7-9 増水する川

「ふむ、予想通りだ。やはり、地図の空白部分には広い空間があったね」


 狭い通路を抜けた俺達は、高さも幅も大きく開けた空間に出た。現在の最低水位から少し高い位置にあるものの、上層からの水が未だに小川のように流れ続けている。


「地図によると、水の下流はさっき俺たちが引き返した部屋につながっているらしい。上流は……たぶん未探索エリアだな」

「じゃあ、水の流れに逆らって探索することになるね。今は歩けるスペースが狭いけれど、水量が減れば広くなるだろう」


 小川には、人が1人通れるほどの岸があった。砂や小石が積もっていることから、さっきまでは水が流れていたことが分かる。俺はフィリスから杖を借り、水に差し込んで深さを測った。


「水深は……ちょうど30センチくらいだ。時間の制限もあるが、行けるところまで行ってみよう」


 俺達は小川の上流を目指して進み始めた。道は起伏が少なく、奥に進んでも意外に広い。恐らく、水の満ち引きのたびに大量の水が流れているのだろう。


「……また風ですね」


 後ろを歩いているイサミさんが、揺れる前髪に首を振りながらつぶやいた。風の勢いはやや強く、歩くのには全く支障はないものの、通路全体が低く音を鳴らすほどだ。服が乾くのはありがたいが、少し肌寒い。


「わたくし、ひとつ気になっていたのですが……、どうして洞窟内に風が吹くのでしょうか。開けた草原ならまだしも、ここは閉ざされた空間ですよね」


 フィリスが小石に足を取られながら俺に尋ねてきた。小川の水位はなかなか下がらず、相変わらず歩きにくい。


「俺もよく知らないんだが……、たぶん温度差や気圧差によって空気の流れが生まれてるんじゃないか?」

「温度差ですか……。確かに、さっきみたいに極端に冷たい部屋もありましたし、ありそうな話です」


 空気は暖かいところから寒いところに移動する。朝夕に海風が発生するのと同じ原理だ。頷くフィリスに、イサミさんが続く。

 

「気圧差というのは初めて聞きますね。しかし、これほど高低差がある洞窟なら、あり得るかもしれませんね」


 気温ほどではないが、気圧も風の発生に大きな影響を及ぼす。ひたすら最深部を目指してきた俺達は、浸水エリアの高低差を身をもって体験してきたところだ。さて、そんなふうに雑談をしていると、思わぬ合いの手が飛んできた。


「……洞窟に風が吹く条件は他にもあるんだよ」


 意外なことに、ブレイブが会話に加わってきたのだ。彼はけして無口な方ではないが、こういった雑談に口を挟んでくることはめったにない。


「そうなのか?」

「それは、開口部……つまり、外に通じる複数の出入口があることだよ」


 先頭を歩くブレイブは、振り返らずに俺の質問に答えた。その声色は、さも当然のことを言っているだけのように平坦だ。


「もちろん、完全な閉鎖空間でも気流が発生することはあるよ。でも、これほど強い風が吹いているんだから、外に通じていると考えたほうが自然だろうね」

「……洞窟の外か。考えたこともなかったな」


 俺はブレイブの発想に素直に驚いた。彼の言う通り、洞窟自体が風の通り道になっていると考えたほうが理にかなっている。だが、ダンジョンに外の世界が存在すること自体、俺には考えたこともないことだった。


「どうしてだい。水の満ち引きだって、洞窟が外の水源とつながっている証拠じゃないか」

「周囲には海が広がっているのか?」

「洞窟内の水は淡水だったから、外は湖かもしれないね」


 大きな水たまりを避けきれず、ブレイブが音を立てて水をはねさせた。この水は洞窟の外からやってきたのだ。そんなことは考えたこともなかった。

  

「洞窟の外……ダンジョンの外はどうなっているんだろう」

「僕にもわからない。案外……人が普通に暮らしているのかもしれないね」

「らしくないな、お前が冗談を言うなんて」

「そう思うかい?」


 ブレイブの返答に俺は機嫌が悪くなって、つい強い口調で当たった。度重なるハプニングでうやむやになっているが、俺はコイツに追放されたのだ。そんな俺に冗談を言っておどけられる神経が分からない。 


「……そんなことより、気になるのはこの水だ。さっきから全然水位が下がらないじゃないか」


 自分から質問をしておいて、急に話題をそらすなんて、我ながら子どもっぽい拗ね方だと思う。だが、他の3人はそんなことよりも、足元の水のほうが気になるらしかった。


「本当ですね。さっきからわたくしも、転びそうになってばかりですし」


 フィリスは申し訳無さそうに俺とイサミさんを見た。これまで川に落ちそうになるフィリスを何度か助けているのだ。溺れるような深さではないが、冷たい水を全身に浴びたら大変だ。


「私たちがこの通路に入ってから、どのくらい水位が下がったのでしょう。そこから、川が干上がるまでの時間が推測できるのでは?」

「そうだな。一度確認してみるか」


 イサミさんの提案を承諾し、俺は再びフィリスから杖を借りる。確か、探索開始時の水深は30センチくらいだったはずだ。だが、俺が再び川に手を差し入れると……50センチくらいの深さまで簡単に沈んでしまった。


「……深くなっている?」


 寒気を感じたのは、川の水が冷たいからだけではないだろう。その場にいた全員が、わけの分からない状況に呆気にとられる。


「どうしてですか? 水位が下がり、上層の水が流れ落ちるにつれ、水の量は少なくなるのではないのですか?」


 フィリスが全員の疑問を代弁してくれる。だが、その答えは誰も持ち合わせていない。


「ふむ。分かっているのは、川が増水したという事実だけだ」


 さすがのブレイブも、俺たちに合わせて立ち止まったようだ。俺が外套で杖を拭いている隣で、彼はじっと川面を見つめている。


「でも、そこから先の現象を推測することは出来るね。例えば……川がさらに増水するかもしれない、とか」


 俺はとっさに、自分が歩いてきた道を確認した。現在の岸の幅は5〜60センチほどだ。今ならまだ乾いた道を歩けるだけの余裕がある。

 

「引き返すか?」

「……」

「引き返そう、ブレイブ」


 洞窟の奥を見つめるブレイブを、俺は強く説得した。先に進まなければ、これまでの探索が時間の無駄になってしまう。だが、ブレイブを含む全員が、この奇妙な状況に危機感を感じていた。


「……分かった。そうしよう」


 ブレイブは振り返り、俺を見ながらそう言った。その後、彼は一瞬だけイサミさんと目を合わせた。まるで2人にしかない思い出を共有するように無言の会話を交わした後、2人は自然に目を逸らした。





「も、もう歩けるところがありません。水の中を歩くしか……」


 来た道を半分ほど引き返す頃には、小川はますます増水していた。洞窟の壁際を何とか歩いていたが、それももう限界だ。先ほどから危なっかしく明かりを揺らすフィリスの言葉に、イサミさんと俺が答える。


「私たちは雪山用の登山靴を履いていますが、完全な防水機能があるわけではありません。水の中を歩けば、冷水が染み込んでくるでしょう」

「……かといって、俺たちに選択肢はない。出来るだけ水が浅いところを歩くしかない」


 間もなく通路は完全に浸水し、俺たちは自らの逃げ場を失った。ただでさえ肌寒い洞窟の中で、冷水に足を浸すのは堪える。早足が鈍り、やがて鈍足になっていく。


「水かさが……どんどん増していくぞ……!」


 歩みを鈍らせたが最後、水の勢いはとどまるところを知らず益々増していく。はじめはくるぶしに水が跳ねる程度だったのに、今はもう膝の上まで水に沈んでしまった。


「ブレイブ、何とかできないのか?!」

「出来るものならとっくにやっているよ」


 先頭を歩くブレイブは、寒さで歯が鳴らないよう奥歯を強く噛みながら返事をする。水の中を歩くこと以上に、寒さで体が言うことを聞かないほうがつらいようだ。

 

「フィリス、イサミさん。何かいいアイデアやスキルはないか?」

「ええっと……荷物を浮袋代わりにして、下流まで流されていくのはどうでしょう?」

「面白いですね。ただ、全身が濡れて体温が下がるのは怖いですよ」


 フィリスが青い顔をしながら打開策を考えるが、イサミさんの言う通りリスクが大きい方法だ。さらに水深が深くなったら使える手かもしれないが、今はまだその時ではないだろう。


「ふむ。ここからは通路が狭くなる。気をつけたほうがいいだろうね」

「2人とも、流れが速くなってるから、速度を落として進むんだ!」


 ブレイブの指示を、俺がフィリスとイサミさんに伝える。狭い通路には、俺まで浅く広い通路を悠々と流れていた水が殺到していた。既に、身長が低いフィリスは腰まで水に沈んでいる。転べば簡単に流されてしまうだろう。


「フィリス、壁に手をつきながら進むんだ」

「でも……濡れて手が滑ります……!」

「分かった。じゃあ、俺が反対側から支えよう。落ち着いで進めば大丈夫だからな」

「はい……!」


 明かり代わりの杖を手放すことができない彼女にとっては、まっすぐ歩くことすら困難だろう。俺はフィリスの肩を支えつつ、彼女が流されないよう壁に向かって軽く押す。おかげで彼女は壁にしっかりつかまることができ、安定した姿勢で進むことが出来るようになった。


「イサミさんも、危ない時は無理せず助けを求めてくれ」

「ありがとうございます。心強いですね」


 そう言いつつ、イサミさんは川を真っ二つに割る勢いで歩いてくる。何なら、気を使った俺のほうがふらついているくらいだ。


「……元の場所に戻るのが先か、足が届かなるのが先か」


 ここにきて俺は、自分の置かれている状況に、本格的に危機感を覚えるようになった。恐らく、俺達に残された時間は多くないだろう。だが、そんな余裕もないくらい切迫していることを、俺は次の瞬間思い知らされることになる。


「皆さん、後ろを見て下さい!」


 声を上げたのは、こんな状況でも後方の警戒を怠らなかったイサミさんだ。何事かと全員が振り返ると、暗闇の中で上流の水面が白く波打っているのが見える。


「鉄砲水です!」

 



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