ジェンダーマイノリティ

 突然のカミングアウトで申し訳ないが、私はトランスジェンダーである。もっとも、万が一私のX(旧Twitter)を見たことがある人がいればご存知であろう。プロフィールにもそう書いてある。

 多分殆ど生まれつきのもので、幼稚園に入った頃には既にそうだった。それ以前の記憶はこの件との関わりの有無に関わらず全く無い。

 幼稚園のサッカー教室に入れられていたが、男の子達と一緒にサッカーなんかやりたくなかった。女の子とおままごとをしている方が楽しかった。男の子と仲良くしたくもなかった。結局サッカー教室は露骨にやる気のない私――ボールが近付いて来たら避ける有り様だった――を見た両親が辞めさせたが、だからといって女の子の仲間入りが出来るわけではない。

 勿論、両親はそんなこと知る由もない。何故なら私は中途半端に賢かったから。男の子に生まれた以上、私は男の子である。親や幼稚園の先生達に「男の子なんだから我慢しなさい」みたいなことを言われたり、或いは誰かが言われているのを見たりするわけである。

 世間ではまだジェンダーマイノリティというものに対する理解もなく、たまたまテレビで所謂オカマの人を激しく侮蔑する番組を見てしまった私は、次第に「男の子に生まれたら男の子らしくしなきゃいけないんだ」と思うようになった。

 そして、周囲の男子と仲良くできなかった、というよりしたいと思わなかった私は、結果として物語の中の人物を継ぎ接ぎして男性としての人格を作り上げた。酷く歪で滅茶苦茶なものを。

 その後小学校へ上がると、私と似たような子がいた。ただ私と違ったのは、彼は一人称こそ「僕」だったものの、ハッキリと所作や言動が女子児童のそれだったことだ。

 私は彼、もしくは彼女が嫌いだった。私が当時まだ思っていた先述の原則に真っ向から反するそいつが大嫌いだった。きっと、嫉妬心がその理由だったのだろう。彼は皆に好かれていた。彼、或いは彼女は、男の子らしくなくても周囲に受け入れてもらうことは可能だと明確に示していたのである。それは私が頑なに男性であろうとしているのを否定されたようで気に入らなかった。

 当然ながら問題は何も解決せず、寧ろ思春期に入るとそれは悪化した。

 よくある恋バナ、と言っても男子のそれは些か下衆で下賤であったが、ともかくそういう話が飛び交うようになって、私も「誰が好きなの?」とか聞かれまくった。別に本気で私の好きな人が気になっていたわけではあるまい。誰彼構わずそういう話をしたかっただけで。

 正直な事を言うならば「知るかそんなもの。こっちは自分のことでもやもやしてるんだ」と答えたいところだった。勿論そんなことは言えるわけもなく、寧ろ「男の子は女の子を好きじゃなきゃいけないんだな」と、変な学習をした。

 取り敢えず周囲には普通の男子と見られていたと感じていたので、今度は誰か女子を好きにならなくてはいけない。そう思った私は、誰彼構わず好きになる惚れっぽい奴になった。変態である。

 さて、ジェンダーマイノリティというものを私が知ったのは高校の現代社会の授業だった。

 その時、私の前に座っていた男子生徒――男子校だったので当たり前だが――に「お前トランスジェンダーだろ。言動が女」と言われ、酷くショックを受けた。家族にもそれ以外の人にもそんなことは一度も言われたことがなかったので、すっかり男性になれたつもりでいたが、中学から男子校だったらしい彼には何か違和感があったのだろう。

 一方で、そう言われたことにより救いもあった。私は普通の男性ではない。だから無理に男性であろうとしなくていいのだと。

 それ以来男性らしくしようと思うことはやめた。だからといって今更女性らしくできるわけもない。なので何も考えないことにした。

 正確には、ちょっと調子に乗って、女の子っぽい格好をしたことが一度だけある。露骨に女の子の格好ではなかったが、後姿だけなら女の子に見えるような格好だった。そして痴漢にあった。これ以上は思い出したくないので書かないが、兎に角私の心に深い傷を残した。だから女性らしくするのもやめたというのが正しい。日々同じ思いをさせられている身体女性の方々には深い同情と、私だけ逃げて申し訳ないという気持ちである。

 そして、今に至る。

 私はまだトランスジェンダーとしてはマシな方だろう。私はそれについて誰かから嫌がらせを受けたり、誹謗中傷を受けたことはない。黙って動かないでいればただのパッとしない男性でしかないので、周りの人の大半は気が付かないでいてくれているのだろう。或いは言動が女性みたいだと思っても、今やこういうご時世だから何も言わないでいてくれているだけかもしれない。何にせよ、私はそれについて誰からもとやかく言われていないのだ。

 しかし、我々に対する世の中の理解ははっきり言って全く無い。一応、そういう人がいる、ということは理解して貰えたらしい。けれど、そういう人に対する配慮がどうとか、そんなことは正直どうでも良いのだ。寧ろ、そっとしておいて欲しい。よくも悪くも、関わらないで貰いたいのだ。

 今年、パリオリンピックで割と問題になったことだが、性自認が女性だという身体男性アスリートが女子種目に出場し、当然のように良い結果を出した。身体のつくりが違うのだから当然だ。それを、下らない「配慮」とやらのために、女性アスリートが結果を残す機会を、彼女達の尊厳を踏み躙った。

 我が国においても、性自認が女性だと偽る男性が女子トイレや女風呂などの、女性専用スペースに堂々と入って行って問題となる件も何年か前からしばしば起こっている。はっきり申し上げてそんな奴はただの小賢しいだけの男性なので、普通に通報して頂いて構わない。

 その度に、何の罪もなく、自分が望んでそうなったわけでもない私達トランスジェンダー全体が、そうでない人達から攻撃の的にされる。極端な「配慮」によって、マジョリティの権利を侵害することになると、毎回そうだ。

 だが、何度でも言うが、そんなことを私達は望んでいない。私達当事者が求める理解とは、そういう人がいるということを認識し、それを理由に非難されたり不当な扱いをさせられることの無いようにして欲しいというだけのことなのだ。我々を優遇してくれとは言っていない。

 我々は、我々の立場を知っている。我々はマイノリティ、即ち少数派だ。少数派を尊重して欲しいとは思うが、それは多数派を犠牲にして少数派の意見を通せということでは無い。少数派だからという理由で排斥されないことが、少数派の尊重なのだ。

 私にしてみれば、トランスジェンダーであることを理由に身体の性を無視した対応を求める輩は、良くてただの馬鹿、基本的には過剰な「配慮」を悪用した下劣極まりない犯罪者だと言わざるを得ない。結果として、何もしていない私達が非難の対象になるのだ。

 よく言われるポリコレの問題もそうだ。一体、当事者の誰が、そんなことをしてくれと望んだのか。こんなもののどこが配慮だと言うのか。多数派の権利を捻じ伏せて、尊厳を踏み躙って、多数派の反感を買って、今まで興味もなく、一切関わらないでいてくれた人達を纏めて私達を攻撃する人達に変貌させておいて、何が配慮だと言うのか。はっきり言って、我々のような者を排斥したい者の陰謀だとでも思った方が納得がいくレベルの暴挙である。

 私が何を言っても、世間の何かが変わる訳では無い。しかし、何も言わずにはいられない。こんなものな配慮ではない。理解ではない。ただの自己満足だ。その「配慮」を名乗るどうしようもないものが、多数派の権利と尊厳を無下にし、あまつさえ肝心の少数派を更に迫害することになっているということに、誰か気が付いて欲しいものである。

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