織り、目深にフードを被ったまま愛機レッドベリアルの前に佇んでいる。

 ミィオの手に携えられているのは、彼女が愛用してきたアサルトライフル型アイ・アームズ。他にも背後に銃器一式が並べられている。例の改造品も持ちこんでいるかもしれない。どれもがエスコート・ミィオの主力装備で徹底抗戦の構えだ。

 保護局側の人間としてミィオとの交渉役に挑んだのは、パートナーである三純慧だ。インプラントしていない三純はヘッドセットを装着し、交渉対象へと語りかける。


「――聞こえているかミィオ。お前に一つだけ言っておくことがある」


『……なんかやり辛いっすねえ。マスター相手だと、ミィオってば言いたいことも言えなくなっちゃうかもっすよ』


「お前は前から無駄口が多い、黙って聞いていろ。それと僕をマスターとも呼ぶな。勝手な主従関係に僕を巻き込むな。お前は、銃器の扱いは訓練された兵士のレベルだ。この島で並ぶやつはいない。だが脳みそがガキだ。基礎教育すら満足に受けてこられなかった原始人レベルだ」


『散々ヒドい言い方っすね。そんなんだからマスター、カノジョとかできないんすよ。もっとミィオにも優しくしてほしかったものっす』


「――正式名はミィオマルチカ。現世界年齢で十三歳。ガキだな。お前達種族〈イミュート〉の生まれた異世界〈錆の海原〉は、社会機能が現世界と比較して五〇〇年前の水準だ。荒廃した砂漠で暮らす女性だけの種族イミュート。そしてイミュートの生活圏を脅かす外敵の脅威。主力兵器は、古代遺跡から発掘される機械巨人だけ。そんな終末世界で何を学べるという?」


 三純が唐突に語り出したのは、おれも詳細は知らなかった異世界転生者ミィオの境遇。そして恐らく、これは時間稼ぎのためのものでもあったのだろう。

 三純には、昼間のミィオとの一件をボカして伝えてある。おれを何度も助けてくれたミィオがマチカさんを傷つけて沙夜を誘拐しただなんて、何かの誤解であってほしかった。

 おれはラキエス達とともに、ただ後ろで見守るしかできない。


「その程度の知能で現世界人を策略に陥れようなどと五〇〇年早いと言える。端的に言ってミィオ、お前はアホだ。お前がない知恵絞って考えた策など、抜け穴だらけでいつでも覆せる」


『ミィオに武器を捨てて投降しろって言うんすか? まるで洋ドラのネゴシエイター俳優ばりのダサ格好良さっすよ、うちのマスターは……あぁ、もうミィオ情けなすぎて泣いちゃいそう』


 本当に、嘘偽りなくミィオの言葉尻が泣き言に歪んでしまう。普段は感情が読めない目つきでクールだった彼女。いまは孤独に、動かぬ愛機の前に取り残されてしまったかのよう。


「ふん、だからお前はアホだと言ったんだ。お前がいまここで武器を捨てて投降することが、僕にとって何のメリットになる? アホはアホなりに余計なことは考えずに、僕のメリットになる情報を話すんだ」


 そこで三純がホルスターから銃を抜いた。


「まず人質が無事であることを示せ。烏丸沙夜の元気な姿を僕と藤見に見せて安心させるんだ」


 三純の抜いたアイ・アームズが、何の躊躇いもなくミィオの額を照準する。転生者であるミィオにとって、それは死にも等しいことを意味した。


「――――三純、お前……なんて真似をッ!」


 刹那の恐怖心に襲われ、手が三純へと伸びていた。だが、あらかじめ見越していたかのように三純の手が待てと制止してくる。

 ――発砲。立て続けに二発の発射音、マズルフラッシュが暗闇の周囲に閃光を残し、ミィオの背後にそびえるレッドベリアルの外部装甲が受け止め霧散する。インガライトの薄緑光が、そこだけ陽炎めいた残光を漂わせている。

 警告射撃ではない。寸分遅れて三純の意図を理解する。ミィオはこうなってまだ、自分の銃をこちらに向けてこなかったのだ。


「もう一度要求するぞミィオ。詳細な情報を聞かせろ。いいか、アホなお前に入れ知恵した第三者がいることくらい、僕にはお見通しなんだ。なのにお前は、それがバレると考える知能すらない底抜けのアホ娘だ」


 三純の言葉は、ミィオが主犯ではないことをほのめかすものだ。そもそもおれ達――現世界人相手にどれほどアイ・アームズで武装しようと、あれがおれ達を殺すことはない。

 と同時に、おれがずっと懸念していた、もう一つの違和感が脳裏をよぎる。ミィオはどうして人質の沙夜を脅しに利用していないのか、という違和感を。


『ありゃりゃ……初撃で当ててこないとか、案外とお優しいことっすね、マスターってば。ミィオはマジで本気だったんすけど』


「お前からの要求は、人質の烏丸沙夜と引き換えに、烏丸ニーナ研究局長との直接交渉――だったな。だが研究局長はこのテロ騒ぎでまだ連絡が取れていない。騒ぎが収まった後でなら、研究局長と話す機会くらい僕がいくらでも与えてやる、好きにしろ。だがこのままでは何の問題解決にもならんぞ。お前がいま、ここで、適切に情報を話さない限りはな」


『……マスターが言うとおり、ミィオはアホだから大したこと話せないっすよ?』


 きっと三純のための嘘だ。賢いあの子だから、きっと事情があって、研究局長の手駒として零番島で暗躍していた。やはりおれが交渉すべきだという気持ちが背を押してくる。


「たとえここでお前のレッドベリアルを起動できたとして、お前がコソコソと僕に隠してきたプライベートの、いったい何を解決できると言う」


『……ミィオね、いろんな人達から腕を買われて、レッドベリアルを目覚めさせるためならって、いっぱい悪さをしてきたんっす。でも、とうとう逃げ場をなくしちゃったんっす。ほら、こうして最後は自分の身を守るだけで手一杯になっちゃったんっすよ。コレはね、最後の悪あがきなんっす』


「お前が寮から姿を消した経緯は知らん。だが、うさんくさい連中がお前の足取りを追っていたのなら把握している。SEDO側にも不審な点があったというのが僕の認識だが、それがなぜ烏丸沙夜の誘拐とリンクしたのだけが不可解だ」


『だってサヤはミィオと一緒にいた方がずっと安全なんっす。サヤを〝引きこもりニーナ〟に引き渡すまでの辛抱っすよ。今はそういう話にしといてくれないっすかね。あはは……ミィオはアホだからなにしたかったのかよくわかんなくなってきたっす……ごめんね、ケイさん』


 と、ミィオはあからさまにお手上げのポーズで、ライフルを地面に放り投げて。それが、緊迫する状況を後方から見守ってきたおれにも、明らかに不自然な動きに思えて。


「――だからこのアホッ! 勝手に武器を置くな。余計な動きを見せるなと僕は――」


『わたしにだって、イミュート流の誇りみたいなのはあるんですよ……ねえ、ケイ?』


 泣きべそでくしゃくしゃに歪んでいく、ミィオの子どもみたいな顔。

 ずっ――――――と、肉がずれるような音が聞こえた気がして。

 最初、目の前で起こったことがおれには理解できなかった。

 あまりの情報密度の現象が、スローモーションでおれの意識の中を滑り落ちていく感覚。

 レッドベリアルの陰から飛びだしてきた小さなシルエット――沙夜がミィオの首根っこに飛び付いていた。フードがはだけて膝折り、その場にくずおれるミィオ。

 沙夜がミィオを庇ったのだと認識できたのは、その先のコンマ一秒先の時間軸で。沙夜の背から引き抜かれた刃が、スポットライトを反射する。宙を跳ねる紅の鮮血。血染めのワンピース姿の沙夜。にわかには理解できないという表情のミィオが、自分に覆い被さる沙夜を抱き起こし引き剥がそうとする。異種族イミュートの喉が奏でる、耳を塞ぎたくなるほどの悲鳴。

 こんな現実認めるもんか、せめて五秒前の沙夜におれの手が届いていれば――――


「我、処女血のアリスヴラッドアリスとの血ぎりを今ここに。汝こそ我が絆騎士きずなきし。我が物語キズナで煌めき放て」


 ――キミのうちなる想いに、肉体が遅れて追従を開始する。キミを壊してしまいそうなあの悲しみの傷口を、もうこれ以上広げてしまわないために。強さを――もっとキミに強さを!


「沙夜ッ――――――――――!!」


 刹那の絆騎士化を遂げたキミは――光の剣を右手に、まだ現実を認識できていない三純慧が銃口を向ける前に傍らを駆け抜ける。風精霊の加護すらも超えた、疾駆の空間移動。

 二歩目で、横たわる沙夜達の元へと辿り着く。手を差し伸べようと――キミの大切な沙夜の手を掴み取ろうとして、振り払われた新たな刃に阻止される。


「なんだてめえはッ――!」


 キミの前に踊り出でたのは、新たな〝敵〟だ。もはやこれがぼく達の敵でないはずがない。

 夜闇に同化しそうな、漆黒の魔術装束を纏うもの。その奥より覗く、絡繰り仕掛けの関節を持つ細腕。暗器の刃は、奇妙に長く生え揃った爪そのもだった。

 能面めいた顔つきをした魔道人形。こいつはタクトと出会ったあの日、竜姫であるぼくを亡き者にしようと枢機卿院が送り込んできたあの妖精人形マータクルスだ。


「―――しっかりしろ沙夜ッ! 邪魔すんなてめえ、そこをどきやがれッ!!」


 斬り結ばれる騎士剣と刃。火花を散らし、絆騎士と妖精人形が闇の傘下に拮抗する。


「早くしねえと――ラキエスッ! 沙夜が――」


「――――救護班、早くッ!」


 カザネの指示で、背後に控えていた治癒術の者達が前方へと出る。だが、拮抗するキミ達に阻まれ、血の海に伏せた沙夜の元に彼らが辿り着くことはかなわない。

 混戦状態に陥ったキミに、三純慧が向けた銃口が定まらない。がたがたと震える指先。相棒の裏切りと、手傷を負ったあの姿に動揺しているのか。

 躊躇ったぼくより早く、カザネの傍らからフラウリッカが――精霊の追い風を受け、瞬時に敵前へと躍り出た。新たな道筋を切り開くべく。


「おのれっ――子どもを背から切り捨てるなど――――外道悪鬼がヒトの仮面を被るかっ!」


 いきり立つ女騎士が、キミに変わり妖精人形の刃を捉える。一旦は妖精人形から解放されたキミは、瞬時に体勢を立て直し、二対一の優勢にて敵を迎え撃つ――そのはずだった。

 だが、全てがあだになった。

 妖精人形のローブ袖が奇妙に伸びすさんだかと思えば、一振りの大剣が取り出された。


「なっ――なんなのあの剣……枢機卿院のやつら、また新たな武器をこっちに持ちこんだの?!」


 セメタが保有する聖剣・魔剣の類は、いずれも神秘の加護を宿した正真正銘の宝器ばかり。

 あり得なかった。枢機卿院は貴重な宝器を失ってでも、ぼくという竜姫を葬り去りたいことを意味するからだ。

 あんなものに敵うはずがない――と、心の奥底に諦めがあったかもしれなかった。

 妖精人形が振るった聖剣――それを受けたフラウリッカのインガライト剣が砕け、宙に弾き飛ばされる。その脇を奇襲的に掻い潜ったキミの二太刀目も、加護を秘めた聖剣が、発生した不可視の刃で受け流していた。

 重心をずらされて前のめりに崩れたキミの腹部に、妖精人形から予想外の蹴りが叩き込まれる。うずくまっていたミィオを巻き添えに、両者ともにぼくの方へと吹き飛ばされてきた。


「がっ……こいつ――ラゴン……スレイヤーか……なんなんだ、今の反応っ……」


 キミはあの剣の名を知っていた!? 地べたに転がり、呻き声を上げるだけでも必死になるキミ。切れた唇に血が滲み、呼吸を整える余裕もない。ミィオの方も、庇った沙夜もろともに貫いた刃を脇腹に受け、同じ血の赤が、押さえ込もうとする手のひらを染め上げていく。躊躇いがちに治癒術士達が、両者の元へと駆け出していった。

 もはや言葉を発しなくなった沙夜の前に、闇色の妖精人形が立ち塞がっている。


「――――かの烏丸の娘ともあろうお方が、向こう見ずをしましたね」


 凛と張り詰めた、女の声があたりに響き渡った。妖精人形が発した声――?

 ぼくの耳にもその足音が聞こえた。この世界の女達が好む、ハイヒールに似た靴音。


「危ういところでありましたが、先ほど治癒術を施しました。現世界の医療技術ならば助かる命です。ただ、その前に話をせねばならぬものがここにはおりますので…………傷口が痛むでしょうが、しばし付き合ってもらいましょう」


 妖精人形の背後――暗がりから現れたのは、真逆の白装束を纏う、背の高い女。その足もとの血溜まりに横たわったままの沙夜が淡い光を帯びていて、短く呻いたように見えた。


「……さて、かような形で貴方と再会することになりますとは、我らがルメス=サイオン。私とて、久方ぶりに感情が揺さぶられましたよ」


 やはり、ぼくはこの女を知っている。顔も名も知っている。セメタの暗部を形づくってきた、枢機卿院の一部。


「妖精人形を操っていたのは、やはり聖堂魔術師か。では、汝がそうなのだな――探したぞ、セメタの聖堂魔術師……アールビィよ」


 この女が竜姫との接触を望んだ理由をぼくは知っている。未来が視えなくなってもなお、この者達が何故にここでぼくに立ち塞がるのか、手に取るように想像できる。


「お初にお目にかかります、偉大なる当代ルメス=サイオン。我が名はアールビィ。仰せのとおり、先代ルメス=サイオンに仕えし聖堂魔術師にございます」


 セメタの宗教儀礼に則った御辞儀を披露する、聖堂魔術師アールビィ。

 ぼくと同じ紫銀の髪をなびかせ、同じ瑠璃の目で見透かすかのようにぼくを射止めてくる。その目を見て、この女はセメタの象徴たる竜姫への畏怖など微塵にも持たない、おおよそ忠義とは無縁な人物であることを本能的に理解する。こいつは紛うことなき枢機卿院側の人間だ。


「正確には、元・聖堂魔術師と名乗った方がよろしかったでしょうか。現世界へと渡った私は、このマルクトルの秩序と安寧を保つべくSEDOに手を貸している立場でしてね。故に、貴方とも相まみえるべきでしたが、かような機会での再会になろうとは因果なこと」


「――ほう、枢機卿院のイヌ風情が、飼い主を捨てて、また新しい飼い主を得たということか」


 そのように自ら素性を明かしてくれたおかげで、ひとつ合点が行った。アールビィの行方など知らないと言い張ってきた、SEDOの大嘘を。


「アールビィと言ったな。確かに我と似たルメスの面影を持っているようだ。それに聖堂魔術師にしては、ずいぶんと若い」


 この女はぼくに似ている。同じルメス族ならば別段不思議じゃない。ただ、いつだったかあの侍女がぼくに託した秘密を思い出す。


「我は汝に――いや、竜姫ごっこはもういっか。〈因果確定〉。ぼくはあなたに魔法を解いてもらわなきゃいけないんだ。だから逃がさないよ。あなたには誰も傷つけさせないし、連鎖する負の因果はここで終わりにする!」


 母親という未知の存在に、ぼくは光を見ていたわけじゃない。

 でも、ついに見つけたんだ。ぼくはついに、この場面にたどり着けた。


「――貴方にかけた魔法、ですって? 誰に吹き込まれたのかは知りませんが、実に愚かなこと。そのように悪魔の類に縋るしかなかった惨めな存在なのに……そんなことがセメタに伝われば、貴方は本物の悪魔としてニルヴァータ全土を混沌に陥れることでしょう」


 その哀れむような目つきと言葉に、血が湧き起こる感覚がした。


「惨めでも、格好悪くても、ぼくは罪深いまま生きてやるんだ! 都合のいい道具扱いされたまま使い捨てられてなんてやんない。この運命に抗うためなら、ぼくはどんな力だって使う」


 母親に会って、自分を認められたかったわけじゃない。魔法が解けなくたっていい。あと何日か経ってもう生きられないのだとしても、最後までぼくは――


「誰が嗤おうと、最後までみっともなく生き延びてやる……絶対に未来を掴み取ってやるッ!!」


 ぼくは一分一秒、最期の刻まで迷うことなく戦うって決めたんだ。


「先代までの竜姫はどなたもご立派な最期でしたのに、貴方のその決意はセメタの歴史への裏切りそのもの。貴方のようにとても強い力を持った存在は、いつだって世界の均衡を危うくする――どれほどの無謬の民が犠牲になるとお思いか? この世界がこれまでに培ってきた安寧を乱し、そればかりかニルヴァータをも戦乱の炎へと追いやると何故思い至らぬか」


 彼女が何に憤り、何を訴えようとしているのか理解できなくて、ぼくも耳を貸してあげない。

 アールビィは優雅に歩を進め、微動だにしない妖精人形の傍らに寄り添う。


「この世界において異世界転生者が禁忌であることを、きっと貴方も学んできたでしょう。その中でもっとも禁じられるべき存在こそがルメス=サイオン――つまり貴方だ。いかに小娘の見てくれをしていようと、我々SEDOは貴方一人を人類の命運と天秤にかけるつもりはない」


 ――と、眼前に掲げたままだった聖剣に指を這わせて、そう言葉を継いだ。


「ゆえに、何も知らぬままここで役割を遂げてもらおう。ルメス=サイオンとはあどけなき器。それが大人になろうなどと、世界破局の道でしかない」


 この女は、果たして何をぼくから引き出そうとしているのか。耳に届く言葉全てが、ぼくに死ねと言っている。あのとき母親だというメッセージが残された意味はなんだったのだろう。ぼくにかけた魔法を解く? どうしてなの、という疑問だけが思考の坩堝を巡り続けている。


「さあ、次代ルメス=サイオンに貴方の役割を受け継ぐため、最期の儀式を始めましょう――」


 アールビィが、そっと背を押すように妖精人形に触れた。


「――本当なら貴方は愛らしく無垢な子どものまま、貴方を終えるべきだったのにね……」


 何を言って――――どうしてそんな苦しげな声をぼくに――――――………………?

 刹那に――痛覚が消し飛ぶかの衝撃が奔って。

 この暖かいものは、自分の血だ。右腕が付け根から消し飛んでいて、切断部から白い骨すら覗いていたのを目の当たりにした途端に――


「――――っ………………っが…………あ…………ぁぁ…………ッ!?」


 ――おれの意思が一時の幻想から呼び覚まされた。

 気付くと、現実に覚めて解けかかる絆騎士の力で、あの妖精人形のドラゴンスレイヤーがラキエスの首をはねてしまわないよう、すんでのところで受け止めているおれがいた。

 どうしてこの瞬間まで、おれの意識が定まらなかったのかわからない。さっきまで一体何が起こってた? ラキエスの心の中におれが居なかったのか?


「退け、ラキエスッ! ――――――はやくッ!!」


 じりじりと迫る切っ先。ラキエスの喉頸へと、それが躊躇うことなくにじり寄っていく。


「立てラキエス――――頼むから立って、走れッ!!」


 こんなにも怯えたラキエスを見るのは初めてで。それが片腕を失った苦痛によるものだったとしても、悪魔などと形容された不死者がする表情には到底思えなくて。

 絆の糸がふつふつと途切れていく。ラキエスがもたらした幻想の剣が維持できなくなる。


「しっかりしろ! おれを戦わせてくれ! まだきみの物語の主人公でいさせてくれッ!!」


 失われていく強さ。夢から覚めるように、ただの人間である藤見タクトをヒーローに変えてくれたあの気持ちが、ラキエスから忘れ去られていくかのような感覚に襲われて。

 でも、おれは――彼女の騎士である前に異世界交渉士だ。その気持ちを奮い立たせ、あらんばかりの声を張り上げて宣告する。


「アールビィっ――マルクトルの秩序がどうとか言うんなら、おれは全力であんたを止める」


 認めてやるもんか。小さかったおれを抱き上げて、あの地獄から助け出してくれた女性。それが今度は目の前でもう一人の子どもの命を奪おうとしている。

 ラキエス抜きの戦闘でなら勝ち目はない。でも交渉士としてのおれなら別だ。


「おれはラキエスを守る。死なせない。なんなら、そのためにこの命だって捨ててやる! いいだろ、自己犠牲の博愛精神ってやつ。それに口だけは強がってるあんたがおれにとどめを刺せないことくらい、零番島ん時にもうバレちまってんだけどな!」


 ミィオを庇ったおれが無傷で帰ってこられたんだ。秩序の番人を宣う彼女が、現世界人を殺めるなんて真似には抵抗があるはず――そこに必ず躊躇いが生まれる。


「ふ、本当に馬鹿な少年ね……タクト君。私はね、その子の最期を貴方に見せたくなかったの。貴方にそんな結末を見せるくらいなら、世界中から嫌われてでもこの私は――――」


 おれの叫びは、何一つあのひとに届かなかった――のだろうか。

 でも、こんな時なのに、おれは懐かしい光を見た。

 最初は、鼓膜をかすかに振るわせるような振動を感じて。肉薄する妖精人形もさすがにそれを察知して、ドラゴンスレイヤーに込められた力に別の意思が介入する。

 発生源は、おれの胸にあった沙夜のペンダントだ。ガラスに封じられた、インガライトの輝きが徐々に強さを増していく。

 その瞬間、何が起きたのかようやく気付いた。おれではなく、これをやったのは沙夜だ。


「――させ……ない。わたしの……タクトを…………絶対……に……奪わせ……ないッ」


 血だまりに上体を起こしていた沙夜。あまりに悲壮な姿に変わり果てた沙夜の手には、おれのと同じペンダントが同じ閃光を放っていて――


「ちゃん……と生きて、お願い……ね、タクト――――――」


 ああ、こんな時なのに、どうしてお前はそんな顔をするんだ。

 アールビィを、妖精人形を、そして沙夜やおれ達を――すべてを真っさらに塗りつぶそうとするインガライト光が、限界までホワイトアウトした果ての、白一色の閃光。

 相転移炉が――あの怪獣の卵が、小さいころに聞いたのとそっくりの産声を轟かせて。

 世界境が、強制的に開かれた。

 そのさなかにいて、薄汚れた沙夜の顔に、これまでおれには一度も見せてくれたことがなかった、演技抜きの微笑みをほころばせて――

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