7-8 浸水エリアの探索
俺達はいくつかの分岐点を越え、浸水エリアの入口に到着した。予定よりも少し早く着いたため、足元にはまだ小さな水たまりが残っていた。だが、すぐに探索できる状況になるはずだ。
「ちょうどいいタイミングだな。もう少しで水が引くところみたいだ」
「次にエリアが浸水するのは、いつでしたっけ?」
「完全浸水は10時間後だ。だが、水位は徐々に変化するから、低い場所はもっと早く沈むだろうな」
浸水エリアも未探索の場所が多い。もちろん、どの位置がどの時間に沈むかを個別に把握しているわけではないのだ。
「待ってくださいね。……つまり……探索可能時間が最も短い最深部を真っ先に目指さなければいけない、ということですね!」
「お、さすがフィリス。今回の探索は、行きは引いていく水を追い、帰りは増していく水から逃げる……そんなスタイルになるはずだ」
フィリスが悩みながら出した結論は、俺が考えていたものとほとんど同じだった。ただし、はじめのうちは水が引くのを待つ場面もあるだろうから、最深部まで一直線というわけにもいかない。
「浸水エリアには、強いモンスターはいないし、有毒ガスもない。だが、探索可能エリアが常に変化し続けるせいで、ルート決めが難しくなるんだ」
「もし、ルートを間違ってしまったどうなるのですか?」
「最悪の場合、閉じ込められてそのまま溺死、なんてこともあるかもな」
俺が何気なく言った言葉に、フィリスが青ざめる。洞窟は道が複雑に入り組んでいるため、気づいたら真上の空間が既に水没していた、なんてことが起こりやすいのだ。これまでは気にする必要がなかった周囲との高低差が重要になるのである。
「……となると、この中の誰かがマッピング作業をする必要があるな」
俺がそう呟いてブレイブの方を見ると、あちらも俺の方を見ていた。以前の探索では、メイメイが上位魔法で3次元地図を作成してくれていた。だが今回は、頭で構造を理解しながら手書きで作業する必要がある。
「地図の作成ができるのは、俺とブレイブだけだ。どちらかがマッピングをすることになるが……」
これまでの探索で、フィリスとイサミさんが地図を読むのが苦手なことは分かっていた。となれば、消去法で自然とこの人選になる。
「確実性を上げるなら、2人がかりで作業したほうがいいだろうね。でも、役割分担は決めておくべきだろう」
「わかった。じゃあ、俺が描き役をしよう。おまえはルート決めに専念してくれ」
「ふむ。いいだろう」
探索については俺とブレイブの能力に差はないが、戦闘などのトラブルにはブレイブのほうが幅広く対処できる。彼をフリーにしておいたほうが、パーティーの生存率は上がるだろう、という判断だ。ブレイブの賛成も得て、役割分担はすんなりと済んだ。
浸水エリアの風景は、これまでの道のりとは全く違うものだった。水の浸食により岩が不思議な形に削られていたり、天井からは岩のつららが垂れ下がっている。床は濡れて滑りやすく、フィリスの明かりがあるにも関わらず何度も転びそうになった。
「狭い道が多いですね。あちこちに、わたくし達が通れないほどの隙間がたくさんあります」
「うーん……、高さ2メートル、横穴……。あっ、すまない。何か言ったか、フィリス?」
「い、いえ! こちらこそ、マッピングの邪魔をしてすみません……」
地図に集中していた俺は、ついフィリスの言葉を聞き逃してしまう。洞窟のマッピングは、単に見える範囲を記録するだけでなく、見えない空間同士の繋がりを予測し、辻褄を合わせていかなければならないのだ。すでに俺は頭から湯気を吹き出しそうになっていた。
「ふむ。水の流れや地層の繋がりを見るに、こちらの方向が下に向かう通路だろうね」
俺の意識の外で、ブレイブがルートを決定していく。俺達は彼の判断に従って進み、どんどん深くに潜っていった。稀にルートを誤ることもあったが、それも地図に記録することで、着実に正解ルートを絞っていく。
「ヒイロの地図によると、もうすぐ最深部ですね。ここまで4時間ほどで来れましたし、順調なのではありませんか?」
俺の手元を覗き込みながら、フィリスが小さくはしゃぐ。俺が地図に書き加えている場所のすぐ下には、一本の線が引かれていた。この線は、以前の調査で俺達が計算した、この洞窟の最低水位だ。これより深くは、常に水が満ちているエリアとなり、いかなる時も探索が不可能なのだ。
「ブレイブ、次はどの道を進む?」
「いや、一度止まろう。どうやら、少し順調すぎたみたいだ」
そう言ってブレイブが指差す先は、水没した通路だった。このエリアの水は10時間かけて満ち引きする。つまり、その中間である5時間目に最も水が引くのである。だが、今はまだ4時間目だ。完全に水が引くまでには、あと1時間待たなければならない。
「先に周囲の探索をして、水が完全に引くのを待とう。僕達は最短ルートで最深部を目指してきたけれど、最深部に
「そうだな。無理に水に近づかないほうがいい」
俺達は水辺を離れ、地図を囲んだ。俺達の現在地点は、地図の中で最も低い位置だ。その先の水没した部分はまだ空白になっている。同じく、エリア入り口から現在位置をつなぐ直線ルート以外も、ほぼ空白になっている。
「1時間後にはここに戻ってこなければならない。今から向かう探索は、最深位置からあまり離れることはできないぞ」
俺は地図を覗き込むフィリスとイサミさんに、現在位置を指し示す。歩きながら作った即席の地図は見づらいが、我慢してもらうしかない。
「ふむ。地図から推測するに、この部屋の上に大きな空間があるようだね。しかも、さらに上に広がっていそうだ」
「確か、ついさっき降りてきた通路に分かれ道があった。その空間に通じているかもしれない」
ブレイブが地図の空白を指さす。そこに、通路をなぞって移動する俺の指が合流した。これまでルート決定をしていた彼と、マッピングをしていた俺の意見が一致したのだから、予測の精度は高いはずだ。
「じゃあ、移動を開始しよう。少しでも地図を埋めないとね」
「わかった。2人とも、それでいいか?」
「はい」
「承知しました」
先を急ぐブレイブと、仲間を振り返る俺。フィリスとイサミさんは彼女らなりに地図を読み解こうとしたものの、最終的には俺たちの判断に任せることにしたようだ。
「それにしても、ずいぶん寒いな。水温が低いからか?」
「本当ですね。湿気も多いのか、歩いているだけで外套がびしょ濡れです」
俺が防寒具に顔を埋めていると、後ろにいるフィリスがマントの水滴を払ってくれた。こんな現象は他のエリアでは見られなかったものだ。その原因は目の前の水なのだろうが、どういうメカニズムなのだろうか。
「ヒイロさん、壁に触ってみて下さい」
「壁? うわっ、すごく冷たい!」
「この部屋はさっきまで浸水していました。恐らく、水の冷たさがまだ壁に残っているのでしょう」
「そうか、それで部屋全体が寒いのか」
イサミさんが教えてくれた通り、壁の温度は水と同じくらい冷たく、かすかに冷気を放っていた。真似して壁に触れたフィリスが、驚いて手を引っ込めるほどだ。
「水が原因で壁が冷やされ気温が下がる。そして、気温が下がると湿度が上がって結露しやすくなる、というわけか」
俺は驚きながら壁や天井を見回した。浸水エリアの環境が他エリアとここまで違うとは思っていなかった。雪山装備の防寒防水性能と、それらを用意してくれたギルドに感謝しなければいけない。
「気をつけて進もう。過酷な環境で、思ったよりも疲労が蓄積しているはずだ」
「そうですね。分かりました」
先に行ってしまったブレイブを追いかけるように、俺達は先ほど来た道を戻る。水際から離れるとわずかに寒さが和らぐが、気が休まるにはほど遠い。
「向かい風……やけに強いな」
俺は手に持った地図が吹き飛ばされないように注意しながら歩き続けた。
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