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 藤見タクトの人生は、五歳のときに一度終わったんだと思う。

 これは、発展途上のマルクトルが今よりもうんと閉鎖環境だった時代、おれみたいな〝研究局生まれ〟が集められた児童施設での出来事だった。

 寝苦しい夜だったのは覚えてる。目が覚めたらまだ部屋が真っ暗で、なのに窓の向こうが見たこともない光で満たされていた。それに驚いたカザ姉やルームメイト達みんなで、先生を叩き起こしにいった。

 馬鹿で考えなしだった〝ぼく〟は、ひとり勝手に外へ飛びだしていった。

 濃紺の帳が下りたマルクトルが、まるでオーロラみたいな青緑のヴェールで覆われていた。どうしてこんな現状が起きたのかなんて気にとめていなかった。

 カザ姉の叫び声にも耳を貸さなかった。あぶないよ、はやくにげようよ、タッくん――って。

 急速に強まっていく光に気付いて、ようやくぼくの好奇心が恐怖に代わった。

 閃光。どうすればあの目映さから逃れられるのかわからなくて、裸足で裏庭の芝生を駆け、高いフェンスに必死でしがみついたところで――そう、あのとき味わったのは、現実感が反転したとしか言いようがない感覚だった。

 次に意識が戻ったときに、取り返しがつかないことが起きたのを悟った。

 半壊して炎を吹き上げる児童施設。ひしゃげたフェンスと、おかしな向きに折れ曲がってしまったぼくの脚。ぼく達みんなと同じ、白い髪の女の子が近くに倒れてる――カザ姉って呼ぼうとしても、声すら出せない。

 周囲の景色がぐるぐるして、天国へ光の柱を放つ怪獣の卵――海上の相転移炉に辿り着く。

 とても恐ろしいものが、あの怪獣の卵から生まれたんだ。そして朦朧としていく意識――

 ――二度目の目覚めは穏やかで、不思議と柔らかい感触がした。あの恐ろしい光はまだ降り止まないのに、ぼくを抱きかかえてくれているひとがいる。

 見たこともない紫銀の髪の毛に頬をくすぐられる。ぼくを死の淵から連れ出してくれたこのひとは、施設では見たこともない姿をした大人の女性だった。

 不安げな瑠璃色ラピスラズリの眼差しが上から注がれる。不安――いや、単に苦しくて辛かったんだと思う。どうしてこのひとが泣いているのかわからなくて、ただ他人の涙がこんなにも塩っぱくて温かいものなんだって、ぼくの記憶に刻みこまれた初めての瞬間。

 交わされる言葉なんてなくて、ただ力尽きたぼくを炎のさなかから連れて、一歩ずつ未来へと運んでくれている。このひとの震える体は暖かでいいにおいがして、でも小さかったぼくの手はこのひとの涙まで届かなくて。

 泣かなくていいのに。ぼくは大丈夫だから元気になって。母親のいないぼくにとって、それはきっとこういう関係なんだろうなっていう不思議な気持ちに包まれて。

 二日後に病院で目を覚まして、あれは相転移炉が暴走して引き起こされた事故だと知ることができたのは、さらに半年近く経ってからのことだった。

 この事故で特異点物質インガライトの奔流に飲みこまれたおれの身体に、ある異変が起きていた。

 それは世界境を開くトリガーとなってしまう特異体質。おれの意図とは無関係に、だ。

 こうしてSEDOから隔離対象患者とみなされたおれは研究局暮らしを余儀なくされ、程なくして沙夜と出会うことになる。

 おれを救ってくれた紫銀の髪の〝あのひと〟は、あれからどこに消えてしまったのだろうか。

 どこか遠い世界からやって来たあのひとに、いつかもう一度会いたくて。だからおれは物心がついたころには、自然と異世界交渉士を目指していた。

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