Interlude - 2

 自分が夢を見ていることだけはわかった。ただ自分が何者かはぼんやりとしていた。

 馬蹄型アーチで繋がれた真っ白な回廊が続いている。自分の両脇には、この真っ白な景観に溶け込んでしまいそうな白装束の大人達。自分には顔を見せることを禁じられた大人達。

 どこかへと向かうために、彼らに連れられていく。アーチの外に広がる景色は、幾重もの幕壁と鐘塔。それらを越えた先に、巨万の建造物を抱えたセメタ聖堂教国の街並みが見えた。

 そうか、ここはセメタだ。自分はセメタの宗教施設である〈聖堂〉へと向かっている。

 使いの白装束達に促され、再び歩を進める。ふと衣擦れの音が聞こえて、己が肌をなめらかに滑る真っ赤なヴェールが、さながら血のように自身を覆っていることに気付く。

 重たく口を開けたセメタの聖堂が目の前にある。白装束達によって開かれた扉。

 聖堂内部は、天井まで伸びる中央の大時計に、子どもひとり腰かけられるくらいの小さな椅子がひとつだけ。後はおびただしい数のランプに照らし出されている、がらんどうのドーム。

 思い出した。八つになったころ、セメタの〈聖堂〉とは竜姫と崇められてきた存在――つまり〝われ〟がいてこそ成り立つのだという理解に行き着いた。〈聖堂〉に封じられた神話の竜の力を使い、未来を予言することができる巫女は〝われ〟ひとりしかいないからだ。

 聖堂内には、玉座に腰かける〝われ〟と、自分を取り巻く四人の大人達がいた。大人達はみな必ず白装束で、背丈が〝われ〟よりうんと高いからそう思えただけで、どんな顔なのかもわからず、果たして女性か男性かも知らなかった。何故なら大人達は皆、〝われ〟との対話に声ではなく文字を使ったため、せいぜい咳払いで女だと判別するくらいしかできなかったからだ。


『本日もご機嫌麗しゅう。セメタ唯一の希望にして至宝、我らがルメス=サイオン――』


『本日のお役目の刻にございます。新しい〝兆しの言葉〟を、これに――』


 大人達が操る魔法の光が、〝われ〟の前で文字になり、文章となってそんな意味を成した。

 そうして大人から差し出された、一枚の獣皮紙と朱の筆。〝われ〟はそれを受け取ると、まだ足が付かない玉座から飛び降りて、地べたに屈み込み紙を置く。いい加減手慣れたもので、インク壺に筆先を浸すと、ザラついた紙面にはまず最初に自分の名を走り書きした。

 ルメス=サイオン。名も無き竜姫でしかない〝われ〟を、聖堂の大人達だけはそう呼んだ。

 生まれながらに親もいなければ誰かから知識を得る機会もなかった〝われ〟は、それでも自然と生きる術を学んでいった。眠れば見ることができる〝夢〟がぜんぶ教えてくれたからだ。


「…………きょうは、われはことばにしにくい夢をみたぞ。あれはなんという? われがよんだことがあるご本にはかかれておらぬものじゃった。なんじはなにかしっておるか?」


『さあ、お役目を。セメタを導く新しい〝兆しの言葉〟を、これに』


 獣皮紙を届けてくれた大人は、〝われ〟の問いかけにも決して応えなかった。

 竜姫が他人と接したり親しくすることは、〝兆し〟を歪める要因になる。そういう決まりがあると知ったのは、もう少し背が高くなってからのことだった。

 砂粒一つ落ちていない床に仰向けに寝そべると、大の字になって瞼を閉じ、深呼吸を一度。そういえば目が覚める前にどんな夢を見ただろうと、記憶を辿って思い返す。


「――うーん、けさの〝兆し〟は、よくないことがおきるほうのやつじゃ。それはあしたか、ずっとあとか。まっ赤な光が、セメタの聖堂をこわすぞ。……こんなかんじでよいのか?」


『日にちと時刻を正確にさせたくございます。――太陽の加減はいかほどでしたか?』


『真っ赤な光とは――燃え盛る炎なのか、魔法の光なのか、あるいは紅い宝石の――』


『何者がセメタへと攻め入るのかこそ、知るべき兆しにございます。どうか咎人の名も――』


『昨日のように、〝兆しの言葉〟にお戯れを織り込んでしまわれなきよう、なにとぞ――』


 視界が大人達の魔法文字で埋め尽くされて、いい加減うんざりとさせられて。

 この鳥かごのような場所に押し込められてきた〝われ〟は、それでも、それなりに幸せだったのだと思う。何故かって、一日に一度、眠る間に視ることができる〝兆し〟――つまり未来の出来事が視える夢の中でだけ、誰よりも自由という翼で羽ばたけたのだから。

 ある時は、〝われ〟をこき使う枢機卿院の老人どもを出し抜いて、翼竜の一大軍勢を呼び寄せてセメタを滅茶苦茶に爆破してやった。そのことを翌朝に伝えたところ、老人どもがセメタを糾弾してきた隣国カスカトリアを攻め滅ぼす決断をしてしまった。

 ある時は、老人どもで一番偉そうなじじいが辺境土産のムギ餅を喉に詰まらせてのたうち回る様を見届けた。おかしくて転げ回ったけど、お陰で密偵による毒殺が阻止されたという。

 ある時は、言葉のわからない国の男の子が〝われ〟を聖堂から連れ出してくれて、世界中を冒険した。

 海が見える小さな街で、彼とともに〝われ〟は大人になっていく。

 はやくおとなになれたらなあ。

 でも、夢はいつだって必ず終わりを遂げるものだ。

 そのうち男の子の夢なんて見なくてもよくなった。

 だって〝われ〟は永遠だから恋をする必要がないのだし、大人になる必要もないのだから。

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