i2-5
「――さあ、タクト。いまこそ
滾る狂気で赤らんだ瞳。理性の壁などものともしない熱に染まっている。釘付けなおれはされるがままに抱き寄せられ、きみからさらに力強く覆い被さってくる。
獰猛な唇が唇と噛み合って。舌を食い尽くそうとするかのような舌が、口腔内まで踏み入ってくる。
体の自由がきかない。荒い鼻息がおれのと同調する。甘く蠢く舌と舌。絡み合って互いを確かめる。唾液の混じり合った味。鉄臭い。誰の血? きみの歯が触れてくる。いや、歯じゃなくて、これは――そう、もっと獰猛な――――
途端、おれの中が血の味で満たされた。これはようやく正体を明かしてくたきみが、ずっと潜めてきた牙をおれ自身に突き立てた味だった。
――ラキエス・ルメス=サイオン・シャルトプリムの〝聲〟が、おれにこう命じた――。
「我、
――そして、ラキエス・ルメス=サイオン・シャルトプリムが、キミの物語を綴る――。
「…………な…………いったい…………何が、起きたってんだよ……おれ……は……」
そう、〝キミ〟こそが藤見タクトだよ。この〝ぼく〟とかけがえのない絆を血ぎった騎士の名前。
ラキエス・シャルトプリム――つまりこのぼくの〈絆騎士〉となったキミは、ぼくが視ているこの世界で新たな役割を得たんだ。
血ぎりと抱擁から解放されたキミは、驚愕の眼差しでまだぼくを見つめたまま。マルクトル生まれ特有の純白の髪をした少年、藤見タクトの姿。見間違うはずない。ぼくが幾度も夢見てきたキミそのひとだ。
でも説明なら後回し。いま必要なのはキミとぼくによる、圧倒的な武力のパフォーマンス。
「さあ――剣を抜け、我が絆騎士タクト。全因果最愛の恋人の前で、純血なる血ぎりを証せ!」
これは〝キミ〟と〝ぼく〟の英雄譚。キミはすべて本能で理解している。
キミは自身の高ぶりを力に変えられる。たとえばそれは、キミから溢れ出る奇跡の光だ。
熱を帯びた右腕の内側――そこから湧き起こってきた白銀の光。さあ、キミは今にも爆発しそうな力で満たされていく。その光は籠手を形成し、剣を形成し、キミの右腕そのものを騎士に相応しい形へと変えていく。ぼくを守りたいと願ったキミの、ごく当たり前の力だ。
そんな変化にもたじろぐキミじゃない。キミ自身の意思で獲得した、ヴラッドアリスの絆騎士としての剣。
これこそがぼく達の絆の姿。まだ立ち塞がる妖精人形を睨みつけたキミは、心から愛するぼくを守り抜くために絆の剣を抜いてみせる。
「そこのあんたに恨みはねえが、ここはおれらの世界だ。ラキエスには指一本触れさせねえ」
刹那の斬撃。あのキミがこいつに瞬く隙なんて与えるもんか。ううん、まばたきひとつしない妖精人形にも初手で肉薄してのけ――それどころか認知の概念を越え振り抜かれていたキミの剣が、再びぼくの背を貫くはずだった魔術刃など軽々と断ち切ってみせる。
そうして片腕もろとも武器を断ち切られた妖精人形だ。態勢を乱して膝折ったこいつを復帰させる暇なんて与えない。だって、次の瞬間にこいつは巨像レッドベリアルへと叩きつけられていたから。腹部に直撃したんだ、キミが見せた軽やかなステップからの回し蹴りが。
さっきの一撃は、妖精人形が内蔵する培養器に甚大なダメージを与えていた。このままそれを砕いてしまえば、妖精人形が妖精人形たる機能も停止する。
でも、今すぐにはぶっ壊してやらない。だってぼくが用があるのは、妖精人形越しに
――これは宣戦布告だ。竜姫を踏みにじってきた枢機卿院への。
「頭のツノ……飾りかなんかだって勘違いしちまった。ラキエスはそういう種族だったのか」
まだ立ち上がろうとする妖精人形に対峙したまま、肩を並べるぼくに語りかけるキミ。まあ驚くのも無理ないかな。頭から角が生えた女の子なんかに迫られたら怖がられるってわかってたし。ここまで強引に血ぎりを結ぶ作戦じゃなかったんだ、ごめんね。
「えへへ、でも種族とはちょっと違くて。ほら、ぼくの尻尾。サービスだよ?」
その証拠にと、スカートをたくし上げて尻尾を見せつけてやる。ぼくの尾てい骨の付け根あたりから生えているのは、
「ぼくはヴラッドアリス――そういう名前の、悪魔の眷属になったんだ」
そしたら尻尾とおしりのどっちに驚いたのかわからない悲鳴をあげてしまったキミに、ちょっぴり嗜虐的な感情が湧いてきてしまって。へへ、ちょっと気持ちよくなってきたぞ。
こんな悪ふざけみたいなやり取りも、すべてぼくの――ヴラッドアリスとしての異能によるものなんだ。ねえ、不思議でしょう? キミがぼくの物語の主役になってるんだもの。
そうだよ、ヴラッドアリスに与えられた異能ってね、血ぎりを結んだ
さあ、劇的な物語の幕開けだ。これは
「待てって! ナニ勝手に幕開けてんだよ! 一体なんなんだよ、このヘンな感覚……」
そっか、まだ自分に起きた変化に慣れてないか。敵そっちのけなキミは、まじまじと手のひらを観察してしまう。そんな顔しないでよ、キミならちゃんと理解してるのになあ。
「頭ん中にラキエスがいる? ラキエスを通して目の前が見えてるみたい――じゃなくてさ! ラキエス、ひでえケガしてたはずだろ。なんでそんな
自分よりもぼくの怪我が心配だなんてキミらしいよね。
状況がいまひとつ飲みこめていないであろうキミに、ぼくが道筋を与えてあげる。
「ニルヴァータから現世界に転生する途中でね、ぼくはヴラッドアリスっていう悪魔に見初められたんだ。ぼくは真祖とある取り引きをして、見返りに彼女の血と奇跡を分け与えられた」
これはいま対峙している敵――妖精人形を操っているであろうセメタの〈枢機卿院〉に、抹殺すべき竜姫が最悪の脅威と化したって知らしめるための宣言。
「ヴラッド……アリス? きみは本当にマジで悪魔だったのか?」
「そう、ヴラッドアリスは因果を統べる悪魔。ヴラッドアリスは弱く哀れな少女達の物語に劇的なスパイスを加える。――これまでの弱い
キミの頬に滲む動揺。それを上回る昂揚。こんな力を手にすれば信じられなくなる気持ちもわかるよ。ぼく自身がそうだもの。
「ならぼくがウットリするほど信じさせたげる。ぼくがはじめたこの物語には、キミがいないと意味ないんだよ。どんな力があっても、ぼく一人じゃだめ。だからキミに会いにきた」
キミにとってぼくは悪魔。ぼくにとってキミは天使。ふたりで一つ。ヴラッドアリスには、娶った騎士の、物語の手綱を握る力がある。
視点を変えれば、ぼくにはキミを変える力しかない。一人じゃ無力なぼくがセメタの呪いから生き抜くためには、キミという剣、キミという半身、キミという伴侶が必要ってこと。
「――さっきおれが無意識に戦っちまってた意味もわかんねえし。あとで説明してくれるって言ってたよな。ならさ、きみは単に人間の血が欲しくて、おれに近付いただけなのかよ」
え、キミを利用したって言いたいの? あれだけ情熱で訴えかけてあげたのに。それにそんな言葉を突き付けられたぼくも、こんなに気持ちが揺らぐなんて。
「……そっか、そうだよね。よく知らないぼくを信じて、って今さら都合いいかあ。せめて、ああしてキミだけに唇を重ねた意味、受け止めてくれたらうれしいんだけどな」
初めてだったんだよ? 偽りない事実。キミに想いが届くよう、そうささやいて風に乗せる。
「…………ッ。あんなのキス――じゃなくて思いっきし噛んだよなっ!」
ぼくが傷つけた舌を出して訴えてくるキミ。「って言うかこんな出会って秒で恋……びと宣言してんのもおかしいだろ」なんてぼやいても歯切れ悪くて可愛いし。
そんな思いがけない好反応を隠せないキミが愛らしい。そう思える無垢な少女の部分が、ぼくの中にもまだ息づいていたことにも安心してしまう。ヴラッドアリスに変わっても、思えばまだ十四足らずの人格でしかなかったぼくをどうして忘れていたのだろう。
でもぼくはちゃんとキミに恋を伝えた。こうしてキミとの時間を愛で紡いであげてる。キミと初めて血ぎった。恍惚と不安の狭間に揺れるキミの――そう、まるで初恋に怯える少年みたいな顔つきに心躍らされるぼくがいる。さあ、もっとぼくにのめり込んで。恋を高ぶらせて。
「ぼくとキミに時間なんていらない。生き延びるきっかけ、つくったげるって言ったじゃん」
「ああ、確かに生き延びられたさ! 舌が痺れてるし、自分の血の味しかしねえけどなっ!!」
で、余裕綽々でキミとイチャついていれば、蹴り飛ばされた雑魚が痺れを切らしたようだ。
枢機卿院が竜姫暗殺のために送りこんだ妖精人形。ただ、どうやってぼくの転生座標や時刻まで知り得たのだろう。何らかの手引きがあって、ぼくの転生を見越していたとしか思えない。
でも、まさかターゲットの竜姫がこんな異能を手に入れていたなんて、枢機卿院のやつらも想定していなかったよね。因果の語り手――ヴラッドアリスを仕留めることなんて、魔道人形程度にできるわけないもん。
「さあ、これはラキエス・シャルトプリムからの宣戦布告だっ! その眼に我が姿を刻みつけておくがいい、枢機卿院の老人ども。かつてお前達が手懐けようとした哀れな竜姫は、大悪魔ヴラッドアリスに魂を売って、お前達から生き抜くこの力を得たぞ!」
が、妖精人形は無言で関節を軋ませるだけ。覗かせた暗器の刃が返事のつもりらしい。
「……あっは。ニルヴァータじゃない世界の悪魔を名乗ったところで脅しにもなんないか」
かつての国宝級乙女が角の一本や二本生やしたところで、連中は諦めてくんないらしい。
「――あいつからラキエスを守りぬけばさ、ひとまずおれ達の勝ちでいいんだよな?」
「そうだよ。そしてキミは負けない。ぼくの騎士である限りキミはぼくのヒーローだもん」
告げた〝ヒーロー〟って言葉に高まったキミが、今度は自身の体をもあの光で覆いはじめる。剣、籠手、盾、それに鎧。光芒が幾何学的に編まれ、キミをより強く武装していく。
キミの異変に反応を見せた妖精人形。ただ蓄積ダメージも相当だ。軋む球体関節を可動させ、無機質に一歩ずつすり寄ってくる。こっちを脅威と見なしているのが明らかな動作。
非力な子どもでしかない竜姫の始末など造作もない――操術者も最初は侮っていたのだろう。その竜姫が人智を越えた力を手にしていたと知って、今ごろ慌てふためいているに違いない。
「――――さあ、キミとぼくで劇的な物語をはじめようか!」
ぼくは高らかに宣言する。重なり合う早鐘のような鼓動。キミはもう誰にも負ける気がしない。
「いいぜ、こんな戦いおれが終わらせてやる。細かい話はそれからだ!」
地面を蹴り、跳躍。再度の肉薄。が、軸足からの、人間離れした妖精人形の転回。限界を超えた軸足の関節が砕ける。パーツを犠牲にしてでも、キミの横薙ぎを潜り抜けてみせる。異常に落とした姿勢から振り上げられた魔術刃が、キミの無防備な喉元へと迫り肉薄する。
だが届かない。キミを切り裂くかに見えた妖精人形の刃をも、難なく断ち切ってみせたキミ。
「なんてこった。完全におれの身体能力じゃなくなってんじゃんか。なのに思いどおりに動かせちまってゲームみたいだ。チートすぎてちょい笑えてきたんだけど」
ぼくの英雄たるキミが、こんな雑魚ごときに後れを取るはずないよね。片脚だけになっても、悲鳴ひとつ上げずに飛び退いた妖精人形に、難なくキミは間合いを詰め直す。
まだこれほどまでに残っていたのか、群がってきたクモ型どもが主を守ろうと立ち塞がった。だが所詮は雑兵に過ぎない。キミは姿勢を落とし、飛びかかってきた一体を、溢れ出る光から錬成した籠手で殴り飛ばす。その衝撃で籠手が砕け散っても、次には編み直した光芒を騎槍へと変え、騎士の姿が目くるめく変貌を遂げていく。
「段々わかってきた。騎士っていうか、要するに武器や防具を自在に出せる能力ってことか」
振るわれた光る騎槍が、群がってくるクモ達を薙ぎ払っていく。後には砕けた機械の残骸だけが積み上がり、ぼくには指一本触れさせないようにする。
ぼくとキミは一心同体――ひとつの英雄譚だって喩えたでしょう? ぼくがキミの物語を綴り、輝かしき活躍を謳い、深き絆を確かめ合って、きっとぼく達の王国を勝利へと導くんだよ。
「さあ、とどめだよタクト。魔道人形に慈悲なんてかけちゃだめ」
妖精人形は死など恐れない。キミがその刃を砕こうとも、案の定、新たな三振り目を手にしていた。先の一撃にて破損した右腕からしたたり落ちる、赤色の体液。それを押さえ、なおも獲物だとすり込まれたぼくに無慈悲な視線を向けるこいつを、ぼくも負けじと睨み返してやる。
「おまえ達なんかに殺されてやるもんか。ぼくは絶対に未来をつかみとってやる!」
こいつの瞳の向こうには枢機卿院がいる。こいつを操っている黒幕を倒さない限り、ぼくの物語に光はない。でもぼくはキミの元にたどり着いた。未来への可能性を勝ちとったんだ。
なのに――
「ラキエス、悪いがあいつをぶっ壊す選択肢はナシだ。操ってるやつが別にいるんなら、なおさら交渉の余地がある」
どうして〝なのに〟――なんて想い描いてしまったのだろう。キミのすべてを思いどおりにはできないって諦めがあった? ぼくってば悪魔にすらなりきれていなかったのだろうか。
「ラキエス。やっぱさ、おれは騎士とか違くて、異世界交渉士だ。きみがヴラッドアリスであれ何ものであれ、異世界転生者ならおれが保護する。そいつが刺客だろうと何だろうと、おれの仕事は刺客を倒すことじゃねえ。敵だからぶっ殺すなんてやり方、おれにさせないでくれ」
キミとは固い絆で結ばれているつもりだったのに。遂に剣の切っ先が妖精人形の喉頸を捉えたのに、それを断ち切ろうとしてくれない。
なぜ言うことを聞いてくれないの? それがキミだっていうの?
タクト、キミはぼくの未来を切り開いてくれる、ぼくを暗闇から連れ出してくれるただ一人のヒーローじゃなかったの?
『ばーか、違くて。おれ達と違う世界からやって来たやつらは、少なくともこっちで命を落とすべきじゃないってだけだ。そんなに命をやり取りしたけりゃ自分の世界でやれ――――
「ぴゃッ――――――!?」
キミの叱咤に無様な呻き声を発してしまった。キミのドローンのせいだ。羽音も立てずに滞空していたのにどうして気付けなかったんだろう。
あの
『異世界交渉士として要求する。よその紛争なんて勝手に持ちこむんじゃねえ。ふたりとも問答無用で保護する。言葉が通じていようがいまいが関係ねえ』
止まらなくなったタクトの身勝手な物言い。こっちの事情なんて――ぼくに課せられた残酷な運命のことなんて知りもしないくせに。
でもぼくにはもう、キミの物語を制御できなくなっていた。
そんな心の隙を、きっと突かれてしまったのだろうか。
――――――――――……どうしてあんた……――――……まだいきてんの……―――――
――……ひとりだけおとなになりたいだなんて生意気……――……いいから死ねよ……――
耳元で囁く
――……ちゃんと順番まもってよ……――――……次の子にうらまれるよ? ……――――
――――――………十五年ルール……――――――……魂が大きくなりすぎた……――――
役割を終えろと〝我〟をそそのかす声。あの子達の怨嗟の声。
――――……逃げたってむだだよ……――……あいつがきっとおまえを狩りにくる……――
――……もう未来すら視えなくなった残り滓のくせに必死すぎ……――……ひっしすぎて草……――――――
うるさい。聞きたくない。竜姫に生まれたかったわけじゃないのに、あの老人どもが!
――――――……悪魔? そんなのに売る魂すら入ってない容れ物のくせに……―――――
うるさい、うるさいうるさいうるさい!
〝だって竜狩りならもうはじまってるもん。だからさっさと割れちゃえルメス=サイオン!!〟
いやだ―――――――――――――――――――――――――――――――――――いやだ。
「その子からすぐ離れなさい、タッくんッ――――!」
耳に覚えのない、女の声。続いてパン――と、発射音が轟いて。
「カザ……ねえ…………………………?」
カザ姉に呼ばれて、目が覚めたみたいに〝おれ〟の主観が切り替わる。
なんだ、この奇妙な喪失感。さっきまでの得体の知れない全能感がガス欠みたいになって、重ったるい現実感だけが頭の中で淀んでいて。
そんなおれのすぐ目の前で花火みたいに爆ぜた、緑青色の燐光。どうしてこんな至近距離でインガライト粒子が。あの子の――ラキエスの胴体だけが、ゆっくりとおれの足もとにくずおれていくスローモーション。一瞬で頭部を吹き飛ばされたラキエスが、遅れて脛のあたりにもたれかかってきて。
悲鳴すら上げ損ねて、全身が怖気に脈打って。
頭部があった部分が、血とかグロテスクとかそんなのじゃなくて、千切れた断面からインガライト光が漏れ出てくる――
そのまま力なく横たわってしまった亡骸に、ラキエス、ラキエス――って絶叫してしまって。
ああ、ああ。おかしな声ばかり喉から漏れてくる。何がどうなった。誰がやった。何が起きた。暗殺を阻止できなかったのか? おれが惚けている隙に出し抜かれた? いや、ミィオが撃ったのか? 三純か? 正常な判断が働かない。感情の針が狂って歯止めがきかない。
『まだ気を抜かないでフラウ! タッくんの様子がヘンだわ。さっきの銃声は誰のよ?!』
『僕じゃありません。先ほどの発射音はミィオの
『おかしいわ、だってさっきのアイ・アームズでしょ!? 私達以外の交渉士は来てないはず……フラウ、警戒しながらタクトくんの安全確保を優先して。応答して、指揮室――』
『灰澤先輩、藤見の足もとにもうひとり倒れてるのを視認。ミィオ、
『とにかく味方に当てないでっ! それにあっちの転生者がまだ臨戦態勢よ。迂闊に刺激するとタッくんが巻き添えになっちゃう!』
「――案ずるなカザネ。ならば一撃で突き放すまで――――ッ!!」
目と鼻の先で散った火花――鍔迫り合い。かち合わされた二振りの金属塊。まだ生き残っていた妖精人形のことなんて、完全にこっちの意識から消えていた。
一気に押し返された妖精人形は、飛びこんできたフラウリッカの重たい刺突を、左腕だけで打ち払ってのける。あれほどの損耗状態なのに、反応できない速度域で交わされる剣戟。フラウの一撃がなければ、妖精人形の刃がおれ自身に突き立てられていたんじゃないのか。
だが妖精人形はそれ以上向かってこなかった。驚くべき身体能力で飛びすさり、商業ビルの窓ガラスをぶち破り逃げ去っていく。
『援護終了。ミィオ、ポイントB離脱後にターゲット1の追跡に移行しろ。追うぞ――――』
妖精人形の確保を諦めるつもりがない三純が駆けた。了解っす、というミィオの応答にアイ・アームズの発射音が重なる。連なるビル群の屋上を、ミィオは驚くべきしなやかな身体能力をもって飛び越えていく。
「だいじょうぶ、怪我してない、タッくん?」
ヒールを鳴らして駆け寄ってきたのはカザネさんだ。正気に戻れたのはカザネさんのおかげかも。ただおれは白昼夢みたいなあの感覚に囚われたままで、体が言うことを聞いてくれない。
「――止まれカザネ。タクト殿のそばにもうひとり転生者が倒れている。私の知らない奴だ」
カザネさんを制止したフラウリッカが、抜き身の騎士剣型アイ・アームズをあの子に突き付けようとして。
あの子――ラキエスって名前の、おれを夢物語の騎士であれと願った
この刹那に起こった現象を、おれ自身うまく説明できなかった。
「なんとッ――――――――!?」
動揺を隠せないフラウの声に、驚かされたのはおれ自身で。右手が鈍い痺れを返したのが同時。宙を舞うアイ・アームズ。彼女の手から弾き飛ばされたそれが、遅れて地面に突き立つ。
カザネさんの押し殺した悲鳴で我に返る。振り上げられたこの手に、おれから溢れ出た光芒が再び剣の形に編まれていたんだ。
「な、な、何の真似だ、タクト殿……一体どこから抜いたのだその剣は!? どうしてそんな技が使える……さっきの貴方の動きも一体……」
騎士モードでここまで狼狽えるフラウなんて滅多にない。それどころか迂闊に剣を取り落としてしまった彼女を見るのも初めてだ。
おれの意思でやったのか、今のを。
「……おれにも何が何だかわかんねえ。でもわりい、フラウリッカとやり合うつもりじゃねえんだ。とにかくさ、この子に剣を向けないでやってくれ。もう……終わっちまったんだ……」
おれから溢れ出ていた光が、まるで幻だったかのように霧散していく。もう二度とこんな奇跡は起きないんだって、本当の現実へと追い返されてきた気分だ。
「しかしタクト殿、まだ危険が去ったわけでは…………」
なんて答えればいいんだろう。もう現世界にはとどまれなくなってしまったラキエスをこれ以上傷つけるのだけは駄目だって、考えるより先に条件反射してしまった結果――だと思う。
「…………とにかく無事でよかったわ。ここで何があったのタクトくん。さっきの光の剣もそうだけど……その
カザネさんに言われた意味を飲みこんだ途端、鼓動と四肢とが一挙に跳ね上がるほどの衝動が押しよせた。
「…………うそ……だろ……――――――――ラ……キ…………エス………………?!」
わななく喉を押さえつけ、カザネさん達が視線を向けていた先を追えば――目蓋を閉じたまま横たわるあの子が、ごく当たり前のようにいて。
愛剣を失ったフラウリッカがまだ警戒を緩めていない〝ツノの女の子〟――ラキエスは、眠る赤ん坊みたいに背中を縮こまらせ、この世界の空気をゆっくりと呼吸していた。
やっぱり夢なんかじゃない。おれは確かに体験した。因果を操る悪魔ヴラッドアリス――ラキエス・シャルトプリムの物語に飲みこまれて、妖精人形という未知の敵すらも圧倒した、あの目が眩むような奇跡の時間を。
きみとおれの劇的な物語、加えられたスパイス。
まだこの舌に残る傷痕が、唇の感触とともにほろ苦い痛みを訴えていた。
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