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 空っぽになった弁当箱の上に箸を置いた途端、「みっともないまねしないで」と沙夜に叱られてしまった。箸を使う機会なんてこいつのうちくらいしかないから仕方がないのに。

 箸を箸置きに戻すと、口もとをナプキンで拭う沙夜の顔色をうかがう。ぼんやりと暖かな照明下で見る沙夜の顔は、おれの感覚を信じれば満足げで上機嫌なものだ。年少の割に辛らつなこの子は、生まれの複雑さも影響して、とにかくコミュニケーションが難しい。

 話を切り出すタイミングは今かと口を開ければ、


「――タクトはせっかち。わたしの食事がまだ終わっていないのだから、よいんでも楽しみなさい。それにまだ七時よ、おしゃべりする時間なんていくらでもあるでしょう」


 それこそみっともない真似で、カチリと歯をかち合わせてしまうおれだった。

 ここは八番島、誘致企業経営者向け居住区にある烏丸家の別邸だ。身も蓋もない言い方をすれば、この人工島群マルクトルを支配する金持ちどものベッドタウン――そのど真ん中ってわけ。

 相転移炉の発明は、烏丸家という資産家一族のもとに世界中の資本を引き寄せるほどのものだった。その烏丸に養女として迎え入れられた沙夜も、十二歳にしてその因果に縛られている。

 とはいえこの別邸も家具類や調度品に金がかかっている程度で、洋上プラットフォーム固有の問題――居住スペースの狭苦しさは他と大差ない。それでもこの別邸は、仕事にしか関心がない両親との同居を望まなかった沙夜にとってささやかな居場所となっていた。

 二人がけテーブルがひとつきりのダイニングには、おれと沙夜の他に、教育係兼警護のマチカさんが控えているのもやりづらさの一因だ。豪奢な椅子に背丈が追い付いていない沙夜の背後から「お嬢様にこれ以上近付かないでください殺すぞ」と眼光を飛ばしてくるマチカさん。


「こんばんは泊まっていくの? でもタクトのぶんのお布団をしける床が部屋にないわ。はあ、まったく困ったものね。わたしたち、いつまでも子どものままではいられないのだけれど」


 全然困った風でもないことをのたまうので、


「へいへい、おとなしく真っ直ぐ自分の寮に戻るに決まってんだろ、ばーか」


 似たような口調で、感情を込めずに返してやる。どこまでが本心かつかみ所のないこの十二歳の自称婚約者に、妹も恋人も妻も知らない十七歳のおれは、手探りで応じるしかなかった。

 開戦の合図は唐突なものだった。


「――で、昼間のアレはどういうつもりだったのかしら。あなたが職務上エスコートを契約するばあい、相手は男性の異世界転生者に限定する。そういうわたしとの約束だったはず」


「だから、おれはそんな根拠のない約束に同意した覚えはねえって何度も言ってきただろ」


「わたしだってそんな反論になっとくしたおぼえはないわ」


 迷いのない視線が刺さる。どうにもならない感情。沙夜がおれに何を求めてるのかわからない。でもこいつはまだ子どもだ。愛だの恋だのといった感情でおれをどうこうしたいわけじゃない。独占欲みたいなものか。そんなワガママに振り回されて、今すべきことを見誤るな。


「納得したかどうかなんて論点じゃねえだろ。おれ個人の意志の問題だって話したよな。エスコートがどんなやつだろうと、おれのしたいことは変わりはねえ。おれの願いはな、異世界交渉士になって、さまよえる彼らを手助けすること、その一点のみだって。おれは別に出会いを求めて交渉士してんじゃねえ。沙夜が気にするような問題なんてはなっからゼロなんだよ!」


 一気にそうまくし立ててしまってから、憤りが羞恥心に変わるまでを味わうはめになって。

 なのに沙夜は怯むことなく、おれの気持ちなんてお構いなし。言葉も躊躇わなかった。


「いいえ、タクトが出会いを求めていることくらい、妻たるこのわたしにはお見通しよ。あなたがそこまで交渉士にこだわりつづける理由が、わたしにはずっと理解できなかったの。でもようやく秘密をつかんだわ。タクトはね、まだ〝あの女〟のお尻を追いつづけているのよ!」


 思いがけず声を荒らげた沙夜。それに子どもがしていい言葉づかいじゃなかったから。


「おまえな――――――」


 無意識に煽られて、気付けばおれは席を立っていた。

 〝あの女〟――沙夜が初めておれの前で口にしたその言葉が、相転移炉の事故からおれを救い出してくれた、紫銀の髪の〝あのひと〟のことだってすぐにわかってしまって。


「そいつは十二年もむかしの話だ。おまえが生まれる前のことだぞ。……誰から聞いた」


 直接会ったこともないくせに、こいつはおれの思い出すらも束縛するつもりかよ。


「今朝〝あの男〟から聞きだしたの。あなたがどうしてそこまでじぶんの命をかえりみないのか。むちゃして交渉士になりたがるのには、きっとわたしも知らない秘密があるはずよ。わたしのたいせつな家族であるあなたを守る義務が、わたしにだってあるわ」


 大切な家族。守る義務。子どもの口から言わせていい台詞じゃない。我に返って、今おれがやるべき行動は何かと思考を巡らせて。

 ぎぎ、と不快な音を立てた椅子を引きずってどかすと、肩をいきらせながら沙夜へと迫る。ものすごい形相のマチカさんを制止した沙夜に、おれは怯むことなく掴みかかった。


「なによ、きゃあ――――――!?」


 力尽くで沙夜を椅子から引っこ抜くと、驚くほど華奢で軽かった彼女を姫抱きにして、そのままダイニングから連れ去る。思いあたる〝あの男〟なんて、あいつしかいなかったからだ。


「はな――――はな、しなさいっ――――――」


 おれの腕の中でジタバタともがく沙夜は、顔を真っ赤にしていたくせに、彼女なりの笑顔だった。戯れか何かだと侮られていて、余計に腹が立つ自分にも腹が立って。

 だからリビングのソファで沙夜を解放して、テーブルに設置された端末のスクリーンを点灯させるまで彼女はおれにされるがままでいた。

 さすがにおれが何をしようとしているのか察した沙夜は、


「ちょっと、今そんなことやめて――――」


 スイッチを切ろうと暴れる彼女を羽交い締めにしてる間に、端末スクリーンに人型を簡略化したアイコンが映し出された。

 おれが端末で呼び出したのは、マルクトル運営組織であるSEDOの総帥・烏丸國弘――つまり沙夜の養父だった。


『やあ、珍しい時間にかけてくるんだね、沙夜。ひょっとしてタクト君といっしょかい?』


 うんざりするほど聞き覚えのある、誠実そうな演技が得意な男の声。ただ〝音声のみ〟と表示されていて、端末スクリーンは男の顔までは映さなかった。

 父親と直接対面しているわけでもないのに、沙夜は慌てておれの背中に隠れてしまう。そのまま一向に返事をしようとしない沙夜に代わって、おれが話を切り出してやる。


「すみません、沙夜は少し体調がすぐれないみたいです」


「ああ、やっぱりタクト君だった。いつも色々とすまないね。娘とは今朝話したばかりなんだけど、また何かあったのかなって思ってさ。食事はもう済ませたのかい?」


「ああ、いえ……今晩はごちそうになりました」


 このひと、白々しいほどをおれ相手にもしてくるものだから、いつも口調が引きずられてしまって当たり障りのない会話になりがちだ。

 ただ端的に言えば、沙夜は父親が死ぬほど嫌いで、こればかりはおれの意見と一致していた。

 ――また女と会っているのよ。だからこの男と連絡するなら、夜はぜったいだめ。

 そう耳打ちしてきた沙夜に、端末の映像が切られている理由をようやく理解する。


「すまないね、僕はまだ職場で取り込み中でね。定期的に娘の顔くらい見ておくべきなんだろうけれど、ウチはほら……肝心の母親が研究熱心で家庭を顧みないからさ。あの人、いくら人類の希望の星だからって、そろそろ後任に研究を託していい頃合いだと思うんだけどねえ。まあ、タクト君が娘のそばにいてくれるおかげで、父親としても安心できるよ」


 それが嘘なのか本心なのか、妻以外の女性といるのが事実かどうかも、正直どうだっていい。沙夜が希望を見出している相手は、両親ではないのが現実だった。

 沙夜はおれと同じの孤児だから、この男との血縁なんてない。血縁なんて重要じゃなくなった時代だからこそ、事あるごとに「娘だから、父親だから」と強調してくれるこの大人が必要なんだって納得させてきた。たとえ一方的な関係だとしても、だ。


「娘の世話はマチカ君が頼りになってくれてるけど、彼女もお姉ちゃんってよりは秘書さんみたいな関係に徹しちゃってるからねえ。かといって少子化がいきすぎて、マルクトルには学校が必要なくなっちゃったし。同年代の友だちをつくる機会がなくちゃ、娘も可哀想だもん」


 そのせいで沙夜が心を閉ざしているとでも言いたいのだろうか。沙夜は別に心を閉ざしているわけじゃない。ただ、過酷なこの世界で生き延びる術を、誰よりも早くに身につけただけ。


「でもね、その子の父親になれた僕はマルクトル一の幸せ者だよ。ふふっ、これは僕の本音! 我が家に天使を連れてきてくれたのがタクト君だもんね。だから君もそんな他人行儀にならないでさ、これまでどおりその子のそばにいてあげてよ――」


 父親、幸せ者、我が家、天使――空虚に口ずさまれる、理想の〝父と娘〟の関係。

 小さかったおれも沙夜も家族を知らなかったのは、思い返してもそういう運命だからとしか言いようがなかった。それでも運命とやらの数奇さに引き合わされて、今はふたりでこの家にいる。なのに、血の繋がりなんて前時代の遺物だって一蹴した大人は――沙夜を天使とまで言ってのけた烏丸國弘は、天使と食卓を囲むことなんて一度たりともなかった。

 さすがに嫌悪感に飲まれすぎだと、意識から振り払う。


「――あの、親父さん。〝あのひと〟の、ことなんすけど……」


 話題を遮ってそう切り出してみれば、國弘氏は一瞬理解が追いつかない反応を見せた。


「ごめんごめん。タクト君と話せたの久しぶりだったからさ、一方的にこちらの話ばっかしちゃって悪いねえ。通話してきたのはその件かい? 例の、君の救世主となった異世界転生者の」


 相転移炉の事故から生還したおれと、おれを救った〝あのひと〟を保護したのがSEDO総帥・烏丸國弘だ。行方知れずの〝あのひと〟との接点が、この男だけしかないという現実。


「あのひとに礼ひとつくらい言いたいってずっと後悔してたせいで、なんか沙夜を不安がらせちまったみたいなんです。あのひと、どうして黙っていなくなったんですかね。親父さんの方であのひとの行方とか、結局掴めてないままなんですよね?」


 意味のない質問でも、こうなったら沙夜の前でちゃんと話すべきだった。


「あはは、なんか色々とごめんねえ。経営陣にすぎない僕らじゃ、そのひとの捜索を進展させようがないもん。そのために僕が転生者保護局を創設したんじゃない。タクト君達が情報掴んでいないなら、SEDOにも報告が上がってきようがないのが現実さ」


 返答もありきたりなものだったけど、これがいま必要な成果だ。


「いえ、進展ないならいいんです。わざわざお仕事中なのにお邪魔しました」


 これ以上話が長引かないよう、「沙夜が呼んでるみたいなんで失礼します」と嘘を添えて一方的に通話を断ち切る。

 沈黙が訪れたリビングには、おれと沙夜の息づかいだけが残った。


「……それで、いまのはなに。あの男とは可能なかぎり話したくないってしっているくせに、いやがらせなの? 妻を不愉快なきもちにさせてまで、なにを証明したかったのかしら?」


 借りてきた猫みたいに警戒していた沙夜が、ようやく水を得て詰め寄ってくる。恥じらいもなくおれの膝にまたがって、鼻息を浴びせながら迫ってきたものだからたじろいでしまって。


「いや、だからさ。これでわかっただろ?」


「なんで目をそらすの。さっきのでなにをわかれっていうの。父親のひどい人間性? それとも未来の夫であるあなたが、長いものにまかれるしかない現実をみせつけられたしつぼー感?」


「ちげーっての! もうあれは終わった話だって、そういうことだ」


 なにが――と、なおも食い下がろうする沙夜に、おれは付け加える。


「――〝あのひと〟は所詮、十二年前の思い出だ。……いや、思い出なんて素敵なもんじゃねえか。施設でいっしょだった兄弟がみんな事故で死んじまったんだ。いまはカザ姉ひとりしか残ってないのを見りゃ、おまえだってわかんだろ」


 話術で相手の気持ちを誘導するのも交渉士のスキルだ。だから、そう残酷なストーリーを持ちだしてやれば、沙夜をしても言葉を躊躇うしかなくて。

 でも、さすがに意地が悪かったと後悔した。不安げな瞳をかすかに潤ませて、でもしっかりとおれを見すえてくる沙夜は、今すごく勇気を出してるんだってわかって。


「あんまこういう話を沙夜にしたくはなかったんだ。だから今まで詳しく話せてなかった。不安がらせて悪かったって思ってる」


 それを受け止めてやると、おれは伝えたかった本音をようやく言えるようになった。


「まだ〝あのひと〟に執着してるってわけじゃねえよ。ただ、おれは世界境を開いちまう特異体質になった。おれだけの特別だ。だから、おれが立つべき場所は現世界と異世界のなんだ。そのきっかけになったひとなんだ。それだけだって、おまえにも信じてほしかった」


 心の底から真剣にこいつと向き合った。気持ちは、これで伝わった。


「――それはお疲れさま。でもそうやって格好つけてごまかしてもだめ」


 なのに真剣に向き合ってくれていたはずの沙夜が、おれを叱るときのジト目になっていて。


「結論だけど、女のエスコートは認められません。このわたしが気に入らないから、が理由よ。わかったら、ほら、わたしの目を見てイエスとうなずきなさい、タクト」


 おれにまたがったままの至近距離で、鼻先がぶつかりそうな勢いで沙夜に迫られてしまう。まあ、伝わったらどうこうなるって、そう信じたおれが浅はかでバカだったわけ。

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