第7話 ナポリタンで釣ってみる?

 そこは確かに階層ボスの部屋らしかった。

 中央にある魔法陣の形の溝がある。ボスを倒すと、そこが光り、使えるようになる。随時発動型の魔法陣は詠唱をしなくても使えるものが多い。

 普通の魔法陣を「導火線に火を付けなければ爆発しない爆弾」だと表現すると、随時発動型は「踏まない限りと爆発しない爆弾」だ。つまり地雷のような物。

 しかし、階層ボスは何処だろう?


「三層の階層ボスとは……?」

「フラッシュコックローチだよ」

「ああ……」


 フラッシュコックローチとは。

 簡単に言うと、とにかくでかくてとにかくチカチカ光るゴキブリだ。

 普通のゴキブリと同じように跳ぶし機敏に動く。おまけに【身体硬化】の第二段階と同じくらいの──つまりタングステンと同じくらい──硬さをしているから、討伐がめちゃくちゃ難しい。

 しかし、熱で殺せるというのはわかっている。

 うーんしかし、「捕らえる」というか「足止めする」というところで躓きそうなんだ。

 フラッシュコックローチは本当に足が速い。

 走ると閃光が走るほど。

 ゆえにフラッシュと長い付いている。

 チカチカ光るのは身体に点在する発光器の仕業だ。

 そこにはルシフェリンという物質とルシフェラーゼが仕込まれていて、いわば蛍と同じ原理で光っている。


「どうやって倒します?」


 フラッシュコックローチがまだこちらに気づいていないうちに一旦部屋の外に出て作戦会議。


「誰か粘着性のある物持ってませんか?」

「そんなん持ち歩かねぇよ」

「僕も。ナポリタンで釣ってみる?」

「ゴキブリ野郎がナポリタン好いてくれると良いが」

「失敗したときのリスクがデカい……!」

「ナポリタンにリスクは発生しねぇよ」

「うーん、うーん、どうしよう……」


 ふと、コメント欄が目に入る。

 説明していなかったが、コメント欄はバッジから空間の「邪魔にならないところ」に投影されている。


 ●スライムの体皮

 ●スライムの体皮あるだろオメーわ

 ●スライムは電気に反応して粘着性を発揮する優れものだよ

 ●スライム

 ●スライム


「あっ、そっか」


 スライムの体皮を背嚢から取り出す。


「スライム体皮じゃん、それ」

「スライムの体皮は電気に反応してとても強い粘着力を持つようになるんだ、どうだ凄いだろう。これはスライムに含まれる樹脂によく似た──」

「それ一枚だけか?」


 遮られた。


「はい」


 寒河江さんが「心許ないなあ」と此方を細めた目で見てくる。

 あっ、ちょっとエッチすぎ。エッチすぎます、寒河江さん。

 エッチ過ぎて困っちまうなぁ。寒河江さん。結婚してくれ。

 本当に、結婚してくれ。エッチすぎるため。


 ──結婚してくれ。


 ──エッチすぎるため。


「仕方ないでしょ。『今日もスライム狩り頑張るかあ!』と気合い入れたところで三層に行っちゃったんだから。急用っていうのは急に訪れるから急用って言うんだ。どうだ凄いだろう」

「三層にもスライムはいるから、スライムの体皮しこたま集めるぞ!」

「そうですね」


 フラッシュコックローチが出てきたらイヤすぎるため、扉を閉めて、【土壁】で扉を塞いでおく。


「一時間で何体スライム狩れるか競争しようよ!」

「腕が鳴るぜ」

「この俺を前にしてそのような提案をしますか」


 ──それから一時間後──


 結果発表。


 寒河江さん:六体

 トマトさん:八体

 俺:百六十五体


「お前ガチでキショやん」

「スライムは水場に沸くんですよ」

「だとしてもだろ」


 百七十九枚のスライムの体皮を布を裂いて作った紐で端をつなぎ合わせることで大きなスライム体皮を作った。


「これを、俺の【シードレス】でバレない様にゴキブリ野郎の真上で覆いかぶさる様に拡げて、落とす!」

「そしたら俺が【稲妻】でスライム体皮に電気を通す」

「僕のやることがない……! 僕は役立たずだった……?」

「なにを言ってるんですか。なにかあった時のための要員ですよ。いいですか、この世に役に立たない人間なんていませんよ」

「シームレスに意見を変えるな……!」

「お前もだわ」


 とりあえず作戦決行前に全員水分補給!

 ということで、ちびちびと水を飲み合う。


「ちなみにですが、ナポリタンにも水分はあります」

「ナポリタンの水分を信用するなよ」

「ほんとに」


 ●ようやく真面目になってきたなと思ってた矢先にこれだ

 ●ばーか! ばーか!

 ●空気を和ませようとした風呂兄貴のバスタブジョークでしょ

 ●ジョークだとしたら純粋におもしろくない

 ●普通に今じゃないからな


「では、参りましょうか」

「ちょっと待って」


 トマトさんがいざ行かんとする俺の腕を引っ張る。


「貸切風呂くんが魔法の天才なのはわかったよ」

「ナポリタンの天才でもあります」

「ねえ、怪我治せないの」

「【治癒】の魔法は一応知っていますが」

「なら使えよ」

「【治癒】は魔力を大量に消費する為、この場では使えないし、もし仮に使えたとしてそれは今ではありません」

「なんで!」

「俺は治癒の神に恨まれているので、身体に【治癒】をかける度に耐えがたい激痛が全身に走るのです」


 俺の母は治癒の神と契約していた。

 母は苦しみ自殺したと言うのに、息子の俺は毎日毎日「金」「金」「金」と金ばかりに執着しているから、治癒の神に呪いをかけられた。

 神は万能じゃない。心の内まではわからない。

 人が虫の思考がわからないのと同じ様に。

 治癒が苦痛に感じるくらいの激痛だ。

 動きたくない、と思うくらい。


「なら、軽率に攻撃を受けるべきじゃなかったでしょ」

「ごめんなさい」


 では行こう、とするとまた止められる。


「何となく思ってたけど、貸切風呂くん自殺しようとしてない? やめてよ、そういうの。面白くないよ」

「自殺なんて」


 するわけねェだろ、そんなこと。

 一瞬、激昂しかけて、身体を強張らせる。

 感情は、表に出せば出すほど人は苦しむ。


「そんなことをしたらお金を稼げなくなる」

「ほんとに?」

「ええ」

「じゃあ【治癒】して。君の激痛が治まるまで傍にいるしフラッシュコックローチの討伐も後回し。君ほんとうに馬鹿だ」

「しかしとはいえ、食糧も心許ないこの頃に時間を浪費するのはいけない事です。はやく四層に向かうべきだ」

「意見の対立か?」


 寒河江さんが壁にもたれ掛かりながら言う。


「俺はトマトの意見に賛成。理由は言わなくてもわかるよな」

「だけど」

「【治癒】してくれたらなんでもしよう」

「えっ」


 ●エッチ

 ●えろい

 ●寒河江×フロカス

 ●えっちすぎ

 ●えろ

 ●エロい男だ


「俺のナポリタンを毎朝食ってください」

「遅効性の罰ゲームかな?」


 寒河江さんにえっちな提案をされてしまう。

 それにトマトさんの俺を心配する気持ちを感じ取ってしまった。

 本当に、やらないという選択肢を削がれた気分だ。


「じゃあやりますけど、見ていいけど、『気持ち悪い』なんて言わないで」


 一度、「スペース」に戻った。魔力の回復が出来るからだ。

 地面にチョークで魔法陣を描いて、魔法を発動させる。


 ●無詠唱!!!!!!

 ●当たり前のように無詠唱!!!

 ●もう無詠唱が当たり前の人なんだ

 ●脳みそ腐るからやめとけって


 全身に浅黒いリヒテンベルク図形のような模様が浮かび上がって来る。それに伴って全身に激痛が走る。

 叫び声をあげそうになるが、モンスターが寄って来たらいけないので必死に堪える。

 全身を毒物の剣で細かく切り刻まれている様な。

 嫌味な細胞の分裂と、怒りに満ちた安堵感が全身に駆け巡る。

 まるで俺に降りかかる罰のようだった。


 いや、罰なんだ。


 これは、俺に与えられた罰。

 父も母も、俺より先に死んでしまった。

 神に嫌われて当然なのだ。

 母はいつも言う。「神様は清く正しい人には祝福を授けるけれど、悪に満ちた欲望の人には罰を与える」と。

 俺は悪に満ちている。金のためにモンスターという生き物を殺している。金のために。金のために。

 俺の行動はいつも金が根幹にあった。

 金がかかるなら食事は抜くし。

 金がかかるから学校だって行きたくなかった。

 魔決学園に入ったのは、母が学校に応募していたから。母は本気で俺を「将来偉大な賢者になる」と信じていたから、母の期待を裏切りたくなかった。

「友達ができたら紹介してね」と母は入学したての俺に良く言った。俺も「今度連れて来るぜ」なんて返していた。本当は友達なんて作れる気がしなかったんだ。周りのレベルを見て、「程度の低い魔法で張り合っていて愚かしいな」と思ってから、周りが猿に見えて仕方なかった。

 周りに合わせようとしても、どうしても見下した感じになるから、友達なんて欲しくても作れなかった。

 とても、寂しいなあ、と。そう思いながら生きていくんだ。でも多分、それすら無理だ。俺は金がないと生きる気力すら沸いてこない。

 こんな人生なら、本当はない方がいい。

 ずっとそんな心を持っている。


「つーかお前なんでそんな金に執着してんの」

「え」


 外傷の修復が終わり痛みが和らいで来たところで、身体に血が満ちる感覚で頭を痛めていると、寒河江さんが言った。


「ごめん、僕も気になる」


 言うべきか。こんな時に。


「弟が、いるんだ」

「弟?」

卓也たくやって言うんだけど、弟は、いま孤児院にいるんだ。このご時世、孤児院だって全額を負担してくれるわけじゃない。弟の養育費を払わなくちゃいけないんだ。馬鹿にならない金額を毎月、毎月払うんだ。弟が生きていけるように、苦労させないように。でも俺は、頭がおかしいから、普通の社会で生きている人間を見下してしまうから、社会で生きていけないから、ダンジョンで金を稼ぐんだ。配信探索者になったのは、ある程度チャンネル登録者があると、配信の度に金が入る仕組みだったから」


 誰かに打ち明けたかったのだろう、と思う。

 こんな時なのに。


「父が眠化ダンジョンに巻き込まれて二度と帰ってこれないと知った時、気弱な弟は泣かなかった。『どうして泣かないんだい』って、尋ねてみたら、『泣いても始まらない』って言っててさ。俺に『気合いと根性』を教えてくれたのも卓也なんだ」


 頭がビキビキと締め付けられて、痛みが終わる。


「母が記者から攻められて精神を病んで自殺したとき、俺にはもう卓也しかいないって思ったんだ。卓也には俺以外の頼れる大人がいるだろうけれど、俺は卓也しか頼れる人間を知らなかったんだ。俺には生活をおくる知恵がなかったから、卓也は孤児院に引き取られて、俺は学校の寮に入った」


 呼吸を整えて、身体中の汗が噴き止むのを待つ。


「金を貯めて、誕生日の日に贅沢出来るくらいの貯蓄をつくって、卓也を引き取る。卓也がどこの高校に行くにも金の工面に余裕があって、卒業してから働きに出るとしても、一張羅を買ってやれるくらいの余裕があって、大学に行くにしても、毎日不純異性交友に勤しめるくらいの余裕があって、卓也が『この人』と決めた人との生活を送り出せるくらいの余裕があって、いつか卓也が親になったとき、伯父として、どこへでも連れていってあげられるくらいの、金が欲しい」


 この世は金がすべてとは言わない。

 きっと金じゃ手に入らない幸福だって存在している。

 友達との友情とか、淡い恋とか。青春。

 でも、俺は金の万能性しか知らないから、金を頼るしかない。


「俺は金にしか興味がないんだ」


 だから、きっと。


「俺は醜いお化けだ」

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