章間 ブレイブの過去4

「ネイサン……」


 ネイサンが死んだ。さっきまで一緒に戦っていた彼は死に、遺体すら砂の下に埋もれてしまった。それはショックで、僕は頭は目の前の転移門どころではなかった。


「怪我はありませんか?」


 うなだれる僕を、師匠が引っ張って立たせてくれる。その声は穏やかだが、無理をして平静を装っていることくらい、僕にも分かった。


「……ネイサンを助けに行かなきゃ」

「ブレ坊、物わかりが悪いですよ」

「師匠は悲しくないの?! ネイサンは大切な仲間だったんだよ?!」


 僕は師匠を睨んだ。憧れの師匠に向かってこんなことをしたのは初めてだった。だが、僕はすぐに後悔した。なぜなら、彼の顔には、平坦な声からは想像できない複雑な思いが表れていたからだ。


「……師匠、どうしてあの時、ネイサンじゃなくて僕を守ったの?」

「ふむ。そうでしたか?」

「隠さないでよ。飛来した3本の足はそれぞれ、僕ら3人を狙っていた。師匠はネイサンを守ることだって出来たはずだ」

「それは過大評価ですよ。自分の身を守るのは簡単ですが、仲間を庇うのは難しいものです。とっさの行動で、私の近くにいたブレ坊だけは守ることができた……それだけです」


 師匠の話が本当かどうかはわからない。だが、師匠という人間が、とっさに2人の仲間の命を天秤にかけられるほど冷徹な人間ではないことは知っている。

 

「それでも……もし僕が選べる立場なら、ネイサンを選んだよ。僕なんかよりも、レベルも職も高いネイサンをね」

「ブレ坊……」

「僕一人の犠牲でパーティーが助かるなら、その方が良いに決まって……」

 

 その時、師匠が僕の頬を叩いた。乾いた音とともに、僕の顔面に血が飛んでくる。だが、これは僕自身の血ではない。

 

「し、師匠……左腕が……!」

「よく聞きなさい、ブレ坊。ネイサンを見殺しにし、あなたを助ける……これが最適解です」

 

 師匠は自分の腕の怪我など構わず、僕を殴ったのだ。普段穏やかな師匠が、とっさに手をあげるくらいだから、相当強い怒りを感じているのだろう。

 

「そして、メンバーはリーダーに従わなければならない。だから、あなたに罪はない」


 だが、次に師匠は無事な右手で僕の頭を撫でた。その力がいつもよりも強かったので、僕は頭を押さえつけられて俯いてしまう。


「……そうか。師匠は僕を安心させるために、嘘をついているんだ」

「……ふむ。ブレ坊にはそう見えますか?」


 僕の問いに、師匠は一瞬黙ってからそう答えた。この間が何を意味しているのかは分からない。不気味に感じた僕は、顔を上げるのが怖くなった。

 

「見なくても分かるよ。絶対そうだ」

「ブレ坊、私の顔を見てください。そうすれば、いつものように誤解が解けるはずです」

「顔を……見れば……」


 恐る恐る見上げると、師匠はいつも通りの穏やかな顔で僕をのぞき込んでいた。その表情は、弟子思いの優しい師匠のものだった。しかし、その奥に矛盾するの別の感情を感じる。師匠の顔がぐにゃりと歪んで……どうなって……るんだ……?


「え? な、何だこれは……?」

「ブレ坊?」

 

 僕の動揺を察知して、師匠が表情を変える。しかし、今度は師匠が何を考えているのか読み取れない。僕の中で何かが欠け落ちたかのように、他人の感情が読み取れなくなってしまったのだ。


「あ、ああ、うわぁっ?!」


 僕は逃げるように走り出すと、目の前の転移門を操作して飛び込んだ。門が魔力を帯び、帰還の扉が開かれる。師匠の呼び声も、ネイサンを飲み込んだ砂漠も置き去りにして、僕はダンジョンから帰還したのだった。


 

 *



「さて、僕の話はこれで終わりだ。恐らく、君たちが知りたがっていたことは全て話したと思う」 


 ブレイブは無表情でそう言った。これほど壮絶な過去を語った言うのに、彼はむしろ徐々に冷静さを取り戻していったようにすら見えた。また、隣で見守るイサミさんも、黙って話を聞いていた。


「おまえとイサミさんが知り合いだったことも驚きだが、まさか、そんな過去があったなんて……」


 そういう俺の隣では、フィリスが口元を押さえて言葉を失っていた。冒険者がダンジョンで命を失うことは珍しくない。だが、これほど悲しい仲間との別れがあるものだろうか。


「その後、僕と師匠はパーティーを解散した。知っての通り、僕は自分のパーティーを作って冒険者を続けた。師匠は……まさか、ギルドの職員になっていたとはね」

「あなたの功績は噂で耳にしていましたよ。第4勇者の誕生は、我が事のように嬉しかったものです」


 つまり、ブレイブとイサミさんは第3層踏破以来の再会ということになる。喧嘩別れとはいえ、久々の会話でもギクシャクしたところがないことから、2人のかつての信頼関係がよくわかる。

 

「話の中で気になることが2つあった。聞いてもいいか?」

「ふむ。手短に頼むよ」


 さて、ここからは俺とフィリスが会話に加わり、過去の話から現在の問題を解き明かしていく。


「まず、おまえが最適解とリーダーシップにこだわる理由についてだ」


 俺は、過去のブレイブたちの会話を振り返る。確か、ネイサンが死亡した後にイサミさんが似たようなことを言っていたはずだ。


「イサミさんの判断でおまえの命は助かった。もしかして、それを真似しようとしているのか?」

「いや、むしろ逆だよ。僕はあのときの師匠の判断には納得していない。もし僕がリーダーなら、ネイサンの代わりに僕自身を犠牲にしたはずだ」


 ブレイブの心情は複雑だ。恐らく、彼は誰よりもネイサンの死を悲しんでいるのだろう。だからこそ、引き換えのように生き残ってしまった自分自身と、その判断をしたイサミさんを許せないのだ。


「つまり、おまえは非情な判断を取り続けることで、あの事件のやり直しをしているということか」

「ふむ。動機はそうかも知れないが、判断自体に間違いはないはずだ。もし、君の追放について僕を責めているのなら、ね」


 ブレイブのこんな有り様を見ても、イサミさんは穏やかな表情を崩さない。だが、その目線は俺ではなくブレイブの方に向いていた。かつての弟子を今でも心配している証拠だ。

  

「次に、おまえとイサミさんの最後の会話についてだ」

「なにかおかしいところがあったかな?」

「あったさ。なぜおまえはイサミさんから逃げたのか、思い出してみるんだ」

「あの時……師匠の表情を見た時……あなたが何を考えているか分からなかった。まるで、僕の頭が理解を拒否しているような……」


 話しながら、ブレイブの言葉は途切れがちになっていく。虚ろに呟き、隣にいるはずのイサミさんではなく、何も無い空間を見つめている。


「イサミさんは、その時のことを覚えているか?」

「ふむ、何のことやら?」

「……もしかして、聞かれたくないことだったか?」

「まあ、聞かれたことくらいは答えましょう」


 イサミさんはイサミさんで、いつぞやのように話題をそらそうとする。だが、ぼんやりしているブレイブとは違い、こちらはワザとはぐらかしているようだ。


「じゃあ質問だ。昔のブレイブは人並みに相手の感情を読み取ることができた。これは間違いないな?」

「ええ。思い込みが激しいところがありましたが、きちんと顔を見れば理解していたように思います」

「だが、最後の会話では、ブレイブはイサミさんの感情を読み取ることができなくなっていた」

「どうやらそのようですね。一体彼に何があったのでしょうか」

「いや、違う。注目すべきはブレイブだけじゃない。……イサミさん、あなたもだ」


 俺が指摘すると、イサミさんは黙った。彼の表情はいつもどおり穏やかだ。だが、人間なら誰しも、完全に感情を隠すことなどできないものだ。


「……あなたの反応で、だいたい察したよ」

「ヒイロさん、どうか真実を言わないでください。このとおりです」


 イサミさんが頭を下げるのを見て、俺の予感は確信に変わった。あの時ブレイブがイサミさんの感情を読み取れなかったのは、そうならざるをえない事情があったのだ。だが、それを暴くのは……少なくとも今ではない。


「あの、わたくしも気になっていることがあるのですが……」


 俺が話を進めていると、フィリスが控えめに口を挟んできた。どうやら、俺達は彼女を話から置いてけぼりにしてしまっていたようだ。


「すまん、フィリス。俺ばっかり喋ってしまって……」

「いえ、いいのです。というより、ヒイロの話を聞いて思ったことなのですが」


 フィリスはそう言うと、ブレイブの方を向いた。目線を向けられた彼は、はっと気がついたように意識を取り戻す。


「ブレイブ。あなたはイサミさんの表情がわからないと言いましたが、それは今でも続いているのですか?」

「あ、ああ。あれ以来、師匠に会うのはこれが初めてだが、今もそうだよ」

「えっ?!」


 俺はブレイブの答えを聞いて驚いた。彼の異常は一時的なものだと思っていたのだが、未だに継続しているらしい。


「では……もしかしてなのですが……」


 フィリスが慎重に言葉を選ぶ。ブレイブとイサミさんは首を傾げているが、俺には彼女が何を言おうとしているのか察しがついた。もしそうであれば、これまでのブレイブの行動が全て納得できてしまうからだ。


「今のあなたは、イサミさんだけでなく、全ての他人の感情が分からないのではないですか?」



 *




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