今日の晩飯はシャバシャバカレー
大場景
今日の晩飯はシャバシャバカレー
「あーごー」
「はーーい」
『あーごー』は『あおば、ご飯よ』の略である。
今日もまた、時刻は19時を回り。我が家は夕食の時を迎える。
「これ、あおばの」
「あい」
母はひたすらに料理を盛り付け、僕が食事をテーブルの上に並べ、その間に姉が父の水割り焼酎をつくり、父は仕事帰りの体を休めながらテレビを1チャンに合わせる。
これが僕らの晩御飯の常である。
「「「「いただきます」」」」
今日の晩飯はカレー。カレーの上に安売りのコロッケを乗せるのが我が家流である。
父が福神漬をジッパーから皆に取り分けてくれる。
福神漬というと赤色を連想するが、最近我が家の福神漬は専ら茶色。
「うまい」
僕と姉は、こぞって母に親指を立てる。これが我が家のルール。料理を作ってくれているのだから、美味しいくらいは口で言わねば。
「でもなんか今日のカレー、シャバいね」
「まじで?水入れすぎたかな」
母はとぼけたような顔で口を尖らせた。
「ごちそうさまでした」
僕は目を閉じ、手を合わせる。
「今日も遅かったなぁ」
父は呆れたような顔で僕を見る。
まるでナマケモノでも見るかのような眼差しである。
「すません」
急ぎ足で食器を片付けると直ぐ様2階へ戻り、スマホの電源を付ける。
今日も今日とてようつべである。最近はもっぱらバーチャルユーチューバーに首ったけで、電気もつけたまま寝落ちることは我が家ではそう珍しいことでもなかった。
堕落しているとは思っていた。分かっちゃいるけど やめられなかった。漠然とした毎日の不安感を払拭するために僕はSNSに逃げ続けた。
ただ今日も意味のない時間が過ぎ去る。
事件はその夜に起こった。
「……?」
僕は、誰かが階段を慌ただしく下っていく音で目が覚めた。
暫くぼーっとしていると、段々と意識が戻ってくる。部屋の電気が付いたままだ。
──ああ、また寝落ちたようだ。
やばい、また明日母さんに叱られると内心焦りながらも、心の臓の方は寝起き早々だからか酷く落ち着いていた。
「こんな夜遅くになんだ…?」
机から体を起こすと倒れ込むようにベッドに寝転がり一階に耳を澄ます。
ガタガタ、ゴトゴトとなんだか忙しない。などと思っていると、瞬く間に玄関の開く音がし、遂には車の音が遠ざかっていく。
「……なんだったんだ…?」
父がタバコを買いに行ったのかなどと予想しつつ、僕は部屋の電気を消す。
結局、特に深く考えるでもなく今日は眠りについてしまった。
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父より祖父が危篤との知らせを聞いたのは、翌朝の6時過ぎである。
ドキリと心臓が嫌な揺れ方をした。
祖父は2日前、雨上がりの濡れた地面に足を滑らせるというアクシデントを起こしていた。
このとき頭を打ったことが原因ではないかとのことだった。
僕は、いまいち実感が湧かなかった。
つい1週間前に会ったばかりだったから、余計に。
結論として、祖父はこの危篤を乗り越えた。しかし、漸次快方へと向かうこともまたなかった。
祖父は、快活でシャレが大好きで、家の修繕くらいは自分でこなしてしまう程に手先の器用な人だった。
そんな祖父が、僕の中で日に日に薄れていく。
自分でボケておいてハッハッハと自分で笑っている彼の姿は、刻、一刻と過去のものとなっていった。
一方、祖父は何度も何度も悪化と回復を繰り返しながら、勇敢に生きた。脳は大部分を摘出し、目が覚めても何ができて何ができないかは未知数だったにも関わらず、彼はひたすらに
やっと面会が叶ったある日、確かに祖父は僕の顔を追った。
姿は変わり果てており、瞼は重く、顎は随分と下がってしまっていた。正直、生きるのも辛そうだった。だけど、それは単に身体が苦しいためだけではないのだと思えて仕方がなかった。
「……頑張れ」
なんて、言えば良かったのか。僕は月並みな言葉しかかけてあげることが出来なかった。
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入院してから約1年後、祖父は永眠した。
それから2日を空け、通夜と葬式が営まれた。
一年も闘病した彼の顔や体付きは、最早遺影と似ても似つかなかった。
「別人みたいじゃんね」
なんて言いつつ、
「頑張ったね」
なんて一人ひとり言葉をかける。
ここで初めて「じいじ、もういないのか」って思う。
叔母は祖父の顔を見ながら顔を歪め、大粒の涙を零していた。
喪主であった父は、言葉を詰まらせながらともに弔ってくれた親族へ感謝を述べた。
祖母は祖父の顔を黙って見るばかりである。
僕は、泣けなかった。泣けない自分が愛していなかったみたいで、泣かない自分が恩知らずのようで、それが悲しくて涙を零した。そして、それもまた悲しくて。
祖父は、文字通りの灰となった。
人の骨を見るのは、幼少の頃の曾祖父の葬式振りだった。
ショッキングでもなく、辛いでもなく、なんというか、僕は終始ぼーっとしていた。
感情という感情をどこかに捨ててきたようだった。
結局、祖父が死んだ事実を受け入れるには1年ほどの時を要した。
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1年後、僕は高校2年生となった。
カーテンを空け、電気を消して夜空を見つめる。夜風は日中とは打って変わって肌を優しく冷やしてくれる。
今日、一周忌が終わった。
大きな変化は、あれから起こっていない。
祖父のいない日々も随分と当たり前になってきた。
まるで祖父の存在だけが世界から抜け落ちてしまったかのようだ。幻だったかのように、ごっそりと。
ただ、御香の匂いがしたらふと祖父のことを思い出すようになった。
かつて読んだ小説にあったある言葉を思い出す。
生き物が死んだということは、それに含まれる液体が世界中に分散するということで、つまりいつでも一緒なのだと。
こんな感じ。
一理ある。だが、納得はしない。いないものはいないのだから。結局のところ、自分たちが乗り越えていくしかないのだと思う。
僕は、その日から 移り行くもの に目が行くようになった。
反応しなくなったWi-Fiのルーターの取説をめくる父の手は小刻みに震えていた。
とうもろこしを威勢良く頬張っていた母の前歯は何時しかグラグラと揺れている。
あんなに愉快であった祖母は認知症が進行しつつあるらしい。
皆、等しく小さな
それでいて、その小さな
時は、確かに流れている。
時に、酷く残酷に流れる。
僕は、酷くそれが悲しい。
でも、だからこそ今を愛そうと思った。
せめて後悔のないように。
そんなことを、下弦の三日月を望みながら考えていた。
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「あーごー」
一階から母の呼び声が聞こえてくる。
「あーーい」
今日もまた何の変哲もない一日が終わる。
「今日の晩御飯何?」
「ん、月曜日はカレー」
「父のはまだよそわないから。あ、これは姉のだからラップしといて」
「あいよ」
我が家の食卓には変化があった。
姉が長年の夢を叶えて就職したため、仕事柄夜勤が増えた。
父も転勤の関係で夜遅くに帰りがちである。
今日は母と二人でご飯の日。
僕は食事をテーブルの上に並べ、母は料理を盛り付ける。
「「いただきます」」
「うまい」
母に向けて親指を立てる。
「でもシャバい」
「水入れすぎちゃったんだよね」
母の目尻に一筋のシワがあるのを、僕は流し目で見つめていた。
「ごちそうさま」
目を閉じながらそう呟き、手を合わせると母の空いた皿とともに食器を片付け、歯を磨く。
「風呂行ってくる」
「あ、お風呂洗っといて」
「あいよ」
僕は腕をまくりながら風呂場へ向かっていった。
今日も僕は、変わりゆく日常の、それでも変わらない非日常の中に生きている。
不変なんてことありはしない。
だからこそ、普遍を愛すことができるのだ。
だから、僕は今しかない今ってやつをみっともなく楽しんで、笑顔を撒き散らしていきたいと決意した風呂であったとさ。
「あおばーー風呂遅ーい」
「ああ゛ーーーい」
今日の晩飯はシャバシャバカレー 大場景 @obakedazou
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