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 洋上実験都市マルクトルは、生命樹を模して配置された計一〇基の人工島プラットフォームで形成される。入植者達の寮が集まる居住区島、ショッピングと観光地の役割を担う商業区島、そして相転移炉の研究拠点となる研究区島に大別される。

 およそ五キロメートル四方の面積を誇る居住区島の一つ、七番プラットフォーム。そこに多層構造で詰めこまれた都市建築群の一角に、異世界交渉士のオフィスがある。

 交渉士が所属する転生者保護局は、特異点エネルギー開発機構Singularity Energy Development Organization――通称SEDOの下部組織だ。インガライト相転移エネルギーシステムの研究機関であるSEDOには、世界境を呼び出してしまった社会的責任がある。

 保護局の受付を抜けると、異世界交渉士の所属部署である一課オフィスがある。と言ってもうちは慢性的な人手不足&予算不足。計三〇名足らずが兼務だのなんだのをやりくりして回してる超・弱小組織なんで、部署も一課と二課しかない有り様でちっとも格好つかない。

 で、一課の奥にある資材倉庫にたどり着いてみれば。


「あの、カザネ。私へのプレゼントというのが、これなんでしょうか?」


 そこで戸惑うフラウにカザネさんが差し出してきたのは、一振りの細い西洋剣だった。


「アイ・アームズ。私やタクトくんに支給されてる護身用武器と同じ構造のものよ」


 アイ・アームズというのは、交渉士に支給される護身用武器のことだ。カザネさんが贈ったのは西洋剣型の特注品。革張りの鞘は、フラウの帯剣ベルトにきっちり収まるものだ。

 鞘に収まったその模造剣を、慎重に抜き放つフラウリッカはやはり様になる。解放された特殊樹脂製の剣身が、外光を浴びてインガライト固有の光を帯びる。薄青緑色をした光の刃だ。


「おお……これが、インガライトの輝き。異世界転生者だけを殺めるという、諸刃の剣」


 フラウリッカの額に玉のような汗が浮かぶ。諸刃というのは洒落でもなんでもないからだ。


「こらこら、物騒な言い方しないの。でも迂闊にそのインガライト光に触れちゃうとフラウだって体が不安定になるから、気を付けてね?」


 アイ・アームズが放出する特異点物質インガライトは、実のところ人体には無害だ。アイ・アームズが非殺傷系武器だと言われてる所以。

 だがこのインガライトは、世界境を越えて転生した者達の、概念そのものに強く干渉する特質がある。インガライト相転移エネルギーシステムが引き起こした現実改変は、インガライトによってのみ収束できるというわけ。


「異世界転生者にとってのインガライトってさ、火と油ってよりは〝触媒〟って喩えた方が適切だから。おれのアイ・ドローンみたいな応用だったら薬にもなるかもだけど、アイ・アームズは食らっちまったら薬じゃなくて毒にしかなんねえからな」


 フラウ自身そんなのわかりきってるはずだけど、口酸っぱく解説してしまう。アイ・アームズによる干渉ダメージが許容値を越えた場合、転生者がどうなるか知っているから。

 この〝強制送還〟と表現される現象を、おれには許容することができそうになかった。


「諸刃の剣、いいな、たまらん……スリリングな緊張感が私の騎士道精神に訴えかけてきます」


 なんなのそのマゾヒスティック騎士道精神。ていうかナゼ恍惚の表情? ちょっとエロいと思ってしまうおれの本能もだいじょうぶ?


「はは……剣を抜いたらキャラ変わるフラウでよかった。でも、おれと一緒の、刀剣タイプのアイ・アームズかあ。正直、エスコート用のアイ・アームズって、銃とか遠距離タイプのが安全なんじゃねえかな。自分を強制送還しちまうリスクも、あっちのが低いしさ」


「え~、この子が銃ぶっ放してる姿なんて、私にはぜんぜん想像できないなぁ。やっぱりフラウは騎士だもの、剣が一番似合ってるわ。だからね、フラウになら絶対使いこなせると思うの」


 拳銃を構えるフラウリッカをイメージしたら、何故なのか怯えた目が返ってきた。


「これね、先週SEDOの研究局に発注かけてたのよ。お昼前に二課の承認が通ってよかった」


 二課ってのは、いわゆる現場以外の仕事――つまり装備調達から転生者の管理までこなす、我らが転生者保護局の何でも屋的な部署だ。


「つまりカザネっち、私からヴレイズン=グローラを取り上げようって、一週間以上も前から企ててたんですね。ひどいです、鬼です鬼神です……現世界一めんどくさいオンナです」


 などと、またメソメソしだした騎士殿のつむじに鬼神カザネのチョップが刺さり、キラキラ美少女フェイスがダミ声で「ぐえっ」と鳴いた。


「とにかく、フラウは次からそのアイ・アームズを携帯すること。ヴレイズン=グローラⅡ世とでも名付けて、実戦で適切に使いこなすように、ね?」


「ヴレイズン=グローラ……Ⅱ世………………おいおい、素敵かよ……」


 まんまと口車に乗せられたフラウリッカが、菫青石アイオライトの瞳をキラキラとさせた。


「まあ、できれば武器に頼んなくてすむ交渉を希望してるんすけどね、おれ的には」


 ふいに心をよぎったことを、無意識にぼやいてしまっていた。なんて皮肉っぽい言い草。


「タクトさん、やはり実戦が怖いのでしょうか。でもどうかご安心ください。このフラウ、メンタルよわよわでもカラダはつよつよ。ズタボロになりながらでもタクトさんの肉の盾くらいならなれますよ?」


 そんな後ろ向きに胸を張られても、逆におれが情けなくなるだけです。


「いやさ、あの、ごめん。おれが言いたかったのは、そういうんじゃなくって」


「ご安心めされよ。このフラウリッカ・アイオローグが騎士道のキから伝授して――」


「――怖いって意味がね、ちょーっと違うのよぉ、タッくんの場合は」


 うっかりフラウの騎士スイッチが入りかけたところで、カザネさんからフォローが入った。


「異世界交渉士の本分は、異世界転生者と対話し、保護すること。そのことをタッくんはすごく大切に考えているのよ。私達本来の武器はアイ・アームズじゃないわ。よ」


 リップグロスのきらびやかな唇をつついてみせたカザネさんが、続いて自身の胸元を指す。ジャケットを脱いでいるせいで肉付きのいいそこが強調され、目のやり場に困ってしまう。


「つまり転生者と腹を割って話し合いましょうと、タクトさんは仰りたいのですか?」


「おれは、それができるならそうしたい、ってだけでさ。それに厭なんだよ。強制送還とか。あんなの、おれの一番嫌いなやり方だ」


 言ったそばから、声色に怒気が滲むのを抑えきれなかった。

 強制送還は、言わば概念の殺人だ。インガライトを過剰に浴びた転生者は、自身の概念が保てなくなって消滅してしまうから。そして現世界から消滅した転生者が、元の異世界に戻れたのかどうかなんて調べようがない。ただ目先の問題をだけ。


「タッくんがそう思うのもお姉ちゃんにはよくわかるんだ。だから私もフラウと出会えたんだもの。タッくんにだって、これからも素敵な出会いがいっぱい待ってると思うの」


 あくまでポジティブに言葉を重ねてくれるカザネさん。邪念のない視線に照れるしかなくて。


「カザ姉、なんかごめん。ヘンな流れにしちまって。やっぱ、おれがまだ見習いで……エスコートも全然見つかんないしで焦ってるって言うか、仕事中にちょっと先走っちまってるのかも」


 この吐露が端的に、異世界交渉士としてのおれが抱えている悩みのすべてだった。

 おれは異世界交渉士のライセンスは取得してはいるものの、実のところカザネさんたち先輩に同行することでしか交渉現場に参加できない、言わば研修中の見習い交渉士なんだ。


「ふふ……そんな悩める思春期・タクト少年に、お姉ちゃんからサプライズがあるのですぅ」


 などと完ぺきなウィンクをくれたカザネさん、思いも寄らぬことを切り出してきて。


「今朝保護した三名の転生者ね。二人組の冒険者さんの方は、ようやく落ち着いてくれたの」


 その話は、今朝おれ達チームで交渉に挑んだ、あの仲睦まじい異世界転生者のことだった。


「確か男性がマグルで、女性がファラミィ。どっちもニルヴァータ世界の出身でしたっけ」


「タッくん覚えててくれて話はやい! でね、ファラミィさんはすっごく人懐っこくって。お昼に私が交渉してみたんだけど、条件付きで協力者になってくれそうなの」


 カザネさんの報せは――朗報と言っていいのか、今のおれにはちょっと判断つかなかった。


「入院中のマグルさんをケアする見返りに、彼女がエスコートになってくれるわ。異世界交渉士の仕事内容を説明して、お姉ちゃん、ちゃんとオッケーもらってきたの。早ければ明日にでもタッくんと面談可能よ?」


 カザネさんがこんな話をおれに持ちかけた意図は、まず一つしか考えられない。


「さあ、タッくんの気持ちはどう? エスコート契約、受けてみるつもり、ある?」


 エスコートのいない異世界交渉士なんて、保護局内でおれだけ。だから単独では交渉任務にあたれず、せいぜいカザネさんのサポート役か、市街パトロールで揉め事の仲裁をする程度。

 けれども即答できなかった。おれの抱えるプライベート事情が脳裏をよぎったせいで。


「ファラミィさん、おれのパートナー的なのになって大丈夫なんすか? その……戦闘スキルはどうなのかとか、あと……連れのマグルさんとの関係がややこしくなんないかとか……」


 そこは問題じゃないのに、決断を先延ばしにするような言葉がつい口をついてしまう。


「なあにタッくん、案外気を使ったりしちゃう方? その点は安心なさい、マグルさんはファラミィさんの実のお兄さんなのよ? 戦闘スキルについても、彼女は魔術の心得があるみたい」


 おれに正式なエスコートが付く。ずっと半人前だったおれにとって、喜ぶべき展開のはずだ。なのに嬉しさよりも不安ばかりがせり上がってきて。


「二課とも口裏合わせしてあるから、あとはタッくんの決断だけなの。局長にもナイショだからね? ファラミィさんにはタッくんの下で職場体験してもらって、そのままエスコート枠に滑りこませるの。……ね? お姉ちゃんといっしょに、既成事実、つくっちゃいましょっか?」


 急にヒソヒソ口調になるものだから、このひとの策略がわかってしまった。そもそもこんな場所で切り出してきたのも、端っから局長無視のオフレコだったからだろう。

 でも、おれに立ちふさがる壁は高く、そして強敵だって思い出させる声が聞こえてきて。


「――きせいじじつ、ですって? わが夫にいったい何をふきこんでくれているのかしら?」


 キツめに凄まれたら、冷酷なオトナの女性に錯覚しがちだけど。地声のトーンが低いからそう聞こえるだけで、この声の主がまだまだ子どもだっておれはよく知っている。夕陽を背に浴びたシルエットだって、小っこい女の子のもの。

 踵でドアを蹴り飛ばすと、小さいなりに重量感のある足取りで迫り来る。濡れ烏めいた髪。耳下で切り揃えられたショートボブがスローモーションで揺れる。睨みつける瞳に輝きはなく、ただおれだけを射止めて追及してくる。とても十二歳の子どもがする目つきじゃなかった。

 保護局の埃くさい倉庫にはあまりに場違いな、お嬢様然としたフリルのワンピース。

 おれに立ちふさがると、腰に手を当て、ちびっこい背を反らせて引き結ばれていた唇を開く。


「――ねえタクト。わたしはこの転生者保護局のオーナー兼クライアントとしてあなたに命じたはずよ? 女のエスコートは認められません、と。忘れたはずないわよね。だって、藤見タクトは将来、烏丸の籍に入るべき男だもの」


 まったくこいつは、開口一番にこれだから。


「――沙夜お嬢様。きみの意見は尊重してやりたいけどさ。いくらクライアント任されてるからって、おれの職場にまで顔を出すの控えてくんねえかな。あと、女性のエスコートの件ってのは、あくまでカザネさんが気を遣って持ちかけてくれただけの話だって」


 引き結ばれた女の子の唇が、より一層強ばった。


「お嬢様、とかわざとらしい。いいわけはゆるさない。浮気もゆるさない。いまココでエスコートの誘いをことわりなさい。わたしの目がつく場所で真実の愛を証明してみせなさい」


 静かだが肩を怒らせ、おれに狙いを定める人差し指は揺るぎない。傍らに付き添っていた警護役の女性までもが、主人に倣っておれを指差す有り様だ。無表情のままなのが余計に怖い。

 この女の子は、烏丸沙夜からすまさや。一体何なんだこの関係は――と長年苦悩してきたおれの隣人だ。


「ねえ、沙夜ちゃん? 沙夜ちゃんがタクトくんを心配してくれてるのはすっごくわかるの。なら、タクトくんの将来も同じくらい考えてあげて? ふたりは大切な家族だもんね? ね?」


 助け船を出してくれたカザネさんが、沙夜の傍らにしゃがみ込み目線を合わせる。なのに沙夜はそれに目もくれずに、ターゲットはお前だけだと言わんばかりの態度で。


「わたしはタクトの自由をみとめてあげたわ。〝異世界交渉士としてはたらきたい〟というタクトのだした条件をわたしはのんだ。だから、タクトもわたしのだした条件をまもりなさい」


 五つ年上のおれにピシャリと言い切ってくれる。躊躇いなどない、揺るぎない瞳だった。

 まだ何とかたしなめようとしてくれるカザネさんを、手で制止してやる。その背中に隠れてしまったフラウリッカなど、十二歳相手にちょっと可哀想になるくらいの怖がりようだ。


「わかったよ、沙夜。でもさ、こういう話はここではよそう」


 沙夜についてはさておき、こんな空気になってしまったのはやりきれなかったから。


「ここで結論をだしてと、わたしは伝えたのだけど。あなた、わたしの話をちゃんときいてくれていたの?」


「仕事終わったら、買い物ついでにおまえんち寄ってくから。そこで落ち着いて話そっか」


「……そのほうが話が早そうね。マチカ、来客の準備をしておいてちょうだい。最高のディナーを手配して」


 こう言われると弱いのをおれはよく知っていた。あっさりと引き下がった沙夜が、身辺警護役の女性――マチカさんに指示して退室していく。


「なんてお優しい沙夜お嬢様。貴様ごときゴミくず野郎には勿体ない、マルクトル最美の華」


 などと去り際に吐き捨ててくれるマチカさん。浅黒い肌にとがった耳が個性的な転生者二世で、この女性も沙夜に負けじと毒舌家なので、おれも感覚が麻痺してしまっているのかも。


「……ね、あれでだいじょうぶなの、タッくん? いくら研究局長の娘さんだからって、あんまり横暴なことを言わせとくと……その、将来的にあの子のためにもならないと思うの」


 まだ納得いかないらしいカザネさんに、おれにできる精一杯の微笑みで返す。


「あいつとの付き合いはカザ姉と同じくらい長いもん。研究局長の娘かどうかなんて、あんま気にしてねえよ。それに婚約者だって話も、あいつと親が勝手にそう言ってるだけだし……でも、あいつとおれが家族なのは、もうどうあがいても変えようがねえもん」


 うまく言葉にできない時点で、問題を先送りにしてるだけだってわかってる。でも、まだしばらくは現状維持することしか、おれ達ふたりにはできなかったんだ。

 烏丸沙夜という女の子について他人に説明するなら、インガライト相転移エネルギーシステムの開発プロジェクト代表・烏丸ニーナ研究局長の娘――って話せば一発で済む。相転移炉を頂点に成り立っているマルクトルにおいては、簡潔ですごく伝わりやすいプロフィールだから。

 ただ、おれと沙夜の関係を言えば、より複雑怪奇だ。沙夜にとってのおれは兄弟の代わり――もっと言えば親代わりとしか説明できないい、数奇な人生をふたりで歩んできたのだから。

 だとしても過去は過去。今や烏丸の後継者となった沙夜には、もう過去に縛られない自由な生き方だってできるはずだ。

 そしておれも烏丸家には、あの大事故からここまで生かしてくれた恩義があった。

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