2-6 ヒイロ、土下座する

「コップ一杯の水が銀貨1枚?! ボッタクリじゃないですか!」


 ウィズの叫びが森じゅうに響く。マチェッタが持っているのは、さっき俺達が差し出した食料と水だった。索敵スキルと引き換えに支払った対価だが、安すぎると思ったのだ。


「人の弱みに付け込んで、卑怯だとは思わないんですか?!」

「ぜーんぜん。商売は需要と供給や。余っとる所で安く買い、足りひん所で高く売る。当たり前やろ、生意気なお嬢ちゃん?」


 ウィズの非難もどこ吹く風のマチェッタ。確かに、今この場でコップ一杯の水はモブリットの命と同価値、つまり値千金の価値を持つ。

 

「買わないなら別にいいさ。だって、あんたらが帰れなくなるわけじゃないもんな」

「遭難者を見捨てろ、というのですか……?」


 レンジも他人事のようないい草だ。俺達が買わなければ、次はモブリットに取引を持ちかける気だろう。しかし、彼に銀貨を支払えるとは思えない。


「なるほど。お前たち……ハイエナか」


 俺がそう言うと、レンジとマチェッタはニヤリと笑った。謝礼金を目的にダンジョンを徘徊する冒険者、その中でも、規定限界の高額謝礼金を要求してくる悪徳業者。今回彼らが要求しているのは法外な水代だが、同じことだろう。


「なぁ、隻眼の兄ちゃん。さっきも言うたけど、銀貨1枚くらい立て替えたってもええんちゃう?」

「……だめだ。俺は借金取りにはなりたくない」

「助け合いは大事やのになぁ。イシシ」

「ちょっと! ヒイロ様を責めるのは、おかしいいですよ!」


 責められる俺をウィズが庇ってくれる。確かに、この場で最も責められるべきは、ハイエナの2人だ。だが、救助依頼を引き受けた以上、俺達はモブリットを助けるために手を尽くす義務がある。


 救助隊とハイエナの間に、緊張した雰囲気が広がる。だが、ここで意外な人物が口を挟んだ。

 

「……うう、……何だ、……騒がしいな」

「も、モブリットさん!」


 あまりの騒がしさ、モブリットが目を覚ましたのだ。彼は俺とウィズに気づくと、俺たちの顔を睨みつける。


「まだつきまとうのかよ! 俺は助けて欲しいなんて言ってないぞ! この、金の亡者め!」


 この期に及んで、モブリットはまだ失礼な態度を止めようとしない。自分の無事をめぐって俺達が争っていることに気づいていないのだろうか。いや、彼のことだから、もし気づいていても、同じように救助を拒否するのだろう。


「……ヒイロ様。もう帰りましょう。こんな人を救助する義理なんてありません。依頼者にはありのままに伝えればいいのです」


 ウィズが苦い顔でそう言った。ハイエナが本性を現したときから気持ちが滅入り、今のモブリットの態度で愛想が尽きたのだ。


「あなたを蔑ろにする者に、救助を受ける資格なんてありません。あなたを利用しようとする者に、借りを作る必要なんてありません」


 ウィズは俺の目を見てはっきりと言った。彼女の翡翠色の瞳には悔しさの涙が滲んでおり、俺を苦しみから救いたいという素直な気持ちが伝わってきた。

 

「……」


 俺は、改めてハイエナたちに向き直った。ウィズには、俺のためにつらい思いをさせてしまった。だが、ここで諦める気は全くない。

 

「どうしても、その水を譲ってくれないのか?」

「もちろん、譲らへん」

「そうか、なら最後の手段を使うしかないな」


 俺は覚悟を決めた。できればこんなやり方はしたくなかったが仕方ない。並々ならぬ俺の雰囲気に、その場の全員が身構えた。


 俺はその場に腰を落とし、両膝を地面につく。そのまま肩も落として両手をついた。最後に……額を地面に擦り付ける。


「お願いします! 水を分けてください!」


 一瞬、全員が沈黙した。


「ど、土下座だ……!」

「初めて見たわぁ……」

「ヒ、ヒイロ様……」

「ダセェ……」


 その場にいた全員が、俺から半歩ほど距離を取った。いや、かろうじてウィズだけは踏みとどまってくれたようだ。そんな健気な彼女は、土下座する俺に取り縋って悲鳴を上げる。

  

「ヒイロ様、やめてください! こんな人のために、こんな人たちに向かって頭を下げる必要なんてありません!」

「水を分けてください!」

「やめてください……。恥ずかしいですから……」

「水を分けてください!」

「嫌ぁぁ……かっこわるいヒイロ様なんて見たくないぃぃ……」


 はじめは俺の襟首を掴んで引っ張り起こそうとしていたウィズだが、次第に元気をなくし、最後には俺の背中の上に泣き崩れてしまった。ウィズには……ほんとに悪いことをしている。現在進行系で。


「……アンタ、どうしてそこまで俺を助けたがるんだ?」


 しばらく様子を見ていたモブリットが、ふと俺に聞いた。恐る恐るといった様子で、先程までの突き放すような態度はもはやない。


「俺は依頼者から頼まれたから、……いや、違うな。結局は俺の満足のためなんだ」


 俺はそのままの体勢でゆっくり話す。今のモブリットなら俺の話を聞いてくれそうだ。時間がかかってもいいから、俺の考えをきちんとみんなに伝えたい。


「最初に君を見失ったとき、俺は自分でも驚くくらい取り乱してしまった。今なら分かるが、それは君を見殺しにしてしまうことへの罪悪感だったんだ」


 ウィズがハッとして顔を上げた。あの時は彼女がそばにいることも忘れて、辺りに怒鳴ってしまったくらいだ。当時はあまりの感情の高ぶりに、それが罪悪感だということすら気づかなかった。

 

「俺は自分の気持ちを無視できない。だって、この罪悪感を感じ無くなったやつは、ろくでなしだからだ。俺が恨んでいるやつそのものだからだ……!」


 俺の中にはブレイブの姿が浮かんいた。追放される俺を心配する仲間たちと違い、あいつは罪悪感の欠片も感じていなかった。


 ブレイブを恨むなら、俺は彼のようになってはいけない。罪悪感を感じなくなってしまったとき、俺は復讐の資格を失うのだと思う。


「だから、俺は……すまない……俺の都合で、頭を下げなきゃいけないんだ」

「アンタ、訳ありなのか……」


 モブリットが驚いたような声を出した。彼は俺たちのことをただのハイエナだと思っていたようだ。だが、そうでないことが伝わったようで、声色が少し柔らかくなっていた。


「な、何やねん……、そんな話でお涙頂戴しても、値下げなんかせぇへんで!」

「おっ、さすがは我らがマチェッタ様」


 と、そこに口を挟んだのはマチェッタとレンジだ。心なしか動揺しているように見えるマチェッタに比べて、レンジは試合終了とばかりに頭の後ろで腕を組んでいる。

 

「せ、せや! まけてほしかったら、あんたも土下座せぇ、小娘!」

「わ、私ですか?」


 マチェッタの無茶ぶりは、なんとウィズに飛んできた。聞き役に徹していたウィズは、急に話題を振られて驚いているようだ。俺とモブリットは慌てて止めに入る。


「ま、待て、ウィズまで頭を下げる必要はないだろ!」

「俺の救助のために、そんなことまでさせるのか?!」

「やかましい! 言う通りにしたらあんたらの言い値で譲ったってもかまへん! ただし、出来ひんなら銀貨1枚のままや!」


 マチェッタは半ば自暴自棄になりながら、そんな提案をする。恐らく、彼女は俺の土下座に気圧され、水代をふっかけるのが気まずくなったのだろう。だから、ウィズに無茶振りをして、責任を彼女に転嫁するつもりなのだ。

 

「……私が頭を下げれば、ただで水を譲ってくれるんですね」

「も、もちろんやけど……まさか……」

「わかりました。どうか、このとお……」


 ウィズが杖を地面に置き、膝をつこうとする。まさか、彼女にまで土下座を強要するなんて。ウィズの決断は早く、俺が止めに入るよりも先に……!



 *



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

目次ページの【フォロー】で、いつでも続きが楽しめます!

ページ下部の【★で称える】【♡応援する】が、作者の励みになります!

【レビュー】もお待ちしております!

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る