7-11 ヒイロ、ブレイブを断罪する
「フィリスとイサミさんがこっちに向かっている。合流するまでここで待とう」
俺とブレイブは、ずぶ濡れになって冷えた体を寄せ合いながら座り込んだ。荷物は中まで湿ってしまい、焚き火で暖を取ることもできない。
「……ヒイロ、一つ聞きたいことがある」
「……何だ」
しばらく無言で居ると、ブレイブが背中越しに話しかけてきた。
「どうして僕を助けたんだい。今回の救助は、君自身の命が失われる可能性があっただろう」
「……まずは礼を言うのが先だと思うんだが、まあいいだろう」
相変わらず人の気持ちを考えないブレイブの言い方に、俺はついムッとなってしまう。こいつの場合は、悪意がないから余計に腹が立つのだ。
「お前の言う通りだ。水難事故の救助は、二次被害の可能性が高い。今回の俺の行動は悪手だっただろうな」
実際、ブレイブを助けるために飛び込んだ先で、俺は水面に上がることができなくなってしまった。今回のような機転と幸運がなければ、2人とも溺死していたはずだ。
「なら、どうして?」
「そうだな……。理由の1つは、イサミさんに頼まれたからだ」
「師匠が? 君に?」
「イサミさんはフィリスを助けるので手一杯だった。でも、お前のことがあきらめられなかったんだよ」
ブレイブの問いに対し、答えに困った俺は、とっさにイサミさんに責任転嫁をした。だが、ブレイブは納得ができないらしい。
「いや、この場合の最適解は、僕を見捨てて、ヒイロを確実に助けることだ。なぜなら、進路決定もマッピングも、僕がいなくても君ができるからね」
「なるほどな。逆に、俺達2人を同時に失えば、残されたイサミさんとフィリスが帰還できる可能性は低くなる、というわけか」
ブレイブの言い分はすべて正しい。もし、今回のパーティーが全員見ず知らずの冒険者だったら、俺は彼の言う通りに動いていただろう。
「師匠にその判断ができなかったとは思えない。フィリスは感情論で君を選ぶか傍観するだろう。だから、僕が見捨てられなかった理由が分からないんだ」
「理由なら言っただろう。お前を諦めきれなかったからだ。それは俺もフィリスも同じだ」
あの一瞬で、俺達はいくらでも何かを身代わりにできたし、誰かを助けようとすることもできた。そこには、正義や自己保身もあったはずだ。しかし、そこに矛盾が生じたことこそが、誰も犠牲を望んでいないことの証明なのだ、と俺は思う。
「どれほどの冒険者でも、一切の感情なしに仲間を見捨てることなんてできないものなんだ」
「……僕たちは迷うべきではない。仲間を見捨てたという選択は変えられない過去になるだけだ。そこに感情が伴うべきではない」
「いい加減にしろよ!」
俺は熱くなって、つい立ち上がってしまった。ブレイブは、自分の命すら損得勘定の天秤に乗せることで、自身の主張が公平であることを証明した気になっているのだろうか。彼の言動は、かつてそうやって追放された俺の神経を逆なでするには十分だった。
「いいか、お前が説教をするつもりなら、俺にだって言いたいことが1つある」
俺はブレイブを見下ろしながら、さっきは言えなかった本心をさらす覚悟を決めた。この場にウィズがいなくてよかった。そう思うほど、俺は自分の心が復讐に支配されている自覚があった。
「お前は弱いから自分のことで手一杯なんだろう。でも俺には人を助ける力がある。だから、俺はお前より強い」
俺は、ずっと腹に抱えていた負の感情を吐き出した。言葉だけ切り取ればキレイなものだ。しかし、死んだと思っていた男が生きていて、ずっと自分に恨みを抱き続けていて、そんな男に命がけで救われた時にこう言われたなら……。ブレイブならどう感じるのだろうか。
「……君は……君は頭がおかしいのか、ヒイロ。僕に復讐をしたいのか? なら、僕を助ける以外にひどいやり方がいくらでもあったはずだ」
「これ以上の方法なんてないさ。なあブレイブ、お前に俺の気持ちがわかるか。何の感情もなく追放された、俺の気持ちが」
「分からない……君の気持ちが……君が今どんな顔をしているのか……」
ブレイブはまるで理不尽な暴力にでもさらされているかのように、呆然としながら俺を見上げている。ここまでしても、こいつは何も分かっていない。ならば、俺も手段を選んではいられない。
「また逃げるのか? 仲間の
「あの……とき……?」
急に過去の話に移って、ブレイブは困惑しているようだ。これは、第5層に迷い込んだばかりの時、ブレイブの過去として語られた話だ。砂漠の遺跡からの脱出と引き換えに、彼の仲間が犠牲になった、というものだったはずだ。
「教えてやろう。砂漠で仲間の一人を失った時、イサミさんは迷ったんだよ」
「いいや、師匠は迷わなかった。迷わずネイサンを見捨てた。僕なんかを助けるために」
ブレイブは俺の考えを否定しようとした。確かに、イサミさんがネイサンではなくブレイブを助た時、その判断に迷いはなかった。そして、その結果は偶然によるものだったかもしれない。しかし、本当に残酷なのは……実はそこではないのだ。
「分からないのか? イサミさんが迷ったのはその後だ」
「その……後……?」
「イサミさんはこう考えた。もしお前ではなく、もう一人の仲間を助けていれば、とな」
憶測だ。本人が語ることを拒む以上、イサミさんが何を考えていたかなんて、俺には憶測することしかできない。しかし、それに気づいた俺を、イサミさんは口止めした。答え合わせにはそれで十分だった。
「……そんなわけないよ。だって、その後師匠は、僕が問い詰めた時、笑って……」
「お前は他人の感情に敏感すぎたんだ、ブレイブ。だから、気づいてしまった。イサミさんがとっさに本心を笑顔の裏に隠したことに」
普段は饒舌なブレイブの口数が明らかに少なくなる。暗闇の中で彼の瞳孔は開ききっていた。唇が震えているのは、寒さのせいだろうか。呼吸が浅いのは、疲労のせいだろうか。いや、それだけではないだろう。
「師匠がそんなことを考えるはずがない……。強くて、優しくて……。そんな事を考えるべきではない……」
「どれほどの冒険者でも、一切の感情なしに仲間を見捨てることなんてできないんだ」
迷ってしまったイサミさんは、リーダーとしても師匠としても失格だろう。だからこそ、それをブレイブに悟らせないように取り繕ったし、俺に口止めをしたのだ。当然、ブレイブには面と向かって非難する権利がある。とはいえ、彼がとった行動はあまりに極端だった。
「お前は逃げたんだ。表情も本心も、どちらも読み取れなくなくなれば、お前にとって都合のいい幻想を……優しくて強い師匠だけを信じることが出来るからな」
あの時からブレイブは、人の心に寄り添えない人間になってしまった。その対価として、彼はどんな時も迷わないリーダーシップを手に入れた。雪山で仲間に見限られる、その時までは……。
「ヒイロさん!」
突如、俺たち以外の人物が叫び、会話に割り込んできた。ようやく合流したイサミさんだ。早足で俺に詰め寄ると、ブレイブから引き離すように突き飛ばし、胸ぐらを掴み上げてきた。
「イサミさん、やめてください!」
遅れて追いついたフィリスが、イサミさんの腕を抑えようとするが、びくともしない。むしろ、俺の襟はますます締め上げられていく。
「なぜ言ってしまったのですか?! あれほど黙っていてくれと頼んだのに!」
イサミさんは、ブレイブの目の前で俺を責めた。もはや、弟子に真実を隠すことはできないと判断したのだろう。そんな師匠の様子に、ブレイブもいよいよ真実を受け入れざるを得ない。
「イサミさん! 落ち着いてください!」
フィリスの二度目の懇願に、ようやくイサミさんが俺から手を離す。しかし、むせながら崩れ落ちる俺に向けられる目は、まだ俺を許してはいなかった。
「……逃げたこの子の何が悪いのです? 残酷な現実を無慈悲に突きつける人間のほうが、よほど倫理に反している!」
うずくまる俺にフィリスが駆け寄る。彼女は俺の肩をさすりながら、イサミさん見上げて睨み返した。
「ブレイブの問題には、いずれ誰かがメスを入れなければいけませんでした! それを放棄していたのは、あなたたちではありませんか!」
「やめてくれ、2人とも!」
どんどん熱くなる2人を見ていられなくて、俺は気力を振り絞って叫んだ。俺とブレイブの個人的な不仲に、フィリスとイサミさんを巻き込んでしまっていることが、とても情けなかった。
「俺が悪かった。イサミさんとの約束を破ったのは俺だ。ブレイブを傷つけようという悪意もあった」
「ヒイロ……」
フィリスが悲しげに俺に寄り添う。彼女の声色には、弱った俺への思いやりだけでなく、イサミさんに強く当たったことへの後悔も滲んでいた。
「……師匠、もうやめてくれ」
「ブ、ブレ坊……しかし……」
そして、なおも納得がいかないイサミさんをなだめたのは、なんとブレイブだった。彼の瞳は完全に戦意を喪失しており、湖水のように暗く穏やかだった。
「……すみません。私としたことが、つい取り乱してしまいました」
「大丈夫だよ。師匠が僕のために怒っているのは、見たらわかるから」
この言葉を最後に、ブレイブは口を閉ざした。しかし、イサミさんが矛を収めるのには十分だった。
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