7-10 想定外のダイビング

「鉄砲水……!」


 イサミさんの警告に、先頭のブレイブが血相を変えて反応する。彼は素早く辺りを見回し、下流の様子を把握しているようだ。突然の事態の驚きつつ、俺も対処法を考える。


「壁につかまれば、流されずに済むか……?」

「だめだろうね。手が滑ってしまうだろう」


 そうこうしている間に、俺たちがいる地点の水位が急激に上がる。大きな力に持ち上げられるような感覚と同時に、足が川底から離れてしまった。穏やかな水面に、今は恐怖すら感じる。


「きゃっ……」

「フィリス、俺に掴まれ!」


 支えを失った俺たちの体は、成すすべもなく流される。俺は、水に背中を押されて前のめりになったフィリスを抱きとめ、仰向けに浮かべるよう手助けをした。


「激流が来ます! 皆さん、息を吸って……」


 その警告を最後に、最後方のイサミさんの姿が波の中に消えた。遠目からはゆっくりに見えた波は、近くまで来るとものすごいスピードだ。


「フィリス、俺から手を離すなよ!」

「分かりました……わ……ぷ!」


 覚悟を決めた俺たちにも、波は容赦なく襲いかかってきた。泳ぐ余裕もない激しい流れの中で、俺たちはあっという間に体の自由を奪われる。まるで滝の中を流されているかのようで、水から顔を出すことすらできない。


「(川幅が広がれば、流れが穏やかになる。そこまで何とか持ちこたえるんだ!)」


 鉄砲水は、不幸にも俺達が狭いところを歩いている時に襲ってきた。当然、水の勢いが集中することで、流れがより速くなってしまった。文字通り手も足も出ない今、どこかで体勢を立て直すチャンスが訪れることを祈るしかない。


「(この先には、大きなカーブがあったはずだ。そこなら水流が減速するかもしれない……)」


 だが、俺の読みは甘かった。カーブに差し掛かった水は、減速するどころか、飛沫を上げて壁に激突している。このまま流されれば、俺達も壁に叩きつけられることになるだろう。


「(ブレイブは……イサミさんは……どうなっている? せめて、フィリスだけでも守らないと……!)」


 俺はとっさにフィリスを抱えるように抱きしめた。次の瞬間、俺の背中に強烈な衝撃が走った。肺の中の空気が一気に押し出され、痛みに一瞬意識を手放しかける。


「ごぼっ……!」


 俺の視界からフィリスの姿が消え、光が遠ざかっていくのが見える。恐らく、さっきの衝撃で手放してしまったのだろう。同時に視界の端では、イサミさんがカーブに激突する寸前に壁を蹴って、俺を追い越していくのが見えた。


「……ぷはっ! みんな、大丈夫か?!」


 難所を越え、俺は何とか息継ぎをすることができた。スタート地点目前まで押し流されたことで、川幅の広いところまでたどり着いたのだ。酸欠の体に酸素がいきわたると、脳が覚醒し、視界が激しく明滅する。


「私は大丈夫です! フィリスさんもここに!」

「ヒイロ! 無事なのですね! よかった……」


 濁流の音に混じって、イサミさんとフィリスの声が聞こえた。数メートル下流の方に、フィリスの明かりとイサミさんの姿見える。恐らく、俺と離れ離れになってしまったフィリスを、イサミさんが助けてくれたのだろう。あの状況で泳ぐことができるなんて、本当に恐れ入る。


「ブレイブ! 返事をしろ、ブレイブ!」


 残すはブレイブの無事確認だけだ。しかし、彼の姿がどこにも見当たらない。激しい流れの中で追い抜いてしまったのだろうかと振り返るが、上流にもいない。


「ヒイロ、もうすぐスタート地点に流れ着きます! なんとか岸に上がって、川から出ましょう!」


 フィリスにそう言われ、俺はようやくスタート地点が見えてきたことに気づく。水の流れは相変わらず早く、抗うことは困難だが、少しずつ岸に近づいて泳ぐことならできそうだ。


「2人はそうしてくれ! 俺にはやることがある!」

「やること? でも、岸までは距離が……」

「分かってる! でも、ブレイブが見当たらないんだ!」


 そこでようやくフィリス達もブレイブが水面に浮いてこないことに気づいたようだ。2人は俺がそうしたように辺りを見回し、特にイサミさんは目に見えて表情を変える。


「ヒイロさん、私が動きます! 私なら……」

「ダメだ! イサミさんはフィリスを岸まで運んでくれ!」


 俺の制止にイサミさんが動きを止めた。確かに、より優れた身体能力を持つものが救助に向かったほうがいいかもしれない。しかし、ここでフィリスを離し危険にさらしたうえで、ブレイブを助けに行く賭けをするのは、二重のリスクになってしまう。


「……承知しました。頼みます、ヒイロさん」

「ありがとう、イサミさん。任せてくれ」


 俺は大きく息を吸い込んで、水の中に潜った。直前にフィリスが俺を止める声が聞こえたが、やがて激しい水の音にかき消されてしまった。


 水の中は暗いだけでなく、大量の泥が舞い上がっており、まともに先を見通すことができない。唯一認識できるのは、フィリスの魔法の明かりだけだ。恐らく、少しでも明るくなるよう、杖の先を水中に差し入れてくれたのだろう。


「(これでは、ブレイブを見つけるのは無理か。……ん? あそこに何か光っているぞ?)」


 俺は、岸の方へ向かうフィリスの明かりとは別に、下流の方向にもう1つの明かりを見つけた。彼女の大光球よりも薄暗く、今にも見失ってしまいそうだ。


「(まさか……、いや、あいつならあり得る!)」


 俺は一度大きく息を吸った後、微かな光を目指して深く潜った。だんだんその正体が明らかになってくる……光っていたのは、ブレイブが握っている剣の先だった。魔剣士である彼は、魔法を使って救難信号を出していたのだ。


「(いた!)」


 ブレイブの周辺には、底に引き込むような流れがてきており、俺もすぐに巻き込まれてしまう。そういえば、地図によるとこの水は下層に流れ込んでいることが分かっている。もしかしたら、漏斗状に水を吸い込んでいるのかもしれない。


「(このままだと、息が続かない。でも、上に向かって泳ぐのは無理だ。……だったら!)」


 俺は敢えて下に向かって泳いだ。目指すは、がむしゃらに剣を振るブレイブのところだ。外套の裾をなんとかつかまえると、それに気づいた彼は俺の体を利用して体勢を整える。ちょうど2人で背中合わせになり、ブレイブが水の流れる先を正面に捉えた。


 ……氷刃斬!


 ブレイブがなけなしの体力を振り絞ってスキルを放つ。安定して狙いを定めることができたおかげで、氷の刃は真っ直ぐに正面……水が殺到している小さな穴を抉り、押し広げた。


「(下の部屋へ抜けられれば、助かるかもしれない!)」


 俺とブレイブの読み通り、水中の壁を崩したおかげで、俺たちはあっという間に下の部屋へと流された。天井から真っ逆さまに落ちた先は、流れがほとんどないため池のような状態になっていた。


「ぷはっ!」

 

 俺は何とか水面から顔を出すと、大きく息を吸い込みながらあたりの状況を確認した。天井は高く、少し泳げは陸に上がることができそうだ。俺はブレイブを引っ張って岩場に這い上がった。

 

「ブレイブ、しっかりしろ!」


 俺が呼び掛けても、ブレイブは口をパクパクとさせるだけだ。意識はあるようだが朦朧としており、緩慢な動きで首や胸をかきむしっている。それでも、剣を手放さず、光を灯し続けているのだから大したものだ。

 

「ヒイロ、無事ですか?! ブレイブはどうなりましたか?!」

「フィリス?! どうして君の声が聞こえるんだ?」


 俺の叫び声が聞こえたのか、フィリスの声が遠くから飛んでくる。姿は見えないから、恐らく上の部屋から呼びかけているのだろう。もしかしたら、俺達が流されてきた水路の他にも、小さな隙間があるのかもしれない。


「よかった……。本当によかった……!」 

「俺は平気だ! だが、ブレイブの様子がおかしい!」

「お、おかしい? どうおかしいのですか?」

「陸に上がったのに、息ができないみたいだ! 意識はある!」


 泣きそうに声を震わせるフィリスに、俺は助けを求める。すると、彼女のそばにいるのであろうイサミさんが、すぐにアドバイスをくれた。


「ヒイロさん! おそらくブレ坊は、のどに何かを詰まらせています! 背中を叩いて、吐き出させてください!」


 俺はイサミさんの指示通り、ブレイブをうつむかせて何度も背中をたたいた。だが、衝撃に合わせて体を痙攣させるだけで、自力で呼吸できるようになるそぶりはない。時間だけが過ぎ、やがてブレイブの手から剣が滑り落ちた。


「だめだ! せき込むだけの力が残っていないみたいだ!」

「やむをえません……! ブレ坊の後ろから腕をまわして、みぞおちの下で手を組んでください。そのまま思い切り引き上げ、胴体を圧迫してください!」

「指示が複雑すぎる! もっと簡単な方法はないのか?!」

「難しければ、人工呼吸でも構いません!」

「オラッ!」

「ゴホッ!」


 俺が力任せに圧迫すると、ブレイブが呻きながら大量の泥を吐き出し、のどを鳴らしながら呼吸をし始めた。救助の現場では、少しの迷いが命取りになるのだ。何事もやってみるものである。本当に。


「ゴホッ……、ゼェ、ゼェ……、うっ……、はあ、はあ……」

「静かに横になるんだ。上を向かないように……よし、それでいい」 

 

 息を吸い、泥を吐きを繰り返しているうちに、ブレイブの顔に血の気が戻ってくる。起き上がれるようになるとすぐに、喉に指を突っ込んで、胃の中の泥も自力で吐き出してしまった。


「今回は……助かった……」


 俺に背中をさすられながら、ブレイブは小さくそう呟いた。

 




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