i5-4
自分がさっきまで眠っていたってわかったのは、タイヤが奏でる断続的ビートが打撲傷に響いていたせい。
きっと本島への帰投途中なのだろう。赤らんだ夕焼けが闇に溶け込んでいく直前の風景。
おれがいたのは見慣れた移動車両の後部座席で、悪夢から覚めた気分だったのに、涙と鼻水で顔面をぐしゃぐしゃにしたラキエスが飛びこんできたおかげでいっきに吹っ飛んでしまう。
「………………ら…………らくろぉ………………よがっらぁ…………」
このタイミングでドライバーが急ブレーキを踏んだらしく、足場を失ったラキエスの顔面が突っこんできて、おれは間一髪のところで両ツノを引っ掴んでこっちにも急ブレーキをかける。
「あ――っぶねえって……おれ、怪我人だし…………まだアタマ回んね――――んぐゅっ」
言い終える間に問答無用で口を塞がれてしまい、そのままラキエスにしがみ付かれ、ヤバい態勢のまま跨がられてしまう。突き立てられた牙に一瞬で目を覚まされて、この子の肩越しに覗き込んでいたカザネさん達のドン引き顔になんて釈明すべきかが目下の課題点。
ラキエスに吸われながら、すっ飛ばされていた記憶を辿る。アールビィの話なんて今ここでできるわけない。あのドラゴンスレイヤーや、研究局長の件もか。ミィオだって――
「――――んぐ……そうだ、ミィオはどうなった?!」
無理やりラキエスを引っぺがしてカザネさんに問えば、
「そ……それがね、気絶したタッくんを運んで来てくれて、それから先に戻らないとって……」
「ミィオ、無事だったんすね! ――はぁ……マジでよかった。おれがあそこでヘマしたせいで、あの子を危険な目に遭わせちまったから……」
心の底から安堵した。最悪の中の最悪が積み重なる体験をしたおれは、あの最悪な場面でバッドエンドをなんと回避できたんだって考えたらちょっと涙まで出てきそうで。視界を邪魔するラキエスのジト目がなんか刺さるけど、犠牲なしで戻ってこられたんだ。喜ばなきゃ嘘だ。
「……タクトはぼくの忠告を押して無茶したんだよね? ううん、タクトが決めたことだから、別に怒ってないんだ。でもさ、納得できる未来が掴み取れたの?」
血の味を飲み下し、ラキエスには隣に座ってもらうと、言葉を交わす代わりに手を握ってやる。それだけで安心できたのだろう、彼女はひとまずおとなしくしてくれた。
そうしてフロントガラス越しに近付く景色が夕焼けじゃなかったって気づいて、絶句するおれ。月夜を覆い隠すほど赤らんだ空は、これから向かう本島の街が燃えている色だったからだ。
「タクトくん、みんなから連絡したとおりです。以前から警戒されていた
カザネさんが事務的な口調で、この状況を整理して伝えてくれる。
本島にそびえ立つ多層建築と首長竜めいた巨大クレーン群のシルエットを浮かび上がらせている、赤黒い炎のヴェール。
「ひどすぎる…………でもまだニュースとかでさ――――あれ……なんで見えねえんだろ」
網膜下端末で状況確認しようとして、なのに何故なのか端末ごと死んだみたいに反応しない。
「情報局が現在、サーバーを強制停止しています。同組織からハッキング攻撃を受けた網膜下端末から、健康被害のある電子ドラッグがばら撒かれました。マルクトル住民への被害拡大を阻止するためには、強引だけどそうするしかなかったみたい」
マルクトル本島行きの連絡道はなけなしの灯りを道標に掲げているだけで、周囲は完ぺきな闇だ。赤く焼けた本島から視線を背けると、サイドウィンドウ越しに別の光源が見えた。無数の船舶。船首を向けているのは本島側で、どう見ても貨物船のシルエットじゃない。
「……外国の軍艦が来てやがる。まったく國弘のおっさん、どこで外交交渉してたんだよ……」
それに上空に視線を凝らせば、飛び交うヘリやドローンが夜間灯の軌跡から確認できる。あらゆるメディアがマルクトルをつるし上げる光景が、ありありと浮かんできた。
「テロって報じられてるけど、彼ら組織は何か達成目的があって暴動を起こしたんじゃないというのが保安局側の見解ね。でも火災や略奪、多数の負傷者が出ています。それに現世界人と転生者の衝突も。とにかく私達はいったん七番島の保護局本部へ戻ります。いいわね、タッくん?」
カザネさんからの的確な報告。自分に何かできる状況じゃないってことだけは理解できる。転生者に関わる事件なのに、暴動を起こしているのが現世界人側なら保安局の管轄だから。
「ラキエス。あのさ、おれ…………………………話したいことあったんだけど……」
母親が暗殺計画の黒幕だったこと。セメタの魔剣まで手に入れたこと。マルクトルがあんな状況なんだ。いま伝えなないと、もう二度と機会を失うんじゃないかって妙な焦りがあって。
助手席のフラウは終始無言で、ただ前方に近付く火災に焼けた空を睨んでいた。その手にはあの西洋剣が握りしめられている。ラキエスと繋がれた手のひらが汗ばんできた気がした。
耳障りなアラート音が鳴り響いたのは、直後のことだ
「わわっ…………あのあのっ、タタタタクトさん、これ、これこれこれ取ってくださいっ」
車載電話の着信だったらしく、慌てふためいたフラウがこっちに受話器を放り投げてくる。
「――ああ、室長。藤見含め四名、現在帰島中です。本部は無事で――えっ、いま何って……」
スピーカーのノイズが酷い。なのに、エリアス室長が伝えてきた言葉のせいで、おれの鼓膜が何も音を通さなくなった気がした。
「どうしたのタクト。あっちで何かあったの?」
ラキエスが不安げに指先を絡めてきて、でもそれにもうまく応えてやれなくて。
胸のペンダントをぎゅっと握りしめて、茫然とただ祈ることしかできなくて。
「……さ………………沙夜が」
沙夜が、どうしたって?
おれ、よっぽどみっともない顔でもしていたんだろうか。ラキエスがおれの腕を抱きしめてくれていて、肌の温もりが伝わってきたおかげで詰まっていた言葉をようやく吐きだせた。
「…………沙夜が、連れ去られた……って………………意味、わかんね………………」
まだ何一つわからないままなのに、このまま泣いてしまいそうな気持ちになった。
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