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そうして少しずつ背が伸びた我は、やがて未来に絶望した。
「――もうお部屋にお戻りください! 危ないから早くそんな場所から下りてきてっ――」
我の侍女の中で唯一生意気を言ってくれるノッテが、生意気にも我にそう指図してくる。
「……やじゃ。もうあそこには戻りとうない」
聖堂を出ることも許されなかった我が、唯一出られる外の世界こそが聖堂の釣鐘塔だ。
石造りのアーチから身を乗り出すと、眼下に聖堂の屋根が映る。寝間着が風にはためいて、それすら鬱陶しい。目を刺す日差しがまぶしい。日々を生きるのと同じくらい億劫な光だ。
「我は何もかも疲れておる。どうせもう長くない人生なのじゃ。ならばこのまま屋根に叩きつけられて死ぬ最期も悪くない。どうせ己の最期など兆しにも出てこんのじゃ…………」
本気でこのまま飛び降りてしまおうか。痛みが一瞬なら、死に方なんてなんだっていい。
「クソガキのくせに死ぬとか言うな、この阿呆――――――っ!」
「――あっ、いった!」
ノッテが無礼すぎる金切り声を上げたかと思えば、いきなり顔面を衝撃と激痛が襲って、我自身が吹っ飛ばされて壁にお尻まで打ちつけてしまう。
いつの間にか尻餅をついた我の股ぐらにぼたぼたと…………ん、鼻血と……これは石つぶて?
「ごにょ…………いだい………………よぐもわれに石ごろぶつけだなっ!」
血を見た途端、涙が止まらなくなってやつを睨みつけてやれば、ノッテが肩で息をしながら二発目の石つぶて――ではなく屋根から引きはがした瓦を振りかぶっているではないか。他と変わらぬ顔無しの白装束姿でも、やつの尋常ではない怒りをその奥底から感じてしまう。
「待て、そんなのさすがに我、死んじゃうっ! 我、そんなくたばり方しとうないぞノッテよ! というか汝は侍女の分際でどういう怪力の持ち主なのじゃっ、そこから我に当てるか!!」
涙目で怒鳴り返してやれば、遠投した瓦が塔の釣鐘に命中し、ごいんと鈍い金属音を立てる。それに耳を塞いでる間にノッテのやつ、眼下の屋根をガチャガチャと駆けながら、こちらの釣鐘塔へと迫り来ていた。
遂に塔へとしがみ付くとノッテは、
「……追い詰めましたよルメス=サイオン。さあ、まだ目撃者はおりません。枢機卿院の方々の目に止まる前にお部屋までお戻りくださいませ!」
「見るのじゃこの血をっ。汝のせいであのジジイどもの目に余計に止まるわっ!」
痛い。こんな怪我をしたのも初めてだったし、誰かに怪我をさせられるなんてのも初めてだ。こんな時どうしたらいいのだろう。仕返ししてやればいいのか? 涙が止まらなくなってきた。
普段はこんな文句も出ない清らかな自分だったはずが、この侍女にだけはいつも調子を狂わされてきた。そういえば言葉を声に出して会話する唯一の相手だったし、夢の中以外で名前を覚えた初めての相手がこのノッテだった気がした。
「いいですか、その痛みをちゃんと覚えておきなさいルメス=サイオン。セメタを背負うお立場よりも、まず自分の命を軽んじないで。死にたいだなんて金輪際口にしないで」
息を枯らしながら、侍女ふぜいにもっともらしい言葉を投げかけられて。
「――なんならこのノッテを恨みなさい。その悔しさを糧にして、あんたは明日も明後日も生きのびるのっ!」
自分を指して訴えてくる。顔も見せてくれないくせに、彼女まで泣いているように聞こえた。
ノッテの気持ちなんてわからなかった。でも、遠くから瓦を踏みならす音が聞こえてきて。
あの姿は聖堂仕えの騎士達だ。屋根から転げ落ちそうになりながら必死で駆け寄ってくると、ノッテの首根っこを槍で抑え付け、跪かせてしまう。竜姫を傷つけ、逆らった者の末路だ。
「…………で、本日もこのノッテめが無様に、醜く、セメタ一の笑い話として永遠に語り継がれるような最期を遂げる〝兆し〟を視ることは叶いませんでしたか?」
騎士達に拘束されながらも、まだそう吐き捨てる。我を恨んでいるという声色ではなかった。
そのような言葉をノッテは幾度となく口にして、それが皮肉――いつだったか言ってやった「そのうちノッテがくたばる未来を視てやる」という悪口へのしっぺ返しのつもりなのだと、我もなんとなく理解できるようになっていた。
「――誰が汝の最期なんぞ視てやるものか。我が視る未来はな、我がセメタの命運に関わる、とても大切で重要な未来だけなのじゃ。汝ごとき平民がそのような命運に関わるはずなかろう。安心して子を産み、いつか老婆として朽ち果てていくがよい」
痛みはまだ消えていなかったけれど、ノッテがこのまま罰を受けるべきとは思わなかった。
そのあとしばらくして、聖堂仕えの侍女達が何人も消えて軒並み入れ替わることになった。いなくなった多くは名も知らぬもの達だったけれど、ノッテは永遠に戻らなかった。
みな処刑されたのだろうか。理由は明かされなかったし、こうなる未来は視えなかった。
ノッテの未来が視えなかったのも、セメタにとって重要ではないからに違いなかった。
でも何故だかひとり取り残された気分になって――竜姫を取りまくもの達がみな顔無しで名無しで声無しなのも、きっと竜姫を寂しくさせない計らいなのだと自分を納得させた。
ノッテのように愉快で愚かな侍女が配属されること自体は、それほど珍しくはなかった。聖堂仕えであっても所詮は人間だから、世間知らずな小娘に情が湧けば隙だって生まれる。
ただ一つだけ、ノッテだけは思いもよらない置き土産を残していった。我に傷跡を残して消えた彼女が、ふたりだけの秘密の部屋に残していった、こんなメッセージ。
〝貴方の秘密の名前はラキエス。このままそこで死を選ぶくらいなら、〈冥界の門〉を渡った貴方の母親、アールビィ・シャルトプリムを見つけなさい。そしてアールビィに秘密の名前を伝え、かけられた魔法を解いてもらえるようお願いしなさい――貴方のノッテ・コルヴォ〟
こともあろうに大人達を欺き、この聖堂から抜け出す段取りまで克明に記されていた。完全に共犯者だ。秘密の部屋には、これからの大冒険に必要な道具まで用意されていたのだから。
起き抜けの日差しは嫌いだったけれど、今ならその先に目が覚めるような光が見えた。
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