i1 洋上実験都市マルクトル

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 考えがうまくまとまらなくなって、息抜きするために海が見える展望台まで出てきた。

 異世界交渉士の職務はなにも交渉ばかりではなく、居住区で現世界人と共生する転生者達のトラブル仲裁もある。だから交代制で市街地パトロールが行われ、溜まりに溜まったフラストレーションを持てあまし始めたら、こうやって海を眺めに来るのがおれの日課ってわけ。

 正確には海そのものよりも、〝アレ〟がそびえ立つ景観に引き寄せられるんだ。

 眼下を占める大海原の先に、忽然と姿をさらけ出す洋上プラットフォーム型の人工島。それを台座に鎮座している卵形の巨大構造物――あれこそがインガライト相転移炉だ。

 全高三〇〇メートルの威容には、畏怖のような感情が湧き起こってくる。おれ達がここで生活するための電力全てを賄っているライフラインとはいえ、どこか現実みの欠けた荘厳さ。

 この町自体も洋上プラットフォーム型の人工島だから、いま立っている展望台から海面を見下ろしていると、とてつもなく大きな客船で船旅でもしている気分が味わえてしまう。

 洋上実験都市マルクトル――インガライト相転移エネルギーシステムの研究目的で築かれたこの洋上実験都市でおれは生まれ、以来ずっと命運をともにしてきた。

 多元宇宙からエネルギーを取り出す相転移炉が、白い外装から青緑色の光を放射している。神秘と不気味のない交ぜになった、巨大な怪獣の卵みたいだ。気まぐれに世界境を発生させて、異世界の扉を開いてしまうという厄介な面もある。


「――で、こんなとこにいたのか、フラウリッカ」


 相転移炉にばかり夢中で気付けなかった。観光客向けに設置された双眼鏡にもたれかかってうなだれている女騎士殿の姿が、あまりに空気だったせいもある。


「……ひゃいっ?! ……ああ、誰かと思ってビビッちゃいました。タクトさんもここでたそがれに来られたのですか? ……え、えへへへ………………はぁ……死にて」


 のっけからの不穏発言。なんとか明るく振る舞おうと頑張ってくれたのもバレバレで、すぐネガティブに反転してしまうのがとてもフラウらしい。


「いや、おれのは別にたそがれてたわけじゃねえし。今朝の交渉現場も反省材料ばっかだったな――って頭抱えてんのは、まあそうなんだけどさ……」


 おれ自身のふがいなさが悩みの元凶だけど、相談相手がこの子じゃなあ。

 見れば、今のフラウリッカはいつもの紅い騎士甲冑姿じゃなくて、アンダーウェアだけの軽装だ。意外や筋骨隆々というわけじゃなく、引き締まっているのに出るとこは出てるところにちょっぴり動揺させられたり。甲冑ごと騎士の威厳まで脱ぎ捨ててしまったみたいに覇気ゼロの面構に、妙な親近感が湧いたり。

 安全柵に肘を乗せ溜息をつくフラウリッカに並ぶ。ごく普通にしていれば言葉遣いも服装も十九歳の女の子だ。そして〝マルクトルのトップアイドル〟なんて形容するっきゃないキラキラ美少女フェイスの持ち主でもある。

 なのにそのキラキラ美少女フェイスを生々しく横切る爪傷――こいつは特殊な魔物にやられたやつらしいんだけど、そのせいで左眼だけ睫毛も瞳も真っ白になってるフラウに見つめられると、こっちは心臓を掴まれたみたいな畏怖を覚えてしまうわけ。


「ふぇ、ふえぇん……もぉお仕事やってらんにゃい。メンタル病みそ。私なんて糞味噌だぁ」


 それが口を開けば途端にひっでえ泣き言で、畏怖の念とかぶち壊しである。

 カザネさんの仕事上のパートナーであるこの女騎士殿は、つまりは相方に色々怒られて落ち込んでいるということらしい。


「タクトさん聞いてくださいよぅ。カザネっちに私のヴレイズン=グローラ取られちったんですよぅ。はぁいフラウには危ないからお預けしようね~――ってお預けプレイかい! ざけんな、まーじブラック職場ぁ」


 フラウのネガティブうざ絡みスタート。かっこいい騎士サマ台なしじゃん。


「ふえーん、騎士しか取り柄がない私にひどくないですか? でもタクトさんもカザネっちに味方するんですよね? 愛するカザ姉ですもんね? まだおねショタなの? そこんトコどうなんだよぉボォイ……」


「ナニ言ってんのかわっかんねえし。つーかこっちの文化に染まりすぎだろ、一旦落ち着け。つーかナニ、そのブレイズンなんとかってやつ――ああ、あの剣に名前なんてあったのか……」


 珍しく帯剣していないのに気づいて、この子の落ち込み具合が腑に落ちる。街なかでマジものの真剣ぶら下げていたこれまでのフラウが異常だったんだけど。


「私ね、アレがないと心まで丸裸にされてしまう気がしててさ。皆の前ではシャキッとしなきゃなのにぃ……騎士の誇りとかぁ、家の名声に泥を塗らないこととかぁ……ふえぇん……」


 というのも誇り高き騎士たるフラウリッカ殿、メンタル面に関しては鋼鉄で武装しただけの超・弱気な乙女なのだ。ひとたび戦場に出ればキリッとした騎士モードを演じてくれるものの、モチベーションが折れたら途端にこう。ニルヴァータ世界にいたときと違って、ここでは弱音ばかりの女騎士殿を責める民草の視線などないから無理もない。


「はは……交渉現場であんだけ啖呵きっといて、オフでコレじゃ難民騎士サマも形なしじゃん」


 やべ、軽口が滑ったかも――って焦ったのは杞憂で、フラウは何も見ていないみたいに地平線だけをぼんやりと眺めていて。


「あいあい、そーですよー。こーんな形なしフラウですから、世間の皆さんに正義がどーだとか大見得ブチかます資格ゼロなんですよー」


 当てつけみたいな棒読みでボヤかれてしまい、でも全部おれ自身に跳ね返ってきて。

 今朝のことも何も言えなくなってしまったおれは、ほんのり前向きで行くことにする。


「別に、そのままでいいんじゃねえかな。今のフラウのがなんか〝わかり合えてる〟感じするな。おれみたいな見習い交渉士としちゃ、その、きょ、共感できなくもねえっつうか……」


 言った自分で歯切れが悪くなってしまう。真顔で言うには小っ恥ずかしい台詞だ。


「でもでもぉ、私は剣がないと何の取り柄もない女なのです。こんな丸腰じゃ、カザネっちひとり守りきれないかも。貴重な補給コンテナまでブッ壊しちゃったし。ふええ……このままカザネっちのエスコート、クビになっちゃうのかな…………無職、つらそうだな…………」


 こんな弱音を吐いちゃいるけど、フラウはすごく強い。

 異世界交渉士は、多少の戦闘訓練を受けているとはいえただの一般人だ。常人よりも身体能力に秀でているわけじゃないし、軍人や警官とは違って携帯できる武器にも法規制がある。

 そんな異世界交渉士も、ときに強大な異能を持つ異世界転生者と対話交渉しなければならないのがマルクトル特有の事情なわけで。

 だからこそ異世界交渉士は、協力関係を結んだ異世界転生者とツーマンセルで行動するのが原則だ。それが交渉士の身辺警護役――エスコート制度。


「――あらあらぁ、今日は一段とネガティブ入っちゃってるのねフラウったら。あなたをクビにするなんてあり得ないわ? 私の大切なパートナーだって何度も伝えたでしょう?」


 軽快なヒールの音が聞こえてきたと思えば、声をかけてきたのはカザネさんだ。


「私はありのままのフラウでいいってこの前も話したじゃん。いまの可愛いフラウと、騎士としての格好いいフラウ――どっちも私にとっては大切なフラウリッカに違いないのよ?」


「…………ふぇ……か、カザネっち…………」


 フラウの目に再び光が宿る。ほんわかとした口調でなだめるカザネさんは、沈みゆく夕陽を真っ向に受けているせいで、さながら聖母のよう。


「あなたと私はかけがえのない絆でつながった、世界を越えた親友同士なのだから、ね?」


 そうして優しく広げられた聖母様の両手に、


「えー、さすがにそれちょっと重いオンナって感じでしんどみが強いですよカザネっち。私、アイオローグ家の一人娘なんでそーゆう百合ユリ展開はお断りでーす」


 聖母のまなざしにジト目で返し、にべもないフラウは相変わらずだった。でもユリがどうとかって何の話だろう? またネットのマンガなんかでヘンな知識を覚えてきたな。


「んもぅ、つれないなぁフラウってばぁ。せっかくお姉ちゃん、落ちこんでるフラウに素敵なプレゼント用意してきたのになぁ……」


 肩を落として心底落胆するカザネさん。でも淡い浅葱色に染め上げた髪が潮風に揺らいだ一瞬、隠れていたツッコミ待ちのドヤ顔がおれから見えて。


「えー。このタイミングでプレゼントって、今回はなに企んでるんですかぁ? また調理に失敗してレンジ爆発させるとか、ああいうドジっ子展開は私、まじノーサンキューなんですけど」


「フラウもあの事件はいい加減忘れてよぉ。私だって後始末、超頑張ったじゃんかぁ」


 それが何の話なのかは見当が付かないが、フラウの悪意なきカウンターパンチを喰らうはめになったカザネさんは、まるで小さい子みたいに手足をジタバタとさせる。


「――とにかく、ね。街のパトロールは次の定時連絡で後続班にバトンタッチ。本部に戻ったら、ふたりとも資材倉庫まで集合するように。これ、お姉ちゃん命令?」


「えっ……ふたりって、なんでおれまで巻き添えなんすか?」


 事情はわからないけど、この凸凹コンビの悪だくみに巻き込まれたのだけは間違いなかった。

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