学校へ行こう

 ──ピピッ、ピピッ。

 スマホのアラームが鳴っている。

「ううん。んん……?」

 ベッドの上で、目を閉じたまま手をパタパタさせても、スマホは見つからない。代わりに手に触れたのはサラサラとした、まるで人の髪の毛みたいな……。

 ──ピピッ、ピピッ。

「いってぇな、なにすんだ」

 鳴り止まないスマホのアラームのほかに、わたしの手の中から、声が聞こえた。

 向かい合うように、ベッドの中にいるのは、同い年くらいの男の子。わたしは寝ぼけて、彼の髪の毛をつかんでいたらしい。

「きゃあ!」

 ――ドタン!

 完全に目が覚めたわたしは、おどろきすぎてベッドから落っこちた。

 そうだった! 昨日、天使を呼び出したつもりが、なぜか悪魔がきて。えーと、名前は……。あ、そうだ。

「リ、リル? なんでまだいるの?」

「はぁ? 願い叶えて魂とるまで、帰れないって言っただろ。ほら、言え。今言え。人間なんか、欲望まみれなんだろ。早くしろ」

「ちょ、まっ」

 一番の願いは、この自分勝手な悪魔に帰ってもらうことなんだけど。

「ここなーっ! 起きなさい、学校おくれるわよ」

 その時、部屋の外からママの声がして、ドアが開けられた。

 ――リルを見られちゃう!

「待って、ママ!」

 バレた……!

 その瞬間、パチンと指をはじく音がして、ママが部屋に入ってきた。

「なんだ、起きてるじゃない。早く朝ごはん食べちゃいなさい」

「あれ? いなくなってる……」

「なにが?」

「ううん、なんでもない。今行くね」

 ママが部屋を出ていくと、ポンッという、何かがはじけたような音とともに、リルが再び現れた。

「あー、ダル。やっぱり、姿消すの疲れるわ」

「!? 消えることもできるの!?」

「俺様に出来ないことはない」

 魔法って、やっぱりすごい。……って、関心してる場合じゃない。

 わたしはスクールバッグと、中学校のセーラー服を手に取った。

「わたし、今から学校に行ってくるから、ママが仕事に行くまで部屋から出ないでね。絶対ね!」

「学校って、なんだ?」

「え? えーと」

 リルがいた世界には、学校ってないのかな。

「んーと、同じ年のみんなで、勉強する場所かな。遅刻すると、先生に怒られちゃうの。行ってくるね」

 キッチンに行くと、ママがトースターに食パンを入れているところだった。

 今日ははじまったばかりなのに、すでにめちゃくちゃ疲れた……。夜ふかししたから、まだ眠いし。

「早く歯みがいてきなさい。あら? なんで、いつもみたいに部屋で着がえてこないの?」

「そんな気分じゃないの……」

「なに? それ」

 同い年くらいの男の子がいるのに、そこで着がえる勇気はない。

 帰ったら、やっぱり全部夢だったことにならないかな。あ、でも、そしたら、もうわたしの作ったお菓子食べてもらえないんだ。それはちょっとさみしいな。

 いやいや、魂を取られるよりはマシだよ。

 なんて、そんな複雑な気持ちのまま、わたしはスクールバッグを持って学校へ向かった。



「おはよう、雨月さん」

「あっ、おはよう、蒼羽あおばくん」

 校門を通ったところでポンッと肩を叩かれ、ふり向く。

 クラスメイトで、わたしの前の席の蒼羽ハルトくん。

 少女漫画のヒーローみたいにかっこよくて、いつもニコニコしていて、誰にでもやさしい。校内一モテるのに、えらぶったりしない。

 リルもアイドルみたいにかっこいいけど、リルがキリッとしたイケメンなら、蒼羽くんはさわやかなイケメン。

 中身も正反対。リルが悪魔なら、蒼羽くんは天使だよ。

「ふわぁ……」

「雨月さん、寝不足?」

「!」

 そんな蒼羽くんの前で大きな口をあけてしまったことが恥ずかしくて、わたしはあわててすぐに口を閉じた。

「おっはよー、ここなっ」

「わあ!?」

 うしろからギュッと抱きしめられて、おどろいて姿を見ると、由夢ちゃんだった。

「おはよう、由夢ちゃん。もう、びっくりしたよ」

「おはよう、鈴木さん」

 わたしたちを見て笑いながら、蒼羽くんも由夢ちゃんの名字を呼ぶ。

「ごめん、蒼羽くんと一緒にいるのに、じゃましちゃったよね」

「? じゃまなんてしてないよ。ね、蒼羽くん」

「あ、うん……」

 蒼羽くんはなぜか、複雑そうな顔で返事をした。

「ふわぁ」

 由夢ちゃんが、わたしみたいに大きくあくびをする。

「由夢ちゃんも寝不足?」

「わたし、夜はいつも、どっちかが眠るまで南くんと電話してるからさぁ」

 彼氏の南くんと、なかよくしてるんだな。楽しそう、由夢ちゃん。いいな。

「ここな、どうしたの? 変な顔して」

「んーん。なんでもないよ。なんだか今日は、スクバが重たいなーって思ってただけ」

「えー? ここなのことだから、まちがって漫画でも持ってきたんじゃないの?」

「まさか。そんなことしないよ」

「だって前は、スマホとまちがってエアコンのリモコン持ってきたことあったじゃない」

「雨月さん、リモコン持ってきたの?」

 由夢ちゃんひどい。イケメンに変なことバラすなんて。

「う、あったけど……」

「ほらね。見てみなよ」

 由夢ちゃんに言われるがまま、スクールバッグのファスナーをあけてみる。

「えっ!?」

 思わず声を上げた。黒猫のぬいぐるみが入っている。

「もう、ここなぁ。やっぱり持ってきちゃってるじゃん」

「待って、わたし、こんなぬいぐるみ持ってない……」

 でも、なんかこの顔、見覚えがあるような気が。黒い羽根があって、しっぽも猫っていうより、悪魔みたいな。

 ぬいぐるみを両手で持ち上げると、への字だった口もとがニヤリと笑った。

「きゃあ!」

 びっくりして、放り投げてしまった。

 このぬいぐるみ、リルだ!

「ちょっと、投げたらかわいそうでしょ、ここな」

 由夢ちゃんが、ぬいぐるみを拾おうと手を伸ばす。

「だっ、だめ! 由夢ちゃん! さわっちゃ危ないよ!」

「え?」

「あっ、ううん、まちがってぬいぐるみ持ってきちゃったみたいっ。先生に見つかる前に、どこかに隠すね。先に行ってるから!」

 リルがふたりになにかしてしまう前に、スクールバッグに押し込んで、わたしは校舎の中へダッシュした。


「な、なんでいるの!? いつの間に入ったの!? 姿を消すだけじゃなくて、変身もできるの!?」

 わたしはあまり人が通らない、体育館のそばの階段で、ぬいぐるみのリルにつめよった。

「うるせーな。俺はさっさと魔界に帰りたいんだよ。お前に付きまとえば、願いごとも早く叶えられるだろ」

 それってつまり、わたしの命の危険が早まるってことじゃない!

「帰って!」

「嫌だね」

「わっ」

 ──ポンッ。

 魔法がとけて、リルが元通りの男の子の姿になる。もちろん、羽根もしっぽもあるわけで。

「だめだよ、こんなところで! 誰か人に見られたらっ!」

「猫になるの、疲れるから嫌なんだよ」

「勝手に変身してついてきたくせに!」

 誰かに見られる前に、なんとしてでもリルをおうちに帰さなきゃ。あ、羽根があるってことは、リルって飛べるんじゃない?

 この窓から、飛んで帰ってもらうとか……。って、ダメダメ。誰かに見られたら、夕方の全国ニュースに映っちゃう。

 あ、リルって姿を消すことができるんじゃなかった?

「リル、昨日みたいに姿を消して!」

「猫よりも疲れるし、やだ。てかそれ、一個目の願いか?」

「!! ちがうっ、取り消し!」

 そんなことをしていた時。ハイヒールの靴音が聞こえて。

「雨月さん、こんなところで何してるの? 朝のホームルームはじまるわよ。あら、そっちの子は……」

 担任の、葛西先生!

 しまった。リルを見られちゃった……─―!

 ――パチン。

 リルが指を鳴らす。葛西先生は一瞬、クラリと頭をおさえて、

「雨月さんと……、リルくん。ホームルームがはじまるから、早く教室にね」

 なにごともなかったように、わたしたちに背を向けた。

 ハイヒールの音が、遠ざかっていく。

 “リルくん”? それに先生、リルの羽根もしっぽにも、全然気にしていないみたいだった。

「リル、先生に、今……」

「魔法使った」

「そんなこともできるの?」

「俺様はすごいんだよ」

「人の心をあやつるとか、わるいことなんじゃないの?」

「は? 俺は、悪魔だぞ」

 そうでした……。

「それにしても、惜しかったな。お前に願いごと言わせるチャンスだったのに。邪魔が入った」

 そっか。リルに何かをしてって言うことは、願いごとにカウントされちゃうかもしれないんだ。あぶなかった。

 ――キーンコーンカーンコーン……。

 あ、チャイム。

 教室のある方に移動しようと、きびすを返す。そこに、もうリルはいなかった。

「もう、勝手なんだから」

 わたしは、ひとりでそうつぶやくしかなかった。


「雨月さん。先に行ったのに全然教室に来ないから、心配してたよ」

「蒼羽くん、ちょっと色々あって……」

 教室にそっと入ると、わたしにすぐ気づいた蒼羽くんが、心配そうにかけよってきた。

 蒼羽くん、やっぱり天使みたいにやさしいな……。しかもイケメンとか、最高すぎる。蒼羽くんの彼女になる子は、きっとすごく幸せだろうな。

「はいみんな、席についてね」

 葛西先生が教室に入ってきて、自分の席に向かう。わたしの席は、蒼羽くんのうしろ。

 セーフ。わたしが教室に来るのがもう少しおそかったら、遅刻になるところだった。

 それにしても、リル、どこに行ったんだろう。なにかわるさをしていないといいんだけど。

 前を向いて、先生のとなりを見たわたしは、ファスナーを開こうと思ったペンポーチを床に落としてしまった。

「今日は、転校生を紹介します。雨月リルくんです。いとこの雨月ここなさんの家に一緒に住んでるのよね?」

 先生のとんでもない紹介に、クラス中がいっせいにわたしを見る。

 いとこ? 一緒に住んでる? 転校生? 誰が?

 いっぱいのはてなを浮かべたわたしに、羽根もしっぽもない、制服姿のリルがべーっと舌を出した。

 あ! 生徒のふりをして、先生に魔法をかけたんだ!

 今すぐ魔法をといてって言っても、きっと1回目の願いごとにされちゃう。

 きのうまでの、わたしの平和な学校生活が……!


「雨月さん、こんなイケメンのいとこがいたんだね」

「あはは……」

 朝のホームルームが終わって、ぐったりとしているわたしに、蒼羽くんがやさしく声をかけてくれたけど、つかれた笑いしか返せない。

 イケメンから見ても、リルってイケメンなんだ。だから今、わたしの後ろの席を、たくさんの女子がかこんでいるわけで。

 出席番号順ということで、わたしのすぐうしろの席には、リルがいる。

 誰もなにも指摘しないから、どうやらあの派手な指輪は、誰にも見えていないらしい。あそこから、わたしの魂を……。

 想像して、ブルッとふるえる。

「ねぇねぇ、リルくんって、いつからここなの家にいるの?」

「昨日」

「前はどこの学校だったの?」

「行ってない」

 リルが女子の質問攻めにあうたびに、リルはひょうひょうとしているけど、わたしはハラハラが止まらない。

 どうか、変なこと言いませんように。

「どうして、ここなと同居することになったの?」

「ここなに呼ばれたから。俺、こいつからはなれないって決めてるし」

 言った! 変なこと!

 リルがひとりの女子の質問に答えたとたん、ギラリとした視線がいっせいにわたしに集中する。

 その言い方だとなんか、わたしの言うことならリルはなんでも聞いちゃうみたいに聞こえる……! 一応、間違いではないけど。……命と引きかえでね。

 いきなり大半の女子に、ライバル視されてしまった。

「リルくん、わたしが作ったお菓子食べない? マフィンなんだ。自信作なんだよ」

 クラスのリーダー的立ち位置にいる倉科さんが、リルにお菓子を渡す。

 わたし、この子ちょっと苦手なんだよね。校内で禁止されてるメイクも平気でしてきちゃって、オブラートにつつまないから、人が嫌がることもズバッと言っちゃうところとか。

 顔がきれいで男子からモテて、成績もいつも一番。なにをしても完璧だから、自信満々にならないほうがむずかしいと思うけど。

 倉科さんが話しかけてから、勝ち目がないと思ってしまったのか、周りの女子はリルに話しかけるのをやめてしまった。

 倉科さんの手作りマフィンは、綺麗なデコレーションのクリームに、キラキラしたトッピングシュガーが散りばめられていて、お店で売ってるものみたい。わたしの手作りとは正反対。

 倉科さんからマフィンを受け取ったリルは、だまってひと口。ぱくり。

「まずい」

「えっ」と、声に出して驚いたのは、倉科さんだけじゃない。その場にいる、みんなも。

 そんな空気感を無視して、リルはまゆをゆがめて、ベーっと舌を出す。

「よくこんなまずいもん作れるな。おい、ここな。口直しに、お前が作ったうまいクッキーよこせ」

「!!」

 その問題発言に、あわててリルの口を手でふさいだけど、もう遅かった。倉科さんをはじめとした女子がこちらをにらんでいる。

 しかも、今、リルの体が光った。わたしの手のひらにキスしたせいだ。

 二重で身の危険を感じて、わたしはリルの手を取って、廊下へ連れ出した。


「もう、リル! なんであんなこと言ったの!?」

 廊下に誰もいないことを確認して、わたしは涙目でリルに詰めよった。

「まずかったし」

「そんなはずないよ。倉科さん、家庭科の通信簿、いつも5なんだから」

 わたしのお菓子の方がおいしいって言ってくれたことは正直、素直にうれしかったけれど。

「ほしいならやるよ」

 さきほどのマフィンを渡されて、おそるおそるひと口。

 わたしの手作りよりもダメなお菓子なんて、どんな?

「え? おいしい……。すごく」

 見た目だけじゃなく、味もお店で売ってるのと同じくらいのクオリティ。

「悪魔とお前らじゃ、味覚がちがうんだよ。人間は、よくこんなまずいもん食ってられるな」

 味覚がちがう? 人がおいしいと感じるものを、悪魔は反対においしくなくて。つまり、人がまずいと感じるものを、悪魔はおいしいって思うってこと?

 じゃあ、わたしの手づくりを気に入ったのは……。

 気づいてしまって、わたしはガックリと頭を垂れ下げて脱力した。

「おい、なんだよいきなり。寝るのか?」

「ちがうよ……」

 そりゃそうだよね。おかしいと思った。わたしが作ったクッキーをおいしいだなんて。

 うれしかったのにな……。


 放課後になる頃には、すっかり疲れてしまっていた。

 リルは、一度も授業に出なかった。だけど、魔法のせいなのか、先生もクラスのみんなも、なにも言わなかった。

「あ……雨月さん、あのさ」

 蒼羽くんにえんりょがちに名前を呼ばれ、目を向ける。

「なに? 蒼羽くん」

「朝、リルくん……、一瞬光ってなかった?」

 見られてた!?

「ま、まさかそんな、人が光るなんて、あはははは……」

 演技が下手なわたしは、完全に棒読みで笑ってみせる。

「ここなぁ~、いい気味だったよね、朝の倉科さんさぁ」

 いいタイミングで由夢ちゃんが乱入してきて、蒼羽くんとの話が流れて、ホッとする。

「いい気味って?」

「だって倉科さんさぁ、いつもえらそうにしてて、前から好きじゃなかったんだもん。リルくんにまずいって言われて、真っ赤な顔でくやしがってて、スカッとしちゃった」

「ダメだよ、由夢ちゃん。誰かに聞かれちゃうよ」

 わたしはあたりをキョロキョロする。

「そんなの大丈夫だよ。ここなはいい子ちゃんっていうか、ビビリだよね」

 痛いところをつかれてしまって、なにも言えずにいると、

「でも、そこが雨月さんのいいところだよね。人の悪口、言わないもんね」

 と、蒼羽くんがフォローしてくれた。本当にやさしい。いい人だ……。

 由夢ちゃんはなぜか、そんなわたしたちをニヤニヤと笑って見ている。

「あ、そうだ、ここな。ごめん、今日も一緒に帰れないんだ。南くんにさそわれてさ」

「そうなの? あっちゃんも、さっき、彼氏と遊んでから帰るんだって言ってたなぁ」

 ひとりで登校は平気なのに、ひとりの下校はさみしく感じるから不思議。最近は特に、そんな日が増えた。

「わかった。じゃあわたし、ひとりで帰るね」

「ここなも、早く彼氏作ればいいのに。ね、蒼羽くん」

 なんで蒼羽くんに言うんだろう?

「あ、じゃあさ、雨月さん、よかったら僕と」

 蒼羽くんが、わたしになにかを伝えようとした時。

「おい、ここな、腹へったぞ」

「わあ!?」

 いつの間にかいたリルが、うしろからにゅっと顔を出して、わたしの腕をつかんだ。

「リル、びっくりしたぁ……。帰ったら、なにか作ってあげるよ」

「いい。今よこせ」

 ぐいっと腕を引かれて、顔が近づく。

 これは──!

 わたしは制服のポケットに手を入れて、キャンディを取り出した。

「これあげるからっ!」

 リルがピタッと止まる。リルは意外にも素直に、包み紙をはがして口に放りこんだ。

「まずい」

 このすきに……!

「ごめんね、わたし、先に帰るね!」

 リルの腕を引いて、わたしはそそくさと教室を出た。

 あ、そういえば、蒼羽くんなにか言いかけてたな。明日、聞かせてもらうことにしよう。


 急いで家に帰って、リビングのソファーに座る頃には、すっかり息が上がってしまっていた。

「おい、腹へったぞ」

「はぁはぁ、い、今、なにか作るから待ってて」

「先に、お前をよこせ」

 リルの顔が、近づく。首すじに、吐息とやわらかな唇が触れた。

「――っ!」

 声にならない悲鳴が出た。触れたところに、体中の血が集まったみたいに熱くなる。

「い、いきなりキスしないで……っ!」

「キス? なんだそれ。生気吸っただけだろ」

 それを、人間界ではキスって言うんです……!

 逃げるようにキッチンへ向かう。この悪魔、心臓に悪すぎる。

 おなかがすいているからなのか、リビングで大人しく待っているリルを見る。やっぱり、こうしていると、普通の男子にしか見えない。

「リル、給食の時間もいなくて、何も食べてないでしょ」

「人間の食いものなんか、まずいだけだし」

「給食、おいしいよ」

 あ、そうだ。味覚がちがうんだっけ。

「悪魔って、もしかしてご飯食べなくても平気なの?」

「まぁ、食えるもんは普通に食うけど。人間界にいる間は、人間の生気があればいい。あとは、魂な」

 聞かなきゃ良かった。今、こわいことを言われた。

「リルは、今までどんな人と出会ってきたの? みんな、普通にキスしてたの?」

「俺は、お前以外の人間は知らない」

「あ、そうなんだ」

 少しホッとした。リルはまだ誰の魂も、うばったことがないんだ。

 冷蔵庫のなかには、牛乳、たまご、お肉と少しの野菜。あ、ママが買ってきたマンゴーがある。はやく食べないと、いたんじゃう。

 この中で、わたしがつくれるものっていったら……。


「おまたせ。できたよ」

 わたしは、リビングのソファーでだらんと横になっているリルの前に、お皿を置いた。

「なんだこれ」

「マンゴーのパンケーキ。はちみつたっぷりかけると、おいしいよ」

 今回は、結構おいしくできたはずなんだよね。

 ドキドキしながら待っていると、

「うまい」

 と、リルが自分のくちびるをペロッと舐めた。

 悪魔が食べて、おいしいってことは……。

 わたしは、ひざからくずれ落ちる。また失敗した。

「お前、やっぱりすごいな。今日、変な女に食わされたお菓子の100倍うまい」

 じゃあ、倉科さんのマフィンの100倍まずいってことじゃん!

 リルは、お皿の上から次から次へとパンケーキを消していく。

 わたしは「ふう」小さく息を吐いて、隣からリルの顔をのぞきこんだ。

「おいしい?」

「すげーうまい」

 食べてる顔は、かわいいな。

「おい。なにニヤニヤして見てんだ」

「え? リルがおいしそうに食べてくれて、うれしいなって」

 わたし、ニヤニヤしてたんだ。気をつけよう。

 だって、手作り料理をほめてもらったことなんて、ないんだもん。

「やらねーぞ」

「うん。リルのためにつくったから、全部食べていいよ」

 わたしのその返事に、リルがうたがいの目を向けた。

「なにが望みだ」

「え? 1個目のねがいごとは、まだ使わないけど」

「じゃなくて。こんなうまいもの、ただでやるわけないだろ。引きかえに、なにが欲しいんだ」

「ええっ!? そんなつもりないよ! わたしは、おいしいって何回も言ってくれたから、それだけで充分お礼になってるから、いいの」

「思ったこと言っただけだぞ。それの、なにが礼なんだ? 魔界にいる女なら、宝を要求するぞ」

 魔界にも、女の子っているんだ。ちょっと気になるな。やっぱり、リルみたいに羽根とかしっぽとかあるのかな。

「そうなの? わたしが、リルの言葉でうれしくなったから。だから、わたしにとっては、それがリルからのプレゼントみたいな感じかな」

 ぽかんと表情をかためたあと、リルは顔をくしゃっとさせた。

「変な女」

 そう言って、八重歯を見せて笑うリルの顔は、魂をうばいにきた悪魔には見えなくて、とても……。

「かわいい」

「は?」

「リルの笑顔、初めて見た。八重歯がかわいいね」

「……はぁ?」

 リルは、ハテナをいっぱい浮かべて、まゆを寄せる。

「お前、人間のくせになめたこと言うな。この姿を見ても、まだそんなこと言ってられるのか?」

 リルがニヤリと笑う。今までの学ラン姿が消えて、悪魔の羽根としっぽがあらわれた。全身真っ黒。八重歯は先ほどよりもするどくて、ぎらりと光っている。

「俺は、悪魔だぞ? お前の魂をねらってるんだ」

「うん。初めて会った時に見たから、知ってるよ?」

 リルが、ピタッと止まる。

「せっかく、制服似合ってたのに。そのしっぽも、先っぽにハートがついてるみたいで、かわいいよね」

「……俺が怖くないのか?」

「こわい? どうして?」

 リルが変な顔をして、「もういいや」と、わたしに背を向ける。そのはずみで、しっぽもぴょんとそっぽを向いて、ぴこぴこ動いてる。

「リルのしっぽ、さわってもいい?」

「いいわけねーだろ。なんなんだお前、調子くるうな。悪魔にそんなこと言うやつ、いねーぞ」

 そう言い残して、リルは姿を消してしまった。

 顔が赤いように見えたのは気のせい?

「あっ」

 どこ行っちゃったんだろう。夜には帰ってくるかな?

 そう言われても、だってこわくないし。

「……えへへ」

 わたしは、何も乗っていないきれいになったお皿を見て、ひとりで笑った。

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