i4 最果ての、海が見える町で

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 狭苦しいエレベーターから解放された先のフロアは、強い潮のにおいで満たされていた。

 支脚で海底に固定されたマルクトル各プラットフォームは、なけなしの領土から居住スペースを捻出するために多層構造となっている。転生者保護局のある七番島、第一層から管理者用エレベーターで終着点まで下った先にあるのがこのフロアだ。

 このフロアは階層の狭間にある整備区画で、外壁がないため吹きさらしの潮風と波の音で満たされていた。今日は比較的穏やかだけど、ひとたび天候が崩れれば出歩くにもヘルメットとライフジャケット、ハーネスくらいは必須となる。

 さながら甲板デッキを思わせる通路を、段ボール箱を積んだ台車を押して進む。通路には救命ボートなんが無造作に並べられたまま。どう見ても一般人が立ち寄る区画ではなかった。

 通路をしばらく進むと、フロア内に忽然と現れたのはあばら屋だ。きらめく水平線を遠景にすれば、あまりに場違いすぎるこの佇まい。

 さて、こんな場所が転生者保護局の第二女子寮だったなんて。カザネさんとフラウリッカが寄宿している第一女子寮の予備としてドワーフ労働者達の手で急造されたらしく、こんな過酷極まりないフロアにこのとおりの仕上がりで放置されている。今や寄宿者も寮監も不在らしい。

 おれには廃コンテナが積まれているだけにしか見えないけど、確かに小窓が開けられているし、階段や梯子まで取りつけられていて、玄関らしき場所はカーテンで覆われている。

 玄関まで台車を運び二階側を見上げてみると、全開の勝手口から素足をぷらぷらとさせている唯一の住人。第二女子寮はとにかく劣悪環境だから、ああして風を循環させるしかない。


「――おおいラキエス、お望みの品を持ってきて差し上げたぞ」


 一応は女子寮なので一声かけると、ラキエスがバタ足で応じてくれた。

 段ボール箱を抱えて寮内に入り、狭すぎる廊下を抜けてなんとか二〇一号室へと辿り着く。

 引き戸の前に荷物を下ろすと、どたどたと足音が近付いてきて、


「――おいっす! タクトおっそい。ヒマすぎてココ探検しよっかなって思ったとこだった」


 タンクトップに下着丸出しというラキエスが招き入れてくれた。


「あ、ああ、ゴメン。いま荷物入れるから。っと……さすがに箱ごとだと入口、通んねえな」


 そんなあられもないラキエスの姿に、おれは特に指摘も説教もせずにやり過ごすことに決めた。異性とはいえ文化圏が違うし、こっちの道徳観念をあれこれするのは、まあそのうち。


「…………まあ、パンツなんてただの支給品だしな」


 事細かに情景描写するようなエロスのある造形じゃない。っていうかクソガキのくせに脱ぐとなんで妙に女性っぽい肉付きしてんだよコイツは。


「おい。キミ誰としゃべってんの。まさかアレ? 離れた仲間と念話ができるっていう例の魔術機械? ぼくの分も持ってきてくれたんだよねっ!」


 それが携帯端末のことを指してるのはわかったけど、その前に心の声が出ていた。

 支給されたネックレス型の携帯端末を、箱から取り出して手渡してやる。ヘッドセットも。ラキエスの好奇心がそっちに移ってくれて、不毛な情動からようやく解放されるおれだった。


「そいつの使い方はあとで教えるから。他の荷物の仕分けはきみに任せるけど、いいか?」


 返事代わりに睨み返されてしまった。半目のラキエス、まるで不機嫌な猫みたい。


「キミさ、そう言ってまたぼくをここに閉じ込めたままにして帰っちゃう気?」


「ちょっ、袖引っ張んなって。さすがにまだ帰らねえけど、今日はあくまで仕事で来たんだよ」


 第二女子寮を訪問したのは、オーバーロード級の監視対象者、ラキエス・シャルトプリムの世話係を押し付けられたからだ。まあ、気位の高い彼女はおれ以外お断りだから仕方ない。

 ようやく明るい表情をしてくれるようになったラキエスが、好奇心しかなさそうな顔をぐっと寄せてくる。あんがい背が低いから目線が遠いせいで、何か訴えたいときは背伸びに必死だ。

 十四歳というには大人びた顔だち。鮮烈な髪色や瞳に見惚れそうになっても、巻き角にとんがり耳、はにかむとチラ見えする獰猛そうな牙が、ヴラッドアリスっていうこの子の固有属性を忘れさせてくれない。そういえば小悪魔的なんて慣用表現があったっけ。


「ラキエスにめっちゃ言いたいことある、って話したろ? 話相手にはなってやるけど、ちょっと居心地が悪いっていうか。女子寮なんて入ったことねえし」


 女子寮に居づらいこの気持ちを、異世界人に理解させられるわけもなく。


「ええー、なんで目線そらすの。なんか隠し事してる? さては、あのサヤってちびっ子にまたなんか吹き込まれた? キミの側室は小っちゃいくせに気位高いからなあ」


 などと、他人事みたいな顔をして、悪びれなく沙夜の話題を口にしてしまえる。


「沙夜はそういうんじゃねえよ。それに、〝側室〟って言うならあいつの方が〝正妻〟だっての。それも沙夜の親が勝手に決めた話だかんな。おれらが小さいころだったし」


 あいつとの関係については、他人には家族とか妹って伝えないと誤解を招くから。あいつの出自を知ってるのはおれ達ふたりと國弘総帥、ニーナ研究局長だけだし。

 沙夜が婚約者(自称)って知っても、ラキエスの態度は変わらなかった。今だってにこやかな表情のまま、嫉妬心とは無縁の足取りでおれに付いてくる。にこにこと愉快そうで何よりだが、自分で荷物を運んでくれる気はないらしい。こういうとこは犬っぽいな。

 たった三帖しかない室内は薄暗くて、小ぶりな冷蔵庫と敷きっぱなしの布団だけで占められていた。脱ぎ散らかされたジャージ。場違いな彼女以外は、どこか見慣れた絵面。窓越しに見える海がやけに眩しい。嗅ぎ慣れてきた汗のにおい。だったらあのキスはなんだったんだろう。


「ラキエスが協力的で助かってる。でもさ、自由を奪ったおれ達を恨んだりしてないのか? その気になれば逃げ出せたよな。なんで昨夜一晩、ここで大人しくしててくれたんだよ」


 ここはあの保護房みたいにインガライト入り鉄格子もなければ、自由に出歩くことだってできる。エレベーターだけはID必須だけど、ならおれを人質に脱走することだって。

 ラキエスはわずかな間、

「むー」

などと逡巡し目を閉じていた。

 溜息一つ。開かれたその目蓋から、瑠璃の瞳が突然に血の赤を滾らせ、おれを見据えてくる。

 この赤は――駄目なやつだ。視線を合わせると、身体の自由がきかなくなる。


「キミに嫌われたくたいもん。キミに相応しい恋人だって、ぼく自身で証明しないと」


 すぐに虹彩の赤が滲んで薄れ、青になる。強ばっていた四肢におれの意思が戻ってきて、まるでさっきまで溺れかけていたみたいに肺が息を吐きだした。

 これが彼女からの答えだ。その気になればすべてをねじ伏せられる力を持っているのに、おれとの関係を優先しているんだ。付き合ってもいないのに恋人アピールしてくるのは謎だけど。


「……教えてくれ。ヴラッドアリスとか絆騎士ってのは結局なんなんだ。おれにすげえ力が使えるようになったのはわかる。絆騎士になったおれは、これからどうなるんだ」


 海よりも明るい青の瞳に問いかける。〝そんなのにいちいち首突っこんでたら、ボクらみたいな凡人なんて簡単に破滅しちゃうって覚えといて〟って晴真さんの台詞が脳裏をよぎる。

 でもおれは首を突っ込むべきなんだ。ラキエスはおれのエスコート――互いを信頼して、互いの命を託す相手だから。それこそ互いが簡単に破滅してしまわないように。


「ヴラッドアリスがなんなのかなんて、ぼく自身もわかんない。でも真祖を名乗るあの女が現れて、ぼくをそそのかしたの。――って」


 ラキエスの目線はふとおれから離れ、勝手口が四角く切り取った海原へと移る。


「前にぼくを吸血鬼みたいだって言ったよね?」


「ああ……うん。そうだったな。単に血を吸われたから――くらいのノリで言ったんだけど」


「あれさ、やっぱピッタリなたとえ話かもしんない。吸血鬼ってさ、キミ達人間でも眷属にしてしまえるじゃん? そんなカンジで竜姫であるぼくを、あの真祖オンナは眷属にしたの」


 黙ってラキエスの言葉に耳を傾ける。吸血鬼なんて種族がマルクトルに転生した記録はないけれど、共通認識があるのは確からしい。


「真祖は誰にでも力を分けてくれるわけじゃない。でもぼくはたまたま彼女に差し出せる〝価値〟を持ってたから、冥界の門を渡る途中で彼女に目を付けられた」


「……それが未来視能力だった。って言ってたのはそういう意味だったのか」


「そう。とてつもない価値を捨ててまで世界に抗おうとする少女達が紡ぐ、劇的な物語。そんな哀れな少女達の姿がたまらなく愛おしい――そういう悪趣味な狂宴を糧に喰らう悪魔こそがあの女。真祖。はじまりのヴラッドアリス」


 ラキエスみたいなのは一人だけじゃないのか。異世界ってやつはまったく想像を越えている。


「それでも確かなのはね、ヴラッドアリスはぼくがつかみ取ったなの。だからぼくはこうしてキミと海を見てる。セメタの竜姫には絶対にたどり着けなかった未来で、ぼくはキミと劇的な物語をはじめることにしたんだ」


 そういえば〝劇的な物語〟とか〝英雄譚〟だとか、この子は似かよったフレーズを繰りかえしてきた。妖精人形との一戦で幕開けしたことからも、それが戦いのことを指してるのは疑いようがない。だって、絆騎士おれはこの子の剣になったんだから。

 で、おれの顔、よっぽどのしかめっ面になってたらしくて、


「……えっへっへっ、安心しなよ。ぼくと血ぎったからって、キミの体がどうにかなったわけじゃないって! ぼくが変えられるの、キミを取りまく因果だけだもん」


 ぺしぺしと叩かれ、愉快そうなラキエスに何故だかホッとさせられたおれがいて。つーかツノ当たって痛い。置き場所に悩んだ飲料水の箱を、気が楽になった勢いで冷蔵庫の上に置く。


「ならよかった。一生、悪魔の荷物運びさせられるのかって想像したら、さすがに転職考える」


 あれからルー先生に念のため健康診断をしてもらったけど、何の異常も見つからなかった。おれ単独では自分を絆騎士化できなかったから、なんとなく確信はあったし。

 で、おれの気安い冗談に、ラキエスからふくれっ面でやり返されてしまう。


「タクトひどい! この際だからちゃんと覚えとけ! ぼく言ったじゃん、まだ十四だって。あれ一〇一四歳って意味じゃないし。どこのドイツリッカだよ、ぼくがニルヴァータ最高齢者みたいにハナシ超盛ったやつ!」


「あ、ああ……竜姫きみが不老不死の巫女って話、やっぱ伝聞に尾ひれが付いた系なのか」


 我ながらあんがい驚きがないっていうか、どっちかっていうと今その設定思い出した。

 怒りの矛先がフラウに逸れてくれたかと思えば、急に布団の上で大の字になって、


「ああん! イヌころの分際でっ! この我にっ! あんなキメ顔でっ! 〝曾祖父の代の~〟などと! ワケわからん言いがかりを! のたまいおってからにっ! むっきゃー!!」


 ジタバタと転がりながらキレ散らかすラキエス。痛い、尻でおれの足を踏むな。セメタにいたころはこっちが素なのか? キャラぶれてんぞ。ほんと、こういうとこがクソガキだ。


「でも、そっか、竜姫って世代交代制だったんだな。さすがにラキエスがエルフのククルより年上だったらどうしよっかって、ちっとは考えたもんな……」


 そしたらラキエス、突然我に返ったみたいにガバッと上体を起こすので、何か気に障るキーワードに触れてしまったのかと焦るおれ。


「――――はっ、さすがイヌ騎士に相応しいやつ。まさにイヌっころの嗅覚じゃん」


 ふてくされたような言い草に何の話かと思えば、たしかに聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「――――さぁん――――タクトさあん、あのう――――中におられるんですかあ――――?」


 さっきからおれを呼んでいたのはフラウリッカだ。ちょっと自信なさげなこの声、騎士モードじゃないフラウか。ならラキエスと対面したところでややこしい事態にはならなさそう。

 ところが、そこが油断だったわけで。

 下にいたフラウに返事しようとした直後、一体どこから現れたのか、勝手口にスーツ姿の女性が飛び乗ってきた。ここは二階だぞ。思わぬ人物の襲来にさすがに取り乱して、足もとにいたラキエスにつまずいて引っくり返るおれ。


「麗しくも可憐な沙夜お嬢様を差し置いて、真っ昼間から異世界の女と密会アンド情事ですか。とんだ痴態ですねこの昼ドラ痴態野郎」


 ――烏丸沙夜直属の身辺警護役・マチカさんだった。

 半裸同然のラキエスと布団の上で絡み合う自分に気付けたのは、五秒後のことになる。

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