6-6 雪崩、再び
「……何か聞こえる。ブレイブ、おまえにも聞こえないか?」
「は? いきなり何を……?」
俺は、明るい騒ぎ声の中に、微かな異音を聞き取った。とっさに側にいたブレイブに確認するが、彼には聞こえなかったらしい。もしかして、気のせいだろうか。
「やっぱり聞こえる。だが、何の音だ?」
「……ふむ、確かに聞こえる。上からか?」
俺とブレイブは、同時にシンの方を見た。こんなときに頼りになるのが、彼の索敵スキルだ。目があったシンは、崖の上から周囲を見渡す。
「……?! ……、……っ!」
シンが何かを発見したらしく、驚愕した表情になる。反対側の崖を指さして叫んでいるが、よく聞こえない。なぜなら、微かな異音は、もはや轟音に変わっていたからだ。
俺とブレイブは、無言で顔を見合わせた。彼の顔はいつも通り無表情に見えたが、動揺でかすかに瞳が震えている。こんな状況でなければ、彼にも感情があったのかと感心しているところだっただろう。
「走れ!
「フィリス、イサミさん、急ぐんだ!」
俺達が駆け出すのと同時に、地面が大きく揺れ始める。ただならぬ事態に、フィリスとイサミさんも転移門に向かって走り出した。崖のふちからこぼれ落ちる雪は、自重で押し固められて大きな塊になっている。
「先に行け、ブレイブ!」
「ヒイロ、何をするつもりだ?」
「な、何が起こっているのですか……?」
「雪が……落ちてくる……」
崖の下にいるのは、俺、ブレイブ、フィリス、イサミさんの4人だ。意思疎通もままならない状態で転移門を目指すが、俺だけはとある目的のために3人から少しずつ離れていく。
次の瞬間、前方の崖から雪の壁が押し寄せてきた。
「雪崩だーっ! 下がれーっ!」
後方から、シンの叫び声が聞こえる。恐らく、崖の上の負傷者達を退避させているのだろう。だが、崖の下にいる俺たちには、10メートルもの崖を登って逃げている余裕などない。
「雪崩よりも先に、
「ヒイロ、無茶です! それではあなたは間に合いません!」
フィリスが悲痛な声をあげる。だが、このままでは、転移門は本来の機能通りに俺達を第5層に飲み込んでしまう。誰かが備え付けの制御装置を操作する必要があるのだ。
「それなら、わたくしも一緒に……!」
「よすんだ、フィリス。君まで無駄死にする必要はない」
「ブレイブ、離してください!」
「言うことを聞くんだ……くっ」
ブレイブは、俺のもとに駆け寄ろうとするフィリスの腕をつかんで強引に引き寄せる。だが、フィリスが抵抗するせいで、2人はその場で立ち止まってしまった。このままでは、2人が転移門に到達するよりも先に雪崩に呑まれてしまう。
「何やってるんだ、2人とも! ……イサミさん、頼んだ!」
「もちろん、承知しておりますよ。……フィリスさん」
「え?!」
俺は、抵抗するフィリスを取り押さえ、3人で転移門に向かうよう指示したつもりだった。だが、イサミさんは全速力で俺の方に走ってくる。そのまま俺の首根っこを掴むと、俺の体を軽々と担ぎ上げ転移門の方へ方向転換してしまう。
「イサミさん、何やってるんだ! このままだと、全員第5層に迷い込んでしまうぞ!」
「ふふふ。すみませんが、これが私のやり方なので」
俺の抵抗もものともせず、イサミさんはどんどん転移門の方へ走っていく。ブレイブとフィリスも、俺がイサミさんに運ばれてくるのを見て、再び避難を再開したようだ。
転移門までの距離は、あと数メートルだ。だが、雪の壁はもう目前まで迫っている。
「ヒイロ様、あと少しです!
「みんな頑張れ~!
その時、猛烈な突風が俺達の背中を押した。同時に、目の前の雪の壁が足踏みするようにわずかに止まる。俺は、イサミさんに担がれながら、崖の上でウィズとメイメイが魔法を唱えている姿を見つけた。二人の風魔法が、俺達が逃げるための時間をわずかに稼いでくれたのだ。
「ありがとう、二人とも!」
直後、転移門が魔力を帯びて、俺達をダンジョンの奥へと移送する。俺達は何とか雪崩の脅威から逃れることができたのだ。しかし、転移先はかつて俺が死すら覚悟した第5層だ。そんなところに放り込まれるなんて、ついさっきまでは思ってもいなかった。
*
「いてて。ここは……第5層か?」
「すみません、ヒイロさん。重いので、どいてもらえると助かります」
「あっ! す、すまない、イサミさん!」
勢いよく転移門に飛び込んだ俺達は、固い地面に全身を強打した。特に、俺を担いでいたイサミさんは、俺に押しつぶされて地面に突っ伏している。雪でもあれば衝撃を和らげることができたのだろうが、あいにく、地面は固い土だ。
「ふむ。土壁、暗闇。間違いなく、第5層のようだね」
暗闇の中からブレイブの声がする。どうやら、彼も無事雪崩から逃れることができたようだ。となると、一緒に走っていたフィリスも無事なはずだ。
「
フィリスの声とともに、暗闇を照らす魔法の光が生まれる。まぶしさに目が慣れてくると、彼女が杖の先に光を灯しているのが見えた。以前、ウィズが夜の草原で同じ魔法を使っているのを見かけたが、フィリスの光の方が何倍も強い。全員の姿を確認するには十分だった。
「ブレイブに、フィリスに、イサミさん。全員無事でよかったよ」
「それはわたくしのセリフですよ、ヒイロ」
俺が安心して一息ついていると、フィリスが小走りでこちらに向かってきた。俺の鼻先で立ち止まると、こちらを見上げて怒った顔をしてみせる。
「わたくしたちを助けるために、あなたは自分の命を犠牲にしようとしましたね。もうあんなことはしないでください」
「わ、悪かったよ、フィリス。でも、ああするしかなかったんだ」
「でも、じゃありません! 大体、一度第5層に転移した後、同じ転移門でダンジョン外に帰還することだってできたはずですし……」
「う~ん、それは難しいと思うぞ?」
「フィリス、ヒイロの言う通り、どうやら君のアイデアは実行不可能のようだよ」
フィリスのお説教に割り込んだのは、ブレイブだ。彼が指さす方を見ると、大量の雪が詰まった転移門が目に入った。第5層に雪なんてないから、おそらく俺達と一緒に第4層から流れ込んできたものだろう。そして、注目すべきは、本来転移が完了したら閉じるはずの門が、いまだに魔力を帯び続けているという点だ。
「転移門に雪が詰まって、閉じられなくなっているみたいだ」
「そ、そんな! 転移門は一度閉じなければ、行先を変えることができません!」
フィリスが自分たちの置かれた状況を把握して動揺する。おそらく、雪崩によって第4層の転移門は雪で埋もれていることだろう。俺も雪崩の全体を把握しているわけではないが、とても数日で取り除けるような雪量ではないだろう。
「ならば、力づくで……剣神の舞!」
イサミさんが雪に向かってスキルを放つ。確か、この技は第3層の流砂を薙ぎ払えるほどの威力を持つ攻撃だ。直撃の瞬間、雪が大きく吹き飛んで洞窟中に舞い散る。だが、転移門の向こうから新たな雪が押し寄せ、再び門を塞いでしまう。
「だめだ。門の向こうの雪を何とかしないと、どうしようもないな」
「お役に立てずすみません、ヒイロさん」
「いや、イサミさんはよくやってくれてるよ」
静かに剣を鞘に戻すイサミさん。俺を担いでの雪上全力疾走といい、彼の身体能力はどう考えても普通の冒険者のものではない。そんな彼の渾身の一撃でも突破できないのだから、力技はあきらめた方がいいだろう。
とはいえ、ダンジョンから脱出するためには転移門を利用するしかない。だが、目の前の転移門が再び機能を取り戻すには、向こう側から雪を取り除いてもらう必要がある。それを待つ余裕が俺達にあるのか、はたまた別の脱出方法があるのか……。俺が頭を悩ませていると、ぽつりと小さくつぶやく声が聞こえた。
「……いつもそうだ」
「ん?」
「あなたはいつもそうだ。強力な剣の実力を持ちながら、目の前の小さな犠牲を助けるために、結局は大きな犠牲を払おうとする」
声の主は、なんとブレイブだった。俺は彼に声をかけようとしたができなかった。というのも、彼がこれほどまでに感情をあらわにするところを初めて見たからだ。雪崩の直撃を受けたときですら無表情を崩さなかった彼は、今、静かな怒りを顔に浮かべている。
「ブレイブ、イサミさんを責めてはいけません。それに今の言葉は、ヒイロを犠牲にすればよかった、とも聞こえます。そんなことはわたくしが絶対に許しません」
「許さなければ何だというんだ。僕はリーダーとして最適解を選び続ける。君達メンバーはリーダーの指示に従わなければならない。それだけだ」
「なんてひどいことを! わたくしではなく、ヒイロに謝ってください!」
ブレイブとフィリスがにらみ合いを始める。フィリスが俺をかばうときに強気な態度になるのは、俺が第5層で追放された時にも見たことがある。だが、いつものブレイブはこんな風に感情的に言い返したりはしない。
「よ、よせ、2人とも! イサミさんも、2人を止めてくれ!」
「……」
今にもつかみ合いになりそうなブレイブとフィリス。俺は2人の腕をつかんで距離を取らせようとした。だが、イサミさんはちっとも動こうとしない。まさか、ほとんど初対面のブレイブに怒られたのが怖かったのだろうか?
「あの事件から何も学んでいない。師匠、あなたという人は……!」
そこまで言うと、ブレイブは急に我に返ったように口をつぐんだ。まるで、イサミさんのことを師匠と呼んでしまったことを後悔するかのようだ。突然のことに俺とフィリスが驚いていると、ブレイブは黙って俺達から目をそらす。
「師匠? それって、イサミさんのことか?」
「いや、ち、違う……」
俺の指摘に、ブレイブは明らかに狼狽する。口では違うといっているが、間違いなくイサミさんのことを師匠と呼んだのだろう。そして、当事者であるイサミさんは……。
「ブレ坊、こうなっては、皆さんに本当のことをお話ししてはどうですか?」
まるで以前から知り合いだったかのように、親しげにブレイブに声をかけたのだった。
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