2-6 遭難者、救助を拒否する
「大丈夫か?! しっかりしろ!」
「う、う……」
倒れている男の顔を覗き込む。朦朧としているのか、返事はうめき声しか返ってこない。ひとまず生きているようだが、かなり衰弱しているようだ。
「ヒイロ様、間違いありません! この人、私達が捜索しているモブリットさんです!」
「ああ。俺もコイツには見覚えがある。間違いない」
俺はウィズに頼んで、モブリットの様子を明かりで照らしてもらう。まずはダメージや状態異常の有無を確認して、適切な回復魔法をかけないといけないからだ。しかし……。
「どうしたんですか? 早く、回復魔法をかけないと……」
「待て、彼にはダメージがない。状態異常もない」
「えっ? ではなぜ倒れているんですか?」
「多分、脱水症状や低血糖だろう。遭難中にろくに食事が取れなかったせいだろう」
3日なら大丈夫だと考えていたのが甘かった。モブリットは森の中で出口を求めて、あるいはモンスターから逃げるために全速力で走り回ったに違いない。もしかしたら、途中ではぐれた依頼者の無事も知らず、彼を心配して無茶な移動をしたのかもしれない。その分早く体力が尽きるのは当然のことだった。
「とりあえず、俺が彼を焚き火の近くまで運ぶ。ウィズは水と食べ物の用意をしてくれ」
「はい。遭難者用の非常食のことですね」
こんなこともあろうかと、一部の食料はモブリットのために手を付けずに温存しておいたのだ。おかげで荷物の量を増やすことになったが、結果的に正しい判断だった。
「あ、あんたら、は……?」
「俺達は君を助けに来たんだ。君は助かったんだ」
一瞬だけ意識を取り戻したモブリットは、俺の言葉を聞くと安心したように再び気を失った。俺は彼の体をなんとか担ぎ上げ、休憩地点まで戻っていった。
*
俺がモブリットを運び終わった時、ちょうどウィズが荷物から水筒を取り出そうとしているところだった。本当は倒れている人間を不用意に動かしたくはなかったのだが、夜の森は真っ暗で、明かりになる焚火が近くにないと手元が見えなかったのだ。
「すみません、ヒイロ様。もう少しだけ待ってください」
「わかった。モブリット、服を緩めるそ」
水が届くのを待っている間に、俺はモブリットの襟ボタンやベルトを外す。一応本人に確認を取るものの、意識が朦朧としていたのか、小さくうめき声を漏らしただけだった。ついでに、彼の肌に触りながら、体温に異常がないかも確認する。発熱もなく、低体温でもない。脱水症状のせいで血色が悪いが、とりあえずは安心だ。
「貧血か。つらいのに、よく頑張ったな」
俺は、近くにあった荷物をモブリットの脚の下に置いた。簡単な処置だが、足の位置が高くなることで脳や胴体へ血流が流れやすくなる。完全に回復するまでは、こうして一時しのぎをするしかないだろう。
「お待たせしました、お水です!」
「ありがとう、ウィズ。助かるよ」
「モブリットさん、気絶しているんですか? でも、早く飲ませてあげないと」
気を利かせたウィズが、眠っているモブリットの口元に水筒を近づけ、水を注ぎこもうとする。しかし、俺はすかさずそれを止めた。
「待ってくれ。水はできるだけ自力で飲ませたい」
「え? どうしてですか?」
「のどを詰まらせると、窒息する恐れがある。ひとまず、ゆすったり叩いたりせず、呼びかけてみよう」
ウィズは頷くと、横たわるモブリットの耳元に顔を近づけて、ゆっくりとした大声で名前を呼んだ。具合が悪いところをたたき起こすようで申し訳ないが、眠らせておいても症状は悪化するばかりだ。
「モブリットさん! 聞こえますか、モブリットさん!」
「う、うう……。誰だぁ、この声はぁ……?」
「ヒイロ様、気が付いたみたいです!」
ウィズの呼びかけに、モブリットがぼんやりと意識を取り戻す。ろれつが回っていないところを見ると、脱水症状はかなり深刻な段階まで進行しているようだ。俺はモブリットの上半身を腕で支え、ゆっくりと抱き起した。
「水を飲め。分かるか? 水だ」
「吐き気……がぁ……」
「無理はするな。でも、少しだけ頑張ってみないか?」
「わかっ……た……」
モブリットの震える手が、ウィズが持つ水筒にゆっくり伸びる。それを見た彼女は、彼の手を水筒まで誘導し、飲み口を口元に運べるよう支えてくれる。彼の目線は揺れながらも、しっかりと手元をとらえていた。少しずつ水筒を傾けると、モブリットは小さくのどを鳴らしながら水を飲み始めた。
「やった! 飲んでくれましたよ!」
ウィズの顔が輝く。一日半という長い捜索の末、やっとモブリットを助けることができたのだ。倒れている姿を発見したときは、俺ですらもうだめかと思ったくらいだ。それを乗り越えた達成感は、言葉にできないくらい大きなものになった。
「とりあえず、ひと安心だな。水はまだあるか?」
「はい。といっても、あとは私達の分も合わせて、あと少ししかありません」
「仕方ないな。水分補給は少量をこまめに行うよう徹底しよう。それと、モブリットには塩分も取らせたい」
「確か、塩味のビスケットを持ってきたはずです。探しますね!」
俺は、術士服の外套部分を脱いで地面に敷き、その上にモブリットを横たえた。数十時間ぶりの水分にありつけた彼は、安心して再び眠りについてしまった。気のせいかもしれないが、発見したばかりの時よりもずいぶん穏やかな寝顔だ。救助隊は、モブリットの命を救うことができたのだ。
*
森の中では最低限の応急処置しかできなかったが、十分な水分と食事を摂ることができたモブリットは自力で起き上がれるまでに回復した。
「あんたらのことは覚えてるよ。まさか、またハイエナなんかに助けられるなんてな」
モブリットは救助を受ける立場にも関わらず、相変わらず失礼な言い方で俺たちを罵った。あんまりな態度にウィズが何か言いかけるが、無言で俺が止める。疲労が十分に回復していない相手と喧嘩をする気にはなれなかったからだ。
「依頼者は君のことを心配していたぞ。どんな方法でも、無事に帰れたらそれでいいじゃないか」
「依頼?」
「ああ。君の相棒が、銅貨20枚で救助を要請したんだ。彼にとって、君にはそれ以上の価値があるということだ」
俺はモブリットを心配する依頼者の顔を思い出していた。彼がどれほど仲間を大切にしているか、どれほど仲間の帰りを心待ちにしているか、俺は良く知っている。だからこそ俺は、こんな遭難者でも無事につれて帰りたいと思うのだ。
しかし、彼の気に障ったのは別の部分だった。
「依頼、だと? まさか、あいつから金を取ったのか?!」
モブリットが急に立ち上がり、食べかけの食事が投げ捨てられる。弱っている彼でも食べやすいように、ウィズがビスケットをふやかしてくれたものだ。貴重な食料が地面にぶちまけられるが、彼はそのことにすら気づくことができないほど怒っていた。
「それも、銅貨20枚も?! あいつが頑張って貯めた金を!」
「お、落ち着け! 君はまだ万全の状態じゃないんだ。急に動くと体に良くない」
「うるせぇ! 誰もアンタ達に助けてなんて言ってねえだろうが!」
「きゃぁっ!」
病人とは思えないほどの大声に、ウィズが悲鳴を上げる。俺が落ち着かせようとしたのが逆効果だったのか、モブリットはさらに激しく暴れ出した。それどころか、ふらつきながら荷物をまとめて、ここから立ち去ろうとすらしている。
「ま、待て! そんな状態でどこに行く気だ?!」
「俺は1人で脱出する! ハイエナに払う金はねぇ!」
「そんな、無茶だ!」
「あんたには関係ねぇだろ!」
俺はモブリットを止めた。彼はそれを振り切り、そのまま森の中に入っていこうとする。迷いの森は、次こそ彼を逃しはしないだろう。さすがにこれはまずい。救助は彼にとって耐え難いことだろう。それでも、止めなければ!
「ウィズ、モブリットを止めるぞ! 二人がかりで抑え込むんだ!」
「はい! とりあえず明かりを……えっ?!」
モブリットを追いかけようとする俺。しかし、後方から俺に続こうとしたウィズが、何かに気づいたかのような悲鳴を上げた。
次の瞬間。
「く、暗い!」「焚き火が!」「あばよ!」
その場にいた3人が様々な反応をする。突然、辺りが真っ暗になったのだ。俺たちが起こした焚き火は、辺りの状況を把握するには十分な光源だったはずだ。しかも、混乱に乗じてモブリットは森の奥に走り去っていくではないか。
どういうことだ?
何が起こっているんだ?!
「ウィズ、無事か?!」
こんな状況で俺が最優先にしたのは、ウィズの安否だ。一番焚き火の近くにいたのが彼女だからだ。それに、とっさのことだったので、深く考える暇がなかったのだ。
「は、はい、私は大丈夫です!
暗闇の中からウィズの詠唱が聞こえたと思うと、暗闇に小さな光の玉が現れた。暗闇を探索するため、杖の先端を光らせる魔法だ。焚き火よりも小さな光だが、お互いの位置を把握するには十分だった。
「一体何が起こったんだ?」
「見てください、ヒイロ様。焚き火に鍋が被せられています」
ウィズが明かりを使って焚き火を調べてくれたらしい。たしかに、俺達が調理に使っていた鍋が、すっぽりと炎を覆っていた。彼女が恐る恐る鍋をどけると、中で燃えていた焚き火が再びあたりを煌々と照らす。
「それよりも、モブリットさんはどうなりましたか? 彼を引き止めなくては!」
「しまった! もう姿が見えない」
俺は急いでモブリットが走っていった先に目を凝らした。しかし、迷いの森の夜闇は、簡単に彼を覆い隠してしまった。彼の体調は万全ではないから、まだそう遠くには行っていないはずだ。にもかかわらず、いくら目を凝らしても、彼の姿は全く見えなくなってしまった。
「追いかけますか? 今すぐ動けば、追いつけるかもしれません!」
「いや、やめておこう。下手に移動すれば、この場所に戻ってこれはなくなる。かといって、荷物をまとめている時間もない」
俺は苦渋の決断をした。物資がなければ、消耗した遭難者の救助だけでなく、自分たちの安全確保もできなくなってしまう。だが、俺の判断は本当に正しかったのか? こんな風に後悔している間にも、モブリットは俺たちから離れていくんだぞ?
「クソっ、どうしてこんなことにっ!」
「ヒ、ヒイロ様……」
思わず言葉を荒げると、ウィズが小さく体をビクつかせる。いけない、苛立ったところで状況が良くなるわけでもないのだ。俺は目を閉じて、ゆっくり深呼吸をして頭を冷やした。
……助けられなかったら、お前を許さないぞ。
過去の俺が呪いの言葉を吐く。瞼の裏には、あの時の洞窟の風景が浮かんでいた。
「……ごめんな、ウィズ。怖がらせたよな」
「そんな顔をしないでください。私はちゃんと、そばにいますから」
「はは、君にまで逃げられるところだったよ。大丈夫だったか?」
「いえ、少し驚いただけです。ヒイロ様があんなふうに取り乱すなんて、はじめてだったので」
目を開くと、俺のそばにはウィズがいた。確かにそうだ。こんな風に、たった1つの判断で他人の生き死にを決めるようなことは、これまで一度もなかった。なぜなら、これまでの冒険では、抜群の判断力で俺達を導くリーダーが他にいたからだ。
救助隊として活動するには、覚悟が必要なのだ。
その覚悟が欠けていたからこそ、こんな風に追い詰められるし、簡単に冷静さを失ってしまう。
遭難者探しは、振り出しに戻ってしまった。もしかしたら、モブリットの無事が確認できた分プラスかもしれない。いや、食料と体力を消費した分マイナスのほうが大きいだろうか。確実に分かるのは、遭難者本人が非協力的、という大きなハンデがあるということだ。
だがそんな時、俺達に救いの手が差し伸べられた。
「まいど~、偶然やなぁ。もしかして、困っとる?」
「これも何かの縁だ。俺様が華麗に力になってやろう!」
森の中から2人の冒険者が姿をあらわした。片方は行商人の女、もう片方は弓使いの男だった。
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