第36話 出禁にすんぞ
電話が切れた後、しばらく頭の中に村田書店までの道のりが浮かんでいた。本来はどうあれ、現在力を持っているのは俺だ。行かないと、行かないと。……行かないと、きっと書店の店主が死んでしまう。でも、行けば、俺が死んでしまうかもしれない。俺は醜いおばけだ。自分の命が恋しくて、他人は所詮余所様だって思ってる。小さい頃何度もナポリタン図鑑値引きしてもらったのに。神奈川版と福岡版なんて100円も値引きしてもらったのに。愛知版は定価だったが。悩むことなんかあるか? なにを悩んでるんだ……。モンスター対策のための部隊も編成されて、街に配備されてる。軍人さんが頑張ってくれてる。俺が行ったら軍人さんも護るべき人が増えててんやわんやしてしまう。行くべきじゃない。俺は無事を祈るしかない。そうするべきだ。賢い人間はそうするはずだ。そうだ。俺は足手まといにしかなれない。行くべきじゃない。行くべきじゃない。
「旭ちゃん」
スマートフォンのテレビアプリを開いて、岩手の地方チャンネルを映してみれば、村田書店の様子が流れていた。11歳かそこらの少女が自分より遥かに大きなモンスターを相手にして一歩も退かない。倒れていた店主を護るためだ。少女の母親とおぼしき女性は警察に抑えられながら泣き叫んでいる。名前は「イツツ」というらしい。リュックサックを持っているから、おそらくまだモンスターの出現が比較的少なく被害があまりなかった此方に来たのだろう。
「行くか」
「はい」
気がつけば、シンさんのタントが弾丸のようになって走っていた。
「着いたぜ」
気がつけば村田書店の前だった。カメラや警察、対策部隊の人たちがモンスターを囲っていた。非常に危ない。危機感の欠如。
「民家の塀4つ壊してましたよ!?」
「小さいことは気にするなっ! それより、するんだろ」
「な、なにを……」
「決まってんだろ。変身だ」
彼は板きれを此方に突きつけた。
「俺、あんまり喧嘩得意やないです」
「お前は優しいもんなあ」
「……誰かの不幸を誰かの所為にするのも苦手です」
「お前は馬鹿だもんなあ」
「俺には得意な事とかあんまりありません。きっとこれからも自分を責めるし、そん度にシンさんやあのアホふたりを困らせると思います。きっと両親も悲しむし、弟は呆れるかな」
「そうだね」
「俺は多分生きるのに向いてへんのやと思います」
「そうだろうね。結論は?」
「怖いです」
板きれをぶん取って、車を出る。
板きれの裏側には──
〝Thank you for loving she.〟
──なんて言葉が刻まれていた。
『あの女の子、寒河江さんところのお孫さんだって』
『対策部隊はなにやってんだ!』
野次馬の波を掻き分けて、ようやくお母さんの横に立つ。 足元に未就学男児向けの雑誌が落ちていて、付録のヒーロー仮面が落ちていた。それを拾い上げる。輪ゴム付きとは太っ腹だ。
「お嬢さんかっこいいですなあ……」
「あっ……あなた誰です……」
「俺ですか。俺は……そうだな」
板きれを握る手に力を込めると、バチバチ、と稲妻が走る。
「呼び方はあなたが勝手に決めてください」
「えっ……えっ、誰です本当に……なんで仮面で顔を隠してるんですか……」
「カメラがあるし……そうだなあ、強いて言うなら……うーん」
胸にランプが現れ出す。そのランプを小突きながら言う。
「癪なこの世のカンシャク玉かなあ……」
「は……? あっ、ちょっと……!」
少女の前に立ち、声を張る。
「寒河江イツツってんだって……!? 名前っ……!」
「あ、あんた誰っ……危ないよ、どいてよっ」
「どかないね」
全身が黒色の強化皮膚に包まれていく。胸のランプから緑色の光を発してみる。光は大きな蜥蜴のような化け物を照らしあげた。
「偉いじゃねぇの……」
ひとたび戦いを決意したならば、その決意を持続しなければならない。……誰の言葉だったかな。ちょっと根を詰めすぎじゃないかって思うこともあったなあ。俺、あんまり価値観とか育んでないから浅い考え方しかできないけど、多分思ったより簡単な話だぜ。
「グ、ツウウウ……貴様ア、何者ダ……」
「気合いと根性、度胸と不屈……! 燃える魂、緑の稲妻に刻み込み、揺らぎつづける壁になる……! 俺は誰かって!? そうだな、俺が誰かはお前らが勝手に決めろ! 俺は俺さ。醜いおばけだ!」
「オ、オ、オバケダー!?」
「わかったらかかってきな……お嬢ちゃん」
「ナ、ナナナメルナーッッ!!!」
モンスターは此方にかけだし、牙をきらめかせた。
「危ないよ! 危ないよオバケダー」
「オバケダー? オバケダーってなんだお嬢さ──うおあぶねっ!!」
モンスターの噛み付く攻撃をなんとか交わす。
「余所見スンジャ無ェヨ……! ブッ殺スゾ……!」
「もとよりその都合だろ……」
「ソウダッタナア……!」
またもモンスターは此方に駆けてくる。
「逃げないと……」
「逃げねぇさ」
「なんで!?」
「お前と同じじゃないのかい?」
拳を引き絞り、びきびきと力を込めて……拳が届く距離に入ったら、思い切り放つ。モンスターは頭に思い切り俺の拳を受けて、どうやら死んでしまったらしく、塵になって消えた。
寒河江イツツちゃんにしつこくインタビューを迫っていた記者たちも帰ったあと、未就学男児向け雑誌のおたよりコーナーを読みながら「仮面を俺にも貸せ」と迫って来る意地汚いシンさんと攻防を繰り広げていると、寒河江イツツちゃんがやってきた。
「あの……さっきはありがとう、ございます」
「おっ、終わったかい。お母さんすんげー泣いてたけど大丈夫だったか? ちゃんと『ごめんなさい』って言うんだよ」
寒河江イツツちゃんは頷いていた。しばらく黙り合っていると、お母さんがやってきた。
「さっきは、本当にありがとうございます……」
「いやあ、お嬢さんがあんまりかっこよかったもんだから」
「本当に、なんとお礼をすればいいか……」
「お礼なんて、そんなのいらないっすよ」
「いえ、させてください。大切な愛娘なんです。みんな、モンスターにやられて、唯一の私の家族を、護ってくれた人なんです」
「頑固な人だなあ、納得だぜ」
うーん、と唸ってみる。
「そうだ、今度海沿いの喫茶店『ナポレオンフィッシュ』に来て下さい」
「ナポレオンフィッシュ……ですか?」
「小さい頃に何回か行ったことある」
「おっ! 古株さんか」
「何故です?」
「そこに行けば土日はいっつもそこにいるからね。困ったことがあれば寄っといでって話」
ナポリタン食いたい。懐をまさぐってみる。浅丘さんの家に置いてけぼりだ!!
「あっ!!!」
「おーおー、どしたー? あんまり大声出すなよー。おふたりさんびっくりしてたぜー」
「麺、茹でっぱなしだ……!」
「あちゃー。いまごろデロンデロンだなあ」
「いやっ、でも、浅丘さんいるし」
「あいつお願いしない限りなんもしねーよ。応用の聞かない男なのさ」
「あの人本当に大人ですか!? あっ、すいません、俺達もう行きます……」
「えっ、待って、まだ……」
「お願いだっ……! 麺がデロンデロンになっているんだっ」
「茹ではじめてから30分は経ってるからなあ……」
膝が笑いやがる。
「あーあー、もー、旭くーん。お前がデロンデロンになってどうすんのー。なっさけないなあ、すいませんお母さん、こいつの足持ってくれませんか」
「あっ、は、はい……」
◆◆◆◆◆◆
そういえば、最近ちらほらとあの板きれを見つける奴らが現れだした。岩手では4人。そのうちのふたりが松田錠と篠原さん。あとのふたりは知らん。
「シンさんは拾わないんすね」
「俺は漁に出たい」
「漁師だなあ。あんなにヒーローだスーパーパワーだと興奮してたくせに」
そういえば、板きれの存在を政府が認知すると、板きれに名前がついた。ミエルプレート、というらしい。
「プレートはわかるとして、なんでミエル?」
「ミエルってのは『はちみつ』って意味らしいで。蜂がせっせと作る甘い蜜。そのプレートは人様の能力を『スキル』として刻みあげるもんや。まるで蜂がつくるはちみつみたいやないか」
「なんか命名がおっさんみたいで嫌ですね」
ナポレオンフィッシュでみんなでナポリタンを啜りながら、話し合ってみる。篠原さんは糸目を天井に向けて、ため息をつく。
「あんたが考え方なんて珍しいですね。新しい
「新しい喧嘩相手っちゅーとモンスターやな」
「……ああ」
ミエルプレートにて能力に覚醒した者は任意で『討伐者』になることができる。討伐者は倒したモンスターに新たに割り当てられた等級によって報酬が変わる。公平なジャッジメントを行うため、討伐者は原則小型カメラを装着し、一般市民に討伐風景を見せなければいけない。一般市民はそれを見て新たにモンスターへの恐怖を培う。コメント機能なんかもあり、正しく配信者のような感じだ。スパチャもできるらしい。配信者みたいだね。
「みんな適応がはやすぎんだよな」
「まるでみんなもう1回は経験済み、みたいな感じですよね。なんなんだろ」
シンさんと俺が続けざまに言うと、篠原さんと
「そうだ、岩手のもうふたりの素性わかったんだ。田中裕次郎と高倉圭一郎。田中裕次郎は遠野市役所の職員。高倉圭一郎はフリーのカメラマン。会いに行ってみるか?」
「遠いしなー、盛岡も遠野も」
陸前高田から遠野までは国道通って1時間ほど。
陸前高田から盛岡までは国道通って2時間ほど。
まだ学生だぜ? 時間は惜しいよ。
「休日があんだろ? そもそもまだ学校は再開してねーじゃん」
「校舎ブッ壊れてんだし」
「自主的に勉強して休み明けに周囲に差を見せつけたいんですよ」
「偉いなあ」
「基本的に菅原君って偉いんだよなあ。偉いしエロいっ! 菅原君のちんちんの裏側に舌を這わせてトロトロになりたいなあ」
「死ねッ! ほんとうに死ねッ!」
「死ぬなら腹上死がええなあ。お布団用意しよか」
「ヒェーッ! 助けて! 助けて!」
「やめとけ篠原ア。最近の世間様はセクハラに厳しいぜ?」
「同性愛もあんまり好きじゃないらしい」
「ハァ!? 同性愛!? なに的外れな事言うとんねん! マヌケになったか!? 僕が好きなんは強者や男やない。いわば強者愛やな。ウンウン」
「俺弱いでしょ……」
「君が弱いわけあらへんがな。俺と一緒にちんちん触りあいっこしよか」
「チンポ握り潰しますよ」
「それでもええよ。女の子になれば結婚できるし。ん? 妙案やないか。見て見て、マジ勃起……。このおちんちんから何色のおしっこ出ると思う? 君が僕の奥ガンガン突く度に白いおしっこ出ちゃうにょ」
「尿路感染症なら病院行ってください」
「ついでに脳病院にも行け!」
「んっ……ちょっとイッちゃった」
「出禁にすんぞ……?」
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