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たどり着いた保護房の一室――その簡易ベッドの上で、ラキエスが膝を抱えていた。鉄格子からうかがえる限りではちゃんと目を開けていたし、足音に気づいておれを見た。
保護房の監視システムに網膜下端末をリンクさせて、拘束されたラキエスの様子をうかがう。
瑠璃の瞳が――血の色じゃなくて人懐っこかった時の瞳が、虚ろにおれを眺めている。あのはしゃぎっぷりが嘘みたいな有り様に、出かけた軽口も唾といっしょに喉を鳴らしただけ。
「……ラキエス、なんでそんな元気なくしちまってんだよ……ひょっとしてどっか痛むのか?」
カメラ越しに見れば、この子は拘束バンドで両手首の自由を奪われていた。拘束バンドから鉄格子、壁面にいたるまで、どれもがインガライトでコーティングした転生者向けの特注品だ。暴れたり抵抗した痕跡は見受けられない。黙秘を続けているのはおれの面会を待つため――と決めつけるのは楽観的すぎるだろうか。
『そう言えば通知を読んでビックリしてくれたと思うけどさ、今回のラキエスさんの転生者カテゴリーは〈オーバーロード級〉――つまり災厄クラスのヤバいお客さん認定されてるのも考慮しといてね。田端局長の独断と偏見による決定だけど』
オーバーロード級。つまり人知を超えた
つまりラキエスはマルクトルにとって、最も危険視されるべき転生者と局が認定したってことだ。だからこうしてこの子は、陽の光も届かない場所に閉じ込められている
『いいかい藤見クン。ボクらは警官じゃないけど、治安を乱す仕事になっちゃダメです。転生者の安全が僕らの安全を上回るなんて本末転倒。――これはボクの個人的な本音だけどね?』
物言わぬラキエスを前にして、割りこんでくる晴真さんからの皮肉。これを年長者なりの教訓と受け止められるほど、おれは現実を達観できそうにない。ラキエスの耳に届かないように、「了解」とだけテキストメッセージで返信する。
『藤見クンがそこで最低限やってもらいたい仕事はね、彼女がマルクトルにとって危険じゃないって情報を聞き出すことだよ――決して
いちいちカンにさわる言い方をしてくれるけれど、本質かもしれなかった。だから交渉士は転生者が抱える境遇に深入りするなと、皆が口を揃えて忠告してきたわけで。
そこでカザネさんからの直通メッセージ。
『面談途中にごめんねタクトくん。灰澤から情報共有です。ラキエスさんが暮らしてたニルヴァータの国家が、セメタ聖堂教国っていうらしいの。詳しくはフラウがフォローしてくれるわ』
『ええ、そこまではラキエス本人から聞いてます。ヴラッドアリス、それと竜姫ってのは?』
『その〝ヴラッドアリス〟についてなんだけど、やっぱりニルヴァータ出身者で知ってるひとは見つからなかったわ。ニルヴァータとは別の異世界の概念と見るべきかしら』
『だいたい〝アリス〟なんて響きからしてまんま英語だからヘンだなって。こいつ、異世界と現世界の境目で
『ふふ……やっぱ仲いいんじゃん。それで竜姫の方はね、セメタの支配階級のひとつみたい。セメタを統治する宗教と関わりがあるようね。セメタって、ニルヴァータ最大の軍事国家らしいの。その繁栄の歴史も竜姫の力あってのものだってフラウが――』
「――かのセメタ聖堂教国は、聖堂信仰により千年あまりもの栄華を誇ってきた。そしてセメタの竜姫とは、〈聖堂〉を司る巫女の二つ名だったな」
突然ラキエスの前で口を開いたのは、ヘッドセット越しにカザネさんとのやりとりを共有していたフラウリッカだ。
「神世の竜を祀るセメタの〈聖堂〉は、竜姫にのみ未来を見せる聖域。降りかかる火の粉を予言することで、セメタを守護してきたものこそが竜姫だ。その歴史は、我が曾祖父の代よりこう伝え聞く――あれは狩った竜の心臓を喰らい、千年生き続けてきた不死の巫女であると」
そんな神さまみたいな人間が実在するなんて驚きだが、おれ達の常識で疑っても仕方がない。
けれどもラキエスはフラウの揶揄などまるで聞こえていないかのように、虚ろなまなざしでおれだけを見つめている。正直、いま聞かされたプロフィールのおかげで、この子が本当に一〇〇〇歳だとしても違和感なかった。
『ラキエスちゃん、マジで未来予知できちゃうならリスク測定不能だよね。ボクが周辺国の政治家なら軍事転用とか絶対期待しちゃうもん。局長独断でオーバーロード級認定したの、やっぱ外交問題に発展する前に蓋でもしておきたかったのかな?』
『晴真くん脱線しすぎ。面談中にタクトくんを困らせるような話してどうするつもりなのよぉ』
『えー、だってさ……ラキエスちゃん、ボクらをシカトしてもバッドエンドにならないって知ってたからあんな態度とってた、ってオチかもじゃん?』
本人には聞こえないデジタルな経路で、竜姫に関する憶測が飛び交っている。
ベッドに腰かけるラキエスはただ表情が読めないだけで、最初見たときと何が違うってわけじゃない。不思議な髪の色も含め、幻想的で美しい顔だち。螺旋状に捻れた角は複雑怪奇な造型で、照明が陰影を浮き彫りにしているせいもあってゾッとするくらい神性を帯びて見える。服だけが薄汚れてしまっているけど、用意された着替えのジャージに袖を通してくれる気はなかったらしい。配給食もまだ口にしていないようだった。
どうしてこの子がこうして生きているのか、納得できる説明も聞けていなかった。それほど唯一無二の地位にいながら、祖国から命を狙われている理由も。どうして強制送還されなかったのかも。頭を吹き飛ばしたアイ・アームズを、いったい誰が撃ったのかも。だいたいヴラッドアリスって何なんだよ。ラキエス・シャルトプリムはまるで疑問点だらけだ。
でも、そんなのぜんぶ邪念だ。今は振り払え。
――きみはおれ達に危害を加えるのか? そう問われたこの子の気持ちが想像できるから、おれは聞かない。
――きみがこの世界に来た目的は何だ? それを知って今さら何か変わるわけじゃないから、おれは聞かない。
――きみはどうして落ちこんでるんだ? その理由を聞くより先に、おれがこの子の希望になるべきなんじゃないか。
「ラキエス。おれ、なんて話したげたらいいのかわかんないんだけどさ。ラキエスがどこから来て、何のために戦っていて、どんな過去を背負ってるかなんて、今すぐ教えてくれなくてもいいって思ってるんだよな。職業柄、こういうの慣れっこっていうか」
この子を交渉のテーブルへと導くための言葉を、慎重に選んでは吐きだす。
「でもさ、きみのプロフィールくらいは知っとかないと、メシの準備だって困っちまうからさ。だから知ってる彼女に教えてもらった。このフラウリッカも、同じニルヴァータ出身なんだ」
余計な言葉は要らない。相手がいま一番知りたいことだけを知って、安心してもらえるように。そういう交渉術が理想だけど、優秀じゃないおれは言葉を尽くすっきゃない。
ラキエスがようやく口を開いてくれるまでに、奇妙な間があった。途中できゅーとお腹が鳴いても全然恥じらわなくて、そんなこの子がちゃんと話してくれるのをおれも黙って待った。
「……そっちの女。面白い子だよね。その白い眼に白い傷、魔性の類に
「――このっ、タクト殿が我々を裏切るわけがないっ。貴様、彼を愚弄する気かっ!」
自分の白い左眼について触れられた途端、カッとなったフラウが腰の鞘に手を伸ばす。身がまえていたおれが制止するより早く、瞳を真っ赤に滾らせたラキエスがフラウを睥睨する。
「汝を知っておるぞ、アイオローグ家の末裔。たしかアラウテラ領の没落騎士どもを手懐け、聖人ごっこに明け暮れておったボンクラ娘じゃな。その汝がこともあろうに可愛いイヌどもに陥れられ、流刑の果てにこうしてこの我に立ちふさがるとは――まこと因果の皮肉なことよ」
口調どころか、声色にすら別人のような迫真性を纏わせて。おれの知らない――遠いニルヴァータ世界で竜姫として崇拝されてきた少女の、本来の姿をようやく垣間見られた気がした。
「黙れ、聖堂の引きこもり娘が。貴様の予言がセメタの兵を動かし、我が祖国は二度滅ぼされたのだ。多くの罪なき民がセメタに蹂躙され、我が曾祖父も祖父も戦場にて散った。その恨みをここで晴らさせてもらっても一向に構わぬのだぞ――――な~んて、ニルヴァータ時代の私でしたら即座に貴方の首をはねてたかもですが……いい加減カザネっちに叱られちゃうですので学習しまして……たはは……続きはハイ、タクトさんどーぞお願いしますぅ!」
一触即発寸前からいっきに脱力展開の
で、思わぬキラーパスを食らったおれは、なおも声色を制御しながらラキエスに語りかける。
「想像してたフラウと違ってたって顔してるぞ。とにかく、やっと喋ってくれてありがとう。フラウはこの眼のおかげでさ、精霊なんかの加護を受けられるようになったんだ。そのすげえ力でおれをピンチから守ってくれたこと、これまで何回あったか数えきれねえや」
フラウが味方だという事実が、ラキエスにどう受け止められるのかも賭けだった。この子が頑なに口を閉ざしてしまった理由が知りたい。おれを頼ってこの世界まで来たらしいのに、何かが引き金になっておれ達を信頼できなくなったのか。それとも――
「聞いてくれラキエス。フラウを会わせたのはさ、きみを傷つけるためなんかじゃない。フラウさ、今おれの先輩といっしょの部屋で仲良く暮らしてるんだけど」
「ちょっ――きゅきゅ急にナニ恥ずかしいこと暴露してくれちゃってんですかタクトしゃんっ」
咄嗟の思いつきだったけれど、赤面したフラウが爆発する結果まで生みだしてしまった。
「………………なんの話。ぼくに今さら何させたいの」
「ラキエスがこんな窮屈な場所にいなくてよくなる、って話だよ。
「…………………………ふふ、安心しなよ。ぼくにはもう未来が視えないんだ。だからそんな怖がんないで。むしろゆく先を知らずに生きるのって、こんなにも怖いものだったんだね……」
両肩を抱き身をすくめるこの子の有り様に、心が折れそうになる。異世界の天上人から力尽くで自由を奪って、ここまで弱々しい姿をさらけ出されては交渉も何もないんじゃないかって。
でも、理由はどうあれ、この子は未来予知能力を失っているらしい秘密をちゃんと明かしてくれた。それだけでもおれとしては大きな一歩だ。
「ならさ、きみも怖がんなくていいんだよ。こんなところ出て、おれと一緒に来てくれ。とりあえず、ちゃんとしたテーブルでメシを食おう。話したいことがあるなら、その時に聞いてやる。おれだってきみに言ってやりたいこと、めっちゃある。うん、めっちゃあったわ」
するとラキエス、あの接近遭遇の時みたいにポカンとした顔つきに戻ってしまって。意外と子どもっぽいところがあるって知ってた。一〇〇〇年の経験なんてものともしない、好奇心旺盛で純粋無垢な顔だっておれは知ってる。
「最初出会った時みたいに、はちゃめちゃなラキエスのがおれはいい。だから、ラキエスを元気にさせるためにこうしておれが迎えに来たんだけど」
「………………ぼくを……迎えに…………?」
さらに一歩、こちらから歩み寄る。冷たい鉄格子に手を差しこんで、グッとラキエスに伸ばしてやる。大きく目を見開いてまじまじとおれを見つめてくるラキエス。
「ちょっ――――タクトさんっ?! 隔離対象者へのお触りNG警報っ――――」
さすがに無茶な真似しすぎて、仰天したフラウに後ろから羽交い締めにされてしまった。思いがけない女子の体温と感触とにドギマギさせられる。でも本気のフラウならいとも簡単におれなんか引き剥がしてしまえるだろうから、もしかしたら同じ気持ちなのか。
けど、これがおれの交渉だ。このまま引くつもりなんてない。回線の向こう側で大慌てのカザネさんと晴真さん。届く叫び声が耳に痛い。
「………………タクト………………ぼく。ぼくね、ダメなの。もうダメになっちゃった」
ラキエスがようやく吐露してくれたのは、自省の言葉に聞こえた。おれから逸らした目が悲痛に歪んでいて、この子はそんな表情もできるんだって悪いけど安堵してしまって。
「ここまで来て、今さら――――後悔しちゃった。キミをぼくの戦いに巻きこまなきゃよかった。利用したのかって怒ったキミが正しかった。ぼくがキミを、都合のいい武器かなにかみたいに使ってしまったの、ずっと見てたよね? 子どもじみた夢なんか見ちゃってたのはぼくの方。ばかな男の子だってキミを笑ったぼくがホンモノの大馬鹿娘だったんだよ……」
言霊エフェクトがここまでメンタルを傷つけるはずない。事実ならおれがケアすべきだし、本来のこの子はすごくナイーブなのかも。おれもおれで反省点あるし。
「あの時さ。いくら命を狙われてたからって、おれが妖精人形にとどめを刺さなかったのは間違いじゃなかったって思ってるけど……そのせいでラキエスを追い詰めちまったんじゃないかって、今になって後悔してる」
この後悔は未来につながる後悔だ。だからおれもこうして無茶する勇気が出たんだと思う。
「――でも、おれのことでそこまで落ち込めるラキエスなら、きっとこの世界でもうまくやっていける。きみはこの世界で陽の光を浴びていいんだって、おれがみんなに保証してやる!」
一気にまくし立ててから、言ってることが青くさすぎて顔まで熱くなってしまった。その恥ずかしさを誤魔化してくれるためみたいに、もう一度ラキエスのお腹がきゅーと鳴いて。
「ラキエスがおれの血を吸いたいんならさ、ほら――この腕に噛みついてくれていい」
「へへ…………キミってやっぱ、ばかな男の子だよ。いくら腹ペコでも、ぼく吸血鬼じゃないもん。ヴラッドアリスが血を求めるのは、キミをぼくの絆騎士にする時だけ」
まだ何か騒ぎ続けてるその他雑音を外野に押しやったまま、なおも手を差し伸べて促す。
「それならそれでいいって。ていうかさ、なんか今朝よりも現世界語がうまくなってね?」
「ぼくの言葉はキミの見様見真似なんだよ? だって、ぼくには未来を視ることができたもん。夢のなかで、ぼくはキミとふたり歩む未来をずっと視てきた。キミがこーんな小っちゃかったころから、ずっと――」
不意打ちすぎた、おれが自分を〝ぼく〟なんて呼んでた子どもだったことを思い出すなんて。
「――たとえばキミの口癖、機械いじりが大好きなとこ……フフ、子ども達みんなのヒーローだったこと。ほんの少しずつのかけらだけど、いっぱいのキミを視てきた」
まるで思い出を述懐するみたいな口振りで、そう打ち明けてくれて。
「聖堂の中にいたころのぼくは、ぜんぶ、ぜーんぶ最初から知ってたんだ――キミとのあの劇的な出会いもだよ…………」
おれには想像も付かない、彼女だけが知る未来の話。きっと竜姫の力は、光だけをもたらす奇跡じゃなかったんだろう。この子が話してきた言葉には後悔の色も垣間見える。
「タクト…………ぼくね……ぼくは、キミとこの先の未来に進みたかった。だから
ラキエスが手放しかけていた光をもう一度掴みなおそうとしている――そう受け止めたくなる、希望に焦がれた顔がおれと向き合う。
おれは今回の交渉にあたって、ラキエスに絶対こう伝えようって決めてきたことがある。カザネさん達には想像もつかない――彼女の心に触れたおれにしかできないやり方があるって。
「なら、ちょうどいいや。ラキエス――このままおれのエスコートになってもらえないか?」
オーバーロード相手になんて向こう見ずをしたんだって、誰に叱られても構わない。
「もちろん只で、とは言わねえ。絆騎士ってやつはあんまわかってないけど…………よし、きみの命はこのおれが守ってやる! 安心してくれ、これでもうきみは死ななくてよくなった。この世界をラキエス第二の故郷にすんのが今日からおれの仕事だっ!」
この選択が間違っていなかったって、いま目の前でこの子自身が証明してくれている。
「ぅ……………………ふぇ……………………ぇっ…………」
ついさっきまで迷子だったみたいな嗚咽を溢れさせて、ラキエス・シャルトプリムがおれの差し伸べた手に縋り付いてきて。
「……………ぶぇ………………ぇええええぇぇ………………」
――ここまでひっでえ泣きじゃくり方されると、こっちが調子狂うんだけどな。
大口をぐにゃぐにゃにひん曲げて――それこそ嗚咽も鼻水もはばからないラキエスの泣き顔は、どこからどう見てもただの子どもじゃないか。
異世界から来たオーバーロードなんて到底ガラじゃない。それこそ小さかった沙夜の泣き顔が重なって見えたせいで、命がけで無鉄砲な決意もなんだか宙ぶらりんにされてしまった。
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