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 さて、医務室の天井である。意識はぼんやりとだけどあった。勤務時間中、ベッドから眺める海も悪くない。窓から緩やかに吹き入る潮の香りがちょっと心地いいし。

 まだ身体の節々まで痛むけど、おれが負ったのは主に精神的ダメージだ。

 ――同年代の女の子からあんな全力で嫌がられて、あそこまで泣かれちゃったらな。

 あの緊迫した状況でやすやすとフラウリッカを抱き上げて、それだけじゃなくトラウマまで植えつけてしまった。これでフラウが口をきいてくれなくなったらどうしよう。


「あら、起きてたのね、タッくん。ケガね、擦り傷と軽い打撲だけみたいだけど、体は大丈夫そう? 何かあれば先生に伝えてね。動けるようになるまで絶対安静」


 ほんわかと囁くような、カザネさんの声が枕元からして。顔を通路側に向けてみれば、いつものスーツ姿のカザネさんが視界に入る。

 それに医務室の常勤医師――ルー先生が椅子の上で胡座をかいていた。先生は交渉士とエスコート達の健康管理が主な仕事だけど、今回みたいに負傷者の応急処置なんかもしてくれる。

 で、元からイタズラ好きな大人の女性だけど、いつも以上に何か言いたそうなニヤけ顔だ。


「……でさ、フジミぃ。復帰したら新入りに言っとけ。はよ医務室に出頭して身体検査させろって。フジミも同席決定な? 噛みつかれっとこえーし、おめーも役得ヌードだろ?」


 ルー先生が快活極まりない口調でのたまう。三十代で局の女性最年長なのに、言葉づかいががさつすぎるおかげでこっちの調子まで狂わされるひとだ。「あの脳筋功夫カンフー医師」なんていう晴真さんの最低な悪口が急によみがえってきて、どんな顔をしていればいいのかバグるおれ。


「裸なんて見るの絶対アウトっすよ。ラキエスでも誰でもそうっす。てか、なんか気がかりなとこあるんすか? あいつ死なない能力あるらしいんすけど、医者が調べてわかるやつじゃないっぽくて……その、傷口が再生する系じゃなくて、時間が巻き戻る系みたいな?」


 うわ、なんてふんわりした説明しちまったんだ。うまく伝わってくれてると助かる。


「別に新入りを解剖させろっちゃ言っとらん。ウチ、すでにニルヴァータ人は解剖しつくしとるしな。臓器類とか骨格の現世界人との違い、おおむね把握できとるもん」


「んもぉ……解剖だなんて、それ電子的な意味で、でしょ先生」


 やんわり諫めるようなカザネさんに、ルー先生のマッドサイエンティストめいた表情が瞬時につまんなさそうになった。よっぽどおれをビビらせたかったらしいけど、今さら慣れっこだ。


「そういやラキエスは? あいつ、また気絶しちまったんすよね?」


 思えば医務室のベッドは三つで、いるのはおれだけだ。昏倒したラキエスはどこだろう。


「それがね、あれからフラウがラキエスさんを面倒見てくれたの。なんだかんだあっても、タッくん以外で面識があるのってあの子だけでしょう? ただね、ラキエスさんには今さら保護房に戻ってもらうのもどうかなって局長がね。それで今は第二女子寮にいてもらってるわ」


「…………そっか、大したことなさそうでよかった。でも女子寮に第二なんてあったんすね」


 無事で一安心だけど、そっちは初耳。カザネさん達が暮らす女子寮とは違う区画なのか?


「……そういやカザ姉。フラウにさ、代わりに謝っといてもらえないかな。なんか、今はおれが直接謝るのアウトっぽい予感するし」


 フラウがああなったのは、おれをまんまと誘導したラキエスのせいだ。ただ、絆騎士化の全能感に高ぶってしまったおれが、自分の意思でやらかしたって言われれば否定できない。


「ふふ、大丈夫よあの子なら。あれで結構がさつだから、メンタルも案外頑丈なの。なんかあるたびにすぐ凹んじゃうくせに、すぐ調子に乗ってケロッとしちゃうんだもの」


 特におれの行いを咎めるでもなく、あくまで労ってくれるユルさがカザネさんらしい。そして愛されキャラのフラウが羨ましくなる。


「フラウの心配よりもタッくん……あっちの子の面倒をちゃんと見てあげなさいな? わたし達、しばらく食堂でお茶してるから――」


 そう言い残したカザネさんが、不満げなルー先生の首根っこを引きずって退室していく。

 自動ドアの音が二度繰り返され、入れ替わりで医務室に入ってきたのは沙夜だった。

 さっきのアレでなんだか気まずい。そもそもラキエスに妙なスイッチが入ったのって、沙夜が監督室に乱入したせいだった気がするし。


「今日は来てたんだな、沙夜。マチカさんはどうした? ひとりなのめずらしいじゃん」


 いつもなら一心同体であるマチカさんの姿が見えなければ、自然とそう口に出てしまう。


「マチカのことなら、いまは騎士の女のほうをケアしているわ」


 意外な組み合わせに聞こえたけど、そういやマチカさんは転生者と現世界人の二世だもんな。たしかハーフエルフだ。フラウと面識あったのかな。


「それにしても、ぶざまねタクト。あしたどのような合否が局からくだされるか、いまから頭痛のたねかしら」


 上体を起こすのすら辛いおれだから、枕越しに視線を傾けてやる。さっきまで気づかなかったけど、ドアの前にぽつんと突っ立っている沙夜は、何のつもりなのか胸に大きなウサギの縫いぐるみを抱いていた。

 開け放たれた窓から風がそよいで、艶やかに揺れる沙夜の黒髪が夕日を照り返している。目尻がかすかに赤らんでいるのに気付けたのは、誰よりもこいつの顔を見てきたおかげか。

 こいつは縫いぐるみを持ち歩くような子じゃない。理屈はわからないけど、きっと堪えきれないことを堪えた。そう、沙夜の家族としてのおれは受け止める。

 継ぐ言葉を躊躇っていたのを見透かされてか、足早に近寄ってきた沙夜。フラウに殴られた頬のガーゼにそっと触れてくる。小さな手は熱っぽくて、まだヒリつく傷痕に心地よかった。

 と、沙夜はウサギの背に隠していたらしい何かを、おれに向け突き出してきた。


「なんだよ、これ」


 差し出してきた手に握りしめられていたのは、金属製のアクセサリーだった。局がエスコート達に支給する、ペンダント型携帯端末によく似たやつ。


「…………あなたにあげるわ」


 銀色の鎖で結ばれたそれを、おれは目の前に釣り下げてみた。ペンダントヘッドの繊細なガラス細工に、どこか見覚えのある薄青緑色の光が封じ込められている。


「――これってインガライトの結晶じゃないか。お前、どっからこんな貴重なものを」


 アイ・アームズに埋め込まれているものよりもうんとささやかなサイズなのに、このインガライト結晶の高純度さまで感覚的に伝わってきた。


「ふん、これも〝あの女〟がつくったもののひとつよ。同じものがわたしの部屋にたくさん余っているから、もし危ないめにあったときなんかの、お、お守りがわりに、ひとつくらいくれてやってもいいと思ったの」


 あの女、と躊躇いがちに口にして。それが烏丸ニーナという彼女に愛情を注いでこなかった母親のことを指しているんだって、厭と言うほど伝わってきた。

 ちゃんと話すべきだよな。まだ痛む上半身をなんとか起こして、それから沙夜と向き合う。


「なあ、沙夜。自分の母親をそんな呼び方すんのは関心しないぞ」


 おれの本心じゃなかった。親という役割を知らない施設生まれおれが言えた口じゃないし、烏丸ニーナ研究局長はそもそも沙夜の生みの親じゃない。SEDO総帥である烏丸國弘だって同じだ。それでも役割として必要だから、おれはいつもこう口にする。


「これは昇進祝いみたいなものよ。だから、肌身はなさず身につけなさい。妻からの贈り物――ううん、これは犬がむちゃしないための首輪だから。タクトも行動で証明して」


 そう言いながら、デカいウサギをおれの顔面に押しつけてくる。その隙に、彼女の小さな手がおれの首に回されて。何度も何度も練習したかのような手つきで、それでも失敗して、ちょっとずつ頑張ってペンダントがおれの一部になっていく。

 沙夜はきっと、ラキエスがおれのエスコートに決まるのを悟っているのだろう。

 邪魔なウサギをどかすと、しかめっ面を覆い隠すように沙夜が飛び込んできた。


「………………あつくるしいぞ」


 こうして沙夜の髪の毛のにおいを嗅ぐのなんて、いつ振りになるだろう。


「これは愛のほのおよ。あつくてあたりまえ。ちゃんと味わいなさい」


 沙夜の言葉も、頑なな態度も、全てがこの小さな肩に課せられた役割に囚われてのものだった。妻だとか、愛だとか、家族だとか。沙夜が口にするそれらも言葉通りの意味なんてなくて、ラキエスの言葉になぞらえるなら、沙夜がおれに求める〝絆〟の在り方でしかない。

 沙夜自身にもそれがわかっていて、だからこそおれにとって都合のいい女性になろうとしてこなかったし、どこまでも不釣り合いなおれ達ふたりは、どこまでも別々のひとりだったんだ。

 でも、どうしてこんな時に、ラキエスのことが浮かんできたのだろう。それを誤魔化したい気落ちがおれにあったのか、思わず沙夜の背に腕を回してしまっていた。


「ちょっと、タクト………………手つきがいやらしいのだけど……」


 身じろぎする沙夜は、それでもおれの耳元から離れてくれない。


「……私は異世界交渉士・藤見タクトです。あなたと敵対する意思はありません」


 そこで異世界交渉士の、お決まりの口上を耳元で囁いてやる。咄嗟の思いつきで。こんなやり方なんて正しくないのかもしれないけど。


「なに……急になに……?? こんな話、だれかに聞かれでもしたらどうするつもりなの……」


 途端におれから飛びのいた沙夜はかわいそうなくらい顔を青ざめさせていて、二人きりなのにきょろきょろと周囲まで気にしはじめた。さすがに意地が悪かったかもって後悔も少し。

 安心させるため肩に触れ、沙夜にはゆっくりおれと同じ目線に立ってもらう。


「――私の望みは、対話により紛争を避け、この世界であなたが幸せに暮らせるようにすることです。私の言葉が届いていますか?」


 多分、おれの言いたかった気持ちは沙夜にも伝わってくれるって思って。大して優しい目つきじゃないって自覚はあったけど、それでもなるだけ気持ちをこめて沙夜の瞳を受け入れて。


「いまさらなにを言っているの。だって、言葉はあなたが教えてくれたわ。あなたはわたしの体のすみずみまで知りつくしている。おっぱいだってあなたがくれた」


「……言い方。風呂とかおむつとか哺乳瓶とかどうやんのか、五歳ぽっちのガキにわかるかよ。わからんなりにネットで調べまくったんだぞ。つっても研究局のやつらにお前のこと指一本触れさせたくなかったし……あのころはおれ、ぜんぜん……ホントぜんぜん余裕なかったんだよ」


「そう、あなたがわたしをここまで育ててくれたのよ。だって、この世界にわたしを連れてきくれたのはタクト――あなたなのでしょう?」


 言葉だけ聞けばぶっきらぼうだけど、いつになく照れくさそうな沙夜が、ほんとうに不器用な笑顔を浮かべてくれて。

 沙夜にとっておれが世界の全てだった時期があって、それを今さら消すことなんてできない。

 だから沙夜はずっと悩み続けてくれていたんだと思う。ちゃんと言葉にしてくれるまでの時間が、その証拠のように思えた。


「……………………異世界交渉士タクト、あなたの要求を受け入れます。どうかこれからも、わたし達のマルクトルを守ってちょうだいな」


「――――――――交渉成立だ。お前を困らせちまうことばっかなおれだけどさ、これからもよろしく頼むな、沙夜」


 さすがに演技じみてはいたけれど、沙夜とこうして握手を交わすなんて初めてだった。

 烏丸沙夜は異世界転生者だ。どこの異世界から転生したのかもわからない赤ん坊だった。研究局で特異体質を調べられていたころのおれが、実験中に世界境を開いて呼び寄せてしまった。

 だからおれには、沙夜の人生に責任がある。沙夜から奪ったあらゆるものへの責任が。


「なあ、沙夜。おれさ、この七番島で異世界交渉士をやっていくよ。これからも相転移炉が世界境を開き続けるんなら、おれの役目は終わんねえ。お前の知らない異性と組むのだって、そうすることでようやくおれも前に進めるからってだけでさ。すぐに何か変わるわけじゃない」


 そうしてウサギを拾い上げ、泣きべそを見られたくない沙夜に、代わりに押しつけてやる。


「だからな、沙夜もこれから勉強とか頑張って、母さんみたいにいつか新しい発明をして、世界を変えていってくれたら最高だ。沙夜にはそういう可能性がいっぱい詰まってるんだからさ」


 おれが育てるしかなかった沙夜は、インガライト相転移エネルギーシステムの発明者――烏丸ニーナ研究局長の養女として迎え入れられた。知られるべきじゃない沙夜の出自を伏せる力が研究局長にあったから。そして身寄りのないおれ達が生きていくために、できる選択肢がこれしかなかったから。

 まだ十二の女の子を世界の命運に駆り立てるだなんて、間違ってるってわかっていたのに。

 それでも沙夜はおれひとりにすがり続けていちゃだめで、もっと外の世界に目を向けてくれた方がずっと輝くって。

 おれはそういう幸福の形を、心の底から望んでいたんだ。

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