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 無人となったレッドベリアル公園に、ただひとり置き去りにされたおれ。大気中に、ミィオが残していったほのかな薄緑のインガライト粒子が漂っている。ビルの狭間を穏やかに吹き抜けていく海風が、ゆっくりとそれを霧散させていく。もうやれることがない。おれの特異体質なんて大したアドバンテージになっていないのは明らかだった。

 端末越しに指揮室とカザネさんにコールするが、どっちも応答がない。カザネさんもインプラントしてるのにこうなら、インガライト粒子の滞留による電波障害か、向こうが取り込み中の可能性もある。相転移炉から放出されるインガライトは、どうにも零番島にとどまりやすい。

 と、今度は滞空中だったアイ・ドローンまで異常を訴えはじめた。


「んだよ、今度はバッテリー切れかよ……」


 今回もまったくいいとこナシだ。声に出してでもいないとやりきれなくなって、陸橋から公園側に下りていく途中でアイ・ドローンは不時着してしまった。

 おかしな物音が聞こえてきたのは、そいつを回収しに向かう途中のことだ。

 カンカン――と金属質なものを打ちつける音。さっきの今だ。姿勢を落として、物音の発生源を慎重に探る。背中のベルトから打刀型アイ・アームズを抜刀する。エスコート不在、ソロでのエンカウントはさすがに部が悪すぎるから。

 人工芝生の敷かれたエリアに、児童用の遊具がまだ残されている。そのひとつ、象を模した滑り台の頂上に――本当にいた。

 さっきの銃撃が聞こえてないはずないのに、なぜ逃げなかったんだろう。すべり台の象の背にしゃがみ込む人影。長い髪の毛を揺さぶっている仕草が見える。顔だちや体格からして見まごうことない女性だ。まさかのまさかで、例の失踪者をおれが引き当ててしまったのか?

 おれはアイ・アームズを鞘に収めてから、アイ・ドローンも拾い上げる。ここまで派手な音を立てれば見つかることくらいわかるだろうに、警戒心ゼロで謎行動に没頭してるヘンなやつ。

 なるだけ脅かさないような足取りで滑り台へと近付いていく。聞こえてくる金属音は、彼女が掴んでいる物体を滑り台に叩き付ける音だった。

 せめぎ合うビル群から公園へと落とされていた陰影。正午に向かう太陽がそれを押しやり、彼女の正体をゆっくりと暴き立てていって。

 花嫁のヴェールみたいな薄布を被っているせいではっきりしないけど、顔つきからして同世代くらいの女子だ。ヴェール越しに透ける不思議な髪色は、たとえるなら淡紫銀――

 ――紫色と銀色が混ざったような不思議な髪の毛――――? 途端、フラッシュバックしてきた十二年前の追憶に叩き起こされた気分になって。

 待て、先走るな。たとえ〝あのひと〟を思い出させる髪色でも、そういう人種がいる異世界があったって不思議じゃない。あんな波打ったウェーブヘアーじゃなかった記憶があるし。

 暴れだした心臓をねじ伏せながら、おれは無我夢中で淡紫銀の子を追ってしまっていた。

 被る薄布ヴェールに羊の巻き角みたいな耳飾りが付いていて、他のアクセサリー類と合わさって宗教的な身分を誇示する冠みたいだ。露出薄めのファッションなこの子は、いわゆる聖女サマ的な立場なのだろうか。唯一露出する肌の部分――ヴェールから覗く顔だちは、まるで和人形みたいな色素の薄さ。そう感じたあたりで、すっかり職務のことが抜けていた自分に気づく。

 耳障りなブザーが鳴り響いたのは、この刹那のことで。

 おれが胸に抱いていたアイ・ドローンの再起動音だった。


「――うわっ、おまえバッテリー切れじゃなかったのかよ!」


 なんて間が悪い相棒だよ。さすがにびっくりしたらしい羊角の子が、打ちつけていた〝それ〟を頭上に止めたまま口をあんぐり、神秘的な瑠璃色の目をコミカルに見開いてしまった。


「あのっ――――おれはその、驚かすつもりとか違くて――」


 異世界人相手に、現世界語で言い訳してどうすんだ。慌てて胸元の相棒で通訳開始。


『挨拶、私が異世界交渉士です。タクトが名前。あの、敵対する意思は完全にキャンセルしました。対話により紛争が失敗する可能性……ええと』


 キョドって奇天烈な訳文になってしまった。っていうかニルヴァータ語が通じる相手なのか?

 羊角の子がすっくと立ち上がる。この子の表情を慎重に見定める。こっちを警戒するでもなく、おれ達と何ら違いないキョトンとした顔で見つめられて――うわ、象牙色の捻れ角=悪魔のイメージを覆す天使の美貌だ。ただフラウみたいな馴染みのある可愛いさというよりは、顔だちが幻想的すぎてかえってコミュニケーション取りづらい。

 やはりこの子、昨日カザネさんから逃げ出した例の失踪者当人だろうか。


「――――きゃはっ!」


 …………ん? いまのヘンな声、もしかしておれを笑った??


「やあやあ初対面! キミ、そのヘンテコ機械、所有者? とってもヘンテコ術式。キミの言葉、魔法の言葉。なるほどなるほど――キミは〝言葉の魔法使いロゴシエイター〟どの!」


 鼓膜に染み渡りそうな可憐な声で、こっちの訳文に負けじとたどたどしい応答があった。


「えっ……と――――あの、ロゴシ…………何??」


 まさか、こっちの言霊エフェクトが見抜かれたわけじゃないよな。


「でもキミのユンヴェール語、恐るべしへったくそだよ! いまどき、そんな言葉使うやつナシね。セメタの老人どもくらい」


 いやいや、いま驚くポイントはそっちじゃなかった。


「ん~? さっきから、どしたのキミ。そんなビックリまなこで、ぼく歓迎?」


 ――どうして転生してきたばっかの異世界転生者がんだ。


「ホンモノ信じてない? ホンモノのお手本必須? えっへん、よかろう!         ――お初にお目にかかるヴァリタ/メルーシエ異国の騎士よニグルト/ラトシェ汝は名をタクトと伺ったミュゼ/タクト/イスラット我はセメタの旅人ク・セメタニケ/リル/ヴァース敬愛せし聖堂より譲り受けた名をラグヴェーテ/ラキエス・シャルトプリムラキエス・シャルトプリムと申す/ハイエクト


 飛び交う現世界語とニルヴァータ語らしき言語の多重翻訳。ちゃんと自動翻訳され唖然としている間に、脈絡なくまた「……きゃはっ!」なんてクソガキみたいな笑い声をあげて、


「やったあ! ぼく名前ラキエスだよ! いとしのキミのラキエス・シャルトプリム登場したよっ! ついにセメタから到着したよっ! ラキエスね、セメタの竜姫りゅうき! いただきますっ!!」


 何が?! この子ちょっとヤバいのでは? ほんとクソガキそのもののテンションで飛び跳ねたかと思えば、カツコツと軽快に靴底を鳴らせながら滑り台を駆け下りてきて――


「うわっ――――ちょっ、待てって、登場って何が?! 落ち着け、近っ!」


 突然胸元に飛び込んできたラキエス氏の無邪気さに、恐怖心も何もかもすっ飛んでしまった。

 こっちが落ち着かなくなるイイにおいをさせて、それも奇襲的にパーソナルスペースまで踏みこまれれば戦闘態勢とか考えてる余裕なし。それに高貴にして純真無垢、黙ってれば聖女サマ風なのが気のせいみたいに小柄で華奢なラキエスの、クソガキは言いすぎにしても年下オーラに圧倒させられてるおれがいて。

 ――あれっ……もし相手が狡猾なやつなら、おれってこの瞬間にゲームオーバーじゃね?


「もぉ! キミそんな警戒しない。ぼく、キミ傷つけないよ。ほんとのホント、ぜったいよ」


 何が絶対なのかもわからないけど、腰に手を当てるあのポーズで叱られてしまう始末で。

 そんなので気が済んだのかまたくっ付いてきて、あざといくらいに甘えの仕草で。こっちも声が出てこなくて。きみ鼻息荒くないですか?

 頭いっこ分の距離感から、まじまじと見つめられてしまう。目尻をつり上げてつくった妖艶な笑み。メイクでもないのに新雪みたいな白肌。とんがり耳から連想するのはエルフか。巻き角に飾り付けられたアクセサリー類が知らせてくれる文明レベル。エキゾチックな愛らしさだ。

 などとこっちが分析に耽ってる隙に、ためらいなしにおれの胸や腹をさわさわとまさぐってくるラキエス氏。

 そこで突然固い物体を腹に押し当ててきたものだから、全身に電撃が走ってみっともない呻き声まで上げてしまった。


「ぜんぶ片付いたあとで。キミ、こいつ解封する。ぼく、おいしく召し上がる。ふたりで感動フィナーレ」


 おれの手に乗っけてくれたこそが、さっきまで地面に打ちつけていたブツだったようで。


「えっ……と、マグロ味??」


 ブツの正体がマグロの猫缶だったおかげで、おれの警戒レベルが下がった。この子、サバイバル能力は相当へっぽこそうだから、今ここで保護してあげられてよかったよな。


「よし、食事なら提供できる、安心してくれ。伝わるかな――おれ、異世界交渉士のタクト。きみみたいに、この世界に来て困ってるひとを手助けするためにいるんだ」


 なるべく砕けた言葉づかいで、要点だけ伝える。交渉士が転生者を保護する際には、相手の意思確認が最優先ルールなので。

 隈取りみたいにまなじりを彩る紅が、ラキエスにあらたな表情をつくる。急にどうしたんだろう。さっきまではしゃいでたのとは別物の――強い決意みたいな、何かに挑む用の目つきだ。

 普通じゃないのはこのラキエスっていう女の子とのシチュエーションだけじゃないって気付けたのは、この時だった。

 ラキエスが胸元に頬を擦り付けてきて、おれだけに囁きかけるように潜めた声で――


「――聞いてタクト。きのう開いた〈冥界の門〉を越え、この地までたどり着いたニルヴァータの民は四人。マグルとファラミィのビオット兄妹、炭坑夫のゴブリン――そしてこのぼく、ラキエス。そのはずだって、キミは理解していたね?」


「――――ッ!? 待てよ、なんできみがそんな、人数とか名前まで把握してんだ……って言うか〝門〟って、世界境のこと言ってんのか!?」


 さっきまでと違う、凛とした声色。じっと見上げてくる眼差しに空が映りこもうと、迷いのない意志までは塗りつぶせない。先ほどまでの道化気取りはもうここまでと言っている。


「〈冥界の門〉を越えた四人。セメタ出身者ぼく一人。その因果、いま覆ったよ――さあご登場、五人目」


 五人目? 〝冥界の門〟ってのは間違いなく世界境のことだとして。厭な汗が背筋を伝う。


「予定どおりにいってくれないなあ、〝あっち〟からわざわざお出まし。〈因果改訂〉。だから、ごめんね――こうなったのはかんぺきぼくのせい」


 がっかり顔のラキエスが、ぷいと目線で合図した先――レッドベリアルの一本角の上に佇んでいたのは、逆光を背に受けた人影で。


「転生者!? 五人目がどうのって、聞き間違えじゃなかったのか……」


 こっちからだとはっきりとした表情までは伺えない。でも、シルエットからしてこの五人目も女性なのは確かだ。この前のファラミィやラキエスとも異なる、奇妙な紋様に覆われたローブで全身を覆い隠している。ラキエス同様の魔術師タイプだろうことは明らか。

 異世界交渉士の職務を忘れるな。おれはラキエスを庇って前に出ると、抱いていたアイ・ドローンを掲げて声を上げる。何者であろうと、交渉士の仕事は同じ手順を踏むべし。


『警戒する必要はありません。私はこの世界ではあなたの味方。異世界交渉士です――』


 急きょのコンタクトに、口上を端折って対話を呼びかける。

 幸先いいことに、五人目の女性からは言い終える前に反応があった。


『――堕落セシ竜の巫女、ルメス=サイオン(翻訳不能)――セメタノ民ヲ裏切リ――コノ地デ何ヲ得ヨウト足掻ク――――』


 おどろおどろしい女性の声から、とても穏当な状況とは思えない。不自然に自動翻訳された台詞も、ニルヴァータ事情を知らないおれにはまるで理解できなかったし。


『――サア――貴方ハココデ役割ヲ遂ゲ――竜ノ魂ヲ聖堂ヘト返還セヨ――――――』


 ただひとつ収穫があった。この五人目はどう考えても友好的なやつじゃない、って。


「聞いてタクト。あいつ対話不可能、だよ。あいつ、このぼくを殺す魔導人形。セメタが送ってきた暗殺者」


「……え……あ、暗殺者?! きみを〝殺す〟って。事情はわかんねえけど、そっちの国はいま戦争かなんかの状況になってんのか……?」


 人形がどうとかってのは意味わかんないけど、これって見すごせない窮地なんじゃないか。まるで正体不明なラキエス氏だけど、命を狙われてる側って構図だけは急に飲みこめてきて。


「セメタの老人ども、ぼくの命、すごく必要。あいつ、キミもブッ殺す。巻き添え。このまま犬死に、させない。このくそったれ状況を覆すの、ぼくとキミで――――」


 たどたどしいながらもカッコいい台詞で、庇っていた女の子に押しのけられてしまうおれ。

 つまりあの女魔術師風のやつが刺客だって言ってるんだ。暗殺ターゲットがこの子なら、今すぐ連れて離脱すべきじゃないのか。友好的な転生者の保護を最優先に。交渉士のマニュアル的にも正しい判断だ。

 アイ・ドローンを放ち、刺客とやり合うつもりらしいラキエスの手をためらいがちにとる。異性の体温とトゲトゲした爪の感触とにバグりそうになりながら、一緒に逃げようと促す。

 ところが後ずさりした途端に聞こえてきた、奇妙な音――こいつはアクチュエーターが奏でる駆動音だ。

 不吉すぎる予感。背後を振り返れば、陸橋に張り付いていたやつらの正体にはおれも見覚えがあって、ただただ戦慄するしかなくて。


「――防犯ロボ!? 三純達が追跡してったのって、こいつらだったのか」


 金属製の足を無数に生やした、クモ型のロボットだ。大きさは一メートルにも満たないけれど、視界に入ったものだけでも一〇体はくだらない軍勢をなしている。


「でも、こいつらもともと現世界こっちの製品だろ。なんでこんな数が廃虚で勝手に動き回ってんだ」


 間違いない、保安局が導入していた防犯用ロボットだ。サイネット社のタイプM6。かつて旧市街区に投入されていた旧世代機で、人間のコントロールなしに活動できない半自律式。当然、こいつらを統制する基地局も充電設備も、この旧市街区に現存するはずがない。


「タクト。あいつは〈妖精人形マータクルス〉。あのお腹んなか、人造妖精、閉じこめてある。ホンモノ妖精だって勘違いして、霊的幻想種――精霊、幻獣、使役されちゃう。セメタの人造魔術師だよ」


 言ってる間に続々と飛び降りてきたクモ型達が、陸橋アーチ下や階段まで群がってきた。こっちの逃走経路に対しての予測行動なのは明らか。どう見てもヤバい状況だってことだけはわかってるんだけど。


現世界こっちで精霊とかがどうなってんのかは知んねえけど、あの女魔術師っぽいやつ、機械だろうが操っちまえるって言ってんだよな?」


「タクト理解早い。そのクモ達は妖精人形の手駒。妖精人形の操術者、どっか隠れてる。操術者、ぼくが〈冥界の門〉を渡る前から準備してた。ハハッ、ぼくひとり殺すのに用意周到すぎ。泣いちゃいそう」


「そっちの込み入った事情はちっともわかんねえけどさ……要するにきみ、殺し屋に待ちぶせ食らうくらい特殊な事情持ち、ってクチか?」


「ふふ…………キミにも説明したげられる未来、ぼくで勝ちとろっか」


 状況なら飲みこめてきた。つまり、この子を助けないことにはこの子を保護することもできない。おれの仕事は失敗ってオチだ。

 妖精人形というらしいあの女魔術師は、レッドベリアルの角の上からこっちを睥睨したまま微動だにしてない。目深に被ったローブのせいで、どんな表情をしているのかもわからない。


「ははっ……異国のお姫サマ暗殺の巻き添えとか、とんだとばっちりなんだけど。まあさ、職業柄そういうのは仕方ねえって覚悟してたんだけどさっ!」


 やせ我慢の強がりでも、捨てゼリフでも己を奮い立たせるしかない。だってこのシチュエーション、どう考えても女の子を守る系のやつじゃないか。ここでこの子を見捨てるようなおれだったら、そもそも交渉士なんて志してないもんな。

 妖精人形を操る術者が別にいるって言ってたな。自らは手を下さない未知の敵と、形成されていく包囲網。ハックされた防犯ロボ達にも鎮圧用スタン兵器くらいなら備わっていたはず。


「生き延びるきっかけ、ぼくがつくったげる。だからタクト、チャンス、見失わないでね」


 表情を険しくしたラキエスが手を掲げ、何か呟く。紅がさした指先にともる白光――


「――我が道筋はイバラにしてク/マローダ/リス/スロウン其のものどもの行く手を阻む苦難なりグラフ/テンペス/リツ/クンナート/セイ――」


 ――それが弾けた。

 ずん――と唐突に襲う地鳴り。足もとを振るわせ、地続きの公園全域を震撼させる。地面が人工的な意図をもって隆起しはじめていた。自然法則無視の直方体状に押し上げられた土塊が、レッドベリアル周辺の地形をさながら迷路のように変貌させていく。

 魔術、魔法の類だ。現世界においても、転生者達だけが実現せしめてみせる異能の力。

 ラキエスの作戦が何となく読めた。この防犯ロボみたいな多脚型自動機械の思考フレームに負荷をかける、複雑な地形を魔術で急造したのだ。

 ――すげえ。この子、現世界のロボット工学相手になんて判断力だ。並の転生者じゃない。


「ぜんぶ妖精任せの魔術士もどき。お前なんかに負けたげないよ。さあ、キミもその剣、抜きなよ。ぼくの背中、キミに任せていい?」


 言われなくても――と、おれは今度こそ自分のアイ・アームズを抜いた。

 鞘から解放された特殊樹脂製の打刀。刃が付けられていないこいつでは、物を斬ることはできない。だが内蔵したインガライト結晶の供給によって放射光を帯びた刀背には、世界境を越えてきたもの達に干渉する特質が宿る。

 せめて形だけでも自分を鼓舞するべく、打刀で宙を斬り、インガライト光で薄青緑の残像を描いてやる。それを横目に見たラキエスが、ちょっとだけはにかんでくれた気がした。


「きみがこっちに来た理由も、〝竜姫〟ってのがなんなのかもまだ聞けてねえけどさ。でも自分のいた世界から逃げてきた転生者なんて、こっちじゃあんま珍しくねえからな」


 ちょっとしたフォローのつもりで言ってやれば、妖精人形を睨み続けていたラキエスは振り返らず、独白めいてこう返す。


「ぼく、家出娘だよ。うんざりセメタにも竜姫にも、もうさよならしてきたんだ」


 ――その言葉を合図に、ラキエスがレッドベリアル側に跳躍した。

 まさか、初手で敵に間合いを詰めたのか。それも、あのフラウリッカもかくやと思わせる、人間離れした身のこなしで。

 巨像の肩まで瞬く間に駆け上がり、妖精人形が佇む一本角まで到達するラキエス。

 地の利を失ったのは妖精人形の方だ。背後から追い詰めるラキエスに、妖精人形はクモ型を自分側へと呼び戻そうとする。が、それも魔術で改変された地形によって阻害される。

 偶然なのか作戦通りなのか、敵戦力がラキエス一人に引き付けられていく。

 あの子がいかほどの力を宿した異世界人なのか、おれはまだ知らない――でも。


「――女の子ひとりがピンチで、そんないいようにさせとくかよっ!」


 おれをスルーしてラキエスを追うクモ型の、その脚部を通りすがりに斬り付けてやった。


「グッ……硬ってえ――――――――ッ!?」


 当然斬れるはずもなく、鈍い金属音だけが轟く。特殊樹脂製の刀身で殴った感触だけ。ただクモ型は急に体勢を乱し、歩行アルゴリズムの再補正を駆けたようなぎこちない挙動を示す。

 直後に異変が訪れた。おれが殴り付けたクモ型の動作がギクシャクしはじめて、


「なんだ、こいつ――――殴ったらスリープした!?」


 そのまま脚部を折り畳むと、地面に胴体を下ろしてシステムダウンしてしまったのだ。


「理屈はわかんねえけど、アイ・アームズで操り人形じゃなくせんのか? なら、おれにもこいつらを止められる!」


 ラキエスの方に駆け出すと、隆起地形を迂回しようとしてモタついていたもう一匹にすぐ追い付いて、背後から一撃食らわせてやる。こいつもわずかに遅れて稼働停止した。


「ラキエス! クモ達のハッキングならこっちで止められるぞ!」


 彼女らの頭上に滞空させていたアイ・ドローン越しにそう声を張り上げて伝え、おれは無我夢中になって駆けていた。現世界人であるおれの身体能力ではレッドベリアルに駆け上がるなんて真似は無理だけど、ラキエスを援護するくらいならやり遂げてみせる――


「ラキ――――――――――――」


 ――そのつもりだったのに、網膜スクリーン越しの映像が乱れて暗転した。

 撃ち落とされた? アイ・ドローンがレッドベリアル上から落下してくる。ところどころぶつかって、転がって、鈍い音を立てて。

 がしゃん、とレッドベリアルに備えつけられていた足場がひしゃげ、柔らかい土がを受け止めた。

 落下してきたのはおれのアイ・ドローンと――――ラキエス自身だ。倒れ伏して呻く彼女は、着衣がところどころ裂け、白い頬を伝っていたのは真っ赤な色。


「な……んだよ…………何がどうなって…………」


 彼女に駆け寄り、抱き起こそうと首筋に触れたところで我に返る。骨折が深刻だったらどうするんだ? 鮮烈にあまる血が彼女のにおいを掻き消していく。伝わってくる震えと息づき。手のひらから長くて綺麗な巻き毛の房がこぼれ落ちていって、まるでこの子の行く末を連想させるようで。


「上で何があった。この怪我は……ああ、クソッ、今はんなこたいい! はやく病院に連れてかねえと――」


 そんなもの、マルクトル本島から孤立したここでは適わないのに。

 と、おれの頬に触れたラキエスの手。血の滲んだ唇が、何か必死に訴えようと震える。


「………………タク……ト……ごめん、ね……ぼく、作戦しっぱい……」


「今そんな話じゃねえだろ。それより怪我の度合いは話せるか? 安心しろ、近くに仲間だっているんだ。すぐに助けてやるから――」


 コールが返ってこない。カザネさんや三純は何やってんだ。指揮室はどうなった。中継ドローンからおれ達が見えてれば、きっと救援に。それって何分後だ? くそっ、落ち着けよおれ。


「……あはは……やば……うまくいかなかったどうしよって、ぼく、わかってたのに……」


「諦めてんじゃねえよ。現世界の医療技術は魔法なんて目じゃねえんだぞ……」


 ポーチ内の携行品を地面にブチまけ、応急処置用のアイテムを探す。消毒剤や傷口を塞ぐパッチ類は持っていても、あの高さから落ちて受けたダメージを治療する薬なんてあるもんか。


「う……ぐッ…………ね、ねえ、タクト…………お願い……あるんだ」


 おれを触れていた彼女の手のひら――その熱が、ゆっくりと失われていく気がして。

 見てくれがミステリアス強キャラっぽいだけで、実はただの女の子だったってオチじゃないよな。たとえば人間よりも体が頑丈で、生存率がアップしてくれたら、おれだって――


「頼み事なら病院でいくらでも聞いてやる。それがおれら交渉士の役目だし」


「ううん、今じゃなきゃ。今このお願い叶わないと、ぼく、キミを見つけた意味ない――」


 と同時に、背筋が凍る感触がして。

 音もなく地上へと降り立った、異界からの刺客。五人目の異世界転生者、セメタの妖精人形。風圧で傘を広げたローブが畳まれる寸前、袖から覗く右手が魔法の光を帯びた剣――ちょうどおれのアイ・アームズみたいな刃に変化しているのが見えた。あれが暗殺用の得物ってことか。


「……力尽くで突破すんぞ。痛むかもしんねえけど、殺られるくらいなら保護を優先する」


 気合いを入れラキエスを肩に担ぎ上げようとして――何故かそこで制止されてしまった。


「聞いて。ぼくのお願い。キミとぼくの絆を血ぎって、キミはぼくの騎士になって」


「騎士――――? この状況でナニわけのわかんねえこと言ってんだよ!? このままおとなしく暗殺されてやるなんて、おれもまっぴらご免だぞ」


 かの妖精人形は、こちらににじり寄るでもなく、ただ純粋な抹殺を果たすためだけに立ちはだかっていた。退路だってクモ型どもに断たれている。おれ達はもう逃げられないって見透かされてるのか、フードの奥の暗闇から、ガラス玉めいた瞳で見すえてくる。


「ぼく、ね……キミ……ずっと前から…………キミのこと……見てた」


「…………え…………見てたって、じゃ、やっぱりラキエス……あのときの……」


「あの夢は嘘じゃなかった……キミを見つけられた。キミ、こうしてそばにいてくれてる……ほら、証明してくれたの、キミじゃない。だからキミこそ……ぼくの……騎士……」


 悲壮な――でもどこか親しげな視線が、確かな熱でこれが嘘じゃないと訴えかけてくる。

 やっぱり噛み合わない。頬に触れてくる手のひらの熱、浮き上がっては突き放される気持ち。まだ何か期待していた自分は馬鹿だ。生きのびられる選択肢をここで見誤るな。


「おれはただの人間だ。研修バッジ付き交渉士だ。おれはきみを救いたい! だからきみの夢がどうとか、騎士になるとか、そんなのよりも!」


 騎士なんて言うなら、誰かを守る剣にして盾になれる――そう、フラウリッカみたいな強いひとこそが騎士だ。おれにおれの役割があるんだって現実を見ろ。


「さあ、いいから腰上げろっての! おれのことそこまで気にかけてくれんなら、おれも生かせよ! きみ自身の意志で生き延びてくんねえと――」


 力尽くでラキエスを抱き上げる。おれ程度の腕力じゃすごく重いし、怪我への負荷がどうなるのか見当が付かないけど、まんまと殺されてやるもんか。


「こら、やだって――キミ、ぼくのお願い聞いてくれてないっ! 逃げるのナシ――」


「ちょっ、暴れんなって! おま、なんでその怪我でこんな馬鹿力出んの――――――うおっ」


 逃げ出そうとしたところでラキエスから予想外の抵抗を受け、そのままもつれ合い倒れこんでしまったおれ達。

 最悪だ、脚を捻ったらしい。その痛みに喘ぐ間もなく、背後に厭な気配。視界をよぎった影法師が二つ、奇妙に交錯する。

 鈍い音と、遅れて雫がしたたる音が重なって。怖くて咄嗟に振り返れない。だって、おれの身に何も起きてない理由がわかったから。


「……ラキ……エス………………?」


 ごぼっ、と血がこぼれ出るのを目の当たりにした。触れた体温と同じ熱さの血液。平然とつくってみせたラキエスの表情が、すぐに限界を超え醜く穢してしまう。

 彼女を貫く、魔術光の刃。

 妖精人形の魔手を受け止めていたのは、ラキエス自身だった。すぐにその四肢を支える力すら失われ、こちらへと覆い被さってくる。


「冗談……じゃねえぞ。赤の他人だろ。捨て身で庇うとか、こ、こういうさ……」


 死にもの狂いで抱き留めたところで、溢れ出る血は止まらない。暖かくて恐ろしい紅の奔流。

 悲しいとかじゃないのに、涙が抑えきれない。力ない相貌を向けてくる彼女は、途切れそうにか細い声でなおも訴える。


「えへ……こんどこそ、やった……〈因果確定〉……ちゃんとこの場面に、たどり着けた……」


 そのとき鼓膜を打った声が、まるでラキエスとは別人みたいに艶めかしい響きで。理解が追いつかない違和感が爆発したかのように、肌を総毛立たせてくる。

 いつの間におれの認識がバグっていたのだろう。ラキエスの顔を染めていた血が見当たらなくて、まるで最初から無傷だったみたいなのはなんでだ。裂けた衣服まで元どおりなのも、おれが浴びた返り血すらなかったことになってるのもわけがわからなくて。

 それどころか、不穏な歓喜に歪んだ彼女の瞳に、流したはずの血と同じ色が映りこんでいく。

 射止めてくる真っ赤な双眸。心臓が警鐘を鳴らしだしたのに、抵抗する意思が働かない。


「えへへ……タクト。キミってやっぱ、思ってたとおりのばかな男の子だ」


 急に吹きすさびだした風に、ラキエスの髪を覆っていたヴェールが解けた。風になびく、くるくると波打った淡紫銀の髪。前分けで大きく開けた額に、宗教的な刺青が施されているのに気づく。それにあの冠みたいな羊の角飾りが――


「でもね、そのキミは、そのキミのままでだいじょぶ」


 ――いや、飾りなんかじゃなくて、それはラキエス自身の頭から突き出ていた。鮮血色の瞳に、悪魔めいた螺旋角を生まれ持った少女――ヒトにあらざるラキエス・シャルトプリムの正体をいま目のあたりにしている。

 おれは何もかも見落としてた。何かがヘンだってわかっていながら、異世界から来た女の子を助ける高揚感に溺れていた。それに気付けたのは、もう何もかもが手遅れになった場面で。


「――さあ、タクト。いまこそだ――」

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