5-8 ヒイロ隊、雪崩に襲われる

「な……雪崩だぁぁぁーーーっっっ!」


 俺は雪煙の中で叫んだ。恐怖のせいではなく、後方に危険を知らせるためだ。だが、正直な所、すぐにでも逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。


「な、雪崩だと?!」

「ストップ、ストーップ!」


 後方の負傷者達が事態を把握し、歩みを止める。どうやら、俺の声は届いたようだ。振り返ると、荷車よりも後ろは雪崩の範囲から乗れたようで、負傷者達が叫びながら後退していくのが見えた。


「ひっ、うわあああ!」


 前方の軽傷者2人も、火がついたように駆け出す。雪に足を取られながらも、体力と足腰の力で強引に雪崩の範囲から逃れたようだ。


「急ごう、レンジ、マチェッタ! とにかく俺達で荷車を押すんだ!」


 雪崩は重傷者を乗せた荷車を直撃している。今は柔らかいパウダースノーが降りかかるだけだが、数秒後には猛烈な雪が襲ってくることだろう。もし重症者が雪崩に埋もれたら、救助は困難だ。


 雪崩の中にとどまるリスクは大きいが、この重症者達は何としてでも助け出さねば……!


 だが、そうは思わない者もいた。

 

「バカ言え! マチェッタ、荷車をおいて逃げるぞ!」

「レ、レンジ?!」


 後ろからレンジが叫んだ。彼はさっきまで押していた荷車から手を離してしまっている。


「何言ってるんだ?! 協力しなければ、荷車は雪崩から逃げられない。それに、荷車を正確に操れるのは、行商人のマチェッタだけなんだぞ!」

「知るか! マチェッタ、こんなやつの言う事なんて聞くな。お前が死んだら、俺様は……」


 言い争いになり、歩みが止まる。ほんの一瞬の出来事だったが、雪崩はそれを見逃さなかった。


「え、雪?! 何、何がおきてんの?!」


 突然雪の勢いが強くなり、ついに荷車が押し流され始めたのだ。車輪は不安定な雪道の上を横滑りし、下から入り込んだ大量雪が車体を持ち上げる。マチェッタは……荷車の手押し棒にしがみついていた。


「マチェッタ、荷車を雪の波に乗せろ!」

「あかん、うちだけでは力が足りひん!」

「待ってろ、今行く!」


 俺は雪の勢いを活かして滑り落ち、なんとかマチェッタの側までたどり着く。彼女は、荷車を左に傾けて水平を保とうとしているようだ。俺は、荷車の左に思い切り体重をかけた。


「マチェッターーーっ!」


 声の方を見ると、流される荷車の後ろに、レンジがしがみついている。彼も俺と同じように荷車の左にのしかかった。すると、なんとか荷車はまっすぐになり、雪の上をサーフィンすることで転倒を回避することができた。


「右っ……左っ……」


 マチェッタが絶妙な力加減でバランスを取る。一歩間違えれば荷車はひっくり返ってしまうだろう。いや、上からの雪で押しつぶされてしまうかもしれない。だか今の彼女は、こんな逆境で運すら味方につけている。


「マチェッタ、後ろから大きいのが来てるぞーっ!」


 また後ろからレンジの声がする。だが、上を確認する余裕はない。ますます足場は悪くなり、視界も真っ白になっていく中、俺達は今をしのぐのに精一杯だった。それどころか、あまりの雪崩の勢いに、俺はついに荷車から手を離してしまう。


「しまった! ……こうなれば……防げるか、俺の体で……?」


 荷車は嵐に揉まれるいかだのように流されていく。俺はその上流で、雪崩に背を向けて思い切り手を広げた。こんなことをしても、無駄かもしれない。ても、少しでも雪の勢いを抑えられれば……!


「ぐっ、うわあああ……――――――!」


 雪崩が俺の背中に激突する。俺の体はその勢いに全く敵わず、一瞬で押し流されてしまった。前のめりに倒れる直前、とっさに顔を打たないように腕でかばう。


 一瞬で暗転する視界。上も下もわからなくなるほど、体が振り回される。口の中や服の隙間に雪が入り込んできて、声を出すことすらできない。


 どれほどそんな状況が続いたのだろうか。気が付くと、雪の流れは止まっており、俺は音も光もない空間に閉じ込められていた。


「(止まった……のか?)」


 俺はホッとした。雪崩の力は予想以上に凄まじかったが、怪我をせずに済んだようだ。あれ程の力にぶつかられたら、体中を骨折していてもおかしくなかっただろう。転倒し、姿勢が丸まっていたのが良かったのかもしれない。


「(息ができない……周りにあるのは柔らかい雪のはずなのに……)」


 初めに感じた苦痛は、息苦しさだった。全身を雪がピッタリと包みこんでいるせいで、空気がまったくないのだ。俺は顔をかばっていた腕を動かした。すると、ほんの少しだけ空間が出来、浅く呼吸が出来るようになる。


「(なんとか、雪の中から出ないと……)」


 俺は自力で這い上がろうともがいた。だが、また雪に阻まれる。全身を包まれているせいで、手足の力が分散してしまうのだ。

 

「(上はどっちだ……わからない……)」


 加えて、重力の感覚もまったくない。不思議なことに、視覚、聴覚、触覚が失われているせいで、正確に周辺を把握できないのだ。


「(息苦しい……心臓の……音が……速い……)」


 酸欠で頭が朦朧としてくる。不用意に体を動かしたせいだ。意識が遠くなり、時間の感覚がなくなっていく。何分経っただろうか。かれこれ1時間くらいこうしているだろうか。


「(もうだめだ……きっと誰も……見つけてくれない……誰にも……見つけてもらえない)」


 俺の頬を温かい何かが伝った。それは俺の目から出てきて、俺の口に流れ込んでくる。

 

「(塩の味……そうか、俺は……泣いているのか……)」


 俺は自分の情けなさに、思わず苦笑した。フル回転していた思考が緩み、体から力が抜ける。すると、だんだん思考がクリアになってきた。

 

「(涙は重力に従って流れ落ちる。つまり、上はこっちだ!)」


 俺は一旦呼吸を整えると、最後の力を振り絞って拳を突き上げる。一方向に集中された力が、なんとか雪を突き破った。湿った手のひらに、猛烈な寒さを感じる。これは……風だ!


「ヒ……、……ました! 間違い……せん!」


 無音の中に、微かに声が聞こえる。誰かが俺の名前を呼んだ。俺を探して、見つけてくれた!


「……ロ様! 手を……、……ーん!」


 誰かが俺の手を握る。そのまま引っ張るが、俺の体はびくともしない。でも、この手を離してはいけない。細くて冷えた、この手を。


「握り返し……! 生き……! まだ、……!」


 微かな声に、たくさんの足音が集まってくる。応援を呼ぶ声、雪を掘る音、荒い息。暗闇の中で聞こえるたくさんの音は、やがて心臓の音をかき消すほど大きくなる。


「……ヒイロ様っ!」

「ぷはっ! はあっ……はあっ……!」


 突然、視界が真っ白になった。顔に風が当たり、思いっきり空気を吸えるようになる。体中に酸素が行き渡り、再び心臓が痛いくらい強く脈打つ。


「良かった! 本当にいた!」


 眩しさに目が慣れてくると、目の前の人物の姿がはっきりと見えてくる。長い黒髪、翡翠色の瞳。ウィズが雪の上から俺を見下ろしていた。


「正確な場所がわからなくて、そうしたらヒイロ様の腕が見えて、でも、力いっぱい引っ張っても抜けなくて……」


 ウィズは手で涙を拭った。その手は、俺を助けるために必死で雪を掘ったせいで、真っ赤なしもやけだらけになってた。


「もうだめかと思いました……見つかって……良かった……」


 ウィズは泣きながら雪を掘る。そのたびに、粉のような雪が崩れ落ちて、俺の顔に降りかかる。それでも彼女は諦めず、鼻をすすりながら雪を掘り続けてくれた。


「ありがとう、ウィズ……俺も、だめかと……思ったよ」

「そんな簡単に……諦めないでください……もうっ……」


 やがて、雪崩を逃れたヒイロ隊が雪の堆積地点までやってくる。一気に人手が増え、俺の体はあっという間に雪の中から掘り起こされた。


「ありがとう、みんな! ……そうだ、荷車は……荷車はどうなったんだ?」


 俺は、負傷者達に支えられながら辺りを見回す。確か、雪崩に飲み込まれる寸前、下に流され落ちていく荷車を見た気がする。ならば、荷車は俺が救出された地点よりも下にあるはずだ。


「あったぞー! 重傷者は3人とも無事だー!」


 下の方から声が聞こえる。既に身軽な負傷者が確認に降りていたらしい。報告を聞いて、その場にいる全員がホッと安心する。


 だが、被害はこれだけでは済まなかった。雪崩に巻き込まれた人間は他にもいたのだ。


「マチェッタがいない! 雪崩に巻き込まれた後、どこにもいないんだ!」



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